私が乙女ゲームの世界に落ちたなら。
私が異世界にトリップなんて不幸に見舞われたのは、約一年ほど前になる。
仕事帰りに蹴躓いたと思ったら、お空の上にいた。
自分でもあの時のことを思い出すとよく生きていたなと思うが、そのまま三階ほどの高さから自然落下し、たまたま下にいた人に受け止めてもらった。
私が無事だったのは、落ちたのがこの国だったというのも大いに関係があるだろう。
日頃から鍛えている人がわんさかいる国だったからこそ、あの時、私の命は紙一重で繋がったのだ。
着のみ着のままで異世界トリップなど、ご都合主義の小説でもなければ、単なる不幸でしかない。
戸籍もない。国籍もない。仕事もない。その上知り合いもいない場所に放り出され、始めの頃は泣いてばかりいた。
しかし、私はそれ以上の幸運に恵まれる。
たまたま落ちた場所の前にあった宿屋、そのご夫婦が私を引き取ってくれたのだ。
傭兵の国――――ハンゼーン
その王都の片隅でひっそりと営んでいる店が、私の新しい家になった。
その国は、世界は、私がいた世界と価値観も常識もなにもかも違うことばかりで、戸惑うことも多かったが、それも次第に慣れていった。
というか、くよくよすることに飽いたのだ。
たしかに、この国は私が生まれた場所ではない。
けれども、私には暑さや寒さに怯えず眠れる場所があって、お腹いっぱい食べることができて、暖かく見守ってくれる人達がいる。
すべてが未知の世界で、これ以上の幸運なんてあるだろうか。それがどんなに恵まれたことなのか、理解できないほど馬鹿ではなかった。
そして、子供がいない夫婦に実の娘のように慈しまれているうちに、不安や悲しみは、おのずと薄らいでいった。
半年ほど経った頃には、日々の手伝い以外で、役に立てることはないかと探すようになる。
その結果、ほんのさわりだけ習ったことがあるタロット占いを始めた。それはうろ覚えのかなり適当なものだったが、なぜか好評だった。
人の機微に疎いこの国だからこそ上手くいったのだろうが、ベタな恋愛のアドバイスでも、思いきり引くぐらい、感謝された。
私から言えば、なぜそんなことも分からない?! と問いつめたくなるような価値観の人達ばかりだったが、これも国柄と割り切った。
荒々しいが人情溢れた国だからこそ、私は拾ってもらえたのだから、全てはよしわるしである。
そして、私(占い)の噂は少しずつ広がり、最近では少し遠くからも客が来るようになった。
全てが順調に思えた。
少しずつではあるが、分からないことが減り、私は静かにこの国に、人に馴染んでいく。
異世界にトリップしたことを今でも不幸だとは思っているが、落ちたのがこの国で、出会ったのがこの人達で、本当によかったと心から思っていた…………
さっきまでは!
