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はれもの  作者: はじめ
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 一夜明けて、日が高くなる頃には村人が城の門前に集って口々に「可哀想なことだ、まだ若いのにねぇ」と潜めた声で囁き合っていました。


――正午、地鳴りのような音と共に城の門が開けられると、槍を持った先導役の役人を先頭に、続いて鮮やかな刺繍ししゅうの施された馬具で飾られた馬に乗った領主が行き、また幾人かの槍を持った役人がその後に続き、その後に縄を打たれ項垂うなだれたアルトルが役人に引き連れられて出て来ました。あちこちすり傷だらけで薄汚れたアルトルの背の羽はそれでもまっさらに白いまま、ふわふわとみやびやかにその羽毛を揺らしていました。

 村人は眉根を寄せて感嘆とも哀惜あいせきともつかない溜め息をしながらその姿を見送ります。

 一人の村人がふらりとアルトルを追うように歩き出しました。すると村人たちは次次に列を追って歩き始めました。その数は徐々に増えていき、アルトルと役人の後ろには村人の大行列ができました。

 アルトルが行列を振り返るとそこに見知った顔を見つけることができました。村人の中にまぎれるように、エミールもアルトルの後を着いて来ていました。懐かしい友の顔に思わず身体の緊張を緩めたアルトルでしたが、エミールの手に杖のような棒切れが握られているのを見て、緩みかけた身を再び強ばらせました。

 アルトルと目を合わせたエミールは棒切れを顔の高さにかかげて「うん」と頷きました。アルトルは首を「ううん」と振りましたが、エミールは「うん」とは頷きませんでした。頷く代わりに棒切れを肩に担いで握り直すと、エミールの目の前、つまりはアルトルの真後ろの役人を見据えて大きく振りかぶりました。

 それに気付いた役人が何か喚くのと同時のことでした。


「許してくれ!」


 突然、アルトルがそう叫んだのでエミールは驚いて棒切れを振りかぶったまま手を止めました。役人も村人も領主も、何事かと歩みを止めました。


「あのことは謝る。だから打たないでくれ!」


 アルトルはおびえた様子でエミールに言いました。「何の事だ」と言いかけたエミールの言葉を打ち消すようにアルトルは続けます。


「うちの牛をやるから、どうか許してくれ。少し痩せてはいるが、ちゃんと世話してやればすぐに元気になるはずさ、だからどうか牛たちを頼むよ」


 そう言ってアルトルは頭を垂れました。

 エミールはしばらく黙ったままその姿を眺めていましたが、やがて振りかぶった棒切れを静かに降ろし、「そこまで言うなら、牛たちのことは任されよう」と力強く答えました。

 アルトルは頭を垂れたまま「ありがとう、ありがとう」と繰り返しました。

 役人は先頭の役人に片手を振って「何でもない」というような合図を送ると、頭を下げ続けるアルトルを乱暴にに引っ張って再び行進を始めました。村人もそれに続き、立ち止まったままのエミールをまるで立木でも避けるかのように追い越してゆきます。村人の流れの中にぽつんと立ったエミールの手は、震えるほどに固く握られ、その手に握られていた棒切れは握り潰されてひしゃげた木片となっていました。



 領主と役人とアルトルと村人の行列は、一つの切り立った崖際に辿り着きました。

 役人たちは早速といったふうに紐の付いた石を崖下に落として高さを測ります。ところが紐が伸びきる前に石は底に着いてしまいました。それを確認すると役人は「まだ足りぬ」と首を横に振って先導役に合図します。先導役が歩き出すと、領主も役人もそれに続いてまた行進を始めます。

 次に辿り着いた崖際でも役人は同じように高さを測りましたが、そこでも紐は伸びきることなく、役人は「まだ足りぬ」と首を横に振ります。次も、その次の場所でも、役人は高さを測っては「まだ足りぬ」と首を横に振ります。

 村人たちは役人が首を横に振るたびに溜め息をつきました。最初は抑えたものでしたが、それはだんだんと大きくなり、五つめの崖にも役人が首を横に振ったときには一人の村人が「またか」と苛立ったように呟きました。それが口火となって村人たちは一斉に「早くしろ、少しくらい足りぬとも構わないじゃないか」と騒ぎ出しました。


 村人の苛立った言はアルトルの背に刺さり、アルトルは自分がとてつもない悪事をはたらいたような気持ちになりました。膝頭がガタガタと震え出しました。アルトルの震えに合わせて前手に一つに縛られた手首の縄もぶるぶる揺れました。

 アルトルはどうしようもなく心細くなって村人を振り返りました。すると、眉をしかめ、目を吊り上げて「早くしろ」と喚く村人の一人と目が合いました。アルトルの羽を見て酔っ払ったように美しいと言った画家でした。アルトルの視線に気付いた画家は眉をしかめ、目を吊り上げた顔のまま、ぐにゃりと歪んだ笑みをしました。

