10-3.車の中
理人がいつもの3倍は乱暴に車のドアを閉める。
ドアが壊れる、などという軽口は、とてもではないが挟めそうにない。
助手席に乗り込み完全に扉を閉めれば、運転席から何かを殴る音が響いた。
「クソ親父が」
滅多に出ない怒りにまみれた声が響く。
「何が社長秘書だクソ野郎」
「正直、セリスのリアルに到着するのはもう少し後だと思っていたな。行動が早い」
「……プレイヤー名が本名由来だったから、多分到達が早かった。おもしろネーム系だったらこんなに早くはなかっただろうね」
「それにまあ、コレもあるしな」
交換した名刺をひらりと持ち出す。
「同業他社か……いやこのリサーチはムリだ。身内の職業なんてゲーム内じゃ聞けない」
「そうだな。さすがにこの情報へのリーチはあの方に軍配が上がる」
Serisはラテン語で絹のことだ。絹織物である紬という本名から選んだプレイヤー名だろう。
喋りはなまりの少ない丁寧な日本語で、VR、特にEFOでは身長はリアルに近いほうがプレイしやすいので身長もだいたい分かる。年齢は高校2年生、17才。
ここまで絞ればあとは時間の問題だとは思っていたが、更に父親が同業種の従業員で、高速でリーチされたらしい。営業や接待に携わる人にとっては身内の話は会話の枕として優秀だし、「娘がEFOをやっている」などというのは、EFO配信をしている社長令息のいる会社への話の種にはぴったりだろう。
それにしても大会前にアクションを起こしたというのは色々な意味で早すぎるが。
「理人、僕は君が言うまで聞かないつもりだったんだが、問題が関係者に及んだ以上は話して欲しい」
「何をだ」
「あの方は、何をそんなに焦っているんだ」
西生寺グループは西日本で広くホテル経営、レストラン、不動産を中心に多業種を手掛ける、同族経営グループ企業だ。
理人が後を継がないと宣言していること以外は、基本的に経営は安定している。
理人自身は「姉さんの子でも従弟でも好きに継げば良い。経営のほうから優秀な人を上げたっていい」と言って憚らない。
あの方――西生寺智人は、直系に継がせたいらしいが、お姉様は別会社の跡取りに嫁いで家から出たし、理人に継がせたら潰れかねない。そうすると理人の子供に、という話に……あの方の中では、なっているのだろう。
理人自身のことは、普通科高校に進学せず専門学校に行った辺りから放置気味だったとは聞いている。
本人には期待していないらしいが、結婚と子供には期待しているのか成人後は定期的に一族としてパーティーなどに引っ張り出し、見合いのようなことをさせている。先日のパーティーでも4人ほど席に連れ立って来たと言っていた。
僕も理人も26才で、本来なら焦るような歳ではないが、早く結婚しろという圧は嫌ほど伝わってくる。
話の流れは一応分かるが、それにしたって今回の件は強引すぎるし、相手も若すぎる。
「知らん」
「理人」
「本当に知らない。なんか最近急に焦りだしてる。俺も意味が分からん。だいたい、会社の方は一昨年から従弟が入った。あいつが継ぐだろ、周りもそういう雰囲気で固まってきてるはずだ」
理人は思い出すように眉間を抑え、目を細める。
「叔父さんや従弟との仲も……知ってる限りは悪くない。姉さんは義兄さんの方の会社の役員になったのと、今二人目が生まれたばっかで全然こっちには来ないけど……。何なんだよほんとに……」
「…………月曜日、奥様と会食の予定がある」
「ああ、言ってたな」
「内々に、セリスのことを相談するつもりだった。僕だけの予定だったが、君も来るか」
「行く」
「伝えておく。”気楽な格好で”とおっしゃっていた」
「おしゃれしてこいって意味じゃんそれ……」
スーツではなくカジュアル服で来いというのは、スーツよりよほど難易度が高い。奥様はそういう方がお好きな方だが。
ようやく落ち着いたらしい理人が、駐車場から車を出した。
自動運転で滑らかに動き出した車は国道に乗り、西へと走り出す。
住宅エリアを抜け、商業地区に入り込む。
このあたりには来たことがないので、どこまでも知らない景色が流れていく。
今日会った彼女のことを思い出す。
最後は大分怖い思いをさせてしまったのではないか。フォローを考えたほうがいいのだろうか。
「…………さらっとした長い髪」
「ん?」
「瞳はタレ目がちで」
「え、なに?」
「少し背伸びをしたような年下の女の子」
「いや、おい話聞け」
「あと、胸は大きいほうg「ちょっと待てほんとに何の話してんだ!?」」
「君の女性の好みの話」
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………別に、年下が好きな訳ではない」
随分と長い沈黙の後、理人が絞り出すように言った。
「そうなのか?しっかりものの妹っぽいキャラの話をよくするから」
「歳不相応に幼い言動をする女性があんまり得意じゃないだけ」
動画配信者、特に皮を被っているタイプの配信者は、確かにそういうところがある。
女性配信者とのコラボを積極的にしないのは、そういう問題もあるのかもしれない。
「そうか。まあ、セリス……紬さんは、いい線いってるんじゃないかと思って」
「何言ってんの?」
「これは友人としての発言なんだが、君にその気があるなら協力する」
「ちげえって言ってんだろ!相手未成年だぞ!?」
「あと8ヶ月の、未成年だな」
理人が嫌そうに眉根を寄せる。
「相手の感情を無視した話は好きじゃない」
「恋愛なんて最初は一方通行なんじゃないのか?双方向になるにはそれなりに努力するものだと思うが」
「初恋もまだの奴は黙ってもらってもいいか?」
「図星を刺されたからって黙らせに来るな」
「図星は刺されてねえよ」
むすりと黙った親友の顔を見る。これ以上は駄目だな。
「まあ、違うなら違うで構わない。忘れてくれ」
「…お前がそういう事言うの、珍しいな」
「あの方の話があったからアレだが、元々君が随分懐に入れているとは思っていた。それで今日顔も見て、君の好みなんじゃないかと思った」
「まあ、否定はしないけど、流石に歳がな。あと3歳上だったらアリだったかも」
「姉でもいないか聞いてみるか?」
「勘弁しろ」
少しいつもの調子に戻った彼が言う。
「どの道、アリだったとしてもギルドに入れるなら無いよ」
「そういうものか?」
「俺がギルドに色恋持ち込むのはだめだろ。ギスるぞ」
「……そうか」
贔屓しなければ良いのでは。どうせ君はそういう贔屓はできないだろう、と口に出そうとして、親友の顔を見て一旦飲み込むことにした。
「そういえば本当に聞いたことがないと思うんだが、君の初恋はどんな人だったんだ?」
「それ聞くぅ!?」
「そのうち聞いてみたいとは思っていた」
いつもはなんだかんだとはぐらかす彼が、微妙な顔をしながら車を宿泊予定のホテルに向けて走らせ、言った。
「――――さん」
「……本当か?」
「良いだろもう!!叶わなかったんだからさあ!!!」
「いや、なんというか、……すまない、どんな顔をすれば良いか分からない」
「どんな顔もすんなよもう!」
「えっと、本当にごめん、疎遠になったのは僕のせいだ」
「関係ねえよ会った最初から既婚者だったろうが!もうほっとけ!!!」
車内に理人の絶叫が響いた。
これは今日は酒に付き合わされそうだ。
その予感が的中するのは、2時間後のことだった。