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窓から真新しい黄金色の陽が射し込んでアルトルの瞼を照らしました。
いつもと変わらぬ眩しさに目を開けたアルトルは特大の伸びをして起き上がると、水桶で顔を洗い、口をゆすぎ、梁に掛けていたシャツを取り、一旦袖に腕を通してから背中にたごまっている羽をシャツの穴から引っ張り出しました。
医者の言葉を、“放っておいても治らぬものだが伝染るものではない”と受け取ったアルトルは、(エミールは悪いものには見えないと言ったし、こうなれば自棄だ、もう隠すまい。いつもの通りにするぞ)と決めて、その通りの生活を始めたのでした。
それからというもの、アルトルは牧草地へ出るときも羽を隠さずにおりましたから、野道を通る村人はアルトルの羽を見つけて銘々の反応をしました。
劇でもやるのかい、とにこやかになる者、何だその格好は、と言って大笑いする者、頭が変になった、とこそこそ小声する者。
しかしアルトルの羽が本当に背から生えているのだとわかると、その誰もが皆いっぺんに顔色を変えるのでした。満面に驚きながらアルトルの頭の先から足の先までを眺めて、へーと感心したり、娘連中などは、きれいだの柔らかいだのと羽に取りついて、きいきい声を上げるのでした。
アルトルはエミールの言ったように、羽を悪いもののように言う者がいないことにほっと胸を落ち着けていました。しかしその一方で、このような得体の知れないものが気味悪くないのだろうか、と疑問に思わずにはいられませんでした。
幾日か経つとアルトルは羽があることにもすっかり慣れて、戸口でもどこでも上手に間合いをとれるようになりました。鍋にぶつかることももうありませんでした。
羽を生やしたアルトルの噂はあっという間に広まって、興味を持った村人が次から次へとひっきりなしにアルトルの元へやってくるようになりました。アルトルが畑へ往き来するのを付いてまわる者までありました。人々は皆アルトルの白い羽を見て、わあ、とか、へえ、と声を上げるのでした。
やがてアルトルの噂は山向こうの街まで伝わって、学者や画家、高名な医者までもが訪ねてくるようになりました。
学者はアルトルの羽を奇妙な道具で掴んだり測ったりして、何事か一心に手記をとります。
画家も大勢やってきて、「もっと羽をこう広げて」とか、「羽ばたいて」と煩くアルトルに注文をつけました。
羽を動かせないアルトルは無理だと断りましたが、画家たちは簡単には諦めてくれません。その場にいる者を誰彼かまわず駆り出してアルトルの羽先を掴んで広げる役にしたり、時には羽につっかい棒までして「羽ばたき」の格好を作ったりもしました。
医者は普段何を食べているんだとか、睡眠時間はどのくらいだとか、アルトルに質問の山をくれます。しかしどの医者も羽の腫れものを治す方法は知りませんでした。
そういった皆の注文はひっきりなしで、アルトルが腹を空かせた牛たちに餌やりに行こうとすると肩を掴んで引き留めたり、時には人垣となって畑へ行く道を塞いだりと、困った行動をする者も出始めました。
時には「皆に囲まれていい気分かい」と野次をとばす者までいました。
アルトルはムッとして「いいもんか、うるさくて敵わないよ」と野次馬を睨みます。しかし野次馬は怯むことなく「花売り娘どもの囲みにはまんざらでもないようで」と猫のように嫌らしく目を細めて喉の奥でころころと笑いました。アルトルは「こんなものはただの腫れ物だ。こんな憎たらしいもの、皆がいくら褒めてくれたって駄目さ。誰が何と言おうとさっさと切り落としてやるぞ」と野次馬に啖呵を切りました。
それを遠くで見ていた花売り娘たちはまたきぃきぃ声を上げて身をくねらせるのでした。
それからも、羽を見ようと押し掛ける者らは相変わらず煩くアルトルに構いました。
「羽ばたき」の姿を見た画家が「なんと美しい」と酔っぱらったような声を上げたり、戸口から覗く娘たちが溜め息をつきながら切なげにアルトルを見つめたりするので、アルトルは次第に誇らしいような気になって、面倒がって聞いていた彼らの言うことにも次第に愛想良く応じるようになってゆきました。
そんな騒ぎの中、羽に少しばかりの変化もありました。
皆に囃し立てられて始終羽ばかりを気にしていたアルトルは、以前よりも背の羽の感触をはっきり感じられることに気づきました。羽の生えて間もない頃は、いくら力をこめてもぴくりともしなかったものが、少しずつアルトルの意思の通りに動くようになり、一月もすると、鳥の羽ばたきそっくりにばさばさとやれるようになりました。
これにはアルトルも皆も驚いて、皆は歓声を上げて喜びました。医者は質問の山を増やし、学者は息をもつかぬ勢いで手記をとり、画家はたくさんのスケッチを描きました。
