第二話 冨美
昼休み、彼女はクラスメイトの間を駆け回り「怖い話」の情報収集に全力で取り組んでいた。
公立高校の昼休み時の生徒は、皆それぞれの作業に忙しい。次の授業に備える者は稀で、持参した弁当だけでは物足りず購買部で買って来たパンを食べている者や漫画雑誌を読んでいる者、持ち込み禁止のスマホでゲームに興じる者、女子はそれぞれのグループに分かれて恋ばなやメイクや芸能人の話題で盛り上がっている。
その中を大学ノート片手にウロウロする女子生徒がいても気にとめる者などひとりもいない。女子生徒の方も自分に対するみごとなシカトを気にするでもなく、たとえ無視されようが皆に同じ質問を投げかけていた。
「ねぇねぇ、なんでもいいから怖い話知らないかな? あ、別に怖くなくてもいいんだよ。不思議だなって思ったことでもかまわないから」
女子生徒の名前は城田冨美。部員が増えるでもなく減るでもない文芸部の部長を務めていた。まるでお手本のように制服を着こなし(もちろんスカート丈はひざ下6センチ!)、ぴっちり編み込まれたおさげ髪に度のきつい眼鏡をかけた冨美は、いかにも文学少女然としている。
彼女は次の文化祭用に発行する部誌の取材で校内を駆け回っているのだった。今回の特集記事は『怖い話』に決まったらしい。
冨美が求めている恐怖のレベルがどれほどのものかは知らないが、ただ怖がらせるだけの内容であれば人から聞くなどという手間のかかることはせず、適当に自分で話を作ってしまえばいいのにと思う。数日前から聞いているにもかかわらず、誰ひとり冨美に協力してやろうという者は現れてはいないのだから。それでも冨美は根気よく、一人ひとりに聞いて回るのだった。
この高校は時代に合わせて増改築繰り返してきた結果、現在の形におさまった。だから見た目よりか歴史は古く、確か自分たちが入学する数年前に創立百周年を迎え記念行事が盛大に行われたことは記憶に新しい。そんな歴史ある学校に付きものの七不思議だが、あいにくこの高校でオカルトちっくな噂話を聞いたことは一度もない。というか、不思議話に対する関心が今時の生徒には無いのだろう。それはそれで寂しいことだが仕方ない。
ネット社会の申し子が幽霊だの祟りだのを話題にするはずもなく、彼ら彼女らにとってチョー恐怖話なのは、ヤバい薬に手を出して廃人寸前で病院送りになった生徒がいるとか、オンラインゲームの高額課金が親にバレてネットを止められたとか、まつ毛エクステで失明したとか脂肪吸引で死亡したとかいった話だ。
「ネイルチップのグルーで火傷することがあるんだってー! チョ~怖くね?」
「マジそれ知ってる~! チョーヤバだよね」
「え、え? ネイルチップってなに? グルーってなに? なんで火傷するの?」
冨美が派手系女子グループの会話に顔を突っ込んで聞いたが、もちろん誰も冨美の質問に答えてはくれない。
「安いやつが怪しいってよ。見ただけじゃどれが発火性高いかわかんないじゃん」
ネイルチップもグルーも何かわからなかったが、どうやら不思議話ではないようなので少しがっかりした冨美はそこを離れた。こうなったら美容あるある特集にした方が話題収集には事欠かないだろうに。
冨美を見ていると、誰でも手当たり次第に声をかけているわけではなかった。このクラスには一度も冨美から質問されていない生徒が何人かいる。その中でも高原佳乃に関して言えば、冨美がわざと避けているようにしか見えなかった。
高原佳乃は不運な生徒だ。昨年の冬、交通事故に遭ったことにより歩行困難と顔面に裂傷という大けがを負った。事故に遭うまでは同性から見ても羨むほど整った顔立ちの色白美人だったが、それを鼻に掛けないおっとりした性格で男女問わず好感度は高かった。男子から告られている現場を何度か目撃されていたが、佳乃が特定の男子と付き合ったという話を聞いたことがないのは、彼女が引っ込み思案で内気な性格だからだと聞いたことがある。
