わが回想記(3) ~中学生時代 西社宅の思い出
▼中学校へ上がると、同時に住まいも「東社宅」から「西社宅」へ移った。どう
やら父の役職が上がったようだ。西社宅は2階建ての4軒長屋。つまり木造
モルタル塗りのテラス式連棟住宅である。1階に和室2部屋とキッチン・トイレ
があり、2階にも1部屋ある。まだ内風呂はなかったが、目の前に銭湯「大和
湯」があったので、何の不自由もなかった。
狭い庭と父が作った物置小屋があり、父は庭に植物を植えた。縁側で日向ぼ
っこをしたり、花火をして遊んだ。
ある日、父が太陽光で湯を沸かす「太陽熱温水器」を買ってきた。それを物置
小屋の屋根に設置し、小屋の一角にセメントで洗い場を設けた。温かい湯を
ホースから出して、子供たちは”リッチな行水”をした。エンジニアの父は突然
そんなことをして家族を驚かせた。
▼やさしくて真面目な父は、映画と宝塚歌劇を愛する模範的な父親であった。
しかし、その父が一度だけ激怒したことがある。私が姉とけんかをして、勢い
余って腰部を蹴った。後でそれを聞いた父は、烈火の如く怒って私を叱責した。
「女性を蹴るとは何事か。女性の身体はデリケートなものだ。」 父は女性を
大切にするフェミニストだった。そして、誰よりも姉のことを溺愛していた。
子供たち3人は2階の部屋が割り当てられ、学習机を3つ並べて勉強をした。
高校に通う兄と、中学生の姉と私。よく勉強したものだ。昭和30年代の日本
は、「勤労第一、勉学第一」という価値観を疑う者はただの一人もいなかった。
皆、まじめに働き、まじめに勉学した。
▼クリスマスになると、母がローストチキンを焼いた。キッチンに大きなオーブン
があって、丸鶏の腹の中にチキンライスを詰めて、焼いてくれた。
ストーブで暖まった部屋には大きなクリスマスツリーが飾られ、卓上には手作り
のクリスマスケーキがあった。そして、家族全員がプレゼントの交換をした。各
々が買ってきた文房具やおもちゃを包装紙に包んで交換し合い、「ジングルベ
ル」を歌った。
貧しい時代の筈なのに、その時の思い出は実に温かい。幸福に満ち溢れてい
る。
土曜の昼は、テレビの吉本新喜劇を見ながら兄弟3人でお好み焼きを焼いた。
折りたたみ式の焼き台を広げ、父が特注で作ってもらった分厚い鉄板を乗せる。
ガスホースをつなぎ、火を点ける。どんなお好み焼きを焼いていたのかよく覚え
ていないが、多分薄い豚玉を焼いていたのだろう。生地を溶くのはいつも私の
役目だった。小学生の時は駄菓子屋「しげよし」で鉄板を囲み、1枚10円のお
好み焼きを食べ、そして中学生の時は自分たちで焼いて食べた。
筋金入りの「オコノミスト」である。