わが回想記(7) ~入社時代 お気楽社員の思い出
▼昭和46年春、酒類食品メーカーに入社した私は大阪本社勤務になった。
配属先は総務部総務課。法務や財産管理をするお堅い部署だった。
法学部を卒業したといっても、ほとんど勉強らしき勉強をしてこなかった私は
最初から白けていた。
営業から回って来る金銭消費貸借契約書のチェックをしたり、法務局へ行っ
て登記簿謄本を取ったり、見習の丁稚のような仕事に身が入らなかった。
もしもこの時、(経営企画部的な)文書課の仕事をしておれば私の人生は
もっと輝かしいものになっていたのでは、と今でも思う。
ある日、通勤電車の中でキュートな女の子と乗り合わせた。ミニスカートから
伸びる真っ直ぐな脚は小鹿を連想させた。
何週間が過ぎただろう。私は思い切った行動に出る。電車を降りた時に声を
掛けた。キョトンとした表情の彼女。会社が終わったら会ってほしい。そう言
って別れた。仕事に身が入らない私だったが、なぜか根拠のない自信だけ
はあった。入学試験・入社試験で負け知らずの自分は恋愛においても負け
る訳がないと思っていた。
▼同期入社の喜多君とよく遊んだ。彼は営業内務の仕事をしていた。
いつも冗談ばかり言っている明るい彼であったが、ナイーブな一面を持って
いた。母親と二人で住む奈良の自宅へもよくお邪魔した。
カリフォルニアイエローのブルーバードを駆って阪奈道路を走る。ユーミン
の「ひこうき雲」や「海を見ていた午後」がいつも流れていた。
喜多君の車でもよくドライブした。姉夫婦の勤務地であった綾部市や、静岡
市。東京へも足を延ばした。二人でドライブしていても不思議に衝突はなか
った。
固定資産管理の仕事の中に損害保険付保の業務があった。全国に点在
する工場や作業所の火災保険契約更新のために保険会社や保険代理店
の担当者と全国を周った。と言っても、私はメーカー担当として随行するだ
け。工場長と挨拶を済ませると、代理店の人が敷地内をくまなく調査し、保
険会社の人が防火設備の水圧検査をした。
私は接待を受けるだけの立場だった。どこへ行っても、食事や酒の接待を
受けた。段々と、それが当たり前になった。会社の威光を背に受けて、それ
を自分の力だと錯覚をした。私は驕っていた。
▼土地買収の仕事を手伝うことになり、鹿児島へ度々赴いた。その時に、
会社の幹部の方から酒席でこう言われた。 「○○君は、ガラが悪いな」
勿論冗談めかして笑いながら言った言葉であったが、その真意が分からな
かった。こんなに真面目で純朴な私を不良扱いするなんて、どういうことだ。
しかし、後になってその意味を理解する。つまり、会社の中枢にいる役員や
顧問を相手にしてちゃんとした挨拶や「忖度」ができない私は彼らから見れ
ば「はみ出し者」であった。社会のルールを知らない”坊や”だったのだ。
さて、通勤電車で出会ったバンビちゃんとはどうなったのか。
自宅が近所だと分かった私たちは意気投合し、付き合うようになった。酒が
飲めない彼女とは休日に車でドライブした。
六甲山や宝塚、京都(まだ路面電車が走っていた)などへよく出かけた。
川沿いの道にクルマを停めて待っていると、バックミラーに走って来る彼女
が見える。きょうは白いブラウスにスレンダーなジーンズだ。
3年後、彼女は私の妻になった。