第7回、対立する信念
御門市北部の北平川にある福音教会の屋根の頂に立つ十字架は、朝焼けに照らされて血に塗れたように赤く染まっている。
「おおおおっ!」
キリストの殉教を想起させるような十字架の聳える教会の屋内で吸血鬼の天敵にして守護者を務めるウワバミの任に就いている少年、来栖託人は黒尽くめの戦闘服に覆面を被った男に殴りかかろうとしていた。
「くっ?!」
だが相手の放ってきた生体エネルギーである精気を攻撃用に転換した聖火に、聖火を相殺するために来栖の放った聖火と同質のエネルギーである剣気が押されてしまい、来栖はその余波に煽られて足止めを食ってしまう。
一瞬動きを止めた来栖を狙って下方から黒尽くめの男が頑丈そうなブーツを蹴り上げてきたが、来栖は半身を捌いて難なくその蹴りをかわし、右脚が伸びきってがら空きになっている相手の懐に踏み込む。
来栖が間合いを詰めてきたのを見て黒尽くめの男は慌てて防御体制に入るが、既に来栖の振るった右の拳は彼の鳩尾に突き刺さる寸前だった。なす術もなく来栖の強打を腹腔に打ち込まれ上半身をくの字に折った黒尽くめの右の頬を、来栖は間髪置かずに左の拳で殴り飛ばす。
「がっ?!」
頑強な体躯を誇る来栖の強烈なボディーブローと左フックを喰らい、黒尽くめの男は後方に吹き飛ばされた。
「どうした、人間相手にてこずっているようじゃエクソシストの看板を降ろした方がいいんじゃねぇか?」
「…異端者め、なめるなよ。エイメン!」
来栖の鉄拳を叩き込まれたダメージは残っていたが、悪しきものを一掃し地上に楽園を創設するために神の戦士になる訓練を積んできた黒尽くめの衣装を纏った少年、聖の闘志が萎えることはなかった。
至近距離での殴り合いでは体格の劣る自分に分が悪いと判断して、距離を置いて聖火の打ち合いで勝機を見出す戦法に出る。来栖に殴りつけられた腹部の痛みを堪えて、聖は裂帛の気合と共に聖火を放出する。
「ちっ!」
床に倒れた聖の対応を覗っていた来栖は自分に向けられてきた聖火を防ぐために剣気を発して相殺しようとする。だがやはり生体エネルギーの打ち合いになると来栖の剣気は聖の聖火に少々押されてしまい、完全に聖の聖火を打ち消せなかった。
「神に背いて吸血鬼どもに寝返った貴様の聖火が、神の意志を代行する使徒である僕の聖火に敵うはずがない。エイメン!」
「野郎!」
聖も格闘術の心得がない訳ではなかったが、肉弾戦では体格に勝り人間同士の喧嘩にも慣れている来栖に軍配が上がっていた。しかし殴り合いでは一方的に攻められても、聖も戦闘のエキスパートであり二度の聖火と剣気の打ち合いで、発散される生体エネルギーの出力では自分が勝っていることに気付いていた。
確実にダメージを与えてきた来栖の拳打とは異なり、聖の聖火は来栖の剣気を打ち消して足止めするくらいの効果しかなかったが、来栖は自分に有利な間合いで戦うことが出来ないせいで攻撃のリズムが崩れつつあった。
「はぁぁっ!」
「無駄だ、聖火の打ち合いに勝てない限り貴様は僕に近づけない!」
来栖は自分の拳を届かせようと剣気を矢継ぎ早に発射して聖に切迫するが、拳が届く距離まであと一歩の所で聖の放った聖火に牽制のために放った剣気が掻き消されて、残存した聖火に歩みが遮られてしまう。来栖の動きが止まると聖は後方に飛び退いて、自分に有利な間合いを保った。
「何でさっきからアイツを殴ろうとする直前にクーくんの動きが止まるの?」
「信仰を捨てて吸血鬼を守ろうなどという愚行を犯している来栖さんの拳が、神の使徒である聖さんにそう何度も届くはずがありませんわ」
来栖が拳の届くあと一歩のところで毎度踏み止まってしまい、その隙に聖が逃れてしまうことの繰り返しに葵が気を揉むと、彼女の身柄を拘束している真理亜が神の意志を遂行する立場にある自分たちに異端者の来栖が敵うはずがないと告げる。
「アタシをこんな風に捕まえて、姉さんを酷い目に遭わせているアナタたちが神の使いのはずないわ!」
「お黙りなさい。私たちの高尚な理念を貴女のように卑しい小娘が理解できるはずもありませんが、余計な発言は身の破滅につながりましてよ?」
葵を捕らえた腕の力を真理亜は強め、冷ややかな声音で彼女を黙らせようとする。葵は真理亜のドスの利いた一言に身が竦んでしまい、彼女の腕から逃れようともがくのを止めてしまった。
「葵さん、お姉様の姿をしたあの吸血鬼とそれを庇った馬鹿な男が始末されたのを黙っていれば、貴女のことを見逃してもよろしくてよ? あんな連中のためにむざむざ命を棄てる意味はないでしょう?」
今度は態度を一転させて甘い声音で語りかけてくる真理亜と葵の視線の先で来栖と聖の戦闘は続いている。相変わらず来栖の放つ剣気は聖の聖火に押し負けており、来栖が聖に切迫しようとすると聖の聖火がその行く手を遮り、再び距離を開かせるという堂々巡りが繰り広げられていた。
