表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うつせみ血風録  作者: 三畳紀
急ノ段
15/21

第14回、ままならぬウツセミ

 今回から最終第3部、急ノ段の幕開けです。

 来栖とその先祖たちが人間とウツセミの橋渡しをするウワバミとしての立場を失い、ウツセミたちの間では人間への敵意が増している状況で暗躍する平輔の狙いは何なのか、来栖は平輔の野望を如何にして打破するのかをお楽しみいただきたいと思います。


 ウツセミを自称する吸血鬼の支配する紫水小路において最大の敷地面積を持つ施設、酒蔵。ウツセミたちが血液の代わりに精気を摂取するものとして人間の遺骸を原料に製造されるチンタの醸造から流通までを請け負う酒蔵は、現在大勢のウツセミたちが詰め寄せて賑わっている。


 広大な敷地を誇る酒蔵に収容しきれないほどの人数が押し寄せてきたのは、教会を母体とした吸血鬼の駆逐を目的とする組織ハライソが街に侵攻してきたので、その戦禍を逃れるためだった。


 ハライソの攻撃によって少なくない数のウツセミや彼らに仕える人間が犠牲になったが、勇猛なウツセミたちの抗戦のおかげでどうにか侵入してきたハライソの軍勢を撃退することができた。


 そしてハライソの人間と交えた一戦の勝利を祝してチンタが無事にこの苦難を乗り越えたウツセミ全員に振舞われている。生き残ったウツセミたちはチンタの芳醇な味わいに舌鼓を打って渇きを癒しつつ、精気を補えたことによる酔いに任せて大いに騒いでいた。


「たくさんのひとが亡くなったのにこんなに浮かれていいのかしら……」


「紅子、大勢の犠牲者がいるからこそ生き残ったわしらは明るく前向きでいなければならんのじゃ。今を生きておるものがしみったれた顔をしていては、亡くなったものに対して申し訳がないからのう」


 ようやくのことで酒蔵に辿り着いた紅子は、チンタで酩酊した勢いに任せて馬鹿騒ぎをしている同胞の様子に眉を顰める。避難してきた花街の女性ウツセミから手渡されたチンタを啜りながら、朱美は決して同胞たちは能天気に浮かれている訳ではなく彼らなりに死者を悼んではいるのだと紅子を諭した。


「しかしうしおも太っ腹だな、一体どれだけの量のチンタの樽を開けたんだ?」


 チンタの注がれた茶碗を手にした忠将は周囲の狂乱に若干困惑した顔を浮かべる。


「潮の馬鹿が考えなしにチンタを振舞ったせいで、今後のチンタの値が鰻登りになることを考えると頭が痛いよ」


「そう思うなら少しは飲む量を控えたらどうじゃ茜?」


「朱美姐さん、被災した街の復興に物価の値上がり、それに伴う消費の低迷…これから取り組む問題が山積みになっていることを思うと飲まなきゃやってられませんよ」


 自分に無事な顔を見せに来ていた茜が珍しく泥酔して赤ら顔を浮かべていることを朱美は気遣うが、茜は朱美の言葉を聞き入れそうにない。


避難所になった酒蔵の切り盛りに奔走していた紫水小路での行われる商取引を取り仕切る『置屋』の女主人茜は、戦災を受けた街を復興するためにやらなければならない雑務の過酷さを思いやり、憂さ晴らしにジョッキに注がれたチンタを一気に呷る。


「あ、そういえば朱美姐さんあいつが戻っていたこと知ってます?」


「ひょっとして平輔のことか?」


「ええ。源司と潮の2人がかりで手に負えなかった使徒を、突然現れた平輔が1人で倒したそうです。10年前に自分を殺そうとした源司たちだけじゃなくて、結果的に私たちを助けてくれるなんてやっぱり平輔は凄い奴ですね」


「…ああ、そうじゃな」


 茜はかつて反逆者として街を追放されながら、自分を粛清した同胞の危機に駆けつけてその窮地を救った平輔に感心しているようだった。しかし朱美は平輔の帰還を快く思ってはいないらしく、浮かない顔で相槌を打つ。


「朱美姐さん、潮の奴がそこらじゅうに平輔がハライソの連中を一掃して戦いを終わらせたみたいに言いふらしているせいで、平輔を罪人どころか救世主と思い込んでいる奴もいるみたいですよ」


「なんじゃと!?」


「一族の方針で平輔の粛清が決まって指折りの手練ということで潮も追っ手に加わっていましたけど、それまで潮は平輔と意気投合していましたからね。潮が平輔の肩を持つのは不思議じゃないですし、実際平輔が加勢してくれなかったらもっと多くの犠牲者が出ていたかもしれませんから強ち救世主ってのは間違っていませんよね」


