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第2話 わたしとわたくし

 ヘカテは凍り付いていた。

 もちろん比喩表現である。

 上級貴族の令嬢として大切に育てられた彼女が、物理的に氷漬けになる事態など起こり得まい。

 ただし、大事に育てられたがゆえの苦労というのも、またあった。


「ハハ! そうかそうか! 嬉し過ぎて声も出んか!」


 ティタンの執政官にしてヘカテの祖父コイオスは、孫娘の戸惑いなどお構いなしに話を進めていた。


「お、おじい様。わたしにはまだ……!」


 本当はもっと強く反論したかった。

 しかし、貞淑であれと厳しく躾けられた彼女は、声を荒げる事をためらった。


「何を言う? 何事も早い方が良かろう! そうだ! 早速結婚相手に引き合わせよう!」

「おじい様! 婚約もまだですわ!」


 今度は間髪入れずに口を出した。

 そうでもしなければ、勝手に事を進められ、気付いた時には相手の顔も知らぬままに誰ぞの婦人と呼ばれていた事だろう。


「おお! すまん! 儂とした事が逸ったわい!」


 この口癖も何度聞いた事だろうか。

 宮中では冷徹にして老練な為政者として恐れられるコイオスだったが、プライベートでは豪放で空気の読めない「おじい様」だった。


「まずは顔合わせであるな! うむ! 早速手配させよう!」


 コイオスが手を挙げると執事が軽く頭を下げ、優雅に小走りしていった。

 おそらく明日には全ての準備が整えられ、見合いに行かされる羽目になるだろう。


「あの……」

「わかっておる! わかっておる! 会場はお前のお気に入りを貸し切っておる! だが、食い過ぎん様にな! ハッハッハッハッ!!」

「は、はい」

(……ちがう。ちがうのです、おじい様。わたし、そもそもが乗り気ではありませんの。それと、殿方の前で食べ過ぎたりしませんわ)


 ヘカテは心中で反論しつつも、それを決して口には出さなかった。

 この屋敷で、祖父に口答えする事など有り得なかった。

 とはいえ、コイオスは孫子に甘い。

 それはもう、公と私では二重人格かと疑う程に態度が違う。

 可愛い孫娘が強く言えば、オロオロと動揺しながら話を聞いてくれるだろう。

 しかし、それをすれば、屋敷内での立場が危うくなる。

 見えない派閥が、静かに、そして厭らしく、じわじわと圧をかけてくるのだ。

 そうなれば、日々の生活が息苦しくなるだろう。

 真綿で首を絞められる中、日々にこやかに振舞わねばならない。

 それが自分だけなら、別に良い。

 自分の我が侭、その責任は父母が背負う事になる。

 それは耐え難かった。

 ならば、自分が耐える他は無い。

 そんな孫娘の苦悩など露ほども知らず、祖父は豪快に笑いながら六人の従者を連れて行ってしまった。

 仕方なく、ヘカテは自室に戻った。


(結婚……ですか……)


 憂鬱ではあるが、取り乱す程では無かった。

 貴族、それも先王に次ぐ権力者の縁者としては、当然の成り行きだった。

 それも、種族単位で冥王星に軟禁されている身としては、種の結束こそが重要である。

 ならば一族の一員として、種全体の為に貢献する責務がある。

 それを思えば、気乗りせずとも気負う気持ちぐらいはある。

 ただ、恋をしてみたかった。

 恋について、本や人づてに聞いた以上の知識は無い。

 そんな恋に恋い焦がれていた。


「はぁ……」


 溜息混じりに窓から外を覗いた。

 優美で荘厳な街並みが彼方まで続いている。

 黄金郷。

 かつてこの都は、母なる地球(ガイア)に位置していたという。

 まだティタンが世界に君臨していた頃、黄金時代と呼ばれていた時代である。

 しかし、ゼウス率いるオリンポスとの戦いに敗れ、黄金時代は終わりを告げた。

 そしてオリンポスに歯向かった全てのティタン族は、この冥王星に流刑されたのだ。

 そしてその際、この黄金郷そのものを冥王星に移したらしい。

 何をどうすればそんな事が出来るのかはわからないが、どうやら強大な“力”を持つ魔術師の手によるものだそうだ。

 その魔術師は古くから先王に仕える大魔術師だそうだが、その素性は殆ど明かされていない。

 何せあの快活な祖父が、口をつぐんでしまうぐらい謎な人物である。

 戦争も知らない少女であるヘカテが知る由も無い。

 彼女は、冥王星で生まれた世代だった。


『どこかに、素敵な殿方でもいないものでしょうか』

「……え!?」


 不意に聞こえてきた発言に、ヘカテは思わず声を上げた。

 いつの間にか思った事を口にしていたのかと。


(……どうやら、わたしも相当参っているようですわね)