「逃げ回ってないでかかってこいよ!」
「逃げ、考えなしに猪突猛進するばかりが戦いじゃないだろう? これも立派な戦術さ」
自分の剣気を聖火で相殺しひたすら拳の当たらない距離を保ち続ける消極的な聖の態度を来栖はなじるが、そのことを恥じらいもせずに平然とした顔で聖は言い返す。
「何が立派な戦術だ、つくづくハライソのやり方には反吐が出るぜ!」
「いいのかい、ここで聖火を使えば彼女が巻き添えになるよ?」
来栖は再度剣気を発散して数m先にいる聖の懐に飛び込もうとするが、聖はこの場で剣気を使うと近くの床に蹲っている丹にもその効果が及ぶことを告げる。
ウツセミと呼ばれる自我と人間だった時の姿を留めている吸血鬼の丹にとって、剣気と聖火は数少ない痛手を負うものであり、しかも彼女は聖に聖火を打ち込まれてかなり消耗していた。次に聖火もしくは剣気を受ければその身が消失しかねない。
「この……」
「エイメン!」
来栖が丹の身を慮って剣気を発散するのを思い留まると、吸血鬼である丹を殲滅するために戦いに身を投じている聖は丹への影響など考えずに聖火を放つ。不意を突かれて来栖は聖火のカウンターをまともに食らってしまった。
聖火や剣気に物理的な影響力はないが、来栖は全身に聖の聖火を叩きつけられて何か大きなものに跳ね飛ばされたような錯覚を感じ、背中から床に倒れこむ。
「貴様は本当に救いがたい阿呆だな、吸血鬼のことなど心配して聖火の使用を躊躇するなんて愚の骨頂だ!」
「うるせえっ!」
聖は来栖が転倒したのを好機と見て、一気に勝負をつけようと聖火を放って畳み掛けてくる。だが来栖も罵倒と共に剣気を放出して聖の聖火を相殺する。
聖火による損害を抑えた来栖はその隙に床から起き上がろうとするが、来栖の起こした上体に目掛けて聖の蹴りが飛んでくる。聖のブーツの爪先が来栖の顎を捕らえようとして聖が口元に嘲笑を浮かべた瞬間、横から伸びてきた来栖の両手がぎりぎりの所で聖の足を掴んだ。
「うぉぉっ!」
聖の蹴りをすんでのところで食い止めただけでなく、来栖は力任せに掴んだ聖の足を頭上に持ち上げた。急激にバランスを崩されて聖の体は大きく後方に傾き、そのまま尻餅をついて床に倒れこむ。
「貴様、ぶっ……?!」
洗練させた決闘ではなくチンピラ同士の喧嘩のような粗野な方法で危難を乗り切った来栖に侮蔑するような目をして起こした聖の顔面にまたしても鉄拳が叩き込まれる。聖よりも一足早く起き上がった来栖は、馬乗りになって二度、三度と聖火を放つ暇も与えずに聖のことを殴り続けた。
「ぐぅ……」
来栖に圧し掛かられてから5発目のパンチとなる右ストレートを左の頬に受けると、聖はくぐもった吐息を漏らして遂に失神した。来栖の重い打撃でしこたま殴られ続けたダメージで覆面の隙間から聖が白目を剥き、完全に気を失っていることが覗える。
聖が戦闘不能になったことを確かめると、来栖は彼の体の上から降りて葵を捕らえている真理亜の方に向き直った。聖の攻撃で被弾したのは聖火一発だけだったが、彼を追い詰めるのに相当の体力と気力を消耗したようで来栖は荒く息を弾ませている。
だが死闘を経て来栖の神経は昂ったままであり、興奮で充血した目には並々ならぬ覇気が漲っていた。市井の女性であれば今の来栖の目を見た途端、裸足で逃げ出すだろうが、真理亜は物怖じせずに来栖と対峙する。
「見ての通りこいつは殴られ過ぎて伸びている。残ったあんたと俺じゃ勝負にならないのは充分承知しているだろう、諦めて葵をこっちに返せ」
「それはどうかしら?」
来栖は真理亜に歩み寄りながら、彼女の捕まえている葵を解放するように左腕を差し出してくる。だが真理亜は覆面から覗く口元に不敵な笑みを浮かべると、腰に手を伸ばしてホルスターから拳銃を抜き放った。
「形勢逆転ね、来栖さん?」
真理亜は右手に握った小型の拳銃デリンジャーを葵のこめかみに突き当てて来栖に脅しをかける。体術による戦闘でも聖火と剣気の打ち合いになっても真理亜相手なら問題ない打算を踏んでいた来栖は、彼女が人質になった葵に手を出す暴挙に出るとは予測しておらず、自分の短絡さに舌打ちをする。
「冗談ですよね、安倍先輩……?」
「…悪あがきはよせ、これ以上無関係な奴を巻き込んで恥ずかしくないのか?」
「吸血鬼の姉を持ち、吸血鬼と手を結んでいる貴方の同居人である以上、葵さんもシロとは言い切れませんわ。ハライソの活動の妨げになるようなら、この場で排除させていただきます」
