表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第1章 -あなたはだれ?

児童小説です

 グリグリグリグリ、チコは鉛筆でグリグリを描いていた。ただ鉛筆の芯をすり減らすためだけに描く黒い円、それをチコはグリグリと呼んでいる。授業中の暇つぶしの1つである。この円がどこかへつながる穴になれば、とチコは思った。

 ふと顔をあげると、黒板に漢字が書かれている。だからたぶん今、国語の授業中なのだろう。かん高い声でしゃべり続ける先生。内容は全く入ってこない。なんでこんな所にいるんだろう。自分の居場所はここじゃない。東京だ。東京にいるべきなんだ。指先に力が入り、鉛筆の芯が折れた。

 小さなため息が出る。あぁ潮臭い。チコが窓に目をやる。グラウンドの向こうに漁港が見える。穏やかな風が潮の生臭さを教室に届けていた。ここが東京であるはずがない。


 チコはホームルームが終わると一番に教室を出る。特別急いでいるつもりもない。クラスメイトは友達と楽しそうにこれからの遊びの予定を話しているが、チコには誰からも声がかからないのだ。チコがこの町に引っ越してきて2ヶ月がたった。このように未だに馴染めていない。それでも転校して間もない頃は、話しかけて来るクラスメイトもいた。東京からやってきたというだけで、あれこれ質問攻めにもあった。しかし、チコは自らとけ込もうとしなかった。この場所に来たことに納得していなかったから。

 下駄箱で靴を履き替える。小学3年のチコが履くにはあまりに大きな赤いスニーカー。歩きにくいし、クラスメイトが気持ち悪がっているのも知っている。でも、チコは毎日このスニーカーを履いて登校していた。

 昇降口を出た所で「チコー」と呼ぶ声。

 振り返るチコ。二階に目をやると教室から顔を出すケンゾーがいた。笑みを浮かべているのを見て嫌な予感がした。その両サイドには一号と二号の姿。一号二号というのは分かりやすくいうとケンゾーの子分たち。ショウタという同じ名前だから一号と二号と言われている。どっちが一号で二号なのかチコは知らないし、知りたくもなかたった。

「おーい、もずくが頭に乗ってるよ」

 ケンゾーが大声で叫ぶ。それを聞いて一号二号が大笑い。チコは表情一つ変えずに歩を進めた。やっぱり振り返らなければ良かった。もずくとは、チコの天然パーマの髪ことを言っているのだ。ケンゾーはいつも見つけてほしくないコンプレックスな部分を見つけ出してを笑いのネタにする。子分を喜ばせるために。

 それにしても、あんな大きな声で言わなくても良いのに。何人かのクラスメイトの耳にも届いたようで、こちらを見てクスリと笑った。こういうので笑うからケンゾーは止めないのだ。どこが面白いのかチコは理解できない。一号二号なんてハイタッチして喜んでいる。ここでこちらが何かリアクションをとれば、きっとケンゾーを喜ばせる事になる。泣こうと頑張ればすぐ泣けるくらい傷ついてはいる。チコは必死に無表情を作った。

 悔しいけど慣れた。つまらない生活、それが普通になった。どうすれば皆と仲良くなれるだとか、この町が好きになれるだとか、そんなことを考えるのは自分の役目じゃないという確信がチコにはある。全て父親のせいなんだ。ここに連れて来た父親が悪いんだ。

 去年の夏、両親が離婚した。どういう理由で別れることになったのかチコは知らない。ずっと仲良しだと思っていた。だから「やだやだー」って泣き叫べば、きっと離婚なんて無しになると思っていた。でも両親はただ困った顔をするだけだった。そして母親はチコを抱きしめて「ごめんね」とずっと謝り続けた。

 母親の胸に顔を埋め、泣きながらチコは思った。誤られたところで「うん、わかったよ」って納得すると思ってるのだろうか。そんなに聞き分けが良いはずないことくらい、我が子なんだから分かるはず。お祭りで綿飴を買ってくれなくて一時間半泣き叫んでいた私だよ。結局あの時も、最終的には買ってくれたんだから。お願い、今回も。

 どうやっても思い通りにならないことがあることを、チコはこの時知った。知っただけで、今も納得はしていない。だってその後、約束まで破られた。

 チコは父親に引き取られることになった。ただ2週間に一度は母親の家に泊まりに行くことになった。それだけは約束だった。けれど、父親の仕事の都合でこの町に引っ越して来ることになった。東京から片道5時間はかかるこの町へ。

 引っ越して2ヶ月。電話は毎週するけれど、母親と直接会ってはない。離婚されて約束破られて、それで素直に今のこの生活を受け入れたら、負けだとチコは感じていた。チコがこの大きなスニーカーを履いている理由もそこにある。これは母親の靴だ。母親が荷物をまとめて家を出て行った後、下駄箱奥にこの赤いスニーカーが残っていた。

