現実逃避
奈穂は社内でも自他ともに認めるお人好しである。
後輩が失恋したと言えば朝まで飲み明かすこともあるし、
誰かが困っていたらまずは声をかけたくなる性分だ。
組織の中にはそうやってバランスをとるメンバーがいた方が効率的だったり関係が良好に保たれるだろう、奈穂としてはそういう意図もあって演じてきた部分もあった。
そして演じているうちにいつかそれが、
「演じている」のか「性分」なのかわからなくなってきてしまい、
奈穂のお人好しもすっかり板についてしまった。
今朝もそうだった。
いつもの憂鬱を隠して出社した奈穂は、午後の会議のプレゼン資料に目を通していた。
すると、ある箇所に記載された数値の謝りに気づいたのだ。
奈穂にとっては気軽に話せるかわいい後輩である杏子が作った資料だが、もちろんこのまま会議で使うわけにはいかない。
杏子は昨日の夜遅くまでかかって資料を準備したと言っていたから、きっと数値のチェックに甘さがでたのであろう。
会議の内容に影響を与えるほどのミスではないし。
杏子も新人ではなく基本はしっかり仕事をこなすタイプだし。
そう考えると、ここはきつく指摘するのもはばかられ、
なるべく騒がずさりげなく杏子のデスクに近寄り、
「ここ、違ってる気がする、よね?」
と小声で明るめに指摘したのだが…
「あっ、すいませんありがとうございます。すぐ直します!」
と返ってくることを信じていたのだが…
奈穂に指摘を受けた杏子は、
直すべきページの両端を掴んだまま動かない。
普段快活な杏子にしては、らしくない微妙な沈黙の後。
杏子は泣き出してしまった。
「どうしたの杏子ちゃん!」
心配より驚きが先にきた奈穂は杏子の顔をのぞき込んだ。
「ごめんごめん、責めてるつもりはなくて」
奈穂が訂正しても杏子は無言のまま動かない。
ならば、と、
「昨日遅くまでありがとねー」
奈穂はとっさに笑顔にシフトチェンジして杏子の背中をトントンを優しく叩いた。
きっと奈穂が想像していたよりも杏子は重責を感じていたのかもしれない。ここはひとつ、気持ちを落ち着けてもらって午後までに資料を整えねば。
無言のままの杏子の背中に当てていた手を、もう一度優しくトントンと叩いた時、杏子はようやく口を開いた。
「奈穂さん、私もう無理かもしれません」
まてまてまて。