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俺は歩いている。繋がったばかりの骨を軋ませながら、繋がらない彼女との距離を縮めるために。
ギプスでガチガチに固められた右足を、松葉杖をどうにか操りながら少しずつ歩みを進めている。その理由なんて、一つしか有り得ない。それは、やはり、彼女に会いに行く為だ。
この二本の松葉枝を思い通りに使えるようになるのと、俺がきちんと二本の足で何の不自由もなくボールを蹴られるようになるのと、果たしてどちらが先なんだろうか、なんて詮無いことを考えながら、俺は俺の町を、彼女の町を、確かに歩いて行く。
俺が会いに行っていることを彼女は知らない。というよりも、俺は知らせる術を持っていない。彼女のケータイの電話番号も知らないし、メルアドだって知らない。俺と彼女を繋ぐ線の上に書かれる関係性は『クラスメイト』でしかなく、それ以上も以下もない。ほんの少し詳細に記したとしても、『クラスメイト』の頭に『疎遠な』というむしろ現実的で残酷的な修辞句が添えられるだけだ。俺はそんな関係性の相手に電話番号やメルアドを尋ねるだけの社交性と図々しさは、残念ながら持ち合わせてはいなかった。或いは、クラスの誰かから彼女の電話番号及びメルアドを聞き出す方法もあったけれど、やはりそれは気恥かしさから実行に移すことは出来なかった。
だから結局、何のアポイントメントも取れぬまま、クラスに配布された住所録だけを頼りに俺は彼女に会いに行っている。
ふと、俺は足を止める。
慣れない松葉杖を使って歩くのに疲れたせいもある。俺の息が僅かに上がっているのも事実だし、真夏の熱気にやられて顔が蒸気しているのも本当だ。だから単純に肉体が休息を欲したのも、決して嘘ではない。嘘ではないけれど――。
ふう、と俺は空を見上げて息を一つだけ吐き出す。真っ青な晴天に目を細める。自分に言い聞かせるように首を二度三度と振る。
脳裏をよぎる疑問。
どれだけ息を深く吸ったって、何度首を振ったって、そいつらは消えてくれない。むしろ、その存在を色濃くするばかりだ。疑問、疑心、不安。名称は何だっていいけれど、そいつらが俺の中に住み着いている。居場所は分かっている。折れた右足首の骨と骨との隙間だ。骨がぱっくりと折れ開かれた間隙を縫って奴らは根城を張ったんだ。何故なら、俺はあの日のあの瞬間より以前に、そんな感情は全くもって持ち合わせていなかった。だから、あの時、俺の肉体も精神も弱ってしまったその一瞬に寄生したんだ。そうとしか、考えられない。
俺には、存在する価値があるのだろうか。たった今、ここに、俺が、何故、存在しているのか。何故息をするのか、何故飯を食うのか、何故生きているのか。
骨を折る前ならばそいつらは全て『サッカーの為に』と答えられた。だけれど今の俺にはサッカーがない。存在する価値が、ない。
もしかしたら、骨が折れたくらいで、と叱られるかもしれない。
もしかしたら、まだ若いんだから、と諭されるかもしれない。
それは多分正解で、どうしようもなく正論で、だから俺は途方に暮れてしまう。
届かない。識者の、大人の、俺の悩みに対する取り敢えずの回答に頷くことが出来ない。
俺は今、たった今、自分自身に価値を見出すことが出来ない。それ以上でも以下でもない問いに正答を用いることが出来ない。だから、悩んでいるんだよ。
実際問題として、彼女と会ったからといって、俺の悩みがどうにかなる訳でもない。というより、そもそも俺は彼女に悩みを打ち明ける気なんてさらさらない。たった一言二言言葉を交わしただけのクラスメイトに訳の分からない悩みを聞かされたって困惑するしかない。本当は、こうやって会いに行くことだってただの迷惑でしかない筈だ。そんなことは、十分すぎる程分かっている。だけど、それでも、俺は彼女に会いたかった。もし、あの日俺が尋ねた「面白い本ないか?」という問いに彼女が答えを用意出来ていたなら、それを一刻も早く聞きたかった。図々しいけれど、もしその本を彼女が持っていて、許してくれるなら、その場で借りよう。彼女が用意してくれた本、それがどんな内容なのかは想像もつかないけれど、どんな内容であっても、今の俺に巣食う悩みを晴らす糧になってくれる筈だ。
俺は今、光を求めている。光が、彼女の用意してくれる本だと信じ切っている。もし彼女が、俺の問いのことなんて綺麗さっぱり忘れていたなら、その場は適当に笑って誤魔化そう。彼女には何の罪もない。ただの俺の思い込みなのだから。俺自身の光は、俺自身だけで捜そう。
彼女に会いに行こう。俺が今後どうするべきか、その答えを探る為にも。