 茜は遠回しに平輔に潮が媚びていると非難しつつ、ハライソ最強の使徒、伴天連ばんてんれんを退けた平輔の働きは大いに評価できるものだという見解を示す。だが茜や一部のウツセミが平輔を救国の英雄扱いしている風潮を朱美や忠将、それに紅子といつきの霧島夫妻は受け入れかねた。


 約10年前、霧島一家の慎ましくも満ち足りた日常を破壊したのは紫水小路を追われて現世に逃げ延びた平輔だからだ。


追討の途中、源司に銀の刃で左腕を切り落とされて重傷を負った平輔は傷を癒すために紅子を襲い致死量の血液を摂取した。行方を晦ませた平輔の追跡中に平輔に噛まれて危篤に陥った紅子を発見した源司は、平輔を捕らえる手懸かりを掴むため紅子をウツセミに転化させて蘇生させることを決意し、霧島夫妻の長女、まことの前から攫っていった。


 紅子を失った悲しみを乗り越えて、彼女との再会を心待ちにしていた丹が運命のいたずらに弄ばれるように、御門みかどの闇に跋扈する血を貪る怪物ナレノハテとそれを駆るウワバミと呼ばれる存在である来栖、そしてウツセミと関わりを持つようになり、紆余曲折を経て紅子と再会を果たし、丹自身もウツセミに転化した。


 その後起こったいくつか事件を経て、斎と次女の葵もウツセミの存在を認知するようになり、人でなくなった紅子と丹の存在を受け容れるようになったが、ウツセミが家族にいるせいでハライソに疑念の目を向けられてしまう。そしてハライソの追求の手を逃れるために逃げ込んだ紫水小路で、霧島一家は皮肉にもハライソの侵攻に巻き込まれてしまったのだった。


 こうした背景もあって、一家が修羅場を経験した原因となる出来事を引き起こした平輔を紅子たちはどうしても信用できない。また一度袂を分かった平輔を再び仲間と認めるにはまだ時間がかかると朱美や忠将も考えているようだった。


「好物のチンタを飲んでいるのにそんな辛気臭い顔をしているなんて朱美姐さんらしくないですよ? ウツセミに生まれ変わったくせに、人間だった時の家族に未練たらたらの後ろ向きなそこの女に毒されちゃいましたか?」


「茜、チンタの飲み過ぎは体に毒じゃぞ? まあ酔っ払いに何を言ったところで無駄じゃろうがのう」


「分かってますよ、それじゃ失礼しまーす」


 へべれけに酔った茜は柄にもなく浮ついた声音で朱美の忠告に返事をすると、千鳥足で彼女の前から立ち去っていった。


「紅子、茜の言ったことをあまり気にするなよ。避難所の運営に独りで担わなければならんかったから、あやつも疲れておるんじゃ」


「茜さんの心労は分かっていますよ、政所様」


 茜の誹謗を受けながら、紅子は茜の気苦労にも配慮した朱美に気丈に微笑み返す。


「ところで姉さんはどこにいるのかしら?」


 姉の丹は先に避難しているはずだったが、未だに姿を見かけていないことを不安に思って紅子と斎の次女葵が周囲を見回す。


「そういえばまだ丹のことを見とらんのう」


「丹の性格を考えれば俺たちのことを探し回っていそうなものだが…どこで行き違いになっているのか?」


 朱美と斎も避難所となっている酒蔵で丹の姿を未だに目にしていないことを怪訝に感じる。


「見ろよ、あそこにうまそうな女がいるぜ?」


「バーカ、あれは女って言わねえよ。ガキっていうんだ」


 姿の見えない丹のことを一同が探し回っていると、転化して数年のウツセミの男2人が葵を物珍しそうな目で見つめる。男たちの粘着質な視線に葵は不快感だけでなく危険を覚えて思わず身を強張らせた。


「おいお前ら、そこの娘は俺たちが客としてここに招き入れたんだ。手を出したらただじゃおかないぞ?」


「冗談っすよ忠将さん。そっちの娘にも忠将さんが預かっている子にも指1本触れませんって」


 有力者の1人で花街の統括するマネージャーを務めている忠将に睨まれると、葵にちょっかいを出そうとしていた若いウツセミたちは一目散に逃げ出した。


「手酷くやられたハライソの連中がすぐに襲ってくる余力があるとは思えんし、紫水小路への進入路を確保した以上、紅子の家族に手を出す必要もないだろう。それに下手にここに長居すれば今みたいに葵を襲おうと奴も出てくるかもしれんし、そろそろ現世に戻ったらどうだ霧島さん?」


「それは俺も考えていた。紅子とまた離れ離れになるのは心苦しいが、いつまでも現世に戻らない訳にもいかない。あんたや紅子でここで勤めをしているように、俺も現世でやらなければならない仕事がある」


