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わが回想記(10) ~人生を変えた阪神大震災



▼雌伏の東京時代を終え、大阪本社へ戻って来たが、仕事への意欲は

相変わらず湧かなかった。

物流部に配属され、倉庫会社や運送会社との折衝を行うが、所詮将棋の

「歩」でしかない無力感に襲われた。実際に製品を保管し、配送するのは

物流会社の人たちだ。私は指示を出し、見守るだけ。そして、接待を受け

るだけ。そんな仕事に熱意や自信を持てなかった。


その中で、唯一面白かったのは、最新の”パソコン技術”を勉強する時。

社内ではマイクロソフトのWINDOWSを使用していたが、研究のために

アップルPCの講習に出かけた。

CPUが高速化し、メモリやHDが大きくなって、画像や動画などの高速処

理が可能になっていた。



▼運命の日は近づいていた。人生観を一変させた悪夢の「阪神大震災」。

1995年1月17日早朝、私は寝入っていた。地底から”マグマ溜まり”が

噴き出したような衝動の後、マンションが破壊され崩れ落ちていく感覚に

襲われた。ああ、崩れる。奈落の底へ落ちてゆく。「神よ、いい加減にして

くれ! もうやめてくれ!」


揺れが収まった時、ふとんの上に大きなタンスが覆いかぶさっていた。

「おい、生きてるか?」 横にいる筈の妻を呼ぶ。やはりタンスの下になっ

ていた妻を助け出すと、妻は小さな声で「だいじょうぶ」と絞り出した。

開いた窓から冷気が入り込み、私たちは凍りついたように茫然としていた。


インフラが断たれ、ガスも水道もストップした。道路は陥没し、鉄道も停ま

った。数日間は、キャンプのような不自由な生活をしたが、トイレの断水が

我慢できなかった。私たちは高層20階に取り残された難民であった。


会社から箕面市にある宿泊施設へ入らないかと誘われた。一家4人は、

車で施設へ向かったが、武庫川を渡り、尼崎市へ入ると、パチンコ屋の電

飾看板が煌々と輝き、当たり前のように営業していた。嗚呼!



▼会社の施設で、3週間ほど過ごした。自宅から運び込んだ生活用品は、

段ボール箱数個だけ。一家4人が(生きていくうえで)本当に必要なものな

んてこんなものだと悟った。

私は施設から通勤をしたが、大学受験の娘と高校受験の息子は大変な試

練を味わった。可哀想な結果になった。


会社が堺市の賃貸マンションを世話してくれた。有難たかった。

南海電車三国ヶ丘駅の傍に建つマンションは、充分な広さがあった。

私は半壊した自宅マンションとの間を車で何度も、何度も往復した。壊れ

た家財や電気製品などを整理し、掃除をした。妻は精神的に参っていて、

うつ病のようになった。

その頃から「足るを知る(吾唯知足)」という言葉が、私の意識の中で大き

くなっていく。





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