広い部屋の中で、おさまる気配もない悪寒に全身が震える。
私(占い師)の噂を聞いたという者に拉致られたのは、ちょうど昼時のことだった。
説明もそこそこに馬車に押し込められ、戸を閉められ、遠ざかっていく両親の声を聞きながら、頭の中ではドナドナがエンドレスで流されていく。
そして連れていかれたのは、縁もゆかりもないはずのこの国の王城で……
毎日遠くから眺めていた城は、この国らしい質実剛健にあふれた造りで、飾り気が全くなかった。
長い時間廊下を歩かされ応接室で待っていた人物を見た瞬間、脳裏に、これまで忘れていた大量の情報が駆け巡った――――
なぜ、こんな大事なことを今まで忘れていたのか。
なぜ、気づかなかったのか。
ここは、この世界は――――
「急にお呼び立てして申し訳ありませんね。しかし我々の事情も進退極まっておりましたので、どうかご容赦下さいね」
応接室で待っていた三人のうちの一人、腰まである流れるような金髪のお兄さんが、私にお茶を出しながらにっこりとほほえんだ。
この国では珍しく線の細い体に、優美な雰囲気を持っている。ただし腰には大振りの剣が吊り下げられていた。
なにも知らなければイケメンの謝罪で済むが、彼のことをよく知っている私から見れば真っ黒い本性が透けて見えていた。
これって形式的でも謝ってやったんだから許すよな? っていう脅しですよね、分かります。
彼の腹黒さをよくよく知っている私は、出されたお茶に口をつけることもできず、ガタガタ震えるしかない。
「シャルナーク、脅えているだろ。お前の謝罪は謝罪ではなく、性格の悪さが透けて出ている脅しだと何度言ったら分かる」
今度は褐色の肌に灰色の髪の男が口を挟んだ。
大男、と呼ぶほどではないが、この国特有のよく鍛え抜かれた体をしている。
そしてへの字に曲がった口が彼の心情をよく表していた。
「そんなに怯えさせて、大事な用で呼んだというのに。断られたらどうするんだ、謝れ」
言い募る男を呆れたように見て、長髪の男は黙って眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私がなにか言う前からずっと怯えていたと思いますが……、まぁいいでしょう。貴女は王都の水の七星通りにある、金の羊亭のティカさんでよろしいですね?」
「ひぃっ! は、はいぃぃ!」
急に話を振られ、裏返った声のまま、とりあえず振り子人形のように頷いておく。
ちなみに、ティカは本名である千香がなまった結果である。こちらではきちんと発音できる人がいなかったのだ。
「貴女のことを知っているのなら、こちらも自己紹介しなければなりませんね。私はシャルナーク。そこの馬鹿……堅物がゼグート。どちらも殿下の側近を勤めております。そして、貴女の前に座っておられる御方が、この国の第一王子であらせられるディオグレナード様です。実は、殿下のことであなたに聞き入れて頂きたいことがあり、お呼びしました」
三人のうち、一人だけ椅子に座っている男は、見た者に不機嫌な印象を与える厳つい眼差しで私を刺し貫いていた。
髪も黒。瞳も黒。着ているものや身につけているものも全てが黒一色の男からは、違うと知っていても悪いことをしていそうな印象を受けてしまう。
よくよく見れば整った顔立ちをしているというのに、不機嫌そうな眼差しと雰囲気だけで、罪のない人を何人も殺していそうな先入観すら与えるのだから、実に哀れだ。
完全に固まった私を見て、王子は長いため息をついた。それに込められたものも分かってはいたが、体が勝手にビビってしまうのだからしょうがない。
その容姿も含めて他国から叩かれまくっている、なんとも不憫な人だということも知ってはいるが、目の前にいるとホントに怖い!
「急に呼び出して悪かったな。今回は折り入って大事な頼みがあるのだが、話を聞いてもらえないだろうか」
脅え続ける私を無視して、王子は話を続けることにしたらしい。
あまり眉根に力を入れると、よくない企み事をしていると勘違いされますよ、と思わず忠告しそうになったが、触らぬ神にたたりなし。