 その後ろには花をくれた女たちが見えました。女たちはアルトルの視線に気付くと、さも可笑しそうに肩を揺らして、しかし声は出さずに顔を隠してきぃきぃと笑いました。

 学者の姿も見えます。学者は以前と少しも変わらず何事か手記を取っています。

 アルトルはとうとうじっとしていられないほど恐ろしくなって、縄持ちの役人を蹴り倒しました。騒ぐ村人に気を取られていた縄持ちの役人は簡単に引っくり返って縄を放しました。走り出したアルトルの後ろを役人が何か叫びながら槍をカチカチ言わせて追ってきます。それを村人たちも追いかけます。

 アルトルは一つに結ばれた不自由な手首を振って無茶苦茶に走りました。丘を越え、野道を抜け、森を抜け、辿り着いたのは村の外れの深い谷際でした。日も届かないほどに深く切れ込んだ谷底には鬱蒼うっそうとした森が広がっていました。

 アルトルは谷際に立ち、息を切らせて振り返りました。追い付いた役人たちも息を切らせてアルトルを取り囲み、その後ろに馬に乗った領主がゆったりと構えます。村人たちは息を切らせ、くたくたになりながらその周りを囲みました。役人が言うより早く村人の一人が「逃がすな!」と叫びました。それに続くように再び騒ぎ出した村人の苛立ちは、お互いの怒鳴りや喚きにあおり立てられるように膨れ上がって、やがて激しい怒りとなって爆発しました。


「今だ!」

「落とせ!」

「皆を惑わす悪人だ!」

「危険だ!」

「許すな!」


 激しい罵りがアルトルに浴びせかけられました。

 アルトルは村人の変貌ぶりに驚いて、一人一人の顔をゆっくりと見回しました。

 学者も画家も野次馬も花売り娘も、皆真っ赤な顔をして、頭から湯気を上げながらぜいぜいと肩で息をして、怒りに狂ったような表情で罵りの言葉を喚いています。

 不思議なことに村人の喚く口の動きがやたらにゆっくりに感じられました。怒鳴り喚く声もどこか遠くで鳴っているかのようでした。アルトルはそのとき突然、「わかった」という気がしました。


(そうだ、あれは自分だ。腫れものを憎たらしく思っていた自分の顔なのだ。そして今自分は、自分がかつて腫れものにしたように、憎まれ、うとまれ、さげすまれ、切り捨てられようとしている。今や自分は、自分が――)


「腫れものだ」


 アルトルは一言、はっきりとそう口に出しました。

 いつの間にか膝の震えは消えていました。恐ろしい気持ちも、悪いことをしたような気持ちも、すっかり消えていました。

 アルトルが逃げる様子のないのを見て取った役人の一人が、紐の付いた石を谷底に落としました。石は地面に付く様子もなく、紐はぴんときれいに張りました。

 役人が罪状文を高らかに読み上げます。


「村人の心を惑わし、領地を荒らした罪により、牛飼いアルトルはニ十人間身長以上ある場所から身一つで飛ばねばならない。咎人が定められた通りに刑罰を施行せし後、咎人を領地内から追放するものとする。咎人が再び領地へ侵入せし時は、速やかに処刑するものとする」


 アルトルは谷際のごつごつした岩にゆっくりと足を乗せて立ち、谷底から吹き上げる風を受けるように大きく背の羽を広げました。

 風を受けて揺れながら陽に透ける白い羽は、白く目映まばゆく輝いていました。それを見た村人の中にはこっそり涙を流す者もありました。騒ぐ者はなく、誰もがただ静かに一対の羽を見つめていました。

 アルトルは心地よい風の感触を羽に受けて、爪先にほんの少し力を込めました。

 ゆっくりと身体が倒れ宙に投げ出されたアルトルは、いつか見た雲雀の羽ばたきを思い出して背の羽に力を込めました。しかし吹き上げる風はあまりに強く、風に圧されて羽を広げているのが精一杯でした。少しでも力を抜いたら折れてしまいそうでした。


(まったく使えやしない)


 そう思うとアルトルは必死で羽を広げているのが何だか馬鹿馬鹿しくなり、羽に力を込めるのをやめてしまいました。逆さに空を見上げると崖の縁から村人がひょこひょこと頭を出してこちらを覗いているのが見えました。


(煮えた鍋の縁の泡だ)


 アルトルは野兎の鍋を思い出してふっと笑いました。

 力を失って風をつかめなくなった羽は風に揉まれてくしゃくしゃになり、アルトルはきりもみになりながら深い深い森へと落ちて行きました。

 アルトルが谷底にすっかり見えなくなると、領主と役人はすぐさま元の通りきれいに隊列して帰って行きました。村人もぷつりと興味を無くしたように元来た道をぞろぞろと帰って行きました。



