早朝訓練
翌朝。
男子寮の裏庭にて―――
「遅いな……ほら、こっちだぞ」
「う、うるさいね! ……穿て! 灼熱の業火【ファイア・ボール】」
和真が【神速剣舞】の応用で逃げ回るのに対して、葵は必死に攻撃を当てようと得意魔法を連発する。
しかし、どれもこれも和真の身体に当たることはない。
寸前で躱されるどころか、和真が葵の放つ魔法をゆっくりと眺めているくらいだ。
「……もう終わりか?」
葵が魔法を放ってこないため、和真は足を止めて葵に訊ねると……
「そうか……わかったわ。……穿て! 灼熱の業火【ファイア・ボール】」
葵が呟いた後、またも和真へ向けて同じ魔法を一つ放ってきた。
「また同じか……」
何の変化もない葵の戦法に和真は小さなため息を吐き、【神速剣舞】の応用で左一〇メートル先まで一瞬のうちに移動するが―――
「囲え! 地獄の業火【インフェルノ・ウォール】」
次の瞬間、和真が移動した先へ向けて葵が炎の壁を作り出した。
轟々と燃え盛る炎の壁が和真の目の前に立ちはだかる。
「……っ!?」
和真は瞬時に反応し、バックステップでその攻撃を回避。
……完全に読まれていた。
間違いなく、葵は和真の逃げる方向を読み取っていた。
「……ちっ、さすがね」
葵は和真が躱した姿を見て、舌打ちをする。
「へー、やるじゃないか……」
和真は葵の攻撃に感嘆を漏らした。
「でもどうして俺が左へ行くとわかったんだ?」
「それはただの勘よ。でもあんたがさっきからずっと一直線上に動いていることはわかったわ」
「やっぱりな……」
どうやら葵はこの短時間で和真の【神速剣舞】の弱点を見抜いたようだ。
もちろん、本来この剣技は攻撃するためのものであって、決して逃げるようなものではない。
だから、本格的な戦闘になるとまた変わってくるのだが……
『これくらいで十分だと思いますよ』
葵の戦闘に於ける判断力が少し増したことを感じ取ったユイが、白銀の剣の状態から和真の胸中へと呼びかけた。
(……わかった。じゃあ今日はこれで終わりにしてもいいよな)
『はい』
ユイと確認し合い、和真が白銀の剣を鞘に戻し―――パアァァァ。
白銀の剣が光り輝いて消え去ると、ユイが本来の姿に戻った。
「あれ、もう終わりなの?」
ユイが元の姿に戻ったということは戦闘訓練終了の合図。
まだまだやる気だった葵が不服そうな声を上げる。
「あんまりやりすぎても良くないからな。疲れが溜まらない程度が一番良い」
「え、でもあたしはまだまだ―――」
「あまり調子に乗らないでください。私たちはあくまでも任務でここへ来ています。決してあなたのために来ているのではありません」
「う、うるさいわね! わかっているわよそんなこと!」
ユイの刺々しい忠告に声を荒げる葵。
(何もそこまで強く言う必要はないのに……)
和真は葵と仲良くしようとしないユイを見て、ふと思う。
どうしてそこまで葵のことを警戒しているのだろうか。
葵は和真を利用しようとしてくるような輩とは違う。
だからユイが葵のことを警戒する必要はないのだが……
(まぁ、いいか。それにしても―――)
ぎゅるぅぅぅう。
早朝から何も食べずに身体を動かしたためか、かなりお腹が空いた。
どうやらそれは和真だけではないようで―――
「カズマ……私もお腹が空きました」
和真の腹の音を聞いたユイが、和真の服の袖を引っ張った。
「そうか、ユイもお腹空いたのか」
「はい。朝食はサンドイッチが食べたいです」
「わかった、サンドイッチが食べたいんだな」
ユイの要望を聞いた和真が葵の方へ向き、
「……ということで、サンドイッチを頼む」
「ちょっと、なんで勝手に決めてるわけ!? それにあんたね……いくら仕事だからといってあたしに命令しないでくれる!?」
あまりにも露骨すぎたため、葵が口を尖らせた。
「まぁまぁ、良いじゃないか。ユイがサンドイッチを食べたいって言ってるんだしさ……」
「そうです。……私のために早くサンドイッチを作りなさい」
「なっ!? あんたまであたしに命令するの!?」
どこからどう見ても年下にしか見えないユイにまで命令されたことに葵が激怒する。
もちろん、ユイは葵よりも長年生きているのだが。
「むむむ……まぁいいわ。これは仕事、仕事よ……」
どうにか仕事という単語を連呼して、怒りを抑えようとする葵。
大したものだ。
本来葵くらいの年齢だと、なかなか感情は押さえられないはずなのに……。
「それじゃあ……作ってくるから」
漸く怒りが収まった葵は握りしめていた拳を解き、和真たちに背を向ける。
そして葵が少し歩んだところで、和真たちの方へ振り返った。
「ねぇ……」
「どうした? 何か忘れ物でもあったのか?」
「ううん、違うわ。……そういえば天使って、好きな食べ物とか嫌いな食べ物とかあるのかなって思って……」
「天使の好き嫌いか……それはユイ自身じゃなく天使全般ってことでいいのか?」
「ええ、それで構わないわ」
その返事を聞いて和真は少々頭を悩ませた。
「うーん、そうだなぁ……好きな食べ物は甘いものかもしれないな。苦手なものは……苦味のある食べ物かもしれん。……そうだよな、ユイ」
「はい、基本的にはそうですね。しかし私の場合は―――苦い食べ物よりも辛い食べ物の方が苦手ですが……」
「そう、わかったわ。良い情報をありがとう」
ユイの言葉を聞いた葵がにっこりと笑った。
しかし、その笑みはどうにも不気味である。
(……何か企んでいる?)