「単刀直入に言うが、俺がオリヴィラのシエスタ王女の婚約者候補に選ばれたことは知っているか?」
「え? あっ、あ、はい、知ってます」
この前まで国中で、国民が勝手にお祭り騒ぎを起こしていたのでよく覚えてる。
『これで第一王子の片思いがやっと報われる~』とか、『王子にやっと番が~』とか泊まりに来たお客様同士でも盛り上がっていた。
余談だが、うちの店は朝は食堂、夜は酒場もやっている。給仕をしていれば、大まかな噂に事欠くことはなかった。
ここがなんの世界なのか、全く気づいてはいなかったが。
「えーっと、おめでとうございます」
とりあえず頭を下げると、返ってきたのはなぜかまたため息だった。
いらないお世話かもしれないけれど、腕組みしたまま人を見る癖やめた方がいいです。威圧すごいですから。
それに無意識だろう眉根に寄った皺が、彼にこれ以上与えてはいけない凄みを加えていた。
「選ばれたのは素直に嬉しいが、なぜ選ばれたのか未だに理解できん。お前。話は変わるが、この国が他の国からなんて呼ばれているか知ってるか?」
一年も暮らしていれば色んな情報が入ってくるので、中には酷いものもあったが、とりあえず無難なもので返しておく。
「ええっと、それは……傭兵王国、とかですか?」
「では、オリヴィラがなんと呼ばれているか知っているか?」
「それはもちろん! 智恵と学問の国、魔法大国オリヴィラ!」
この世界に住む、全ての者の憧れと言っても過言ではないだろう。
ハッと気づいた時には、王子は深々と息を吐き出していた。
そっと眉間の皺に指を置くと、顔面の悪人度が静かに増した。
「そう。智恵と学問の国、オリヴィラ。どの国よりも歴史があり、豊かな大国だ。それに比べてこの国は……」
「国土はでかいんだがなぁ」
「栄光ある、気品ある、などといい文句しかつかないオリヴィラと違い、悲しいですが、おおよそ悪い字面で連想されるのが我が国です」
「野蛮な、とか。強欲な、とか。無礼な、とかな……」
王子の眉根には、その辛苦が見て取れた。
恐らく身に覚えのないことで怖がられたり、非難されたりすることも多いのだろう。
国民の気性を考えると、言いがかりと言い切れない所が辛い所だ。
「つまり、な……」
「「「つまり、ハンゼーンはすこぶる評判が悪い (んだ。のです。)」」」
なにが言いたいのでしょうかと言う問いは、主従のピタリと合わさった声にかき消された。
「ハッキリ言って、オリヴィラがうちと婚姻を結んだとしても、なんのメリットもない。国力、歴史、評判、全てが上だからな。……なのに選ばれた」
「私共も、これは意外な展開でして。妹愛を公言してはばからない兄王君が、選考で弾くと思っていましたから……。もちろん! 喜ばしく思っておりますが」
「俺達は殿下の人となりもその素晴らしさも知っている。だが、他国の者にしたら、なぁ……。よく思われてないことも、分かってはいるんだ」
灰髪の従者が、やりきれないとばかりに肩を落とした。
黒髪の主人がねぎらうように視線をやってから、またこちらに戻す。
「確かにうちのものは大ざっぱで荒々しい。だが、大らかで明るくもある。根は悪くないんだ」
「分かります」
即答した私を、王子が嬉しそうな目で見返した。そうすれば、人の悪い顔も少しは薄れる。
ときめくとかは、絶対ないけど。
「そうだ、決して悪くはないのだが、よくもない。うちの国民は獣性が強くあらわれる為、短気で喧嘩っぱやい。その上、話に番が絡んでいれば、……最悪だ。うちはよそから徹底的に嫌われているが、実際に騒ぎを起こしているから否定もしづらい」
「そのことは、私も他国から送られてくる大量の苦情に目を通す度、苦く思っております」
「ホントだな。やっと見つけた番だからって、他国の貴族を誘拐とか、マジで勘弁してくれ。しかも未成年……。あの時は、殿下と共に後始末に苦労した」
普段からよほど仲がいいのか、ため息のタイミングまでそろっていた。
その時の苦労を思い出したのか、部屋の雰囲気がぐっと通夜に近くなる。
彼らの話を聞けば聞くほど、内なる確信は深まっていくばかり。間違いであってほしいが、無理だろう。
