ヒルデブラント編1
「なんだとてめえこら!」
「そっちが悪い!」
人相の悪い男と、ごく平凡そうな男が言い争っていた。原因は歩いている最中に肩をぶつけたことだった。
二人は路上で口論していた。
「このやろう! もう一度言ってみろ!」
男は手から炎を出した。魔法である。
「こいつをくらいてえか!」
「そこまでだ」
「!?」
セリオンの剣が男ののど元に当てられた。
「何だ、てめえは!?」
「こんなところで魔法を使うな」
「同感だな」
フードつきのマントを着た男が現れた。手には杖を持っている。
「水よ」
フードの男は水の魔法を唱えた。ガラの悪い男の炎は水で消された。
「なんだと!?」
「公衆の場で魔法を使うことは禁止されている」
フードの男は手錠を出した。
「ちくしょう!」
「役所から役人が来るまで待っていてもらおうか。そちらの方、もう剣を下げてもけっこうだ」
セリオンは剣を下げた。セリオンはエスカローネといっしょにいた。
「私はギブ。一介の魔法使いだ。すまないな、魔法がとんだ迷惑をかけた」
「別に気にしてないさ」
「魔法は公式に教えられるものなのだが、中にはああして外法の術を使う者もいる」
セリオンがギブと話をしているうちに、魔法省の役人が到着した。男を連行していく。
「少しばかり事情を聴きたいんですが、よろしいですか?」
役人はギブに尋ねた。
「ええ、かまいませんよ。君たちはもう大丈夫だ。気にしないでくれ」
ギブはセリオンに告げた。
セリオンとエスカローネは事件を見守った。
セリオンとエスカローネは人と会う約束をしていた。相手は魔法学院の理事長だった。行きつけのカフェで二人はコーヒーを飲みながら待っていた。
「魔法学院の理事長って、どんな人なのかしら?」
「さあな。意外と若いらしいが……」
「もしもし」
「なんですか?」
若い、紺のスーツを着た男性が二人に話しかけてきた。
「セリオンさんでしょうか?」
「はい、そうです」
「はじめまして。私はヘルメス学院の理事長を務める者で、名はヒルデブラント、ヒルデブラント・フォン・ローゼンクロイツ Hildebrand von Rosenkreuz と申します」
「あなたがですか」
「お会いできて光栄です。魔女事件を解決した英雄・青き狼――ぜひとも話をしておきたかったのです」
ヒルデブラントはあいている席に座った。
「魔女が敷いた統制は魔法界にまでおよびました。それが魔女の死と共に解放されました。すべてあなたのおかげです」
ヒルデブラントを見て、セリオンはずいぶん若い理事長だなと思った。年齢は30歳くらいだろうか。
「俺一人の力じゃありませんよ。テンペルがあったからこそです」
「ご謙遜を」
「ところで非正規の魔法使いはツヴェーデンにはどれくらいいるんですか?」
セリオンがヒルデブラントに尋ねた。
「ツヴェーデン魔法省にもその数は把握できていないのが現状です。さらに外法の術を使う者を加えると……
私たちはあくまで公式の魔法を教えています。正式な魔法使いとなるためには国家の免許を持たねばなりません。外法の者たちは取り締まられておりますが、追いついていないのが現状です」
「ヒルデブラント様」
「どうしたんだい?」
一人の女性がヒルデブラントに声をかけた。長い赤紫の髪に黒のスーツを着ていた。
「彼女は?」
エスカローネが尋ねた。
「ヒルデブラント様、そろそろ時間です。次のご予定が」
「もうそんな時間かい。紹介しましょう。私の秘書を務めているクリスティーネ Christine です。
クリスティーネはこくりと一礼した。
「本当はもっと話をしていたいのですが、忙しい身でして。今日はありがとうございました。では、失礼させていただきます」
ヒルデブラントはクリスティーネを伴って立ち去った。
「クリスティーネさん、か」
「彼女がどうした?」
「ううん。何かちょっとうらやましくて。仕事ができそうな人だったから」
「別にエスカローネはそのままで問題ない」
「うん、ありがとう、セリオン」
クリスティーナ Christina は不治の病に侵された。医者の話では治療法がいまだに見つかっていない病気らしい。
クリスティーナの兄はそれでも絶望しなかった。彼女の兄は魔術師だった。彼は魔術には無限の可能性があると信じていた。魔術の可能性を信じて疑わなかった。彼は医者に治せないなら自分が治すとクリスティーナに言った。彼は魔術の文献、資料、書物などを手当たりしだい物色した。調べられる限りの領域を当たった。どこかに妹クリスティーナを救う方法があるはずだ。
医者にできないなら魔術にならできると。
彼は純粋で無垢だった。彼は魔術のあらゆる領域を調べた。
しかし、妹クリスティーナは死んだ。
彼は妹の死を受け入れられなかった。
なぜクリスティーナは死んだ?
なぜ? なぜ? なぜ?