和真は少々思案するが、ユイのような能力は持っていないため、葵の考えはわからない。
そして、先ほどよりも明らかに足取りを軽くした葵が裏庭を後にし、ユイと二人きりになると―――
「最悪です、カズマ……」
ユイが急にそんなことを呟いた。
しかし、最悪という割には顔色に変化がない。
「どうかしたのか?」
「はい。どうやら彼女は辛い物を入れたサンドイッチを私用に作ってくるらしいです」
「え、本当か?」
「はい。先ほど去り際にそんなことを胸中で呟いていました。彼女は間違いなく私に嫌がらせをするつもりなのでしょう」
どうやら怒りを我慢していたのは見せかけだったらしい。
その場で攻撃せずに、後で苦手な食べ物を与えてくるとは……なんて厭らしい性格をしているのだろうか。
「ということでカズマ……もし彼女が本当に作ってきたら私の代わりに食べてください」
「――え、俺が食うのか!?」
唐突な申し出に少々驚く和真。
実は和真自身も辛い物があまり得意ではない。
とはいっても、ユイほど嫌いなわけではないのだが……
「私の代わりに食べてはくれないのですか?」
「う……まぁ、ユイのためなら俺がそれを食べるよ」
上目づかいで見つめてきたユイに、思わず返事をしてしまう和真。
その言葉を聞いたユイが少々にこやかになった。
「感謝します。……ちなみに彼女の予定では超激辛にするつもりみたいですよ」
「超激辛って……あいつはいったい何を入れるつもりなんだ!?」
「ん……そこまではわかりませんが……それを食べたら間違いなく半日は味覚がおかしくなるものだと私は予想します」
「おいおい、さすがにそれは勘弁だぞ……」
この世界にどのような辛い食べ物があるのか、和真は存じていないが……
天国にある食べ物で例えるのなら、唐辛子のようなものをサンドイッチに入れるのだろうか。
それを口にするなんてあり得ない。
和真はそんなおぞましいサンドイッチを口にしてしまった時を想像して―――少々身を震わせた。
「ま、まぁ……さすがにそこまではしないと思うけど……」
あくまでも一時の強い感情が葵にそんなことを考えさせたのだと和真は願う。
「さて……それじゃあ俺たちも戻ろうか」
「ええ、そうですね……あ、カズマ」
しかし和真が歩き出そうとすると、ユイが和真の服の袖を引っ張り、引き止めてきた。
「なんだ?」
「近々よくないことが起こるかもしれません」
「よくないこと……?」
「はい。細かい日時まではわかりませんが―――昨夜予知夢を見ました」
ユイの見る予知夢。
それは今回のように具体的なことは何もわからないが―――的中率は九割以上。
だから、ユイが『よくないこと』と言ったからにはほぼ間違いなく近日中にそのようなことが起こるのだろう。
「そうか……わかった、気を付けるよ」
和真はユイの忠告に素直頷いておく。
具体的なことがわかれば対策のしようもあるのだが……わからないのだから仕様がない。
しかし、そういったことが起こるということを頭に入れておけるのはありがたい。
事前に告知され、それに対する心構えがあるだけでも……いざ実際に起こった時の対応の早さは違ってくるものだ。
「ユイ、他には何かあるか?」
「いえ、特にありません。……カズマ、早く戻りましょう。もしかしたらすでに完成しているかもしれません」
「あぁ、そうだな。それじゃあ行こうか」
和真は葵が激辛サンドイッチを作っていないことを祈りながら裏庭を後にした。