真理亜は自分の組織の取り組みの正当性を信じて疑わず、状況によっては葵を殺害することになっても良心の呵責を全く感じていないようだった。真理亜の親指がデリンジャーの撃鉄を引き下ろした音を聞いて、葵は死の恐怖で顔面を蒼白にし大きく見開かれた目には涙が込み上げ始める。
「いい加減にしろ、あんたのやってることはもう犯罪でしかねぇ!」
「吸血鬼に協力するような異端者を弾圧することが犯罪のはずないでしょう。それから断っておきますけど私も多少なら聖火を使えますから、貴方が剣気を撃ってきても多少は威力を緩和することが出来ますわ。下手に剣気を使えば誤って引き金を引いてしまい、次の瞬間には葵さんの頭が弾け飛んでいるかもしれませんわね?」
「この悪党…上辺だけは綺麗だけどあんたの腹の中は真っ黒に違いねぇ」
「負け惜しみなんて聞き苦しいだけですわ。ですが来栖さん、寛容な私は貴方に葵さんをお救いするチャンスを差し上げますわ」
来栖は真理亜に降伏を呼びかけるが、真理亜は指先一つで人質の命を奪える自分の優位を確信していた。右手のデリンジャーの銃口を更に強く葵のこめかみに押し付けて、来栖が絶対的に不利な状況にあることを強調すると、来栖は悪態をついて真理亜のことを悔しげに睨みつけた。だが真理亜は余裕のある態度を崩さず、来栖に葵を救うための条件を提示してくる。
「チャンスだと?」
「ええ、あなたがそこにいる化け物を聖さんの代わりに剣気で始末してくれれば葵さんをお返しいたしますわ」
来栖が真理亜の提示してくる条件の詳細を訊ねると、真理亜は来栖の背後で床にへたり込んでいる丹のことを顎でしゃくって指し示し、来栖が昏倒させた聖の代わりに彼女を剣気で処刑するように訴えた。
「それってクーくんが姉さんを殺すってこと? そんなの絶対おかしいよ!」
「いいえ、遠い昔に教会から吸血鬼を討つように命じられたエクソシストを先祖に持つ来栖さんの出自を考えれば正しい選択ですわ」
丹の殺害を命じられて動揺する来栖よりも先に、居候の少年が懇意にしている自分の姉を手にかける状況の異常さを葵が主張する。しかし真理亜は葵の無知に同情するように溜息を吐きながら、エクソシストの末裔である来栖が吸血鬼の丹を討つのがあるべき姿だと彼女に告げた。
「お互いに好き同士なんだからクーくんが姉さんを殺せるはずない、そうでしょ!」
しかし葵は真理亜の言葉に対して激しく首を横に振ると、相思相愛の関係にある丹を来栖が討てるはずないと断言する。丹と葵の命を天秤にかけていた来栖は葵の一言ではっとした表情になった。
「その通りさ、大好きな丹ちゃんを託人が殺せるはずがない」
来栖を脅迫する人質のくせにあれこれと口出ししてくる葵のことを鬱陶しく感じてきた真理亜の耳に甘く囁く男の声音が聞こえてくると、真理亜は銃を握った右手を万力のような力で引き上げられた。
「いきなり何ですの?!」
「へぇ、物騒なことをしているとは思えないくらい綺麗なお嬢さんだ」
銃を掴んだ右手を捻り上げられただけでなく、真理亜を背後から捕らえた人物は彼女が被った覆面を剥ぎ取って彼女の体を自分の正面に向かせる。真理亜は自分の体を拘束してきた人物の顔に不覚にも怒りすら忘れて一瞬見惚れてしまうが、それほど眼前の男の容貌は美しかった。
涼しげな目元に鼻筋の通った顔立ちをして長めの髪を動きのあるスタイルにセットしたスーツを粋に着崩した伊達男、ウツセミを自称する吸血鬼の一族が支配する紫水小路の有力者の一人にして代永氏族の現在の族長源司は意外そうな顔で真理亜のことを見返した。
「長く伸びた犬歯、貴方も吸血鬼ですのね?」
「そうさ、オレも君がさっき化け物呼ばわりしたものの仲間だよ」
微笑みかけてきた源司の口元から覗く長い犬歯を見て、真理亜は自分を捕らえているものの正体に気付き憎々しげな目を向ける。しかし源司は微笑を絶やさずに真理亜の羞恥に染まる顔を見つめると、彼女の手首を握っている右手の指を強く握り締めた。
「あっ……?!」
源司の右手に手首を握られると真理亜は嬌声のような鼻にかかった吐息を漏らす。驚きで見開かれた真理亜の瞳から次第に光が失われて虚ろになっていき、しばらくすると彼女は瞼を閉じて全身をだらしなく弛緩させた。
「このお姉さんには眠ってもらったからね、もう大丈夫だよ丹ちゃんの妹さん」
真理亜の手からデリンジャーが抜け落ちて床に転がると、源司は真理亜の左腕が絡み付けれたままの葵に危難は去ったと優しく語りかけた。
「あ、あの…助けてもらったのは感謝しますけど、安倍先輩に何をしたんですか?」
「心配ないよ、ちょっと精気を抜いて気を失わせただけだから」
葵は窮地を救ってくれた源司に礼を言いつつ、彼が床に横たえた真理亜をどうやって気絶させたのかを訊ねる。