人生で一番輝いていると言っても過言ではない十代の、しかも美人と言われた少女が、脚を引きずりながらマスク姿で高校生活を送らなければならなくなったという悲劇にクラスメイトは最初こそ同情して優しい言葉をかけていたが、それも次第に少なくなり今では誰も佳乃に近づこうとはしなかった。
だが当の佳乃自身はさほど気にする様子でもなく、ひとりで登校してひとりで休み時間を過ごし、昼休みはひとり図書室で読書をするといった具合に淡々と高校生活を送っていた。
そんな佳乃だから冨美も声をかけにくいのだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。その理由はだいたい想像できたが、まだ確信が持てないのでもう少し様子を見ることにする。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。今日も収穫が無いまま冨美は教室を出ていった。そう、冨美はこのクラスの生徒ではない。
ここへきて白状するが、実はとっておきの怖い話を私は知っている。もちろんこの学校の生徒にまつわる怪談だ。たぶん私だけしか知らない話。
だから冨美は誰よりも先に私のもとへ聞きに来ればいいのに、佳乃と同じく私も冨美に避けられているひとりなので残念だがまだ発表の場を持たないでいる。それに佳乃と違い常に何人かの友達といることが多い私は冨美を意識しつつも、まだこちらから関わろうという気は無かった。
文化祭が近づくにつれ、冨美は焦り始めたのか昼休みだけでなく休み時間毎にやって来ては取材するようになった。いくら自分は対象外とはいえ、こういつもいつも目の端に冨美のおさげが揺れていては目ざわりで仕方ない。冨美と目を合わせることがあったら、少し早いが無理やりにでも聞かせてやろうと決心する。
文化祭前日、放課後は翌日の準備のため校内に遅くまで残って作業する生徒が多数を占める。毎年のことなので先生も一応注意はするが強制的に帰宅させようとまではしない。
自分たちのクラスは模擬店をするので、前日の準備は教室の飾りつけや呼び込み用のポスターを校内に貼って回るのが主な作業だ。食材はほとんど調理済みの食品と缶ジュースだったので、後は調理実習室からホットプレートとオーブントースターを借りて来るだけだった。
「でもさ、なんかひとつ手作りのものが欲しいよな」という余計な男子の提案により、急遽メニューには無かったクッキーを女子が焼いて来なければならなくなった。最初はブーブー文句を言ってた女子だったが、好きな男子にアピールできる絶好のチャンスだと気合を入れることで受け入れ解散となった。ただ、彼氏もいなければ気になる男子もいない女子にとっては割に合わないハズレくじを引いたにすぎない。
帰る前に自分にはどうしても立ち寄らなければならない部屋があった。ずっと彼女を待っていたのだが、忙しく作業する生徒たちで賑わう教室に入ってくることが憚られたのか、今日はやって来なかったのだ。
職員室の先にある渡り廊下を抜け旧校舎へ入ると、今は使われていない放送室の隣にある文芸部の部室へ向かった。すでに明りが消えているところを見ると明日の準備は終わっているらしい。
施錠されていないのはなんとなくわかっていたのでドアを開けると、もともと資料室だった狭い室内は左右に立ち並ぶ物置棚でよりいっそう狭く感じる。棚の一角には歴代の文芸部員が発行してきた部誌のバックナンバーが年代順に並べられ、古くはガリ版からオフセットまで印刷の歴史を垣間見ることができた。
「城田冨美さん、そこにいるんでしょ?」
返事はない。
「今年も間に合わなかったね。もう遅いけど、私が知ってる話でよければ教えてあげるからさ、来年使いなよ」
棚の陰の暗闇が動き、ひとりの少女が現れた。薄闇の中にセーラーカラーの白いラインが浮かんで見える。冨美だった。
