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私は私の住む町を歩く。彼を目指して。
見慣れた景色が私の歩く速度で流れて行く。公園も、八百屋も、電柱も、遠くに見える鉄塔も、私の日常を形作る一欠片として、ゆっくりと通り過ぎて行く。私は一歩ずつ、確実に歩を進める。彼との距離が、着実に縮まっていく。
私はふと、少し過去のことを思い出していた。
『事実は小説より奇なり』そんな言葉、嘘っぱちだ。
私は私の読む小説より面白い出来事に遭遇したことなんて一度もないし、これからだってきっと起こりっこない。
私は小説を読むのが好きだ。だけどそれは絶対評価ではなくて、相対評価として好きなのだ。
『事実は小説より奇なり』なんて言葉とは裏腹に、小説は、現実よりも面白い。だから私は小説を読む。現実の楽しさが小説を凌駕していたなら、私は絶対に小説を一ページだって読まない。だけど、実際に私を待ちかまえているのはウンザリするほどの日常と、それを無意識の内に甘んじている人間ばかり。そんな世界に、面白いことなんて存在する筈がない。もし『事実は小説より奇なり』という言葉が本当ならば、ここは世界の端っこなんだと思う。だからきっと、こんなにも現実はつまらないんだ。
私は世界の端っこにある学校の、更に端っこにある教室の中でそんなことを思っていた。
私は何時だって本を読んでいた。授業中でも休憩中でも、つまらない時は何時だって本を読んで、どうにか日々をやり過ごしていた。別に私に話しかけてくる奇特な人を邪険に扱ったりなんかしなかったけれど、気が付くとそんな人は一人もいなくなっていた。本の中より面白い話をした人なんて一人もいなかったから、別に何とも思わなかったけれど。
そんな高校に入ってから三度目の一学期の終業式の日、つまりは今より数週間前、式を終え担任の教師が教室へやって来るまでの僅かな時間、相も変わらず私は自分の席で文庫本に目を落としていた。
「なあ、面白い本ないか?」
突然の声に驚いて顔を上げると、端正な顔立ちの彼が私を見下ろしていた。その表情は至って普通で、まるでついさっきまで会話をしていた流れで普通に尋ねてみたって感じだった。学校で誰かに話しかけられるのが久し振りだった私は咄嗟に返事が出てこなくて、ただ黙りこくって彼の顔をじっと見上げていた。
「お前さ、何時も本読んでるだろ? だから面白い本を知ってるんじゃないかと思ってさ」
相変わらず普通な表情の彼のそのセリフで、私の思考はようやく少しずつ回り始めた。
彼とは一年の時から同じクラスで、だけど一度も会話は交わしたことはなかった。彼はサッカー部に所属していて、男女分け隔てなく明るく接する性格。全身全霊で青春を謳歌してるって感じだった。そんな彼に私が抱いた感想はただ一つ。
本、読んだことがなさそうだな。
それだけ。
そんな彼が何故、何の接点もない私に話しかけているのだろう。そもそも彼が私の存在を認識していたという事実だけで驚きだった。しかも『何時も』という単語を使っていた。そんな言葉を用いられる程、私を見ていたのだろうか。
私の脳内はグチャグチャだった。早く何か返答しなければと思えば思うほど思考の糸は絡まっていった。何でもいい、とにかく、何か喋らなければ――。
教室の扉が開く音がした。担任の教師が入室し、各々席へ着くように促している。クラスメイト達がダルそうに自分の席へと帰っていく。彼はふっと短く息を吐いた。
「何か良いのがあったら、貸してくれよ」
それだけ言い残すと、彼はひょこひょこと自分の席へと帰って行った。彼は松葉杖をついていた。右足はギプスでガチガチに固められていた。そういえばクラスの誰かが話していたのを耳にしたことがあった。サッカーの試合中にひどいスライディングを受けて骨折をした、と。