源司はその端正な顔に優しげな笑みを浮かべると、真理亜の手首を掴んだ右の掌に自身の体内に内包している精気の真空地帯にして吸血鬼の霊魂に相当する蝕を局所的に具現化させて、そこから真理亜の精気を吸収し昏倒させたのだという事実の大枠を葵に答えた。
「源司さん遅いっすよ、たかだが2、30人の人間相手にウツセミの族長がなにてこずってるんすか?」
「殺してしまうと後々面倒そうだから手加減して倒すのに苦労してね。おまけに相手は街中で銀の銃弾を所構わずにばら撒いてくるから、周辺被害を抑えるのにも苦労したよ」
来栖が源司が救援に駆けつけるのが遅れたことを責めると、源司は自分を殺そうとしてくる相手に自分は相手を死なせない程度に手加減して戦わなければならないことの苦労に愚痴を言った。
「クーくん、この人と知り合いなの?」
「まあな、ちょっとした知り合いだ」
「何がちょっとした知り合いだよ、オレは君のお爺さんが若い頃から付き合いのある相手なんだからそんな浅い仲じゃないだろう?」
「先祖代々続く腐れ縁みたいなモンじゃないっすか」
葵が類稀なる美青年の源司を前に緊張した様子で訊ねてきた問いに対し、来栖は素っ気無い返事をする。だが源司が自分たちの関係はそんな浅薄なものではないと意味ありげに付け加えてくると、来栖は恥ずかしそうに顔を背けた。
「それよりも託人、丹ちゃんがだいぶ弱っているようだ。早く血をあげないと」
「そうっすね、丹があんな風になっているのに無駄話なんかしている暇はないっす」
丹が聖から受けた聖火のダメージのせいで未だに起き上がれずにいるのを憂慮した源司の一言を聞いて、来栖は彼女の下に駆け寄っていく。
「飲めよ丹、あいつの剣気のダメージで相当堪えているだろう?」
「うん、いつもごめんね……」
「謝るのは俺の方だ、すまなかったな俺が遅れたせいで危ない目に遭わせちまって」
来栖は丹を抱き起こしてその背を自分の太腿に乗せると、ボロボロになったナイロンジャケットの裾を捲って素肌を曝した腕を彼女の顔の前に差し出す。丹は来栖から血を供給してもらうことに感謝するが、来栖は自分の過失で彼女に聖火のダメージを負わせてしまったことを謝罪する。
「いいよ…葵も無事に助けられたし、わたしもこうして生きているから」
丹は結果的には万事が上手くいったことを、弱々しいながらも気丈に来栖に微笑みかけて訴える。そして丹は口を大きく開くと、長く伸びた犬歯を来栖の剥き出しの肌に突き立てた。丹の犬歯に食い破られた傷口から血が溢れ始め、彼女は一口ずつ心から味わうように来栖の血を啜っていく。
「やっぱり姉さんが吸血鬼になっちゃったのは嘘じゃないんだ……」
姉が居候の少年の腕から血を飲んでいるのを見て、葵は嘘や冗談ではなく本当に丹が吸血鬼になってしまったのだと実感する。他人の腕に噛み付いてその血を吸っていることなど野蛮でおぞましいものであるはずなのに、丹は恍惚とした表情で血を啜り、彼女に血を吸われている来栖もある種の快感を覚えているような弛んだ顔をしているのを見て、葵は恋人同士が愛撫している場面を覗き見してしまったような後ろめたい気分になった。
「吸血鬼という呼び方は心外だな、できればウツセミと呼んでほしいね」
「ウツセミ……?」
「数百年前、託人の先祖と和睦を結び、御門市内にある堅気の人間が足を踏み入れられない場所を根城にしているオレたちの一族のことさ。そして君のお姉さんだけでなくお母さんもウツセミとして仲間たちと暮らしている」
「それじゃお母さんもウツセミってこと? だからあんなに見た目が若いんだ」
葵が吸血鬼という呼称を用いることに源司が苦言を呈して、ウツセミの概要と彼女の姉だけでなく母親もウツセミになっていることを教えた。約10年ぶりに再会した母親が不自然なほど若々しく、現在も家族と離れて暮らしている理由を源司に教えられて、葵は抱え込んでいた疑問を解消できたことで晴れやかな顔をする。
「父さんは姉さんと母さんがウツセミだってことを知っているの?」
「知っているから君の救出を手伝ってほしいとオレに頼みに来たんだ。同胞のために真面目に働いてくれている紅子の娘たちを見殺しにするつもりはなかったし、特に丹ちゃんはオレの先輩が目にかけているから何かあったら大目玉を食らってしまうからね、直々にオレが出向くことにしたって訳」
「…助けてもらったことは感謝してますけど、この後あなたも姉さんみたいにアタシの血を吸うんでしょう?」
父親が妻と娘がウツセミになったことを知っているのかと葵に問われると、源司は彼女の父親である斎がそれを知っているからこそ同じウツセミの自分に救援を求めてきたのだと説明した。
質問に答えてもらった後、葵は自分を助けてくれたものが吸血鬼であることで見返りとして血を与えるように要求されるのではないかと警戒をして後退りする。
