一五話、ベンガル湾、橋本…
『艦影12、方位2-6-0!距離60キロ!』
「艦影?60キロだと?どうして今まで気づかなかったんだ!?」
「どうやら、次の手を出してきたようだな。」
大滝が苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「通信長、まずは蒼龍と早波、朝霜に打電してくれ。蒼龍を護衛せよと。」
「はっ、承知しました。」
「艦長、何をするおつもりですか?」
赤灯で薄暗い艦橋。和田が訊く。
「艦載機の出せない空母など、格好の標的だ。夕雲と本艦だけで救援に行く。」
「相手は12隻ですぞ!?後ろに敵はおりません。蒼龍単艦で待機させても問題ないでしょう。」
「いや、マラッカ海峡は海賊の巣だ。ああいった連中は、テロリストとどこでどう接点があるか見当がつかん。万が一のことを考えてだ。」
口を閉ざす和田。明らかに不満があるようだ。
「通信長、続いて阿賀野に打電。ただちに臨検を中止、その場から退避せよと伝えろ。」
「わかりました。」
制帽を被りなおす大滝。視線は真っ直ぐ水平線を見つめていた。
「さて、と。」
「蒼龍、早波、速度を落とします。朝霜も歩調を合わせるようです。」
「武!ミサイルの準備!目標は先頭艦だ!」
戦闘に移るという大滝の意思を読み取った橋本。すばやく指示を出す。
「はっ!方位2-6-0、距離58000、針路0-7-0…」
先頭の駆逐艦のデータを順番に入れていく。ハープーンが徐々に活性化していく瞬間だ。
「目標、敵駆逐艦!諸元入力完了!」
「艦橋、CIC!ハープーン、攻撃準備よし!」
敵艦隊と貨物船との距離はおおよそ10キロ。正直言えば絶望的だ。だがそんな理由で救援をやめるわけにはいかない。
『ハープーン、攻撃開始せよ。』
「アイサー!ハープーン、攻撃はじめ!」
指をおく武。銛はロケットブースターに点火し、獲物へと狙いをさだめに入った。
「ハープーン、発射を確認!弾着まで3分40秒!」
「せめて牽制くらいにはなれば…。」
ハープーンを示す光点が、敵艦隊へと向かっていく。音速に近い速度で飛んでいるはずだが、今日はいつになく遅く感じる。
「夕雲よりハープーンミサイルの発射を確認!」
『阿賀野が砲撃を受けた模様。被害状況は不明。』
「阿賀野は動かないの!?ただの的になる!」
千早が叫んだ。たしかに、阿賀野はおろか睦月も貨物船のそばから全く動いていない。
「おかしい…、なぜ動かない!?…艦長、阿賀野と睦月に移動命令を!」
橋本も声を荒げた。
『両艦乗員が貨物船に乗船している。現在、その撤収を進めているようだ。』
「…では相手の注意を引きます!…武!次の用意!4発同時にぶち込め!」
「よ、4発ってどこにですか!?」
「どこだって構わん!とにかく相手をこちらに向けさせるんだ!」
尋常ではない橋本。すぐに準備を始める武。
「針路…、距離…、速度…」
「敵艦隊よりミサイル!数は…20発!」
「20!?」
CICがどよめく。だが橋本は眉ひとつ動かさない。
「ハープーンの発射準備を一時中断!ESSMによる迎撃に切り替え!」
「アイサー!ESSM、12目標にロック!」
「レールガン、発射用意!ESSMの対処能力を超えたものを撃ち落とせ!」
「ハッ!」
砲身のない砲塔が、向きを変えて空を仰ぐ。はるか向こうから、20ものミサイルが襲い掛かってきた。
「ESSM、準備よし!」
「迎撃はじめ!」
後部のVLSから、次々と姿を現すESSM。12の火が夜空へと飛び去っていく。
「ESSM、発射を確認!目標到達まで40秒!」
ESSMはミサイルを捉えると、次々と襲い掛かった。いくつもの火球がベンガル湾を明るく照らす。
「ESSM、全弾命中!迎撃成功!しかし、8発のミサイルがなおも接近中!距離30キロ!」
「ESSM、第二波を発射!残りはレールガンで片付けろ!」
「アイサー!ESSM、第二波用意!」
いそいで指を動かす武。ESSMの表示が、次々と“FIRE”に変わってゆく。
「ESSM、準備完了!発射します!」
復唱の時間はないだろうと判断し、そのまま発射に移った。後部甲板が、ESSMの発射炎に照らされた。
「ESSM、発射よし!」
「レールガン備え!」
レールガンがクイッとわずかに方向を変えた。何も見えない空をじっと凝視するかのように。
「ESSM、弾着!…2発が外れました!距離、10キロ!」
「レールガン、照準合わせ!…撃ち方はじめ!」
57ミリの砲弾が、砲撃とは似ても似つかない音とともに放たれる。秒速2キロの砲弾は、ミサイルを中央部から木っ端微塵に吹き飛ばした。