 たとえ、父親の心の中から母親の存在が無くなったとしても、チコはずっと母親の事が好きだし、心の中心には母親がいる。そのことを父親に見せつけるためにチコはこのスニーカーを履いているのだ。たとえクラスメイトからおかしい奴だと思われても、父親への意思表示の意味がある。


 大きなスニーカーのせいで、まるで調子の悪いロボットのように下校するチコ。巨大ロボの出現で逃げ惑う人間みたく、チコの足元からフナムシが逃げて行く。チコはいつも海岸に沿った道を選んで帰る。少し遠回りになるけど、この道ならクラスメイトに会う心配がない。漁の道具を水洗いしている漁師さんや、海藻を乾かしているおばさんの姿が目に入る。チコはランドセルを地面に置き、靴を脱いで岸壁から足を投げ出して座った。目の前には果てしなく続く海が太陽を反射して、チラチラ輝いている。波はブヨブヨと規則的な動きを繰り返す。眉間から流れた汗が口に入り、チコは塩気を感じた。

 誰か海を渡って助けに来てくれないだろうか、という妄想をしようと思ったが、惨めすぎるのですぐ止めて、チコは寝転んだ。コンクリートの熱が体を包み込み、頭がボーとしてくる。まだ夏休みまで一ヶ月もある。チコは夏休みの間、母親の住む東京に泊まりに 行くつもりでいた。


「ただいま」

 チコは誰に言うわけでもなく小さな声で呟く。この時間、家には誰もいない。チコの家は2階建ての一軒家。東京で暮らしていたマンションよりもはるかに広い。そんな広い家で父親と2人で住んでいる。

 チコは真っ先に洗面台へ行き、手を洗い、うがいを済ませた。

「まず手を洗ってきなさい」と以前なら母親に言われてからしか行動しなかったチコ。母親がいなくなり、今は自ら手を洗うことができる。前からやろうと思えばきっとできた。母親からの一言に頼っていたのだ。ずっとそうやって寄りかかっていきたかった。

 小さく息を吐くと、チコはジーと鏡を見つめる。眉間にシワを寄せ、怒った顔を作る。そして、髪の毛を触った。このウェーブのかかった髪。どんなシャンプーを使っても、ドライヤーをあてても、クルリとなってしまう。チコの努力ではどうすることもできない。

「わぁー」

 チコは大声を上げた。鏡に人影が映ったのだ。

「帰ってたのか」

 父親はポンとチコの頭を撫でる。

「なんで、もう、脅かさないで」

「何、真剣に鏡なんか見て」

 父親はチコの反応に笑みを浮かべている。

「私、ストレートパーマかけるから」

「え、なんで?」

「見りゃ分かるでしょ、嫌なのこと髪」

 父親は鏡に映るチコの顔を見た。チコと目が合う。そして首をかしげる。

「なんでだ?」

 口を尖らせて冗談っぽく父親が言う。

 チコは父親の手をはねのけた。

「もう、いい」

 大きく首をふりながら、リビングの方へ行く。

「もう、やってらんない、あーあ」

 これ見よがしな台詞を放ち、ソファーに腰を落とすチコ。そして、頭を抱えた。

「あー、もう、地球の終わりだ」

「なんだよ、大げさなこと言って」

 父親が隣に座る。

「暑いからあっち行ってよ」と手ではらう。

「ちょっと暑いくらい、地球の終わりに比べたら、たいした事ないよ」

 父親は、チコにすり寄って来た。

「もう、やめて、パパのせいで地球が終わるんだよ」

「え?」

 父親の動きが止まる。

「全部そうなの、パパのせい」とチコは続ける。

「え、なんで?」

 チコは言葉を飲んだ。言いたい事はたくさんあった。「髪がこんななのも、こんな田舎に引っ越して来たのも、ママと会えなくなったのも、全部パパのせいだ」と言いたかった。けど、同じようなことは何度も言ってきたし、父親も全て察しているはず。今さら言葉にすることは意味が無いし、チコ自身が辛くなる。だから「・・暑いと地球温暖化で、地球が終わるんだよ、だからあっち行って」と言って父親を押しのけた。

