表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

わが回想記(3) ~中学生時代 西社宅の思い出


▼中学校へ上がると、同時に住まいも「東社宅」から「西社宅」へ移った。どう

やら父の役職が上がったようだ。西社宅は2階建ての4軒長屋。つまり木造

モルタル塗りのテラス式連棟住宅である。1階に和室2部屋とキッチン・トイレ

があり、2階にも1部屋ある。まだ内風呂はなかったが、目の前に銭湯「大和

湯」があったので、何の不自由もなかった。

狭い庭と父が作った物置小屋があり、父は庭に植物を植えた。縁側で日向ぼ

っこをしたり、花火をして遊んだ。


ある日、父が太陽光で湯を沸かす「太陽熱温水器」を買ってきた。それを物置

小屋の屋根に設置し、小屋の一角にセメントで洗い場を設けた。温かい湯を

ホースから出して、子供たちは”リッチな行水”をした。エンジニアの父は突然

そんなことをして家族を驚かせた。



▼やさしくて真面目な父は、映画と宝塚歌劇を愛する模範的な父親であった。

しかし、その父が一度だけ激怒したことがある。私が姉とけんかをして、勢い

余って腰部を蹴った。後でそれを聞いた父は、烈火の如く怒って私を叱責した。

「女性を蹴るとは何事か。女性の身体はデリケートなものだ。」 父は女性を

大切にするフェミニストだった。そして、誰よりも姉のことを溺愛していた。


子供たち3人は2階の部屋が割り当てられ、学習机を3つ並べて勉強をした。

高校に通う兄と、中学生の姉と私。よく勉強したものだ。昭和30年代の日本

は、「勤労第一、勉学第一」という価値観を疑う者はただの一人もいなかった。

皆、まじめに働き、まじめに勉学した。



▼クリスマスになると、母がローストチキンを焼いた。キッチンに大きなオーブン

があって、丸鶏の腹の中にチキンライスを詰めて、焼いてくれた。

ストーブで暖まった部屋には大きなクリスマスツリーが飾られ、卓上には手作り

のクリスマスケーキがあった。そして、家族全員がプレゼントの交換をした。各

々が買ってきた文房具やおもちゃを包装紙に包んで交換し合い、「ジングルベ

ル」を歌った。

貧しい時代の筈なのに、その時の思い出は実に温かい。幸福に満ち溢れてい

る。


土曜の昼は、テレビの吉本新喜劇を見ながら兄弟3人でお好み焼きを焼いた。

折りたたみ式の焼き台を広げ、父が特注で作ってもらった分厚い鉄板を乗せる。

ガスホースをつなぎ、火を点ける。どんなお好み焼きを焼いていたのかよく覚え

ていないが、多分薄い豚玉を焼いていたのだろう。生地を溶くのはいつも私の

役目だった。小学生の時は駄菓子屋「しげよし」で鉄板を囲み、1枚10円のお

好み焼きを食べ、そして中学生の時は自分たちで焼いて食べた。

筋金入りの「オコノミスト」である。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