「いいや、オレたちが無関係な人間の血を吸える許可は居住区の中だけだから君の血を吸ったりはしないよ」
「そう、あなたが聞き分けのあるウツセミで助かったわ」
「これでもオレは同胞を先導する族長だからね、立場上無責任なことは出来ないんだよ」
ここで部外者の葵の血を飲んでしまうと来栖の先祖と結んだ約定に抵触してしまい、ウツセミの族長である自分が禁を犯すわけにはいかないと源司は少し残念そうな顔で葵に手出しをしないことを約束する。葵は目の前の美しき魔物の毒牙にかけられないことに素直に安堵した。
「葵」
「姉さん……」
来栖から血を提供してもらい重態からある程度回復できた丹が近づいてくると、葵は硬い表情で姉と向き合う。来栖の血を吸った丹の唇の先には血がルージュを差したようにこびりついていて、今までにない妖艶な色気を葵は姉から感じさせられた。
「怖い思いをさせてごめんね、それからわたしとお母さんが人間じゃなくなったことを隠していてごめんなさい」
葵の1mほど手前で立ち止まると丹は日本人女性にしては比較的長身の体を折って、深々と頭を下げて妹に謝罪をした。自分の我儘や無茶な注文に応えられずに平謝りされたことは何度もあったが、このように謝られたのは初めてのことだと葵は思う。
「…10年ぶりに会った母さんが昔と全然変わっていないこととか、失踪していたのに今も別居していることとかおかしなことは色々あったけれど、その理由が吸血鬼になったからだって言われても普通信じないわよ。アタシだってこんな目に遭わなかったら今も信じられなかった」
「うん、わたしも初めは吸血鬼なんかいる訳ないって思っていた。でもわたしたちが気付かなかっただけで、この世界にはずっと昔からいたんだよ」
「世の中分からないことだらけね。漫画や映画の中だけにしかいないと思っていた吸血鬼が実在していて、しかも自分の家族のうち2人がその仲間になっちゃうんだから」
「…ねえ葵、やっぱり今もわたしたちのことを怖いと感じている、血に飢えた化け物だって思っている?」
吸血鬼がこの世界に実在していると葵が認めた上で、丹は顔を上げると真摯な眼差しを向けて改めて彼女が吸血鬼に恐れを抱いているかどうかを訊ねる。葵は姉の視線に真正面から応えたが、浴びせられた質問に即答はしなかった。しばし霧島姉妹の間に沈黙が立ち込め、居候の来栖とウツセミの族長源司が固唾を飲んでそのやりとりの行く末を見守る。
「…そういえばこの間姉さんに貸した漫画、まだ返してもらってなかったわよね?」
「あ、そう言えば借りたままで読んでいなかった…ごめん、すぐに読んで返すから……」
「冗談じゃないわよ、人のモンをいつまでも借りっぱなしにしているのは泥棒と同じよ。今すぐ返してもらうわ!」
「あぅち、そんなこと言われてもまだ家にも帰っていないし無理だよ……」
葵が突然以前貸し出した漫画をまだ返してもらっていないことを口にすると、丹は学校の課題や家事それにウツセミの仕事に追われて手付かずのまま放置していたことを思い出す。葵がいつまでも貸したものが戻ってこない不満をぶつけてくると、丹は少し太めの眉をハの字にして情けない顔で言い訳をする。
姉の不甲斐ない反応を見て葵は笑いを堪えきれなくなり、声をあげて笑い出した。
「い、いきなり笑うなんて酷いよ葵……」
「だって吸血鬼になったのに、姉さんがいつも通りのリアクションをするのがおかしくてつい……」
「だから言ったじゃない。体がウツセミになった以外は何も変わっていないって」
「それってすごく大きな変化じゃん。でも本当に姉さんは変わらないな、吸血鬼の近寄りがたいミステリアスさなんてからっきしじゃない?」
「あぅち…図星だからなんとも言えないけど、でも笑うのはあんまりだよ」
「吸血鬼いいえウツセミがみんな姉さんみたいなひとだったらいいのにね」
葵は吸血鬼になった姉に魔性の存在の風格が微塵も見られないことをあげつらって笑い続けるが、どうにか笑いを収めると吸血鬼になった丹に対して好意的な意見を示す。
「じゃあ葵はわたしのことが怖くないんだね?」
「当たり前じゃない。血を吸って足りない栄養を補うなんて変な体質にはなっちゃったけど性格が変わっているのは元々だし、身代わりになってくれる奴がちゃんと家にいるからアタシが襲われる危険性もなさそうだしね。それに気の弱い姉さんを怖がるようになったら、アタシは人間としておしまいよ」
「あぅち、なんか散々な言われ様…だけど葵に警戒されるよりはずっといいや」
「そういうことだから今まで通り、面倒な家の仕事は全部よろしくね姉さん」
葵は自ら吸血鬼になった姉の前に進み出ると少し意地の悪そうな、それでいて憎めない感じのする笑みを丹に向けてきた。
「ありがとう葵、これからもよろしくね」