 父親は「はいはい」と今度は素直にその場を離れた。そして冷蔵庫を開け「麦茶飲む?」と訊いた。

「・・うん」

 すぐに機嫌が直ったとは思われたくないので、不満を含んだ声色でチコは答えた。

「それより、なんでパパがいるの?」

「今日役場に行く用事あったから、午後から休んだんだよ」

 チコは何も答えず、麦茶を受け取る。

「友達と遊びに行くのか?」と父親が訊く。

 そうだった。父親はいつも早く帰って来ないから知らない。チコがいつも1人で過ごしているということを。

「家に連れて来ても良いんだからな、友達」

 チコは弱い返事を返した。

「なんて子と仲良いの?まあ名前言われても分かんないけど」

「もう、約束してるから行く」

 チコは麦茶を飲み干すと、慌てて家を出た。父親の質問に耐えられなかった。チコに友達がいないなんて、父親は想像もしていないようだ。

 チコは目指す場所もなく、ただ歩を進めた。

 チコも友達が欲しくないわけじゃない。友達がいないと学校だってつまらないし、放課後もこの通り暇だ。ただ、こんな態度を取っていて、そりゃ友達なんてできっこない。チコもそれくらい知っていた。


 途中、公園の前を通りかかった。遊具も何もない、ただ広いだけの空き地のような公園。ケンゾーの笑い声がこぼれていた。一号二号たちと水風船をぶつけて遊んでいる。チコは気付かれないように静かに通り過ぎた。

 アスファルトにはひからびたミミズの姿。今朝雨が降っていたのでノコノコ出て来たミミズが、午後からの日差しで一瞬にして干物になったのだろう。確かにこの日差しなら人間だって油断したら干物になってもおかしくない。チコは日陰を選んで歩いていた。海岸沿いの道を渡ると、まるでトンネルのように木々が重なった小道がある。木漏れ日が射すとても涼しい場所だった。チコはその小道の先で腰を落とした。これより先は小さな浜に出る。誰もいない静かな浜をチコは見ていた。

 ゴミが無く、眩しいくらい真っ白な砂浜がいつも広がっている。いつもなら。しかし、今日は大きなゴミが落ちているのが見えた。青っぽい固まりのようなゴミだ。どこからか流れて来たものだろう。好奇心よりも暑さが勝り、チコはそこまで見に行く気力は起きなかった。大きなスニーカーを脱ぎ、じっと浜に目を見向けたままだった。すると、そのゴミがビクンと動いた。

 チコは目を丸くした。見間違いだったのかもしれないと瞬きを繰り返す。もう動く気配はない。しばらく目を離さず見ていた。確かに動いたはずだ。

 チコはゆっくり立ち上がると恐る恐るゴミに近寄っていった。そして突然足を止めた。

「猫?」

 顔をかしげた。一歩ずつ近づいていく。

「げ・・・」

 チコは顔をしかめた。

「なんだこれ」

 チコがそう言った通り、なんだかよくわからないものがそこにあった。猫ではなさそうだが、生き物だ。チコはこんな生き物見た事が無い。頭と背中が青い毛で、お腹が白い、尻尾の先だけ赤いのだ。猫のような耳があるが、猿のような体をしている。ぐったり横たわっていた。

「死んでるの?」

 チコはその動物に問いかけた。噛んだり引っ掻いたりする生き物かもしれないので、少し距離をとっている。

 反応はなかった。チコは少しだけ距離を縮める。お腹が小さく上下している。呼吸がある。チコは恐る恐る指で突く。

「おい、大丈夫か?」

 おとなしいそうなので、頭を撫でてみる。眠っているのだろうか。それにしてもこんな日差しの中で寝ていたら干物になってもおかしくない。その生き物の体に手を回し、ゆっくり抱きかかえた。凄く重い。学校で飼っているウサギくらいの大きさがある。

 チコはそのまま、先ほど休んでいた日陰まで慎重に運んだ。

「なんだ、こいつ」

 チコはまじまじとその生き物を見る。テレビでも動物園でも図鑑でも見たことがない。やさしく背中を撫でてやる。チコの口元には笑みがあった。

「かわいいね」

 チコは顔を覗き込んだ。小さな呼吸が感じられる。


 静かに玄関のドアノブを回す。そして素早く、自分の部屋へ向かった。チコは家まで誰にも会わないように、裏路地だけを通って帰って来た。ベッドの上に謎の生き物を寝かせると、急いで台所へ走り、牛乳を持って戻って来た。父親が何か声をかけたようだが、耳に入らなかった。

 マグカップに牛乳を注ぎ、口元に持っていく。謎の生き物は何も反応を示さず、目を閉じたままだ。チコは牛乳をもっと近づける。

「ほら飲みなよ」

 鼻先に牛乳がついた。すると鼻がヒクッと動いた。それを見てチコは小さく笑った。今度は意図的に鼻に牛乳をつけてみる。再びピクッと反応。チコは嬉しくなった。

「あんた、なんなの」笑いをこらえたのでチコは鼻の穴が膨らんだ。

 




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