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第三話 千沙

 穂波千沙がこの街へ越して来たのは三年前。千沙の父親がかなり前から家族に内緒で、この地に一軒家を購入していることが発覚したのはさらにその半年前だった。

 父から引っ越しの計画を聞かされたのは千沙が中学に進学したばかりの頃だったので母は猛反対したが、どこへ行こうが新しい環境で友達を作ることに変わりはないというラフな気持ちでいた千沙は父の望みに従うことにした。なぜなら本社勤務でそこそこの肩書をもらいエリート街道まっしぐらの現状に満足しているとばかり思っていた父が、何年も前からこの街の決して大きくはない支社に転勤願いを出していたということがわかり驚いたからだ。

 この街は父の生まれ故郷だった。

 幼いころの思い出が詰まった土地へ帰りたい、終の棲家を持ちたいという父の想いは十分に理解できた。しかし、千沙がどうしても納得できなかったのが家の建っている場所だった。

 父が購入した一戸建ては、車が一台通れるかどうかという狭い道に挟まれた古い住宅街にあった。古いといってもせいぜい四十数年前の高度経済成長期の頃に建てられた家ばかりだが、その中にあって父の家だけが新しい物件と見て取れる。

 問題は場所だ。その家は幅が四、五メートルほどある用水路のすぐ脇に建てられていた。用水路とは言っても下水路、ほぼドブ川。近年、環境に対する意識が高まり排水にも気を遣うようになったと言われているが、家の前を流れる(ほとんど澱んでいる)用水路の水はまるでコールタールのようにどす黒く鼻を突く悪臭が漂っていた。

 並びの家々は用水路に面した方向に庭を配し、柵や垣根で川面が見えないように工夫を凝らして悪臭からできるだけ遠ざかる位置に母屋を建てていた。

 だが千沙たちが越して来た家はドブ川のへりにあるばかりか、川と道に挟まれた細長い三角形の変形地に建てられているので角度によってはコンクリートで出来た船のように見える変形建築物だった。

 なぜ父は、こんな土地のこんな建蔽率を無視したような奇妙な造りの家を選んだのか? 故郷へ帰りたいだけなら、もっと他にまともな家があったのではないか?

 千沙がその答えを得ることは、もう永遠にできない。

 引っ越しの片づけが終わり、さぁこれから新しい生活が始まるという時に父が急死してしまったからだ。過労による心臓発作だった。

 突然見知らぬ土地に残された千沙たちは母の実家へ身を寄せることも考えたが、あれほど父が望んで手に入れた家だからと、結局ここで暮らしていくことに決めた。幸い家のローンもほとんど払い終わっていたということもあるが。


 千沙が初めてその現象を体験したのは、父の四十九日が終わった翌日だった。

 学校から帰った千沙が玄関のドアを開けると、そこは公園になっていた。

 リビングへと続くフローリングの廊下や壁やトイレの扉は消え失せ、千沙の目の前には決して広いとはいえない児童公園が広がっていた。頭上には雲ひとつない青空が続き、小鳥が数羽飛んでいる。

 右脳の許容範囲をはるかに超えた超常現象に千沙は後ずさりしながら外へ出ると静かに玄関のドアを閉め思い切り自分の頬を平手打ちした。そして今度はゆっくりドアノブを回すと、少しだけ開けたドアの隙間からそっと中を覗き込んだ。

 まず目に入ったのは玄関のたたきに並べられた千沙のパンプスだった。母はまだパートから帰っていないようだ。そっと視線を上げていくと、そこには千沙がもう少しダークな色ならよかったのにと思っているライトブラウンのフローリングが突き当たりのリビングまで伸びていた。何度も壁や床を叩いてみたが、やっぱり普段通りの見なれた家だ。千沙は父の葬儀からこっち疲れが溜まって幻覚を見たのだと思い折り合いをつけることにした。

