10-2.セリスの加入契約
「合同会社サザンクロス代表社員の、西生寺理人と申します」
「合同会社サザンクロスの、伊郷ロイと申します」
染めたのであろう茶色の髪に黒い瞳のリーダーこと、理人さん。
薄い金髪に碧眼のロイドこと、ロイさん。
二人が家のリビングのソファに腰掛け、名刺を差し出した。
父は丁寧に受け取って、自分の名刺を返す。
三人ともカチッとしたスーツを着ていて、なんだか落ち着かない。
「か、川内紬です」
「紬の父の、川内冬吾です。どうぞよろしくお願いします」
「本日はお時間をいただきましてありがとうございます。早速ですが、説明は私がさせていただきます」
ロイさんが流暢な日本語で――いや、この人は見た目がこれなだけで生まれ育ちは日本だったはずだ――説明を始めた。
サザンクロスに所属する、動画に出るということは、収益が発生するということだ。
出演料については事前に取り決めをしているようで、今日はお二人が家に来ている。私が未成年なので、私の一存で契約できないからだ。
というかサザンクロスって起業してたんだな、知らなかった……。
生配信に明確なゲストとして出演する場合の出演料、動画として編集する場合の出演料、大人数での撮影の扱い、撮影サポートスタッフを行う場合の扱い、スペチャや差し入れなどの「明確に個人に宛てられたもの」に対する利益分配などがカチッと書かれた契約書は、私には事前にメールされていたが、父にも手渡され、説明される。
それから追加で、私の希望で、マネジメントの依頼も通してもらっている。これは今日初めて契約書を見た。
――――動画配信者ってみんなこんな感じなんだろうか?もっとなあなあなイメージだった。
「これはご理解いただきたいのですが、未成年の間は本人の希望があっても顔出しは許可できません。個人的には高校を卒業するまではやらないで欲しいというのが本音です」
「サザンクロスチャンネルでは原則未成年のリアルの顔出しは行いません。成人後、本人が希望された場合には出演の可能性がありますが…」
「紬、ちゃんと聞いているか?」
「き、聞いてます!えっと、リアルの顔を出すのは、当面はちょっと……なので、それでお願いします。というか、一生出さないかもしれないです」
「承知しました。希望されない場合は無理強いは決してしません。お約束します」
理人さんとロイさんが顔を見合わせて、うんと頷く。
最終的に渡された契約書と秘密保持や個人情報の取扱の書類のいくつかに私と父がサインをして、理人さんが名前を入れる。
これで契約は完了らしい。
「お疲れ様です。今更ですが、崩して頂いても構いませんよ」
「あー、すみませんお言葉に甘えます」
理人さんはネクタイをぐっと緩めて、ボタンを一つ外す。
私は私でほっと息を吐いた。
「だいひょうしゃいん、なんですね、社長じゃなくて」
今更名刺を見てつぶやく。
「ああ、合同会社の場合は出資者は社員、被雇用者は従業員という名称になる。社員の中で代表を務める者は代表社員、と呼ばれる。うちは俺と理人が共同の代表社員だな。定款で名称を社長と定めているところも多いが、うちではやっていない」
会社の形態の話とかは、正直調べたことがないので良くわからない。
とりあえず私は外部協力者という扱いになるらしい。アルバイトみたいな感じだろうか?
「実はわざわざお越しいただいたのは、少々聞きたいことがありまして」
「今からですか?サインの前に聞いていただいて良かったのに」
首をかしげる理人さんに父が向き直る。
別に契約とかオンラインで良かったのに、父がどうしても会いたいというのでわざわざ来てもらったのだ。うちは新幹線の駅からは遠いので車で来たそうなのだけど、聞いたら車で片道4時間かかる距離だったので、ちょっと恐縮してしまう。
「先日我が家に、こういったものが届きました」
父の持ち出した大判の白い封筒を見て、二人がさっと顔色を変えた。
既に開封されている上品な白い封筒には金の文字で、西生寺グループホールディングスと書かれている。……西生寺?
「娘は大学へ進学を希望しておりまして、これといって特に就職活動は行っておりません。ところが、西生寺グループ本社から、社長秘書待遇での就職斡旋のお手紙が参りましてね……御説明をいただきたく」
「え、聞いてない」
「うん、今言った」
「パパ、そういうのはちゃんと私に言って」
「大事な大会前に言うことじゃないよ」
「大会終わってからもう5日も経ってる」
「ごめん――下手に隠されると後がすごく大変なんだ。理人さんも居るしこの場で洗いざらい吐いてほしいんだけど。君たち付き合っているのかい?」
「そんなわけないでしょ!?」
今日初めて会ったんだけど!?
だいたいいきなりそんなことを聞くなんて理人さんにも失礼だ。そう思って彼を見て、その表情に喉の奥がヒュっと鳴った。
「――――本当に、交際等の事実はありません。お会いしたのも本日が初めてですし、やり取りは全てメールで行っておりますので、内容を確認していただいても構いません。その……父が、私の結婚を焦っていまして。初めてのフリーの女性メンバー加入だったので、早とちりをしたようです。ご不快な思いをさせて申し訳有りません」
理人さんが深く深く頭を下げた。
いつもは優しい表情が石のように固く、胃がぎゅっと縮む感覚がする。
「紬さん」
「は、はい!」
「その金のチケットは本物だ。もし君がどうしても西生寺グループに入社したいなら、使っても構わない。……ただ、社長秘書と言えば聞こえはいいが、実際にはお飾りになると思う。正直、おすすめはできない。君に不快な思いをさせることになる」
表情のない顔で彼が言う。
頭が理解を拒んで、言葉が浮かんでは消え浮かんでは消えていく。
「げん、じょう、就職の予定は、ないです」
なんとか言葉を出せば、彼は少しだけ表情を緩めた。
「私の妻は7つ下でして。年の差についてはまあこの際さほど問題はないのですが」
「いっそ年の差が問題だと雷を落としていただいたほうがマシだったんですが……」
「本当に二人はそういった関係ではない?」
「違います」
「違うって言ってるでしょいい加減にして!」
「分かった。コレは焼き捨てておくよ」
「誠にお手数をおかけいたします」
再度深く頭を下げる彼をよそに、父がひらひらと封筒をしまい込む。
歓談、という空気ではなくなってしまって、目の前に契約の書類を残して、二人はさっと帰っていった。
「なんで、あんな事聞いたの」
「紬が彼と付き合いたいなら、こちらも身の振り方を考えないといけない。事前に伝えて変に口裏を合わせられたり、ごまかされたりすると本当に大変なんだ。――騙し討ちみたいになったのは、ほんとうにごめん」
「……パパなんて嫌い」
「……ごめんな」
父は契約書類を丁寧にファイルに仕舞って、私の前に置いた。
「きちんと保管しておきなさい。これは紬のものだからね。……夕食は、一緒に食べられると嬉しいな」
そう言って、リビングから出ていった。
目の前のクリアファイルに印字された「合同会社サザンクロス」の文字だけが、どこか現実の外側でリビングの光を反射していた。