四話、操艦の神様、大滝
「やっと来たか。」
CICの扉を開けると、橋本が振り返る。
「さきの3隻ですか?」
「いや、潜水艦だ。ソナーに微弱だが引っかかった。」
すぐさま千早と共に、自分の配置へとつく。
「敵潜をロスト!最終位置は方位0-3-0、距離6000。深度は100。」
「了解。引き続き、その位置に注意。」
『対潜戦闘用意。繰り返す、対潜戦闘用ー意。』
艦長の声。
艦橋―
「通信長、各艦に敵潜発見を打電せよ。さらに輪形陣を敷くように追加電を。」
「はっ。」
青葉のソナーは六五式水中探信儀。2005年に開発された、日本海軍最新鋭のソナーである。対して他艦は2004年以前のソナー装備のため、念を入れる大滝。
「ハンターキラーでいく。朝霜は本艦と共に行動せよ。早波と夕雲は2隻でペアを組め。…まだ動かないように。」
すばやく指示を出す大滝。
『ソナーに感。反応…ぎょ、魚雷ですっ!』
「ぎょ、魚雷…!?」
「ふむ…。」
突然の攻撃に動揺が隠せない和田。対象的に落ち着きただよう大滝。
「雷速50ノット、距離…5500を切りましたっ!」
「全艦散開しろ!取り舵60!右舷、短魚雷発射用意。」
大滝が声を荒げる。
『右舷、短魚雷発射用ー意!』
CIC―
「魚雷2、本艦に向かって航走中!距離5000!」
CICに響き渡るソナー員の声。ディスプレイには、2つの光点が青葉へと近づいてくるのがわかった。
「短魚雷諸元入力!雷速最低で音響誘導。航走距離1000で近接信管作動!」
橋本の言葉に、千早が指を走らせる。まるでコスプレ歌唱大会のときのようなコンビネーションのよさだ。
「おっと。」
艦が右へと傾く。
『回頭終了と共に短魚雷発射せよ。』
大滝の指示。橋本が返答する。
「回頭終了と共に発射、了解しました。」
時間が過ぎるのが長い。武にはそう感じられた。
「35度…40…45…」
ディスプレイの光点が青葉に近づいてくる。距離は4000メートル…。
「回頭完了!」
「魚雷発射!」
「短魚雷、攻撃開始!」
千早の高い発声と共に、短魚雷3本が発射された。
『夕雲より入電!潜水艦1探知、方位3-1-0!距離7000、深度100!』
『そっちは早波と夕雲に任せる。…朝霜に打電。アスロックの発射用意。』
今度は俺の番だ。アスロック…。
「真田一曹落ち着きなさい。撃つのは朝霜だ。」
橋本に言われ、焦る自分に気づく。こういう時焦りが出るのは、真田のウィークポイントであった。
3本の短魚雷が、青葉を沈めんとする2本の長魚雷に向かって突進してゆく。相対速度、実に70ノット。
「…。」
CICに一時の沈黙がおりる。
「短魚雷、弾着…今!」
短魚雷が獰猛な魚2匹を捉え、次々と信管を作動させる。
“ズ、ズズゥン…”
高い水柱が上がる。魚雷はすべて、海の藻屑と化す。
「魚雷、破壊されました!迎撃成功です。」
「…ふぅ。」
また一息。武は自分をようやく落ち着かせることができた。
『朝霜に打電!アスロック発射!』
間髪いれず、大滝の声が飛ぶ。
朝霜の前甲板に煙があがる。そこから姿を見せたアスロックが、夕日の光を浴びながら空へと飛び立ってゆく。
『朝霜、アスロック発射!』
艦橋―
『アスロック飛翔中。命中までおよそ30秒。』
「敵潜はまだ捉えているか?」
大滝が確認する。
『はい。方位0-3-5、距離5500。深度変わりません。』
「ふむ…。相手は手練ではないようだな。」
大滝が笑みを浮かべる。まさに余裕の表情だ。
「てっ敵潜より魚雷!2本来ます。雷速40ノット!目標はふたたび本艦です。」
「なんだまだ諦めていないようだな。」
まあ撃ってくるということは気づかれてはおるまい。と、つぶやくと
「航海長、操艦で避けるから俺の指示通りに操艦してくれ。」
「は、はいっ。」
艦橋がすこしざわめいた。
「艦長、それはまさか…デコイなどを一切つかわない、という意味ではございませんよね?」
和田があわてて確認する。
「なんだ副長、心配なのか?」
「心配も何も…、本艦が危険に晒されているときに、意見具申を行うのが我々の役目です!」
「ではその具申は却下する。なあに、傷一つつけるつもりはないさ。…朝霜には敵潜を追撃するように伝えろ。取り舵90!」
わめく和田を尻目に、自信たっぷりの大滝。遠山 幸夫航海長は緊張の汗をたらしている。
遠くに水柱が上がるのが見えた。アスロックが敵潜に命中したようだ。
『朝霜のアスロック、命中!船体破壊音を検知しました。…しかし敵魚雷、本艦に接近中!距離4500!』
「了解だ。これより本艦は操艦のみで魚雷回避を行う。艦がふれるから手近なものにつかまるように。」
ごく自然な形で注意をする。艦橋員は皆、真っ青な顔をしている。いくら操艦の神様と言われたような人物でも、人間は体験のないものには恐怖が芽生えるものだ。
「距離…3000!」
魚雷はドンドン近づいてくる。が、大滝はいっこうに指示を出さない。
「距離、2000!」
もう艦橋員で冷や汗をかいていない者は誰もいなかった。
「距離…1000!」
「さて、そろそろか。」
大滝がようやく声を出した。その顔は余裕の表情。
「900…800…」
「転舵!面舵一杯!」
「面舵一杯!」
遠山が思いっきり操舵輪を右へと回す。艦が左に傾いた。
「500!…400!」
「転舵!取り舵一杯!機関停止!」
再び大滝が鋭い声を出す。よろけながらも操舵輪を左へ回す遠山。
「機関停止ー!」
機関音が徐々に小さくなってゆく。艦は右へと傾きつつあった。
「取り舵をきり続けろ。惰性で航行。」
落ち着いた口調に戻し、大滝が言う。
『魚雷、迷走します!本艦後方100を通過!』
艦橋のあちこちからため息が聞こえた。大滝の操艦技術を賞賛するよりも、自分は助かったと確認する時間が欲しいらしい。
「なんだ、これくらいでへこたれてるのか。」
大滝が笑いながら振り返る。和田が腰を抜かしていた。
「早波と夕雲は、追尾中の潜水艦をロストしたようです。」
通信員が報告する。陽が落ち、もう真っ暗だ。
「すぐに戻れと伝えてくれ。深追いは禁物だ。…あっと、戻るときも手抜かりなくとな。」
「はっ。」
大滝の操艦技術、恐るべし。