 だが翌朝、千沙がキッチンのドアを開けると、そこには爽やかな朝の空気に包まれた公園の砂場があった。赤いプラスチック製のスコップが砂場の中央に築かれた砂山に突き刺してあり、さっきまで子供が遊んでいた気配が感じられる。そして砂場の向こうには二台のシーソーと、その横にあるブランコが小さく揺れているのが見えた。昨日見たのと同じ公園のようだが立ち位置が少し違っていた。

「千沙! なにボーッとして、まだ寝ぼけてるの?」

 母の声で我にかえると、いつの間にか砂場は消え失せいつものキッチンにいつもの母の姿があった。「大丈夫?」という母の問いかけに引きつった笑顔で答えることしかできない千沙を心配した母が今日は学校を休んだら? と言ってくれたが、とてもこの家にひとりでいることは耐えられないと訴えることもできず、できるだけ健康体をアピールしながら家を飛び出す千沙だった。


 家の中に公園が現れるのは、決まって天気の良い日に限られるという法則に気付いたのは三カ月が過ぎた頃だろうか。どうやら季節も同調しているようで、シーソーの近くにある落葉樹が紅く色付き始めたからだ。

 そしてもう一つ、千沙が中へ入ろうと一歩踏み出すと同時に公園は消え去り、元の部屋へ戻ってしまうということもわかった。つまり、千沙は永遠に公園へ入ることはできないのだった。一度だけスマホで写メってみたが、予想通りいつもの室内しか写らなかった。

 腑に落ちないのは、なぜ家の中にだけ公園が出現するのかだ。 

 公園の入り口と思われる垣根が途切れたあたりに申し訳程度の錆びた看板が立っていて、それに公園の名前が書いてあるようなのだが風雨によって薄れた文字は読み取ることが困難だった。かろうじて『に○○○こうえん』という字が読めたが、場所を特定するにはほとんど役に立ちそうもない。

 そして、公園が見えるのは千沙だけで母には全く見えないということも腑に落ちなかった。せめて母も同じ体験をしていれば、二人で謎解きが出来ただろうに。


 公園の中に変化が訪れたのは、落葉樹がすっかり葉を落とした頃だった。

 定期テストが終わっていつもより早く家へ帰った千沙が玄関のドアを開けると、おなじみの公園が現れていた。だがいつもと違っていたのは、今まで人の姿を見たことがなかった園内に五歳くらいの男の子がひとり、ぶらんこで遊んでいたのだ。

 男子は空色のセーターにかなり短めのショートパンツ姿で、むき出しの細い脚を元気よく屈伸させながらぶらんこを立ちこぎしていた。

 大きく揺れるのが楽しいらしく、もっともっと高くというように反動をつけている。あまりにも大揺れになってきたぶらんこに危険を感じた千沙が声を出そうとしたその時、男の子が空を飛んだ!

 ぶらんこから飛び降りたのだ。千沙は思わず駆け出したが、玄関に入ったとたん公園と男の子の姿はかき消え、勢いよく飛び込んだ千沙だけが上がりかまちにけつまずき廊下で顔面を強打して激痛にのたうち回る結果となった。


 しばらく雨の日が続いて久しぶりに朝から晴れ渡った日曜日、あの後の男の子の様子が気になって仕方ない千沙は、用もないのに家じゅうのドアやふすまを開けては中を覗き込んだ。千沙の奇行に対する母の問いかけに「探し物」とだけ答えると、ひたすら公園と男の子が現れるのを待った。

 朝には晴れていた空が午後から曇り空へと変わっていった。天気予報の夜までの降水確率は30パーセントだったが、これだけどんよりした天気になってはきっともうダメだろう。

 そう思って自分の部屋のドアを開けた千沙の目の前に公園があった。珍しく曇った空の下、あの男の子が砂場で遊んでいる。元気そうなところを見ると、ぶらんこから飛び降りた後に大きな怪我は無かったようだが左ひざに白い包帯が巻かれているのが見えた。