彼は今まで学んできた魔術に幻滅した。なぜ妹一人助けることができなかったのか。
人ひとり救えないなら自分が学んだ魔術はなんだったのか。
魔法学院で教えられていることはいったいなんなのか。彼は己の無力感を痛感した。
自分は無知で無能だと彼は思った。
しかし、未だに手を付けていない領域があることを発見した。
それは闇の魔術だった。
闇の魔術は禁断の領域だった。それは魔法学院の教師たちからも異端の領域だと教えられた。
ここにならクリスティーナを救う方法があったのではないか――その思いが探究を加速させた。
人間を死から救う方法、死を上回るものがあるのではないか、そう彼は思った。
最初は純粋な探究心によるものだった。しかし、しだいに闇の魔術それ自体に彼は惹かれていった。
そして闇こそ真理と考えるようになった。彼は闇に染まった。
「……少し眠っていたか。昔を思い出してしまった。フッフフフ」
ある屋敷の一室。照明が暗く抑えられていた。魔術師の部屋らしく、いろんな器具が置いてあり棚には多くの書物が並べられていた。
「オルフェウス Orpheus 様、よろしいでしょうか?」
フードをかぶった少女が言った。オルフェウスという男もフードをかぶり、顔を隠している。
「お眠りの様子でしたので」
「何だ?」
「次のアーティファクトの所在地が判明しました」
「ほう、それでどこにある?」
「聖十字教会でございます」
アーティファクトとは魔術のアイテムのことである。
「聖十字教会か。よもや教会にあるとはな。ティーネ、ご苦労だった。おまえも少し休むがいい」
「はい、かしこまりました」
ティーネが退出した。
部屋の机の上には黒い十字架が置かれていた。
黒十字――オルフェウスは自ら異端の証を置いていた。
それにしても、ティーネはよくできているとオルフェウスは思った。ティーネは人間ではない。
人造人間ホムンクルスである。彼が自らの亡き妹似せて創った。
彼女は非常に有能な秘書だった。それが彼に闇の魔術こそ正しいと思わせた。
「ぐわっ!?」
オルフェウス卿の剣が司祭を斬った。夜、オルフェウス卿は聖十字教会を襲った。
目的はアーティファクトを奪うことにあった。司祭は血を流して倒れた。
「オルフェウス様、地下への階段を見つけました」
「よくやった、ティーネ。では地下室に向かうとしよう」
「はい」
オルフェウス卿はティーネを伴って地下室に下りて行った。
「目的のアーティファクトは黒曜石だ。黒曜石を探せ」
「オルフェウス様、あそこに」
ティーネが指で黒曜石の場所を示した。
「あれか」
黒曜石は棚の中に置かれていた。オルフェウスは黒曜石を手に入れた。
「すばらしい。これほどまでに魔力を持っているとは」
オルフェウス卿とティーネは地下室を後にした。するとそこである一団とであった。
「おまえたちは魔法省の役人か? 今宵はめずらしい客人のご到着だな」
「おまえたちを逮捕する! 神妙にしろ!」
「逮捕だと? フッ、できるかな、おまえちごときに?」
オルフェウス卿は長剣に風の魔力を纏わせると、風の斬撃を放った。
「ぐはあ!?」
「うわあ!?」
魔法省の役人が二人倒れた。
続けてオルフェウス卿は風の刃を横薙ぎに放った。闇黒の刃が広範囲に広がった。
「ぎゃっ!?」
「かはっ!?」
「この力は……」
「うっ!?」
さらにオルフェウス卿は手にした剣で華麗に舞い踊った。残りの役人たちを、オルフェウス卿は一瞬にして斬殺した。
「お見事です、オルフェウス様」
「フン、ザコを倒したところでなんになる? ではティーネよ、この場を去るとしよう」
「はい、オルフェウス様」
「教会が襲われた?」
「ああ、目撃者はすべて殺害されていて、犯人の姿を覚えている者はいないらしい」
聖堂でセリオンとアンシャルが話していた。
「今までは教会は狙われなかったため、事件の解決は魔法省にゆだねられていたが、今回の事件でテンペルにも無視できなくなった。教会側から警備の要請がきた」
「犯人の目的は?」
「どうやらアーティファクトが狙いらしい。地下室にしまっておかれた黒曜石が奪われた。だが、どこが狙われるのか分からない以上、すべて後手に回っているのが現状だ」
「次にどこが襲われるか分からないのか……」
ヘルメス魔法学院とアポロン魔法学院は二大魔法学院だった。双方共にライバル視していた。
「ティーネ、ゾハルの行方はいまだつかめていないのか?」
オルフェウス卿が尋ねた。
「申し訳ありません。いまだつかめておりません。しかし未確認ですが、聖ミヒャエル大聖堂かアポロン学院のいずれかだと思います」
「今回の事件で我々は教会を襲撃した。どうやらテンペルを刺激したようだ。敵の数が増えた」
「今後はより慎重に動くべきかと」
「分かっている。私の真の目的はゾハルを手に入れることだ。それを邪魔する者には死を与えよう」