最悪な出会い
キーンコーンカーンコーン。
朝のホームルーム開始のチャイムが校内に鳴り響く。
和真は担任のユーリス先生が教室に入っていくのを見ながら、ドアの一歩手前で待機。
「はーい、皆さん席についてくださいねー」
数秒後に少し間延びした声が教室内から漏れてきた。
それを聞いて和真は―――
すー……、はー……。
少しでも緊張をほぐすために大きく深呼吸をする。
『カズマ、やはり緊張していますか?』
(あぁ……初めて会う人ばかりだからな)
今日から和真はこの聖エルシュリア学園の生徒だ。
……といっても、一ヶ月程度の予定だが。
『そういえば……私はどうしたらいいのでしょうか?』
(……何を?)
『元の姿に戻って、みんなに私の存在を知ってもらう方がいいでしょうか?』
(んー、そうだなぁ……)
和真は少々返答に迷った。
ユイは和真の契約天使。
この世界には天使が存在しないため、学園の生徒たちがユイの本当の姿を見たら驚愕するのは間違いないだろう。
一応、先生たちが和真の事情云々を全て知っているから、いくらでもフォローはしてくれるのだろうが……
(ユイ、前回のような嫌な思いはしたくないから我慢してくれ。……剣のまま待機で頼む)
『そうですか。わかりました』
(悪いな。寮に帰ったら元の姿に戻っていいからさ)
『はいっ。それまで我慢しますね』
嬉しそうに返事をするユイ。
和真は白銀の剣の柄の部分を軽く撫でた。
「それでは藤堂君。入ってください」
そして、ユーリス先生から呼ばれたため―――ガラガラガラ。
和真はドアを開け、そのまままっすぐ進み……教卓の横で回れ右。
さぁ、自己紹介をするぞと思いきや……
「え………」
座っている生徒を見て和真は一瞬固まってしまった。
(お、おい……嘘だろ!?)
周りを見渡しても―――女子、女子、女子。
女子しかいない!
(もしかしてここ……女子高なのか?)
『いえ、女子高じゃないみたいですが……』
胸中でユイに訊ねると、否定の言葉。
ユイがそう言うのなら間違いはないだろう。
それなら男子が一人くらいいてもおかしくない。
和真はそう思って、もう一度周りをよく見渡すが―――
(やっぱり女子しかいねえ……)
ボーイッシュな感じの人はいるが、あれはどう見ても女子だろう。
たまたまこのクラスに男子がいないだけだろうか。
「あの、藤堂君。自己紹介の方を―――」
「ああ、すみません。えーっと……俺の名前は藤堂和真。今日からよろしく頼む」
長い間沈黙してしまったことに焦った和真が簡潔な自己紹介をするが……
「…………」
様々な方向から、じーっという視線が和真に向けられた。
それだけで終わりなの?
もっと何か言ってほしい!
そういう期待の混じった想いがひしひしと伝わってくる。
『カズマ、やはり何か言った方がよさそうですよ』
(そ、そうだな……何か言わないとな)
さらにユイに言われて頭を悩ませる和真。
「え、えーっと……」
どうしよう。何を言おうか。何を言えばこの生徒たちは納得するのか。
と、和真が必死に頭を悩ませていると―――
ガラガラガラ、バンッ!
教室の後ろのドアが勢いよく開き、一人の少女が入ってきた。
「きゃー、遅刻、遅刻! 先生ぎりぎりセーフにして!」
「完全にアウトです。ぎりぎりじゃありません」
「えー、そんなこと言わずにさぁ…………あっ」
少女が鞄を机の上に置き、本来ユーリス先生のいるべき場所を――すなわち和真を見て、小さな声を上げた。
そして、「確か……カズマだったわよね」なんて少女が小声で呟いた後。
「カズマ、あたしのペットになりなさい!」
「……は?」
とんでもないことを言ってきた。
和真は訳がわからず、ぽかんとなる。
「じゃなくて……チーム、そうチームよ! あたしのチームに入りなさい!」
「…………」
大きな声で命令してくる少女に対して、和真は沈黙する。
(……どう返答すべきだろうか)
まず初対面であるはずの和真をチームに誘ってきた理由がわからない。
それになぜこの少女は和真の名前を知っているのだろうか。
(……ユイ。この少女に見覚えはあるか?)