『ええ、それはもう』

「え……!?」


 二度目だ。

 二度も無意識に胸の内を吐露してしまったようである。

 今の自分は、自分で思っている以上に思い詰めているらしい。


『思い詰めますとも。何せ、世界が滅ぶのですから――』

「ええっ!!?」


 今度こそ、おかしい。

 考えてもいない言葉が聞こえたのだ。

 それも、「世界が滅ぶ」などと。

 しかし、聞こえてきた声は、紛れもなくヘカテ自身の声であった。


『ごきげんよう、わたし』

「ご、ごきげんよう、……わた、し?」


 ヘカテは反射的に自分とは別の声にオウム返しした。

 他にどうしろというのか。

 混乱してる間に、声は更に語り掛けてきた。


『さて、わたしよ。心してお聞きなさい。数日後、世界は滅びます。わたしは何としてもそれを食い止めねばなりません。まずは――……聞いていまして?』

(そう言われましても……。まったく訳がわかりませんわ……)

『確かに信じがたい事でしょうが受け入れるのです』

「心を読まれた!?」

『心を読むも何も、わたし自身ですのよ? わたしの事はわたしが一番良くわかっています』


 ヘカテはもうひとりの自分の声に戸惑いつつも、諦める様に溜息をついた。

 この幻聴が何かの病気なのか、それともたったいま目覚めた自身の“力”なのかはわからない。

 わからないが、とにかくこの声の相手をしなければならないらしい。

 ヘカテは敢て声に出して会話する事にした。

 さもなくば、どちらが自分なのかがわかならくなりそうだったからだ。


『少しは落ち着いたようですわね』

「その前にひとつ」

『なんです?』

「わたしの事をわたしと言うのはどうかと。せめて、あなたと」

『ふむ。確かにややこしいですわね。しかし、自分自身にあなたというのもねぇ……』


 面倒な事を言ってきた。

 だが、それも仕方のない事かも知れない。

 なにせヘカテ自身、こういう言葉遣いには結構うるさい性分なのだ。


『そうですわ! ならばわたしは以後“わたくし”と言いますわ。ええ、そうしましょう!』

「わ、わたくし?」

『ええ。だから、“わたし”は“わたし”のままでよろしくてよ?』

「もう既に意味がわからないのだけれど……」

『すぐ慣れますわ』


 心なしか楽しそうに、“わたくし”は強引に取り決めをしてきた。

 正直、ヘカテ自身そんなに悪い気はしなかった。

 この手の言葉遊びは好きな方である。

 ただ、同じ自分であるにも拘わらず、“わたくし”の方が何故か優位な立場にある様だった。

 まるで何年も年上であるかの様な、気後れの様な物を感じる。


『それはそうでしょう。いったいわたくしがどれ程の時をかけて“わたし”に辿り着いたのか理解出来て? 年季が違いますわ』

「そんなこと言われましても……。年上として敬うべきでしょうか?」

『不要ですわ』

「でしょうね」

『うふふ』

「うふふ」


 このやり取りがおかしくなって、ヘカテは笑った。


「もうこの際、幻聴でも何でも構いませんわ。明日までの、せめてもの戯れと致しましょう」

『結構。それでこそ、“わたくし”ですわ』

「それを言うのなら、わたしではなくって?」

『あらいやだ。“わたくし”とした事が』


 “わたくし”の物言いが、何となく祖父の口癖を彷彿とさせていた。

 自分も年を取ったら、同じ言い回しで誤魔化す様になるのだろうか。

 ヘカテは少し憂鬱になった。


「それで、“わたくし”よ。何の目的でわたしのもとに?」

『世界を守る為です。わたくしは世界が滅んだ後からこの時代にやってきたのです。思念だけの状態で』

「……それが、わたしの“力”?」

『……ある日突然、気付けば目覚めていました。世界が滅んだ後、理由は不明ですが復活したわたくしは、動かぬ肉体から精神を分離させたのです』

「精神の、分離?」

『原理は、わかりません。ただ、時間だけはあったのでしょう。永劫にも思える時が、この現象を引き起こしたのでしょうね』