「ちょっと姉さん、子どもじゃないんだからこういうのはやめてよ!」
妹が吸血鬼になった自分を受け容れてくれたことの嬉しさで丹は葵の背中に手を回して抱き締める。葵は来栖と源司に見られている気恥ずかしさで顔を赤くしながら、手を離すように姉に抗議する。
「…ま、いいか。仲直りの証ってことで今日は許してあげるわよ」
しかし丹の腕に包まれることに安らぎを覚えて、葵は自分よりも頭1つ分背の高い姉の背に腕を回し優しく包み返した。丹が吸血鬼になったことに葵が気付いてしまったことを発端とする騒動がようやく収束を向かえた瞬間だった。
「さてと、禁断の姉妹愛に浸るのはそれまでにしてさっさとずらかろうぜ。徹夜の後、派手に乱闘してもうくたくただ」
「変なこと言うんじゃないわよ、アンタなんか姉さんに全部血を抜かれて干からびちゃえばいいのよ!」
「葵、クーくんの血を飲み干すのなんてわたし1人じゃ無理だよ……」
しばらく抱き合っていた霧島姉妹に来栖が撤収を呼びかけると、葵は姉の体から飛び退いて来栖に罵声を飛ばす。丹は屈強な体格をしている来栖に目を向けて、彼の血液を空にする事の無謀さを訴えた。
「喧嘩はほどほどして早いトコここから出よう。ある程度持ち堪えられるけれど、出来れば陽の光にウツセミのオレも丹ちゃんも当たりたくはないんだ」
「言われなくてもこんなトコに長居するつもりはないわ。こんな酷い目に遭わされたんだからもう教会も聖書もうんざりよ!」
「葵、神様のことを悪く言ったら罰が当たるよ?」
「姉さんはひとが良過ぎるわよ、下手をすれば神の名の下に殺されてたのよ?」
源司に促されると葵は教会の奥にある祭壇に背を向けて、表の出口に向かって大股で歩き始める。神を冒涜するような発言をする妹を丹は態度を改めるように窘めるが、葵は大切な家族が信仰のお題目で殺されかけたことを腹に据えかねているらしい。
「悪いのは神様じゃねぇよ、その名前を借りて好き勝手やってるハライソの連中だ」
「ハライソって前に安倍さんが言ってた吸血鬼を倒すことを目的にしている組織のこと?」
「そうみたいよ。安倍先輩の屋敷に監禁されている間、何度かその名前が出てきたし、クーくんがタコ殴りにしてたあの人はハライソの東京にある本部から来た人だって言ってたわ」
来栖も丹の意見に同感であるらしく、非難すべきは神ではなくその名前を濫用して傍若無人な振る舞いを繰り返すハライソの人間たちだと訴えた。ハライソの名称を初めて耳にする丹がそれが真理亜たちが所属する組織の名前かと確認してくると、真理亜の自宅に幽閉されていた時に組織の内容を小耳に挟んだ葵が姉の質問に応じた。
「東京じゃ宗教家の武装を許可されているのかなぁ、いきなりマシンガンを撃たれた時にはさすがに肝を冷やしたよ」
源司は軽口を利きながら足元を一瞥する。教会の建物から表通りへ伸びる通路の両脇に倒れている聖や真理亜と同じ戦闘服を身につけている者の中には、傍らにマシンガンやライフルを投げ出している者の姿もあった。神の庭である教会の敷地内に戦場のような光景が広がっていることに丹と葵は違和感を覚えながら、一同は忌まわしき思い出の残る教会を後にする。
「オレはこれから紫水小路に戻るけど君たちはどうする? 出来れば丹ちゃんだけでなくて妹さんも紫水小路に来た方がいいと思うけど」
「オレも賛成です。しばらくの間、奴らが入れないあそこにいる方が安全でしょう」
教会から少し離れた場所でタクシーを拾うと、源司は繁華街に車を走らせるように運転手に指示する。タクシーの車内で源司が同胞の丹だけでなく葵にもハライソの追っ手がかかることを懸念して、彼女たちをハライソの追及の手が及ばない紫水小路に身を潜めることを提案する。来栖も丹たちの身を案じて、源司の提案に賛同を示した。
「シスイコージ?」
「わたしたちが暮らしている街だよ、そこにお母さんは9年前の春からいる」
「お母さんが住んでいる街…それって御門の近くにあるの?」
「近いといえば近いし遠いといえば遠いかな」
「何それ、謎かけのつもり?」
「まあ行ってみれば意味は分かるよ」
葵が聞き覚えのない通りの名を反芻すると、そこが御門と隣接するウツセミたちの居住地であることを丹は彼女に説明する。しかし丹の発言の意図を葵が掴めずにいると、百聞は一見にしかずという言葉通り、見れば分かると言って丹は話を結んだ。
源司は鱧川にかかる橋の前でタクシーを停めさせて、一行は繁華街の中心で降車する。真夜中まで大勢の人で賑わっている歓楽街も全て店じまいをしており、通勤する社会人の姿がちらほら見られる他は人通りもなかった。
「源司さん、丹と葵のことをよろしくお願いします」
「クーくんは一緒に来ないの?」
「ああ、ちょっと鞍田山の先代の所に行ってくる」
