閑話 娘の背中
誰の目から見ても明らかな天啓だった娘の特性を、私だけが分かっていなかった。
妻が娘のことを天才だ、ギフテッド支援施設に、と言い出すたびに、またそんな親バカなことを言って、ギフテッドというのはとても珍しいんだ、誰でも自分のこどもは天才に見えるものさ、と笑った。
言い訳をさせてもらえるならばちょうどその頃私の仕事が殺人的に忙しく、月に数日会えるかどうかの娘は、多少不思議なモノの捉え方をするもののテーマパークにはしゃぐ普通の女の子に見えた。
せめて私立小学校の受験を、と言った妻を止めたのも私だ。
妻が持ってきた小学校の受験要項には両親揃っての面談などもあり、当時の私の仕事の忙しさではとてもではないが実現できなかった。
5年かかった長い長い大仕事を終え、ようやく家族との時間を過ごせるようになった私の目に飛び込んできたのは、すっかり周囲と孤立した娘だった。
家の中で独りで大学相当の専門書を読み数式をいじくり回す小学三年生の娘を見た時の衝撃を、言葉に現すことは難しい。
あの子は天才で、すぐにでもギフテッドの支援に、そうでなくても私立の小学校に。
学校がつまらない、授業で学ぶことがない、みんなと話が合わない、友達ができない。
聞いていたはずの言葉が今更頭の中を嵐のように駆け巡って、胃の腑を焼いた。
今からでも、多少遠くなるがギフテッドの支援を行える学校に、あるいは飛び級のあるフリースクールに、と慌てて言い出した私に、妻は苦虫を噛み潰したような顔をして、娘は確かにこう言った。
「――――私がヘンだから、普通の学校じゃだめってこと?」
何もかもが手遅れだった。
私立の中学校に進級を促し、小学校のクラスメイトたちと完全に隔離した後は、少し精神的には落ち着いたようだった。
すっかり自分から話しかけることが苦手になった娘には相変わらず友達は少ないようだったが、大学までエスカレーターで上がっていくこの学校は飛び級授業を採用していて、高校級や、場合によっては大学の教授の授業を受けられるこのシステムを娘は気に入っていた。
16歳の誕生日に何か欲しいものはあるかと聞いた時、VRゲームをしてみたいと言われた。
娘が純粋な娯楽品を欲しがるのは非常に珍しく――――とても喜ばしかった。
内向的で、小中ではあまり娯楽に興味を示さなかった娘が、外の世界に踏み出してくれたような気がした。
発売当初車レベルだった値段は、技術革新によりそれなりの性能のPCくらいまで落ち着いていて、娘はゲームを遊ぶようになった。
…
―――
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「また見てるの?」
妻が私のパソコンの画面を覗き込んで言った。
「いや、これは別の人の動画だよ?えーと……あおいのゲーム解析さん」
「でも見てるのは一緒じゃない、これ準決勝でしょう?」
「君も覚えたね」
「貴方がずーーーっと見てるから覚えちゃったわよ」
リビングで大画面で見ていたら流石に真っ赤な顔で怒られたので、寝室のPCで見ている。
どうやら公式アーカイブは規約に則れば自由に利用できる形式らしく、いろいろな人が娘の試合を多方面から解説していて、毎日毎日違う動画がアップされていて、見ていて飽きない。
先日登録者数30万人という大規模チャンネルでのデビューを果たした娘は、少し天然っぽい調子で人気が出ているらしい。
「あんまり活動見てると、嫌われるわよ?」
「うーん、でも気になるじゃないか」
「ほどほどにしときなさい。ほんとに」
妻はすっかり呆れ顔で、本を取ってリビングに戻ってしまった。
引き出しから金のチケットの残骸を取り出す。
娘が――紬がそのつもりなら、すぐにでも仕事の引き継ぎをして、西生寺のグループ会社か、あるいは全く関係のない別業種に転職しなければならないと思っていた。
流石に社長令息の義父が同業他社に勤めているわけにはいかない。私はそれなりに社内の立場もあるから、その時が来たら即日辞めますというわけにもいかなかった。
こんなものが届いたのだから、てっきりそうなのだと思って話を進めてしまって、どうやら完全に勘違いだったらしく、紬の機嫌を甚く損ねた。
会った感じ、そこまで勘違いだとも思わなかったのだけれど。……いや、娘に関しては私の勘はさっぱりアテにならないし、仕方ないか。
画面の向こうでは紬のアバターが大きな剣を構える熊に突撃している。
「こどもというのは、少し目を離した隙にすぐに大きくなってしまうな……」
私の知らない娘の背中が、どこか遠かった。
小学校受験の両親面接、執筆瑞穂の頃はあったんですが、今もあるのかな……まああるという体でお願いします。
10章ここまでになります!
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