 男の子がどこの誰なのか知る由もなかったが、再び元気な姿を見られたことが嬉しくて、いつの間にかこの超常現象を千沙は大切なものに感じ始めているのだった。


 高校へ進学した千沙は城田冨美に出会った。ひとりだけセーラー服姿の冨美が自分以外の人間には見えていないことがわかると最初は動揺したが、家で起こっている現象と同じだと思うことで納得した。

 ただひとつ違っていたのは、千沙以外にも冨美が見えている人物がいたということだ。

 高原佳乃は交通事故に遭ってから不思議な体験をするようになったと言う。千沙が佳乃をすごいと思うのは、たとえ幽霊が見えても全く動じないところだ。なので最初の頃は佳乃に冨美が見えているとは思ってもいなかった。

 冨美を通して佳乃と千沙の距離が縮まったのは確かだった。

「あのさ、高原さん。明後日って文化祭の振り休じゃん。天気良かったらうちに遊びに来てくんない?」

「いいけど……私なんかといても楽しくないよ」

「またそんなこと言う。じゃあついでに英語教えてよ」

 千沙が佳乃を家に誘ったのは、彼女にも千沙と同じものが見えるか試してみたいという思惑があったからだ。幸い週間天気予報によると晴天が続くらしいので試してみる価値はある。

 公園が現れるにしろ現れないにしろ、佳乃に見えなければそのまま英語の勉強をするだけのことだ。

 自分はいったい何を望んでいるのだろう……。


 文化祭が終わった次の日、佳乃は母親が運転する車に乗って千沙の家までやって来た。

 ああそうか、健常者にはなんでもない距離が佳乃にとっては果てしなく長い道のりになることを考えるべきだった。佳乃の母親は「ご迷惑をおかけします」と言い残して帰って行ったが、むしろ迷惑をかけるのは千沙の方かも知れないのだ。

 千沙は自分もいったん外へ出ると、深呼吸して玄関のドアを開けた。が、そこはいつもと変わらぬ家の中。

 そうそう上手く出て来てくれるわけないか。 

「階段、登れるよね?」

「うん、大丈夫」

 自分の部屋も変化は無かった。

 気を取り直して英語の教科書を広げ、やる気の出ない問題集に手を伸ばす。

「にしてもさ、昨日はびっくりだったね!」

 思い出したように千沙が言った。

「うんうん、本当に! まさか来てくれるとは思わなかったよね」

 昨日の文化祭での出来事。

 千沙と佳乃のクラスが担当した模擬店に城田冨美が現れたのは、昼の客をさばき終わり一息ついた時だった。冨美は楽しそうにカフェに様変わりした教室の中を見回しながら二人に近づくと、千沙に黄ばんで所々シミの浮いた冊子を手渡した。

「文芸部の部誌よ。ただし、三十年前のね」

 それだけ言うと、冨美は千沙と佳乃の反応を楽しむかのようにセーラー服のスカートをひるがえして教室から出て行った。

 冨美が来たことにも驚いたが、まさか幽霊からプレゼントをもらうとは思ってもいなかったので二人はどうしていいかわからず、手の中の冊子に目を落とした。

 表紙をめくると目次のいちばん最後に『追悼 城田冨美 最後の作品』の文字が。

 指定されたページへ行くと、おそらく冨美が病床で書き上げたであろう短編小説が掲載されていた。

 タイトルは無く、ストーリーも未完のままだったし内容もどこかで読んだことがあるタイムトラベラーものだったが、千沙が冊子を落としそうになるくらい驚いたのは、登場人物の名前が「千沙」と「佳乃」だったからだ。二人の役どころは、主人公のクラスメイトでタイムトラベラーの良き理解者として書かれていた。