来栖が紫水小路とのアクセスポイントがある方向とは別の川の上流に向かって足を踏み出していくのを見て丹が怪訝そうな顔で質問をする。来栖は御門市北部に聳える鞍田山に住んでいる実の祖父にしてウワバミの前任者の下を訪ねると返事をした。
「護通ならハライソのことを詳しく知っているかもしれないからだね?」
「ええ。俺たちウワバミ以外にも剣気を使う奴がいるってことは知ってましたけど、今日戦った奴の撥の威力は俺のより強かった。剣気の出力は俺と先代でもほぼ互角だったのになんであいつの剣気はあんなに強いのかを確かめておかないと、ハライソと戦っていく上で不利になりそうですからね」
来栖は肉弾戦では圧倒できても剣気と聖火の打ち合いでは力負けしてしまった事実を重く受け止めて、先代にハライソの使徒の聖火の出力が何故あれほど強力なのかを訊ねて今後の対応を検討する必要性を源司に述べる。
「剣気のことはよく分からないけれど、クーくんは自分よりも剣気が強い人にもちゃんと勝てたじゃない。それならきっとこれからだって……」
「今日の奴は俺よりも体が小さかったし、格闘のセンスもなかったから剣気が通用しなくても殴り合いで叩きのめすことができた。でもこれから戦う奴がそうとは限らねぇ、剣気の威力が強くて俺よりもガタイがよかったり素手での戦いに慣れていたりする奴だっているかもしれねぇんだ」
「そんな人に勝つのは難しくない?」
「厳しい戦いになるだろうな、けど俺はウワバミとして人間とウツセミの世界の調和を乱す奴に負ける訳にはいかないんだ。どんな手を使ってでもそいつらに勝たなくちゃいけねぇ、だからそのためには敵のことをよく知っておく必要があるんだ」
丹は能力で勝っている相手にも勝てたのだからそれほど思いつめる必要はないと呼びかけるが、来栖は自分の背負っている責任を全うするためには敗北は許されないと厳しい態度で言い返す。
「ハライソの刺客のことを詳しく知ることはいいとして、あんまり独りで抱え込むなよ託人。君も人間とウツセミが手を取り合って世界のバランスを保つべきと分かっているから、オレに協力を求めてきたんだろう?」
来栖がハライソとの戦いの責任を全て自分の肩に背負わせようとする峻烈な姿に丹は口を噤んでしまうが、遠ざかっていく来栖の背中に源司が来栖自身も全てを独りで抱え込む必要がなく、ウツセミにも協力を求めてもいいと分かっているから葵の救助への助力を求めてきたのだろうと訴えかけた。
「…そうっすね源司さん、困った時はお互い様っすよね」
「勿論だよ。これはウワバミの君だけの問題じゃない、オレたちの存在に寛容なウワバミにこの街の守護者を続けてもらわないと、こっちも商売上がったりなんだ」
「まさに持ちつ持たれつの関係っすね、じゃあ丹たちのことを頼みます」
「女の子の相手をするのはオレの数少ない特技だよ、安心してお爺さんのところに行くといいさ」
来栖は年長者の言葉を聞き入れて考えを訂正する。ウツセミの族長を務める男とウツセミの天敵にして守護者の任にある少年は互いに信頼しあった眼差しを交し合う。来栖は改めて丹と葵の身の安全を源司に任せて、先代の住む山へと向かっていった。
「…このひとについていくとなんか別の危険があるような気がするのは気のせい?」
「大丈夫だよ、さすがに族長なだけあってそういう分別はある人だから…多分」
ぶっきらぼうだがその分過剰に馴れ馴れしくはしてこない居候の来栖のことを見送った葵は、来栖に自分たちのことを任された飄々とした美青年のことを信用していいのかと疑問に思う。葵よりは源司との付き合いの長い丹は、軽薄な見た目よりは紳士的な彼が自分たちに危害を加えることはないと妹に言い聞かせようとする。しかし理由はともかく母親を家族から引き離した人物が源司であることを思うと、どうしても彼を丹は信頼しきれない所があるのも事実だった。
「…クーくん、早く帰ってきてね」
丹は源司に対する蟠りによる理由だけでなく、更なる激戦が予想されるのでその戦支度に赴いた来栖の無事な帰還を願った。
* * *
来栖に袋叩きにされて昏倒した聖と源司の蝕に精気を吸われて意識を失った真理亜が目を醒ましたのはほぼ同時だった。外傷を受けずに気絶させられた真理亜とは対照的に、来栖に何度も殴打されたせいで覆面を脱いだ聖の顔が腫れ上がり、あちこちに痣が出来ているのに真理亜は気付いた。しかし聖に向けられた真理亜の視線には負傷した仲間に対する痛ましさや気遣いはなく、神の威光を異端者に知らしめる使徒に名を連ねながら返り討ちにされたことへの侮蔑の念しか浮かんでいなかった。
「真理亜さん…奴らは?」
「さあ? 貴方が来栖さんに打ち倒されてから私も彼の仲間に気絶させられましたから、その後のことは存じませんわ」