「ミサイル3、上空で炸裂!迎撃成功!」
『艦長より全艦へ。…』
阿賀野からの通信。それは、最悪とも言えるものだった。
艦橋―
「…繰り返す、本艦ならびに睦月は救援の必要なし。…以上です。」
通信長が伝えた、阿賀野からの電文。
「続いて睦月からの電文です。“本艦は敵艦からの砲撃により、戦闘継続困難。余計な被害を出さぬため、第1戦隊は反転せよ。貴艦たちが無事であることを祈る。”…以上です。」
「…。」
艦橋が重苦しい空気につつまれる。
「両艦は決断したようだ。我々は現時刻を持って作戦を中止。反転する。」
低い声で言う大滝。
「艦長、両艦を助けに行きましょう。第四艦隊が来れば、10隻などなんとかなります。」
和田が必死に反論する。
「ですが副長、第四艦隊が到着するまで両艦が浮いている保障がありません。」
「ならば単艦でも突っ込むまでだ。目の前に友軍がいるのだぞ?見過ごせるわけがない!」
艦橋は真っ二つにわかれていた。
「艦長より全艦に達する。本作戦を中止する。針路1-0-0に転舵、蒼龍の元へ戻る。」
「艦長、撤退する気ですか!?」
「あの二隻はもう助からない。それは彼らが一番よくわかっているはずだ。現に彼らは、命を捨て我々を守る決断をした。」
「艦長!」
突然、橋本の声が響いた。ラッタルを駆け上がってきたらしく、息が上がっている。
「なぜここで帰るんですか!?目の前には助けを求める味方艦艇がいるわけですよ!」
「彼らは我々のために決断を下したのだ。ここはその意思を汲み取り、涙を呑んで報告するしかあるまい。」
「では味方を見捨て、とっとと尻尾を巻いて逃げようってわけですか!?私なら、残り10隻を全て沈める自信があります!」
「それまでに阿賀野と睦月は浮いているのか?我々にも夕雲という僚艦がある。艦長の責任として、部下の命を粗末に扱うわけには…」
“バシッ”
橋本が、大滝をビンタした音だった。手加減をしたような音ではない。本気の音だ。大滝の制帽が音もなく落ちる。
「責任責任!そんなに自分に責任がくるのが怖いのですか!?そうやって、目の前で助けを乞う人間を見捨てるのですか!?そうやって…、人を簡単に殺すんですか!?」
橋本の声が、だんだん震えてきていた。
大滝が制帽を拾い上げる。
「ことを成し遂げるために、時として犠牲は必要不可欠だ。特に軍隊は、人の命の奪い合いなのだ。大量の犠牲を防ぐ為に、本当に必要なものを失わぬ為に、少数の犠牲はやむをえない。そんな世界だよ、ここはな。」
制帽を被ると、大滝は橋本を見つめた。
「私は、責任をかぶるのが嫌で逃げようなんて思ったことなどない。もし思ったのなら、はじめからここへは来たりはしない。」
「しかし!艦長は…」
「この艦、青葉270名の命を一人たりとも無駄にしたくはないからだ。彼らだって同じことを思ったはずだろう。だが、残念ながらそれを守ることはできなかった。最低限、これ以上の犠牲を出さぬようにと我々を制したのだ。…全てを言葉で語るのは難しいがね。」
大滝の静かな声の後、艦橋は静寂に包まれた。
「…。」
突然、橋本が目を見開いて腰の拳銃を引き抜いた。そのままこめかみへと銃口を向ける。
「何をする気だっ!」
「やめろっ!」
「砲雷長っ!」
「もういいっ!私なんてっ!」
“パァーン!!”
橋本の泣き声とほぼ同時に、銃声が気持ち悪いほど綺麗に響き渡った。
艦橋が戦慄に包まれた。橋本は…
「うっ…ううう…。」
小倉の上に倒れていた。
「ケガを確認しろっ!」
大滝の怒号が響いた。小倉がこめかみあたりをまさぐる。
「…いえ、出血らしきものはないようです。」
「衛生士に連絡!砲雷長を救護室へ!」
「ハッ!」
衛生士が担架を持ってきた。橋本を乗せ、ラッタルを下りていく。
「艦長…、なぜ砲雷長はあんなに…。」
小倉がおそるおそる訊く。
「ここに来る前に橋本少佐と話したのだが…、阿賀野には少佐の友人が乗っているそうだ。親しい友人らしく、彼女は久々に会えるかもと楽しみにしていた。」
「…。」
「そういうことを持ち込んではいけないことなど、彼女は百も承知しているだろう。だが経験が浅い分どうしても捨てきることができないのだろうな。仕方のないことだ。」
空には天の川が輝いていた。青葉の露天甲板に、橋本。
「うっ…うわーん!うわぁーん!うわあああん!…」
人目もはばからず、涙を流す橋本。
「橋も…」
それを見て飛び出そうとした武。腕をつかみ、止めたのは千早だった。
千早は静かに、首を横に振った。そっと見守るしかなかった。