「これ、マジ?」千沙はまだ状況が飲み込めていないようだ。

「城田さんて、もしかしたら本当にタイムトラベラーなのかも知れないわね」

 千沙は佳乃の仮説を信じることにした。

 冨美は幽霊なんかじゃない。止まった時の中を三十年前と現在を行き来しているだけのタイムトラベラーなのだと。そう思う方が冨美にとっても千沙たちにとっても寂しくない。


 冨美の話をしながらでも問題集が一区切りついたので、千沙はお茶を入れに階下へ向かった。

 やはり公園は自分だけにしか見えないのだとあきらめた千沙がキッチンのドアを開けると、目の前に滑り台があったので驚いた。驚いたので佳乃の脚のことを考える余裕もなく、大声で今すぐ階下へ来るようにと叫んでいた。

 ようやく佳乃が階段を下りて来た時、キッチンを指差してわめいているクラスメイトを見て佳乃がどう思ったのか、千沙は我に返ると恥ずかしさで消えてしまいたくなった。

「……にしともこうえん」

「え!?」

 佳乃にも公園が見えているという驚きよりも、彼女が公園の名前を知っていたことに驚いた。

「高原さん、知ってるの? この公園……ってか、見えてるの?」

「うん。この家が建つ前、ここにあった公園よ」

「マジで!?」

 そう言われてみれば遊具の周りの家並みに見覚えがあった。違っていたのは、用水路がコンクリートではなく石を積み上げて造られていることや、家々も平屋建てで垣根が無かった。

「小さい頃よく遊びに来てたの。十年くらい前かな、公園が無くなってこの家が建てられたのは……でも、この風景はもっとずっと昔みたいね」

 確かに。よく見渡すと、周りに立ち並ぶ電信柱はすべて木製だった。

「もしかして、穂波さんの近しい人に関係がある場所なんじゃないかな? なんとなくそんな感じがするの」

 佳乃の言葉に千沙は思わず「あっ!」と、声を上げた。

 父だ。

 もともとこの家にこだわり、この土地にこだわっていたのは父なのだから。

 さらに千沙は思い出した。父の左ひざにあった傷跡を。

 それじゃ、あの男の子は………。

「高原さん、見えてるついでに聞くけど、あそこで遊んでる男の子も見えるの?」

「ちゃんと見えてるよ。ただ……」

「なに?」

「私に見えてるってことは、たぶんあの子は……」

「もう死んでるってことだよね」

 申し訳なさそうに小さく頷く佳乃を見ても、千沙の心は穏やかだった。

 父はやっと帰りたかった場所に帰って来れたのだ。男の子の楽しそうな顔を見ればそれがわかる。

 千沙には見えないが、他にも子供たちが遊んでいるらしいことは男の子の行動でなんとなくわかっていた。父はきっと、自分だけを千沙に見つけてほしかったのかも知れない。

 母が帰ってきたら何から話そうか。果たして母は信じてくれるだろうか。いや、たとえ信じたとして何も見えない母にとっては辛い思いをするだけではないだろうか?

 やはり千沙は自分の胸の内にしまっておくことにした。

「高原さんは怖くないの? 不思議な体験をすることに対して」

「城田さんが見えたり、この家の現象に関してはね。怖くないっていうか、事故に遭ってから「怖い」って感情が欠落しちゃったみたいなの。穂波さんこそ、私のこと怖くないの?」

「怖いわけないじゃん! ねぇ、お互い名字で呼ぶのやめにしない? 私のこと千沙って呼んでよ。私も高原さんのこと佳乃って呼ぶからさ」

 千沙の提案に笑顔で頷いた佳乃を見て、なんて綺麗な目をしているのだろうと思った。たとえマスクで覆ったところに傷跡があるとしても、きっと美しい顔をしているに違いないと思う千沙だった。

 いつの間にか男の子の姿は消え、公園の空にも夕暮れが近づいていた。

 千沙と佳乃は一歩後ろへ下がると、夕焼けに染まった公園へ続くドアを静かに閉めた。



 第三話 終わり



 

 

 


 


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