アルトルとエミールはよく晴れた風の強い日を選んで、小さな丘から飛行練習を試みました。医者も学者も画家も娘たちも皆ぞろぞろと後を付いて来ましたが、付き纏われることにもすっかり慣れたアルトルは、丘の上へ立つと、さぁやるぞ、と言うように羽を広げて見せて、皆が、おお、とどよめくのを十分聞いてから、力一杯跳び上がりました。
しかしアルトルの羽ばたく力は飛び立つには到底及ばないものだったので、飛ぶことはおろか拳ひとつぶん浮き上がることもできずに丘を転げて落ちただけでした。
医者は駆け寄って羽に傷がついていないか勝手に診察を始めます。
学者は手元の妙な道具で何事か計算をしてアルトルにこうしたら、ああしたらと羽ばたきについて助言します。
娘たちはアルトルが歩いたり立ったりする度にきいきい声を上げます。
そんなお祭りのような騒ぎは止まることなく続きました。
いつしかアルトルの羽に構うのに忙しい被服屋の繕い物は、毎日十枚のだったものが三枚になり、鍛冶屋の研ぎ鎌は毎日五本だったものがニ本になり、籠一杯に売り物の花を抱えていた花屋の娘はそのうちの半分をアルトルに贈り、一日中畑にかかっていた農夫たちは半日をアルトルの羽を見ることで過ごすようになりました。
かくゆうアルトルも、見物人や訪問者の相手をするのに忙しく、牛たちや畑にかける時間は随分減っていました。
次にエミールがアルトルの元を訪れた時には、牛小屋の寝藁はじっとり汚れて牛たちの毛にはツヤがなくパサついていました。作物は張りが失われて弱々しく土の上にしなだれていました。
心配したエミールがアルトルの家を訪ねましたが、戸口に見物人と訪問者の人垣があるせいでなかなか近付くことができませんでした。アルトルのほうも画家の言う通りの格好を作りながら花売り娘が求める握手の相手をするのに忙しく、エミールを迎えることもできないでいました。
仕方なくエミールが人垣ごしに「牛たちや畑は大丈夫なのか」と声を掛けましたが、アルトルは少し延び上がって「大丈夫、これからやるところさ」と頭の上で手を振り、すぐに花売り娘の握手に戻ってしまいました。「しかし」と言いかけたエミールの声は見物人の雑多な話し声に紛れてアルトルには届きませんでした。
*
訪問者は尽きることなく、日に日にその数を増やしてゆきました。訪問者の相手をするのに疲れきったアルトルは、朝寝坊をするようになり、やがて日が高くなるまで寝ているのが当たり前のことになりました。
その日もアルトルは昼を過ぎるまでぐっすりと眠りこけていましたが、唐突に戸がだだだっと激しく鳴って何事かと驚いたアルトルは飛び起きて寝床から落ちかかりました。
アルトルが返事をする間もなく戸はバチンと蹴破られ、戸口から縄と槍とを持った役人がどどっと押し入ってきました。
役人の一人がアルトルの掛布を剥ぎ、もう一人がアルトルの首根を押さえ、もう一人がアルトルの手を後ろ手に縛りつけます。アルトルは「何をするんだ」ともがいて暴れますが、目の前に何本もの槍が突き付けられ、それ以上暴れることは許されませんでした。狭い部屋の中で役人の長い槍は壁や柄どうしぶつかりあってカチカチ鳴りました。役人の一人が槍の間を縫って前へ出て来ると槍はいっそうカチカチ鳴りました。役人は手にした書き付けをばさりと大げさに広げて、ぅおん、と一つ咳払いをしてそれを読み上げます。
「村人の心を惑わし、領地を荒らした罪により、牛飼いアルトルを捕らえる」
そう抑揚なく言って、書き付けをアルトルの目の前に突き出しました。アルトルがそれに目を遣るか遣らないかのうちに役人たちはアルトルの腕を掴み上げ、家から引きずり出すと、アルトルを取り囲むように隊列を組み、それ以上は一言も口をきかず、ザクザクと行進を始めました。
アルトルの羽を見ようと集まりかけていた見物人たちは素早く木の陰や藪陰に隠れて、何てことだ、一大事たぞ、と潜めた声で騒ぎました。
役人に引き連れられ行き着いた所は村の領主の城でした。
堅牢な石造りの門をくぐって城に着くや、アルトルは暗く狭い牢屋に繋がれてしまいました。鉄の格子を挟んで向かいには槍を持って立つ牢番がありました。アルトルは鉄格子に縋って、「自分は何もしていない、何かの間違いだ」と牢番に訴えましたが、牢番は木偶のようにじっと立ったまま口を半分開けて何もない宙を見ているだけでアルトルを見ようともしませんでした。
そこへ足音が近づいて来ると、牢番はぴしと背を伸ばし「異常ありません」と報告しました。やって来たのは役人でした。役人は早足でアルトルの前まで来ると「明日、村の者を集めて罪状についての詮議を執り行う。決定を待たれよ」とだけ言い置き、きゅ、と踵を返すと、また早足で去って行きました。役人が去ると牢番は伸ばした背をぐにゃっと丸めて元の木偶に戻りました。