胸中でユイにそのことを訪ねる。
『いえ……間違いなく初対面です』
(そうだよな……)
身長が一六〇センチほどで、髪型がツーサイドアップの栗色。
そのような少女と話した記憶はないし、ましてや出会った記憶すらない。
それもそのはず。和真がこの七色境へやってきたのが昨晩だからだ。
正確な時間は定かではないが、おそらく深夜に近かっただろう。
そのためか、出歩いている人は皆無。つまり誰にも出会っていない。
それに学園付近の公園で野宿したから、誰のお世話にもなっていない。
(今朝はすぐに理事長のところへ行ったし……)
早朝、突如その公園に出現したクリエイターを屠ってから、すぐに理事長の元へ向かったため、とりわけこの学園の生徒と話をした記憶もない。
そして、沈黙し続けている和真にじれったくなった少女は……
「ねぇ、黙ってないで早くイエスかノーか答えなさいよ!」
「じゃあ……ノーで」
「わかったわ。こっちでチームに入る手続きは済ませておくから」
「俺ノーって言ったよな!?」
「え、なんだって? きこえなーい、きこえなーい」
「いくらなんでも強引すぎるだろおまえ!」
「あのね、あたしに文句を―――」
「ストップ、ストップ。ダメでしょう、葵さん。強引な勧誘は禁止ですよ」
ヒートアップしかけたところで、上手い具合にユーリス先生が仲裁する。
それを聞いて葵と呼ばれた少女は……
「ぐ……わ、わかっているわよ」
気まずそうにしながらも席に着いた。
その後、口では何も言ってこないものの、和真のことをじーっと見つめてくる。
(……なんなんだこの女は)
初日から変な奴に絡まれてしまった。
そう思いつつも和真は、ユーリス先生に促されて指定された席に着く。
和真の席は窓際の一番後ろという最高のポジション。
しかし―――
『不運ですね、カズマ』
(あぁ、そうだな……)
最悪なことに隣の席に座っているのが葵であった。
* * *
つい先ほどユーリス先生に邪魔された葵は、少々機嫌を悪くしながらも、和真のことを見つめていた。
(やっぱり間違ってなかった……)
葵はこの教室で初めて和真を目にした時、自分の勘違いかと思った。
しかし名前が間違っていなかったため、彼は葵が今朝見た男性と同一人物である。
(……あの強さは尋常じゃなかったわ)
葵はユーリス先生の言葉を聞き流しながら、その時の光景を思い描く。
それはクリエイターと呼ばれる怪物と戦っている和真の姿。
一流の魔法使いが五人くらい集まらないと倒せないほど、あのクリエイターは強いはずなのに……和真は苦戦すらしていなかった。
実際、ユイの特殊能力がなければ和真は苦戦していたのだが……葵はそのことを知らない。
ユイが他人の胸中を読み取れるなんて知る由もないし、あの白銀の剣自体がユイであることすらも知らない。
だから葵からすれば、和真一人であのクリエイターを屠ったように見えたのだ。
(そういえば……あの女の人はなんだったんだろう……)
クリエイターを屠った後に、唐突に現れた少女。
純白の羽を四本生やし、銀髪を腰辺りまですらりと伸ばした少女のこと。
実際は白銀の剣から元の姿へと戻ったユイなのだが、遠くから眺めていたため、葵にはわからなかった。
一言、二言、和真と会話したらすぐに消え去ってしまったため、顔などは思い出せないが、和真と話している時の声が透き通っていて、綺麗だなと感じたのは今でも覚えている。
(まぁいっか。あたしの予想だとあいつはきっと異世界人であるはず……)
葵は再び和真の姿を見つめる。
まるで暗闇の中で見つけた一筋の光を見るかのように。
* * *
キーンコーンカーンコーン。
ホームルーム終了のチャイムが鳴った直後。
「ねえ、ちょっといい?」
隣の席に座っていた葵から声をかけられた。
「チーム勧誘ならお断りだぞ」
「……さっきは悪かったわ。この通りよ」
スッと頭を下げる葵。
先ほどと全く違った態度に、和真は目を丸くしたが……
