27-4.ぬいぐるみは黙して語らず
「ちびーっていうんだよ」
目の前のその子はそう言って、白と薄い茶色の、犬と猫の間くらいのぬいぐるみを掲げてみせた。
「おかあさまがつくってくれたの!」
少し古いアニメのマスコットキャラクターで、ほしいと思ったけれどもう売っていなかったらしい。
この子のお母様は裁縫がとても上手で、作ってくれたのだという。
お母様が子供のためだけに作った一点もののぬいぐるみ。
「いいなあ」
「かわいーでしょ!」
ぬいぐるみは確かにかわいいと思ったけれど、まあうちの愛犬のほうがかわいいのでそこはあまり羨ましいとは思わなかった。
だけど母親が子供の見たアニメを理解してくれて、絶版になったぬいぐるみの代わりに手ずから縫ってくれたというところには、言いようのない羨望があった。
親が戻ってくるまでの間しばらくそのアニメの話を聞いて、それからお互いに親が迎えに来てその場はお開きになった。
「……いいなあ」
「うん? ああ、ぬいぐるみか。そんなに気に入ったのか?」
「んー、そうですね。いいなと思います」
お父様もお母様も、そんなことはしてくれないだろう。だけど、言うくらいは許してほしい。本当に、羨ましかったのだ。
数日後、ちびーのぬいぐるみはぼくの手の中にあった。
「欲しがっていただろう? 譲っていただいたので、大切にするように」
珍しく朝に顔を合わせたお父様は、そう言ってぬいぐるみをぼくの手の中に置いた。
その瞬間にさああああと血の気が引いたのを覚えている。
「あり……がとう、ございます。お父様」
震える声で返した言葉に、お父様は満足そうに頷いて仕事に出かけて行った。
ぼくが迂闊にも羨ましいと言ってしまったから。いいなと言ってしまったから。
あの子はあんなに大切にしていたのに。
返そうにもあの子の名前がわからなくて、調べるにはお父様に聞くしかない。それに、一度ぼくの手に渡ったものを、もう一度受け取ってくれるかもわからない。
喜ぶことも、返すこともできず、ちびーは今でも部屋の引き出しに仕舞われている。
色々な意思を無視して、ほしいと言ったものの多くが手に入った。
単純にお金で解決できるものも多かった。希少品だが待っていれば買えるタイプのものは、思ったより早く手に入ってもそういうものなんだろうと飲み込むことにした。
だけどお金では手に入らないようなものが手に入ってしまうことも多く、余計なことを言わないように、ほしいという感情が表に出ないように、曖昧に笑っているだけのことが増えた。
それが自分の意思によって周囲が動いているのではなく、父が息子の機嫌を取っていると外に見せたい時に起こっているのだと気付いたときには、ほしいだとか、羨ましいだとか、そういうことを言わない習慣がすっかりついていた。
プレゼントした菊の花飾りをつけて、スノードームを眺めていた彼女を思い出す。
彼女が好きだと主張したら、あの人ならどう動くだろうか。
最初の手紙に飛びついてこなかったあたりで、両親の籠絡は難しいことは分かっているだろう。
そうだな、従兄弟か、叔父叔母あたりに西生寺グループのいいポストを用意する。いきなり高いポストではなく、出世が見込めるということが外からもわかるポストを。
その状態で、祖父母に向けて見合いを持っていく。言い分としては「すでに親しくさせていただいていますが、一応外向けの形式として見合いの形を取っていただきたい」あたりだろうか。「一族に入るのですから、連なる方にもそれなりの待遇を」とか言うかな。
場が用意されてしまったら彼女は断らない。断れない。彼女の意思とは全く関係ないところで、全てが整う。
その後はどうするかな。一旦行儀見習いと称して西生寺の息がかかった家のどこかに呼んで、職場の見学と称してアルバイト契約か何かで会社に連れ込んで、あまり強く拒否できない彼女の性格を利用してなし崩しに仕事をさせて。
そして仕事量を増やしたタイミングで、「彼女の負担を減らすために」増員として俺が呼ばれるだろう。
手を焼いていたドラ息子が惚れた女のために会社に戻る、そんなストーリーを外向けに喧伝するかな。
あの人は、嫡男のコントロールを取り戻すためなら、そのくらいはやる。
西生寺という事業のために、人の心を無視した最短経路を見ているし、実行してくる。
「惚れた女」なんていう都合の良い駒を逃がすわけがない。
そしてこの発想が真っ先に出てくるあたり、本当に俺は西生寺智人の息子なんだな。それを意識してしまって、心の底から嫌になる。
何が最短経路なのか、どんな手札でどんな動きをするべきか、手に取るようにわかる。
全ての手札を知っているなら対応もできるけれど、俺が向こうの事業に一切かかわらなくなってからかなり経っているので、俺の知らない札もあるだろう。
だから、絶対に知られていはいけない。
母さんの牽制で止まったあの人に、俺のためという名分を与えてはいけない。
彼女をあの人の駒にさせない。
あの人の好きにさせないための分水嶺は「彼女のタレント活動の開始」だ。
彼女が正式に事業として配信やタレント活動を行って、その裁量権を俺が持っている状態になれば、あの人に捕まっても「こっちの仕事がある」と連れ出せる。
もう少しギリギリのラインで言うなら俺とロイの引っ越しだろうか。俺が家にいなければ「俺のそばに連れて行く」という手札が使えなくなる。
サインは完了したが、まだ事業としては動いていない。この微妙な時間に彼女の身柄を押さえられるときつい。
事前にチャンネルを開設してショート動画で興味を引く形式も、正式始動が4月である以上は最速でも3月スタートだ。
そもそも色々な事前研修が終わっていない状態の彼女を表には出せない。
まだだめ。
重たい鉛のように肩にのしかかる言葉を振り切るように、ベッドから起き上がった。
棚の一番下の引出しを開け、その一番奥から箱を取り出す。
開けると緩衝材の紙の上に、白と薄茶の、猫と犬の間くらいの見た目のぬいぐるみが鎮座している。
「お前の御主人様の名前も、知らないままだな。ちびー」
メーカータグのついていない手作りのぬいぐるみは、黙して語らない。