彼らに会うまで不自然な程に忘れていたが。
ここは、この世界は。
かつて廃人認定されるほどやりこんだ、乙女ゲームの…………
元の世界にある『オリヴィラの至宝』というゲームは、非常に人気の高い乙女ゲームだった。
どれだけ人気だったかというと、様々な言語に翻訳されて世界規模で売れまくり、当時無名の会社は、これ一本で一部上場を果たした位と言えば、お分かり頂けるだろうか。
かつては社会現象まで巻き起こしたゲーム――それが愛してやまなかった『オリヴィラの至宝』だった。
このゲームは、オリヴィラの王女の結婚相手を決めるため、双子の兄王が国内外に広く候補者を募った所から始まる。
シエスタ王女といえば、幼い頃から諸外国にも知れ渡る才媛。容姿も大変麗しく、ゲーム内でも『夜の女神』と度々呼ばれていた。
優秀な王女を手に入れられる上、上手くいけば大国と縁続きになれるとあって、世界中から申し込みが殺到。
最終的に五人までに絞られた候補者達は、最終選考の為、オリヴィラの首都・イリクタールへ呼ばれることとなる。
そして、期限である二カ月の間に、王女は候補者との仲を深め、時に恋をし、最後に愛するただ一人を選ぶという筋書きだった。
このゲームをよく知らない多くの人は、王女が主人公だと思っているが、それは違う。
この作品の主人公は別にいて、それが王女の筆頭侍女であるカティラだった。
このゲームは主人と候補者の仲を上手く立ち回りながら取り持ち、恋を叶えさせるというもので。侍女である主人公にもロマンスは用意されており、その場合は候補者の従者とよい仲になる。
そして選ばれた五人のうちの一人が、意外にもここの王子であったりする。
ゲーム内でも散々叩かれまくっていたが、私は攻略キャラではこの人が一番好きだった。
恋愛の好きではない。好意の好きだ。
なぜなら、彼はゲーム内でダントツにいい人だったからだ。
自分のルートでも、他のルートでも、惚れた女の為に心を殺してとことん尽くす、(精神的に)男前すぎた。
おかげでプレイ中何度マジ泣きさせられたかしれない。
現実でもし上手くいくとしたら、ぜひ彼に幸せになってほしい。それくらい思い入れのあるキャラではある。
だが、私は悪い予感に襲われていた。
「あの。それで。私はなんの用で呼ばれたのでしょうか?」
控えめに声をかけると、この国の王子様は、私にとんでもないフラグを投げてよこした――――
「そうだったな。実は、お前にはオリヴィラに同行し、この話が上手くいくように、俺にアドバイスをして欲しいと思っている」
「はぁっ?!」
思わずその場に立ち上がってしまったほど、それは衝撃的だった。
危惧していた最悪の想像が当たってしまったのだから。
「ななな、なぜっ?!」
「そうだな、お前が他国出身である点と、女である点だな」
「生憎、この国の女性方は繊細や情緒とは程遠い存在でして、その方面では全く期待はできないのですよ」
「殿下を含め、男である俺達は言わずもがな、だな」
「これではマズいということになりまして、この国以外のまともな価値観をもつ、他者への助言に慣れている人を探していたのです」
「――そこで、お前だ。わが国に突然現れたというお前は非常に胡散臭いが、それをなお上回るほど、切実な人材でもある」
実は空から落ちてきました、と打ち明けた所で信じてもらえそうにないので、そこは苦笑いでごまかしておく。
「実は、一度殿下の供で件の王女をお見かけしたことがありますが、それはそれは素晴らしい淑女でございました。うちの流儀では嫌われこそすれ、好かれることは……おそらく、ない、かと。お願いします。私達はどうしても殿下に幸せになって頂きたいのです!」
「と言うことだ。謝礼ははずむので、共に来てくれないか?」
「お断りします!」
勢いよく返すと、虚を突かれた顔で三人が固まった。
権力者の頼みである以上、断られるとは思っていなかったのかもしれないが、だが知らん。
私はこの機を逃さず帰ることを決めた。
出口に向かって素早く身を翻した所で、金髪に腕を取られる。
一瞬で距離を詰められた上に考えなしの力で握りこまれ、思わず外そうともがくが、ビクともしない。