「どういうつもりだ?」
あくまでも警戒は解かない。
そもそも和真自身が他人と深く関わりたくないと思っているからだ。
「そう警戒しないで。同じクラスになったのも何かの縁よ。仲良くして」
そう言いながら握手を求めてくる葵。
別に深入りさえしなければいいかと思い、適度に学園生活を楽しむためにも和真は葵が差し出した手を握った。
「……で? あたしのチームに入るわよね?」
「何が『……で?』だ。俺はチームに入らないと言ったはずだぞ」
「いいじゃん、入ってよ。減るもんじゃあるまいし」
「そういう問題じゃねえよ」
「む……そこを何とか頼むわよ。あたしがこんなにお願いしているのに……ダメ?」
葵が上目使い見つめてくる。
和真はそれを見て、不覚にもドキッとしてしまった。
『…………』
ユイからの無言の圧力を感じ、和真はハッと我に返る。
「お、俺はチームに入らないぞ!」
「どうしてそんなに嫌がるのよ……」
葵が頬を膨らませる。
どうやら葵はどうしても和真をチームに加えたいらしい。
どうして他の人ではなく、自分なのか……不思議に思った和真は訊ねてみることにした。
「……じゃあ逆に訊こう。どうして俺なんだ?」
「それは……あんたがとてつもなく強いからよ」
「強い……? どうしてそんなことが言えるんだ」
「だってあたしはあんたがクリエイ―――ん、ここじゃあよくないわね。ちょっと来て」
そう言って、葵が無理やり和真の腕を引っ張ってくる。
「お、おい。ちょっと……」
和真はうっかり転びそうになりながらも、すぐさま席を立ちあがり、葵に引っ張られながら教室を出て行った。
移動すること数分後。
葵は屋上へと続くドアの手前で立ち止まった。
「ここなら誰もいないわよね……」
辺りを見渡し、他に人がいないかを確認する葵。
そんなに他人に聞かれたらまずいことなのだろうか。
和真が不思議に思いつつも、葵の言葉をじっと待っていると……
『カズマ。どうやら彼女は私たちがクリエイターと戦っている姿を見たようですよ』
移動中に葵の胸中を読み取ったユイが、和真に話しかけてきた。
(そうだったのか。だから俺をチームに勧誘してきたのか……)
漸く和真は葵がチームに誘ってくる訳を理解した。
自分自身が強いという自覚は全くないが、この世界に出現するクリエイターが相当な強さを伴っているという認識はある。
おそらくこの学園にいる生徒一人では敵わない相手なのだろう。
そんな中で和真はユイと力を合わせて二人だけで倒した。
その光景を目にすれば―――強い人がチームにほしい状況ならば、和真をチームに勧誘するのは至極当然のことだ。
(ユイ、他に何かわかったことは―――)
続けざまに何か情報を得ていないかユイに訊ねようとすると、
「ねえ、さっきの続きだけど……その前に一つ訊いていい?」
漸く自分たち以外誰もいないことを確認し終えた葵が話しかけてきた。
それに対して、和真は咄嗟に返事をする。
「あ、あぁ……何を訊きたいんだ?」
「あんたの名前はカズマで間違ってないわよね?」
「そうだけど……それが?」
「カズマっていうのはカタカナ? 漢字?」
「俺の名前はこう書くんだ」
和真は自分の名前をサッとメモ帳に記載し、葵に見せる。
「そう、和真っていうのね……漸くしっくりきたわ」
「……ん、しっくりきた?」
名前にしっくりくる、こないなどあるものなのだろうか。
わけがわからず、和真が首を傾げていると……
「あんた、天国から来た人よね?」
葵が予想外なことを言ってきた。
「どうしてそれを……」
自分の出身地を言い当てられたことに和真は目を見開く。
自己紹介ではそのことについて一言も言っていなかったはずだ。
「だって、名前がカタカナじゃないもの」
「それがどうかしたのか?」
「もしかして知らない? この世界出身の人は、基本名前はカタカナよ。漢字を使っている人なんていないもの」
「そうなのか……それは知らなかったな」
