15-8.大団円の裏側で 下
「トラが呼んでくれたんだけど、あいつも今まで全然呼ぼうとしてなかったし、今回の件で動いてくれたんだろうなって――――セリス?」
喋っている間に、目の前の少女がみるみる顔色をなくしていく。
慌てて駆け寄って椅子に座らせる。
なにかぼそぼそと喋っているけれど、聞き取れない。
「どうした?」
震えている手に触れる。指先がひどく冷たいけれど、元々なのか今なにか起こったのか判別がつかなかった。
「セリス、聞こえていたら手を握り返して」
指をぎゅうと握られる。聞こえてはいるらしい。
「体調が悪いなら今すぐログアウトを。そうじゃないなら、首を横に振って」
首が小さく横に振られる。
「ハムさんのことで、何かあった?」
彼女の細い喉から、ヒュッと小さな音が鳴った。
「私、しらな、くて」
カチャリと部屋の扉が開く音が響いた。
「誰かいるの〜?」
明るい声が響く。
振り返ると家主の猫の獣人と瞳が合って。
「あ、お邪魔しちゃった?ごゆっくり?ちょっと部屋ロックしとくね?」
「違う!」
部屋はロックしてほしいけどそうじゃねえ!!!
ニャオ姉はようやくセリスの様子に気がついたのか、瞳をすっと細めた。
「……部屋は、ロックするね」
「頼む」
今彼女は移動させられない。
設定をいじったニャオ姉がセリスの隣の床に座って、彼女の顔を覗き込んだ。
「何をお話してたのかにゃ?」
「スクショ見て、ギルドの立ち上げの時の話をしてた。ハムさんにギルド解散させちゃったのが本当に申し訳ないって話をしてたら、急に」
「そっかそっか」
ニャオ姉がセリスの頭をそっと撫でた。
「セリスちゃんは、知らなかったのね」
セリスがこくりと頷く。
黄色の瞳から大粒の涙が溢れて、はたはたと手に落ちた。
「ごめんね、あの時にちゃんと教えておくべきだったね」
セリスがふるふると顔を振る。はくはくと口が動いて、だけど言葉は音になっていない。
「今回ね」
ニャオ姉がこちらを見る。
「ハムさんを呼んでくれたのは、セリスちゃんなの」
思いがけない言葉に一瞬なんのことかわからなかった。
ニャオ姉が片手で何かウィンドウをいじっている。
「いや……ハムさん、トラ以外の言うことは聞かねーだろ」
「トラ君に頼みに行ってくれたのよね?」
セリスが小さく頷く。
「何を言って頼んだのかは、聞いてもいい?」
「わたしが、とらごやに、いきますって、いったんです」
ちょっと待て、勝手に身売りをするな。
「あら……前線チーム、抜けちゃうの?」
セリスはふるふると首を振った。
「ぴーぶいぴーの、ほうしゅう、だって」
「PvP……ああ、リー君たちとやったやつね」
「これでかしかり、なしだって、いっていらして」
「そっかそっか」
「ぜんぜん、かしかりなしじゃ……そんなおおごとだなんて、おもわなくて」
「うんうん、知らないとそうよね」
何だよあいつ。あいつまでかっこいいのずるくねえか。
「トラ小屋はねー、一年前の解散の時にアイテム分配で揉めちゃってね」
ニャオ姉がセリスの背中を擦りながら言う。
ロックされているはずの部屋がカチャリと開く音がする。
そっと彼女の手を離して数歩下がった。
「ハムさんが残留して、アイテム分配なし、必要だったら貸し出すって形式で話が決まって、それでハムさんはトラ小屋にずっといたのよ」
「あそこにあったのは一年前のアイテムですから、もう最前線では全く使えなくなっていました。トラにも、解散しろとずっと言われていたんです」
ローブを着た銀緑の髪のビショップが、俺の居た位置に座り込んだ。
「はむさん」
「はい」
「ごめんなさい、わたし、しらな、くて」
細い指がそっとセリスの頭を撫でた。
「ずっと、人の居なくなった城に一人でいました。抜けてみて思いますが、守る必要なんて、きっとなかったんです」
「そんな、こと」
「あるんですよ。だってトラはここにいるし、あの時のメンバーも半分以上がここに居ます」
なんなら旧トラ小屋ギルドからのメンバーには、トラ小屋関連のギルド部屋へのプレイヤー招待権限を付与していて、サザンクロス外の旧メンバーもよく出入りしている。
割といつ見てもギルド外の人が居る、ちょっと異質な空間だ。
「トラ小屋用に用意されている錬金室があるのはご存知ですか?」
セリスが頷く。トラ小屋はPvPイベントでは基本的に敵対するので、専用の鍛冶室と錬金室が用意してある。どの内装も結構凝っていて面白い。
「トラ小屋ギルドの錬金室とそっくりでした。似た感じでハウジングしたと、当人が自信満々に言っていて、ちょっと笑ってしまいましたね」
ああ、あの飾りつけってそういうことなの……。
「時間の止まった城を出てみれば、たった一人の城の中で私が欲しくてほしくて仕方のなかった活気は、ここにずっとあったんです」
ハムさんが、セリスの頬から涙を拭った。
「きっと、私達に必要だったのは、切っ掛けだけだったんです。その切っ掛けが泣いてしまっていては、困りますよ」
セリスはやはりボロボロと泣いていて、
「ありがとうございます。私を呼んでくれて。――――これから、よろしくお願いしますね」
だけど、ハムさんから差し出された手は、そっと握り返した。
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時間だというリーダーが一人先にログアウトした。
まるで遺品を並べたようなニャオニャオの部屋に三人残ったので、聞きたかったことを聞いてみることにした。
「実際、トラにはなんと言ったんですか?」
「えっと――――今なら、サザンクロスのわがままとして、ハムさんを呼べます、と……」
ようやく泣き止んだセリスが気まずそうに瞳をそらした。
「それはまた……」
「トラ君の性格をよくわかってるにゃ」
本当に。
自分のワガママとして私を従わせたくない、彼の微妙に面倒な性格をよくわかっていらっしゃる。
少しばかり妬いてしまいそうです。
「ちなみにトラ小屋チームに所属するって言ったらなんて言われたのにゃ?」
「おや、こちらにいらっしゃいますか?歓迎しますよ」
「流れたらしいにゃ。でもなんて言って流れたのかにゃーって」
それは残念。まあトラから何も聞いていないので、流れたのはもちろんそうなのでしょうけれど。
「お前になんの得があるんだ、って……」
「そりゃそうにゃ。わたしが残留してもいいことなんてほとんどないにゃ」
それは貴女が貴女の価値を低く見積もりすぎですけれど。
「いえ、ニャオ姉さんにはずっと居てほしかったです」
「そういったのにゃ?」
「………………………………」
耳元まで赤く染めた彼女が、ぽつりとつぶやいた。
ニャオニャオと顔を見合わせて、そして少しばかり、声をあげて笑ってしまった。
それはそれは。
あの朴念仁こそ、この少女に随分大きな借りを作りましたね。いつかちゃんと請求できるといいのですが。
『だって、好きな人が悲しそうなの、嫌じゃないですか』




