26-5.井上法律相談事務所
「紬、これ少し早いけれどクリスマスプレゼント」
パパはそう言って長方形の箱を渡して来た。
「え?今?」
まだ12月に入ったところだけど。というかパパがリクエストを聞かずにこういうプレゼントを買ってくるのは初めてな気がする。
そう思いつつ包を開けると、入っていたのは眼鏡だった。
「……リーガルグラス」
「これから必要だろうから。会社が用意するものじゃなくて個人で持っていたほうがいいと思ってね」
「え、あ、うん」
大人がよくつけている縁の太い眼鏡は、パパがつけているのと同じメーカーな気がする。
「試しに紬の持ってる契約書を読んでごらん。視界に慣れておくんだよ」
「分かった、ありがとう」
「どういたしまして。明日はパパの友達のところに行くから、そのつもりでね」
なんだか、一気に社会人みたいになった気がする。
眼鏡の電源をいれて耳にかける。眼鏡なんて小学校以来かけていないから、不思議な感じだ。中にバッテリーとか入ってるし、投影レンズだし、やっぱり少し重たい。
以前サインしたサザンクロス所属の書類を目の前に置くと、埋め込まれた小さなカメラが契約書を認識し、眼鏡の上に文章の法律上の解釈がつらつらと表示された。
リーダーさんは契約の時に眼鏡を掛けていたけど、そう言えばロイドさんは掛けていなかった気がする。法律文とかもしかして覚えていらっしゃる?流石にそこまでではない?よく使う部分は覚えてるくらいはするのかな?
・・・
「この契約書、本当に先方が全て用意されたんですか?」
「そうです。あの、何か問題のある部分がありますか?」
パパの大学の後輩という人の事務所に来て、リーダーさんから渡された契約書類一式を渡せば、しばらく読んでから弁護士さん……井上さんは首をかしげた。
「法律上問題のある部分はありません。ここの利益分配については納得していますか?」
「はい、大丈夫です。自分でも調べたんですが、どこもこれくらいのようなので」
「そうですね、相場内です。それでしたら、このままサインしていいと思いますよ。先程言ったのは……この部分、移籍に関する事項が事前に決まっていることって珍しいんですよ。辞める際の規約もすごく緩いですね。それほど長く続ける気がないのか、それともよほど誰も抜けないだろうという自信があるのか……」
後者ですね、間違いないです。
ニンカさんは所属要件がとても難しい。グライドさんはニンカさんがいる場所にしか行かない。ロイドさんとリーダーさんはお互いにいなくならないという信頼がある。サザンクロスを抜けるのは、本当によほどがあった時になる。その「よほど」の時に必要以上に揉めたくないんだろう。
「そんなに突っ込むところないのかい?」
「ないです。これ人を縛るための契約書じゃないですね。ただのルールの言語化です」
「へえ」
「先方に法律に詳しい人がいないってことはありますか?」
「副社長の伊郷さんが法学部の出身で、法務を担当されています。顧問をお願いしている弁護士さんもいらっしゃると」
「なるほど……じゃあ本気で所属タレントを縛る気がないんですね。まあ……社長さん西生寺リゾートの御子息でしたっけ?」
「そうです」
「じゃあ趣味で人を集めてるとかかなあ。紬ちゃん、君の名前でお金の借り入れを要求されたらすぐに相談に来てね」
「リーダーさん…西生寺さんに限ってそれはないとは思いますが、覚えておきます」
井上さんはゆっくりと頷いて、それからもう一度しげしげと契約書を見た。
「川内先輩の娘さんがタレントデビューかあ」
「なんだい?」
「人気出そうですねえ」
「既に結構人気なんだよ」
「ゲームアバターで配信してるんでしたっけ?今どきですねぇ」
「今度大きい大会も出るんだよ」
「へえ、中継とかあります?」
「あるよね?」
「……あるけど、パパもしかしていつもこの調子で喋ってたりする?」
「流石に最近は話す人は選んでいるよ」
「娘自慢なら会うたびに一時間位聞かされるよ」
「自慢するところしかない娘だからね」
…………とりあえず、パパの膝をつねっておいた。