 どれくらいそうしていたか、エミールはまだ立木のように立ったままでした。

 日は山際に沈んで辺りは夕闇に包まれ始めていました。

 帰り足の村人が二三人、立ち尽くしたままのエミールの横を通り過ぎると、エミールは弾かれたように顔を上げました。往き過ぎる村人の一人を捕まえてアルトルの飛んだ場所を訊き出すと、ひしゃげた棒切れを放り投げて走り出しました。

 丘を越え、野道を抜け、森を抜け、村の外れの谷際へ走り着くと、谷底を覗き込んでアルトルの名を呼びました。返事はなく、代わりに谷底からは獣の吠え声が響きました。

 残酷な予感に血の気を失ったエミールがその場にくずおれようとしたその時、背後でがさりと草が鳴りました。反射的に振り返ったエミールは薄闇の中にさっと人影が差すのを見つけました。影はエミールを見るなりざっと走り出したので、エミールはよろめく足を無理矢理に振り上げて影を追いました。

 森を抜け、野道を抜け、影が向かった先は村外れの診療所でした。影は転がるように診療所に飛び込み、続いてエミールも飛び込みました。

 エミールは診療所に飛び込むや影をふん捕まえてゆかに引き倒しました。

 パチと炭が跳ねて、竈の小さな火が影だった者をうすぼんやりと照らし出しました。

 それは、真っ白な一対の羽を抱えた、皺くちゃの、灰色い顔をした老人でした。


「ヤブ医者だな! それはアルトルのものか!」


 エミールは医者を怒鳴りつけました。


「わしあ何もしておらん、こいつが崖下に引っ掛かっていたので持ってきただけだ」


 医者はエミールの剣幕に弱った声を上げましたが、それでも羽だけは離すまいと言うようにぎゅうと胸に抱え込みました。


「アルトルは……」

「さあ、どこへ落ちたか、獣に食われたか、姿は見ていない」

「いいかげんなことを言うと承知しないぞ」

「見たものは見たし見ていないものは見ていないのだ」

「それを返せ」

「嫌だ。こんな珍しい腫れものは他にないのだ、これを研究しない手はない」

「何が研究か、聞けばおまえは腫れものをいたづらに切りつけるだけでちっとも切り取ってやらないと言うじゃないか」

「それは違う、頼まれたものはきちんと切り取っている」

「ではちっとも治らぬとはどういうわけだ」

「腫れものにはまれにしつこいやつがあるのだ。切ってもまたすぐに腫れるのだ。良いものがある」


 そう言って医者は羽を胸に抱えたままのっそり起き上がり、竈に寄って傍らにあった木っ端に竈の火を移し、更にその火を燭台に灯すと、それを持って奥の部屋へ入ってゆきました。エミールも後に続きました。

 部屋の壁に造り付けられた棚には片手に納まるほどの小さなガラス瓶がびっしりと並んでおり、その一つ一つが半透明の液体で満たされ、中には何やらぬめりとした肉の塊のようなものが入っていました。

 エミールは胃の辺りにせり上がるムカつきにぐっと胸を押さえました。


「切ったものを取ってあるのか」

「一つ残らず。いつ、誰のものかもわかるぞ。これをよくよく調べて腫れものの仕組みがわかれば、治らぬものも治るようになるやもしれんのだ。この羽の腫れものも調べればわかることもあるだろう」


 エミールは苛立ちや悲しみや悔しさや気持ちの悪さでどろどろになった胸を押さえたまま沈黙しました。

 竈の炭がパチと弾けました。


「おれはアルトルに何もしれやれなかった。そればかりか助けようとして反対に助けられてしまった。おれはその羽を持っていてもできることはない。おれはおれのできることをする。だからそれは任せる」


 エミールはあさっての方向を向いて独白のように言ってから、医者を振り返り、「ぞんざいに扱ってくれるなよ。もしも何かわかったなら教えてくれ」とだけ言って、静かに診療所を出て行きました。



 アルトルのいなくなった村は以前の落ち着きを取り戻しました。しかし怠けることを覚えた村人は元のように仕事に励むことはしなくなり、領主と役人と村人は事あるごとにいがみ合い小競り合いを繰り返していました。

 エミールはというとアルトルの牛を引き取り、以前と変わらぬ静かな暮らしを送っておりました。アルトルから引き取った牛は皆少し痩せてはいましたが、ひと月もすると程よく肥えて毛ヅヤもすっかり元の通りになりました。牧草の食いも良く乳も豊富に出ました。

 その日もエミールは増えた牛たちのために朝からせっせと牧草を刈り、昼には一区切り付けて家に戻りました。家の前まで来ると、戸口に何やら茶色いかたまりのようなものが掛かっているのが見えました。近寄ってよくよく見てみると、それは二羽の野兎でした。

 エミールは辺りを見回しましたが周囲に人影はありません。エミールが戸口に向き直ると、目の前にふわりと白いものが降りました。掴み取って手を開いてみると、それは白い、本当に白い、こんなに白い色は見たことがないというくらい真っ白な羽毛でした。

 エミールは空を見上げて、


「しつこいやつだな」


と言って眩しく目を細めました。






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