逆に焦りに歪んだ顔を近づけてきた。
「お願いします! もう貴女しかいないのです。我々に協力してください!」
「無理ですっ」
もう片方も、いつの間にか灰髪の従者に押さえられていた。
苦しげな顔で迫られる。
「そこをなんとか頼む。殿下の一生がかかってるんだっ!」
「無理ったら、無理なの!」
いくら脅されてようとも、頷くことだけはできなかった。
部屋の空気がどんどん悪くなり、ぶつかり合う口調に鋭さが増す。
王子だけは無言だったが、それがなお抱いている恐ろしさを助長させた。
せっかく好きなゲームの世界にいるのだから、ついていけばいいじゃないかと思うだろう。
だがそうはいかないのだ。
そもそも、私がこのゲームにハマっていたのは、好きで好きでたまらないキャラがいたからだった。
それが『オリヴィラの至玉』と謳われる――シエスタ・アル・ヴィナ・オリヴィラだった。
聡明ゆえに謙虚で心優しく、けれど揺るぎない矜持と強さを持っていた女傑。
第三者視点だからこそ分かる彼女の人としての素晴らしさ、高潔さ、そして恋をした時の愛らしさに、まるで私が恋をしているかのように夢中だった
(実際アンケートでも、乙女ゲームでは珍しく、王女が一番人気だった)
ずっと憧れていた王女に会える上に、一番好きな攻略相手だった王子の手伝いをすることは、端から見ればなんの問題もないように思える。
しかし、18禁展開がないのにもかかわらず、あのゲームがCODE『C』指定だったのには、それなりの理由があった。
このゲームは、よく人が死ぬゲームだったのである。
もう一度言おう。よくモブが死ぬゲームだったのである。
主人公は王女サイドの人間なので、ゲーム内ではさらっとしか触れられていなかったが、候補者同士の憎み合いは、裏では相当激しかったらしい。
このゲームは、主役や脇役には影響はないのだが、名前もないようなモブ使用人は、よく無残な殺され方をしていた。
それが時間経過のサインにもなっていたので、あの時はそっかーで流していたが、今は違う。
もし一緒に行くとなれば、自分は最下級の使用人ということになるだろう。
つまりモブ。モブなのである。
私だって世界一の大国への憧れもあれば、興味もある。けれど命の方が大事なのだ。
なにより新しい家族になってくれたご夫婦を悲しませたくない……
「そこをなんとかっ!」
「無理です!」
「殿下の為にどうか!」
「無理!」
「やめろシャルナーク、ゼグート。始めから他人に頼ろうとしたのが間違いだったんだ」
王子の静かな声に、私達の動きが止まった。
安心する所のはずなのに、私はなぜかこみ上がる切なさに襲われた。
「ですが殿下!」
「選ばれたからには、自分自身で勝負しなければ意味がない。すまなったな。すぐに家まで送らせるゆえ、今日のことはどうか忘れてくれ」
すでに覚悟を決めているだろう王子を見て、言葉が出なくなる…………
何をしているんだろう私は。
王子にとって王女は、ただの相手であるはずがないのに。
ゲームをやっていた自分は、それを誰より知っていたはずなのに――――!!
この国は、女神に懸想した獣と女神の血を引いた子孫が興したと言われている。
だから彼らは、全てとは言わないが、人でありながら獣の特性を受け継いでいた。
先祖が女神を騙した獣というのも、この国が嫌われる要因の一つでもあるが、受け継がれた特性が特に現れたのが、つがい――唯一無二の伴侶に関することだった。
獣性が濃い彼らの恋は、生涯一度きりである。
彼らは番と呼ぶ相手に深く執着し、なにより大切にする。
移り気な人間と違って、この国には浮気も、二番手という言葉も存在しない。番のみが唯一なのだ。
そして、王子の番は――――『オリヴィラの至宝』と呼ばれる彼女だった。
この国の者以外、誰にも祝福されない思い。
世界中から嫌われている種族の王子と、世界中から望まれている王女など、理解されるわけがないのだ。
先ほどの会話から分かるように、落とされると分かっていて応募するのは、どんな気持ちだったのだろう。