聖は瞼や頬の腫れ上がった顔を向けて来栖たちの行方を真理亜に問うと、真理亜は見苦しくなった彼の顔を目にしたくないことと不覚にも吸血鬼に精気を吸われてしまったことを隠すために彼から顔を背けた。
「正面に配置した衛兵どころか使徒の聖まで眠っていたとはな、ここにいる全員が神の意志を遂行するハライソの戦士としての自覚が足りないようだな」
朝日が差し込んでくる開け放たれた教会の入り口の前に姿を現した男は、前庭に累々と積み重なった昏倒した衛兵たちと屋内に倒れていた聖と真理亜の低落を糾弾して、教会の中に入ってくる。
「すみません天連さん、相手を見くびった慢心に足を掬われました」
「弁解している暇があるなら修練に勤しんで自分の未熟さを克服しろ。しかし聖、ウワバミに手酷くやられたようだな?」
「聖火の打ち合いでは圧倒できましたが、体格差を利用されて力任せに攻められました」
「体術を疎かにするなという理由がこれで分かったか、聖火の威力が強いだけで乗り切れるほど戦いは甘くない」
「…今回のことで深く反省しました」
朝日を背にして祭壇へと近寄ってくる男の顔は逆光ではっきりと見えなかったが、聖は長髪を靡かせてロングコートを羽織ったその影を一瞥しただけで相手の正体を察し、平身低頭で許しを請う。
肩に届く長髪にロングコートを着た男は痣だらけの聖の顔を見ても眉一本動かさず、聖火の出力を高めて遠距離からの戦闘技術を磨くことばかり専心している聖の驕りを咎めて反省を促した。聖火と剣気の打ち合いでは押していたのに、体つきのハンデがあったといっても肉弾戦では一方的に来栖に打ち込まれたことの悔しさを滲ませて、聖は長髪の男に自分の誤りを思い知らされたと侘びる。
「お久し振りですわ天連さん、予定よりも早い到着じゃないかしら?」
「代替わりしたばかりとはいえ相手は江戸の世から御門の地に鎮座していたウワバミだ。聖火の威力なら使徒の中でも指折りとはいえ、実戦経験の乏しい聖と衛兵だけでは不安だったから出発を早めてみれば案の定このざまだ」
「結果は見ての通りですわ、やはり貴方の到着を待って行動を起こすべきだったわね」
「他人事のように言っているが、今回の吸血鬼とウワバミの討伐が失敗した責任の一端は作戦を立案したあんたにもある」
真理亜は愛想よく長髪の男に話しかける。しかし長髪の男は相変わらずの無表情で数百年にわたって御門をウワバミの守ってきた相手に、実力はあっても使徒としての経験が不足している聖とただの戦闘訓練を積んだ人間でしかない衛兵では不十分だったことを指摘すると共に、真理亜自身の落ち度があったことを淡々とした口調で叱責した。
「まさか来栖さんが吸血鬼の増援を連れてくるとは思いませんでしたわ。人間であるにも関わらずあの化け物の手を借りるなどという冒涜的な考えを持つなんて、良識と敬虔な信仰のある私には思いつかなくてよ」
「自身の策に溺れたな安倍真理亜、吸血鬼を狩ろうとしたのだから吸血鬼の仲間がいる可能性も考慮しておくべきだ。だが貴様の至らなさお陰でいくつか分かったことがある」
「それは何ですの?」
真理亜は自分の詰めの甘さを責められて若干不服そうな顔をするが、天連と呼ぶ長髪の男が発見した事実の詳細を問う。
「ひとつはウワバミが我々の思っている以上に吸血鬼と親密な関係にあり、それも複数の吸血鬼と良好な関係を築いているということだ。そうでなければ吸血鬼の加勢を得られないだろうからな。ふたつめは待ち伏せをした時刻には陽が登り始めていたにも関わらず、教会に侵入してきた吸血鬼どもはそれに耐えられたということだ。これは奴らが人間社会に深く侵食している可能性が考えられるだろう。そしてこれらの事実から導き出されるのは、御門における吸血鬼の跳梁は本部の予測以上に深刻な状況にあり、早急に掃討作戦を遂行する必要があるということだ」
「使徒を総動員するような大掛かりな作戦をする必要があるってことですか?」
天連が提示した事実を整理して聖は、御門市は自分たちが考えている以上に吸血鬼の魔の手が及んでおりその状況を打開するために、ハライソは組織を挙げて御門の闇に跋扈する悪鬼を殲滅する必要があるのだと察する。
「その通りだ。奴らのねぐらを見つけ次第、そこに強行突入し片っ端から化け物どもを駆逐する。吸血鬼だけではない、奴らに協力する人間もまとめて粛清だ」
聖の推測に天連は頷き帰すと、初めて能面のように無表情だった顔を変化させる。紫水小路に潜入する算段がつけば、ウツセミも人間も分け隔てなくそこに住むものはみな始末するという恐ろしい考えを口にした天連の口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
第7回、対立する信念 了