「……“わたくし”にも、詳しい事はわからないのですね?」

『……これからです!』


 “わたくし”は決意する様に言った。


『これから、一つ一つ解き明かしていきましょう。何故世界は滅びる事になったのか。何故わたくしがこの“力”に目覚めたのか。全ては、ここから始めるのです!』


 世界を救う為に、“わたくし”は来たという。

 そういう心積もりで未来から来たというのならば、立派な志だ。

 我が事ながら誇らしい限りである。

 現代のヘカテに出来る事はなさそうだが、せめて応援ぐらいはと思った。


「そうですわね! わたしも“わたくし”の成功を、心より祈っておきますわ!」

『……何を他人事の様に。“わたし”がやるのですわよ?』

「……え? 何でわたしが?」

『考えてもご覧なさい。今のわたくしは“わたし”を依り代としてこの時代に留まっているんですのよ? ならば“わたし”が動かねば何も始まらないではないですか』


 “わたくし”の言葉に言葉を詰まらせるヘカテ。

 その言葉を真に受けるとするなら、その世界を守ろうというのは自分がやれという事だろうか。


「無理!」

『無理ではありません!』

「できない!」

『できるできないではありません! やるしかないのです!』

「わたしにどうしろというのです!?」


 部屋中に響き渡る程、ヘカテは叫んでいた。

 彼女の自室は、小さな小屋ならば丸々入る程のフロア面積を誇る。

 その部屋が木霊する程の大声だった。

 それは、普段の彼女からは考えられなかった。


『落ち着きなさい。“わたし”よ。わたくしが付いています』

「でも実際に動くのはわたしではないですか!」

『ええい! 我ながら往生際が悪い! 駄々をこねるなら肉体を乗っ取りますよ!?』

「ちょっ! そんな!? あんまりですわ!!」

『それが嫌なら協力なさい! ……“わたし”も、死にたくはないでしょう?』

「そ、それは……」


 確かに死にたくはない。

 そんな事は言うまでもないことではないか。

 一瞬言葉に詰まったヘカテに、“わたくし”が畳みかける様に続けた。


『わたくしは全てを失い、独りになった。家族も友人も失い。誰もいない宇宙をただ独り彷徨っていた……』


 不意に不安げな声を、ヘカテは無視できなかった。

 そのらしからぬ震えた声を、黙って聞くしかない。


『そんなもの、絶対に、赦さない――!』


 ゾクリ、と背筋が震えた。

 自分自身の凄みに気圧されていた。

 その心中は、如何に自分自身といえど察する事しかできない。

 同じ思いを自分にさせない為に、“わたくし”は未来からやって来たのだ。

 確かに、自分も同じ破滅的な結末を辿るとするならば、そんな未来は止めなくてはならない。


「……わかりました。わたしに何ができるかはわかりませんが、やるだけやってみましょう!」

『それでこそわたくし! いえ! “わたし”!!』

「うふふ。では、よろしくね。“わたくし”――!」

『こちらこそ、頼みましてよ? “わたし”――!』


 ヘカテはもうひとりの自分と笑い合った。

 つい先程まで悩んでいた事がひどく小さな事に思えてきた。

 結婚なんかしている場合ではない。

 これから世界を救わねばならないのである。


『うふふ。これで未来が変われば、裸の件も解決しますわ~』

「……はだかのけん?」


 ふと、“わたくし”のこぼした発言が耳に着いた。

 決して聞き逃してはならない事の様に思えた。


『ええ。わたくしの肉体は一度滅び、何故か再生していたのですが、当然衣服など無い状態で復活していたのです。そしてそのまま氷漬けに――』

「その話! もっと詳しく!!」


 世界を救う。

 そう決心したヘカテだったが、もっと個人的かつわかりやすい理由ができた瞬間だった。

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