事前にある程度この世界の情報を得ていたとはいえ、そんな細かいところまでは知らなかった。
「でもどうして名前に漢字を使っているだけで俺の出身地が天国だと……?」
名前に漢字を使っている世界は天国以外にもたくさんある。それなのに和真の出身地を一発で言い当てたのは……やはり運だったのだろうか。
「そんなの簡単じゃない。星を渡り歩ける技術を持っているのが天国だけだもの」
「あ……」
そういえばそうだった。多くの星があるとはいえ、実際にその星を渡り歩ける技術を持っているのが天国だけだった。
『カズマ、私もそのことについてはすっかり忘れていました。すみません』
(いや、ユイが謝る必要はない。俺も不注意だったからな)
お互いに反省する。
これで異世界人であることが葵にばれてしまった。
「それで……何が目的なんだ?」
和真は声音を変えて訊ねる。
今回はちょっと違うかもしれないが、異世界人だと知ってわざわざ近寄ってくる人間は大抵ろくでもないやつだ。
和真は任務で様々な世界へ行って、そういうことを何度も経験してきた。
もちろん、中にはただ好奇心旺盛なだけの人もいたし、本当に仲良くなろうとして近寄ってきた人もいたが……そういうのはごくわずかだ。ほとんどが和真のことを利用しようとして近寄ってくる奴ばかりだった。
だから和真は基本的に異世界から来たことを隠している。
「目的……? そうねえ……」
和真の問いに少々思案する葵。
どうやら葵も前者側の人間らしい。
そのことを察した和真は小さなため息を吐いた。
(教室に戻ろうか、ユイ)
『そうですね。今後一切関わらない方がいいですね』
胸中でユイと頷き合い、踵を返す和真。
それを見た葵が……
「ちょっと、なんで帰るのよ!?」
何も言わずに階段を降り始めた和真に抗議する。
しかし、和真は無言のまま階段を下りていく。
「無視しないで!」
和真がすたすたと階段を下りていくものだから、慌てた葵が和真の袖を引っ張るが……
パシンッ
和真にその手を強く叩き落とされた。
「……な!?」
痛みよりも驚きの方が強かったらしく、葵が目を見開く。
そして、和真は振り返り―――
「もう俺に関わるな」
ドスの効いた声でひと睨み。
「な……なんでよ!?」
どうしてそんなことを言われたのか全く理解できない葵が大声を上げる。
葵の表情が徐々に驚きから怒りへと変わる。
しかし和真はその問いにすら答えず、もう用はないといった風に階段を下りていく。
「ま、待ちなさいよ!」
葵が必死に叫ぶが―――スタスタスタ。
もう和真の耳には届いていないようだ。
そのことに葵が拳を強く握った。
「こうなったら……」
そして小さな声で呟き、
「………囲え! 地獄の業火【インフェルノ・ウォール】」
右手を地面につけ、和真の行く手を阻むようにして炎の壁を作り上げた。
「……っ」
突如目の前に出現した炎の壁に驚き、和真は足を止める。
「……どういうつもりだ」
「ムカついた。なんかムカついた! あんたをボッコボコにしてやるわ! こうなったら宣戦布告よ!」
怒り心頭で顔が真っ赤になり、和真のことを睨みつける葵。
宣戦布告。
この世界では危険な言葉。
それは――自分の命をかけて戦うということ。
もし勝った場合、勝者は敗者を好きなようにできる。
敗者は絶対服従。どんな命令にも一生従わなければならない。
もしその掟を破った場合は……いうまでもないだろう。
その言葉を聞いた和真は、小さなため息を吐いた後、
「本当にいいんだな?」
言いながら腰にある白銀の剣を抜いた。
「うだうだ言ってないでさっさとかかってきなさいよ!」
葵がすぐにでも魔法を放てるように姿勢を整える。
(……ユイ)
『はい。私はあなたの剣。如何なる時もあなたのそばに……』
戦闘を始める前にいつも言うセリフをユイが和真へ向けて呟き……
白銀の剣がうっすらと輝いた。
「後悔するなよ」
和真が葵に向けてひとこと言った後―――
目の前に出現し続けている炎の壁を切裂いた。