こんな小娘にも縋らなくてはならない状況なのに、許してくれる彼は、(顔はともかく)本当に出来た人だと思う。
だとすれば、従者がこんなに真剣なのも納得がいく。オリヴィラでの二ヶ月に、文字通り主人の一生がかかっているのだ。
諦めてくれたなら、すぐに帰るべきだ。
分かっているのに、体は動かなかった。
従者達が名残惜しそうに腕を離しても、それでも動けない……
私はカラカラの喉になんとか唾を流しこんで、口を開いた。
彼に、どうしても聞きたいことがあった。
「もし……」
「なんだ?」
「もし、オリヴィラに行って、選ばれなかったら……、どうするんですか?」
その瞬間、従者達の怒気が深く肌に突き刺さった。殺気さえ混じるそれに、思わず冷や汗が浮かぶ。
無責任なことはよく分かっていた。突っぱねておきながら、断っておきながら、えぐるようなことを聞く私は酷い奴だろう。
それでも…………聞かずにはいられなかった。
答えは…………分かっていても。
恐らく、自分の中で答えは出ていたのだろう。返事は気負うわけでもなく返ってきた。
「そうだな。そうなれば、誰とも番わず生きていくだろうな。幸い俺には弟がいる。国のことは奴に任せれば大丈夫だろう。国を出るのも、いいかもしれないな。
選ばれなかった場合…………俺は跡継ぎを残すという責任を果たせない。
シエスタ以外の女は、……愛せないから」
その言葉は、薄っぺらな私に、なにより重く響いた。
分かっていた。
あのゲームを網羅していた自分は、彼ならどう返すか知っていて、卑怯なことを聞いたのだ。
思わず血がにじむほど唇を噛んでうつむく。
この人は。この人は……、これから奇跡でも起きない限り、選ばれないことを分かってて行くのか。
結果は絶望的であることを分かっていて。
どこの国からもよい目で見られることはないと知っていて……
ここがゲームの世界だと思い出してから、私は無意識に物事を甘く見ていた。
そういう設定だからと、そういうストーリーだからと、その考えで全てを切り捨てようとした。
でも、実際の出来事がそんな単純なわけがない。
この世界は……、この世界は、ゲームなんかじゃない。
たとえゲームの中の世界であっても、ここで生きている以上、これは現実なんだ。
「あの」
これからやろうといていること。
それは愚行ですらない、ただの死亡フラグだ。
分かっている。
でも!
取るに足らない小娘を頼ってくるこの人を、誰より誠実な心を持つこの人を、見捨てることもまた、私にはできなかった…………
「どれだけお役に立てるか分かりませんが、よろしくお願いします」
王子に向かって深く一礼すると、しばらくして歓喜の声を上げた従者達にもみくちゃにされた。繰り返される感謝の言葉の中で、
「そうか……」
しみじみとつぶやいたその人の顔は、今までで一番優しそうに見えた。
いつも私を大切にしてくれたお義父さん、お義母さん。
城へ連れ去られる時、馬車の紋章を見て、国の使いだと分かったはずなのに、しつこく食い下がってくれたこと、忘れられません。
あなたの娘はもう戻って来られないかもしれないけれど、あの瞬間に確かに、力になりたいと願った自分がいたんです――――
そしてこれが、私の苦労物語の幕明けだった。
『オリヴィラの至宝』
王女の筆頭侍女となり、攻略キャラと王女をくっつけていくという、ティカがドハマリしていた乙女ゲーム。
ちなみに、侍女パートで攻略キャラの従者(シャルナークやゼグートなど)を攻略するが、王女パートと侍女パートを交互に進めていかないと、攻略できないようになっている(片方だけ好感度を上げてもイベントが起こらない為)
攻略対象は候補者の五名+隠しキャラの兄王様。
チカの世界では非常に人気の高いゲームだった
『ハンゼーン』
女神とそれに懸想した醜い獣との子孫が興したとされる国。
ちなみに事実であり、一方的に恋着し、騙した上に閉じ込めて手込めにした獣に、ティカはプレイ中盛大に引いていた。
国民は短気で喧嘩っ早いが、反面、度量が広く優しい者が多い。ただし、世界中から野蛮な一族として嫌われている。
傭兵の国と言われる程傭兵が多く、生まれつき皆高い身体能力持っている。