第13話 『ベアリング伯爵家の子息』 ①
そして、それはレノーレ様の手が私の頬に当たる、寸前のことでした。
「レノーレ様! そこまでです!」
そんな声と共に、横から伸びてきた誰かの手が、レノーレ様の手首をつかんだのです。
「……何よ、何よ! あんたも邪魔をする気なの!? あんたも、この女の味方なの!?」
レノーレ様は自らの手を掴んでいる手の主を見つめて、そう叫ばれました。その瞳には涙が溜まっており、相当悔しかったのは誰が見ても分かることでしょう。
ですが、私はそれぐらいでは決して同情しませんでした。今まで散々悔しい思いをしてきたのは私の方なのです。今更、泣かれただけで許せるわけがないじゃないですか。しかも、貴族のご令嬢にとってうそなきとは立派な武器。……今零れている涙が、到底本物だとは思えません。
「……レノーレ様、正気に戻ってください。ビエナート侯爵家に泥を塗るつもりですか? いくら辺境侯とは言え、エストレア公爵家に勝てるわけがないんですよ」
レノーレ様の手首をつかんでいる手の主である青年は、そんなことを優しくレノーレ様に言い聞かせておりました。ですがその表情は、とてもではないが優しいものではありません。いつも、レノーレ様のわがままを文句ひとつ言わずに聞いていたその青年。その青年は、今とても怒っていらっしゃいました。
「……悔しいのは分かりますよ。僕だって、悔しいという気持ちはあるんですから。……でも、やり方が間違っています。もっと――正々堂々と勝負しなくては」
「……分かったわよ、アラン」
アラン。そう呼ばれた青年のフルネームは「アラン・ベアリング」様。レノーレ様の幼馴染である、ベアリング伯爵家のご令息です。いつもレノーレ様に振り回されていることもあり、周りからは苦労人だと思われているお方。その本心は、誰にもわかりませんが。
「……モニカ様。僕からも謝罪します。……レノーレ様が、本当に申し訳ありませんでした」
アラン様が、そうおっしゃって私に軽く頭を下げてこられます。だから、私はただ頷くことしか出来ませんでした。アラン様とレノーレ様が、何を考えられているかなど分かりようがないのです。アラン様の瞳に宿った感情と、レノーレ様の本当の気持ちに気が付いていたら……きっと、あんなことは起こらなかったのかもしれないのに。そんな後悔が、付きまとってきます。
ですが……この時の私が、お二人の思惑に気が付くことは、なかったのです――……。