「早く話してあげればよかったんだけど私も信じられなかったからさ、ごめん」
冨美はいつも持っている大学ノートを抱きしめて言った。
「あなたが私のことを知っているのはわかっていたわ。でも、できれば他の生徒から聞きたかったの」
「じゃあ、やめる?」
一瞬、考えるそぶりを見せた冨美だったが、外人がやるように肩を上下させると、
「話して。聞きたい」あきらめたようでいて、少し嬉しそうな返事が返ってきた。
「ありがとう。その話、来年の部誌に使わせてもらうわね」
話し終わると冨美は満足そうにそう言った。
私は大仕事を終えた後のような安堵のため息をつくと、クッキーの材料を買いに行く時間なくなっちゃったな、と思いながら学校を後にした。料理好きの母のことだからクッキーの材料くらいは常備してあるだろう。自分的にはチョコチップが入ったクッキーを作りたかったのだが仕方ない。
「穂波さん」
でもクッキーってどうやって作るんだっけ? とか考えながら歩いていたら、突然名前を呼ばれたので心臓が飛び出すくらい驚いた。もしや冨美が何か言い残したことがあったのかと思い声のした方に目を凝らすと、白いマスク姿の女性が佇んでこちらを見ている。やだ! ちょっとやめてよ~! と思ってよく見たら高原佳乃ではないか。
「ごめんなさい、私みたいなのが暗がりに立ってたら気味悪いよね。驚かすつもりはなかったのよ、ホントごめんなさい」
佳乃はそう言って何度も謝った。彼女とはほとんどしゃべったことがないので気にも留めていなかったが、きっと事故に遭って怪我を負ってから心無い人の言葉や態度に傷付いてきたのだろう。
「高原さんにも冨美が見えてたんだね」
「うん。でも私なら見えても不思議じゃないと思うでしょ?」ダッテ自分自身ガ、オ化ケミタイナンダカラ。
「あのさ、そんなに自虐的にならない方がいいよ。少なくとも私は高原さんのこと気味悪いとか思ってないからさ」
「あ、ありがとう!」
恐怖の種類は千差万別で人によって違うと思う。たとえるなら、人の数だけ恐怖はあるのだ。
城田冨美は幼いころから小説家になるのが夢だった。オーソドックスな文学小説ばかり読んでいた冨美だったが、ある日ジュブナイル小説に出会ってからというもの現代や未来を舞台に起こる不可思議な現象をモチーフにしたストーリー展開にすっかり魅せられ、どんどん不思議世界へと移行していったのだった。
そんな冨美が病に倒れたのは、文化祭まであと一カ月という頃だった。病名は急性骨髄性白血病。
文化祭に出展する部誌の編集作業半ばという悔いを残したままの最期だった。
三十年前の出来事だ。ちょっと調べれはすぐに冨美のことはわかった。
「それでセーラー服だったのね」
納得したように佳乃がつぶやいた。
「うん、今のブレザータイプの制服に替わったのは六年前だからね。きっと冨美は自分がこの高校にいたってことをひとりでも多くの生徒に気付いてほしかったんだと思う。私と高原さん以外の生徒にもね」
そして冨美はいちばん想いの残っている文化祭前になると現れ、ずっと部誌を作り続けているのだ。
「冨美の計画では学校の七不思議になることを望んでいたのかも知れないけど、私も高原さんも騒がないし噂にもしないからあきらめたのね。せっかく見えてるのに冨美にしてみれば残念だよね!」
まるで幽霊の話などしていないかのように二人は声を出して笑った。
「ねえ、穂波さんはいつから見えるようになったの? それとも先天性のもの?」
「………たぶん、ここへ引っ越して来てからかな」
千沙は家で起こっている不可思議な現象を思い返した。まだ誰にも話したことのない(話しても理解してもらえるかどうかわからない)体験をしたことにより、冨美を見ても恐怖心が湧かなかったのかも知れない。
いつか佳乃に話せる日が来るだろうか? そのとき佳乃は、何と言うだろうか?
第二話 終わり