 ハライソに身柄を狙われる危険性が低下したので、忠将が現世への帰還を斎に勧めると斎もその意見に同意を示す。


「そうね。いい加減学校に行かないと後々面倒なことになりそーだし、アタシも帰らないとマズいかなぁって思っていたもの」


「…おねーちゃん、いなくなっちゃうの?」


 葵が現世へ帰還する意思を見せると、蘇芳すおうが自分の前から親しくなった彼女がいなくなることを寂しそうに葵の上着の裾を引っ張る。


「仕方ないでしょ、アタシはいつまでもここにいられないもの」


「イヤ、おねーちゃんもあたしと一緒にここにいて!」


「ワガママ言わないでよ蘇芳……」


 蘇芳が少々丈の長いスラックスに通した足にしがみついてくると、葵は困った顔で彼女に目を向ける。紫水小路にいる間、毎日ベビーシッターをしているうちに葵は蘇芳に妹のような感情を抱きつつあって、内心彼女と別れがたくなっていた。


「霧島さん、現世に帰る時に蘇芳も一緒に連れて行ってほしいんだが駄目か?」


「蘇芳ちゃんは随分葵に懐いたようだが、一時的に預かるのならともかく家族に迎え入れるとなると大事だぞ。ここで生まれ育ったということは蘇芳ちゃんには戸籍がないんじゃないか? 戸籍のないこの子を養子に迎えることは厳しいと思うぞ?」


「それはそうだが…だが前にも言った通り、あんたたちと同じで蘇芳もずっとここにいる訳にはいかないんだ」


 忠将が現世へ帰還する際に蘇芳も同行させてくれるように斎に頼むが、戸籍のない蘇芳の扱いは容易ではないと斎は難色を示す。しかし忠将は斎と葵と同じく、蘇芳も人間の暮らす現世へ出て行く必要があると主張した。


「忠将、あんたが厄介払いじゃなくて本当に蘇芳ちゃんのことを想って、俺に預けようとしていることは分かる。しかし、やはりこの問題はすぐに返事を出せることじゃ……」


「斎!?」


 斎は忠将の端正で若々しい顔を真正面から見返して、彼の蘇芳への想いを汲みつつやはり即決できる問題ではないと答えた。だが最後まで言い切る前に、斎の体はよろめいて紅子が慌てて彼のことを支えた。


「無事な所まで来たことで、張り詰めていた緊張の糸が切れたみたいだ。少し…休ませてくれ」


「使徒の攻撃を受けたんだ、あんただけじゃなく紅子も相当のダメージを負っているだろう。どこか横になる場所がないか訊いてくる」


「すまん、世話になる……」


「いいさ。これからあんたにはもっと面倒なことをしてもらうつもりだからな、この程度ならお安い御用だよ」


 忠将は蘇芳を霧島家の養子に迎えさせる意思に揺らぎがないことを力説すると、話を有利に進めていくための布石として斎たちが体を休められる場所を探しに出かけた。


「アタシと父さんもしかしたら蘇芳はここから帰るけど、姉さんはどうなるの?」


「本人次第じゃな。丹は現世で生活することもできればここにも居場所を持っておる、丹がどちらを選ぶのかはあやつが決めることじゃ」


「アタシは絶対姉さんを連れて帰るからね。まずは姉さんを見つけないと!」


「そうじゃな。紅子、斎そういうことでわしらは丹のことを捜してくるぞ」


「お願いします」


 葵はウツセミでありながら日光からの影響を受けづらい体質を持つ姉を現世に連れて行くことを力説すると、捜索を開始しようと意気込む。朱美が葵たちを連れて酒蔵の中を捜してみる旨を告げると、斎に肩を貸した紅子は長女の発見を朱美に託した。


「それでは行こうかのう。お主たち、危ないからわしからはぐれるなよ」


「うん!」


「自分と同じくらいに見えるアンタに仕切られるのは癪だけど、アンタにくっついていれば変なオトコに絡まれなくて済みそうだから言うことを聞いてあげるわ」


 朱美の号令に蘇芳は素直な返事を、葵は屈折した物言いで返事をして一同は行方の分からなくなった丹の探索に出発した。


* * *


 酒蔵を囲む外壁とチンタを醸造している蔵の狭間にある空き地。夜久野常時と名乗り、紫水小路を救った英雄と賞賛されつつある平輔との繋がりを仄めかしたウツセミとの激戦に勝利した後、力を使い果たして寝込んでしまった来栖を丹はその傍らに座って見守っていた。


「う……」


「クーくん!」


「ま、こと? そうか、常時とか言う奴を吹っ飛ばした後、気を失って……」


「無理しないで、急に起きなくていいよ」


「そうはいかねえ…ハライソの連中に攻撃された街がどうなったか確認しねえと」


 目を覚ました来栖の容態を丹は気遣うが、来栖はウツセミの天敵にして守護者であるウワバミとしての義務感から満身創痍の体を鞭打って強引に起き上がろうとする。


「あっ……!?」


「あのひとに連れられてきた時にもうボロボロだったのに、あのひとと戦ってまた怪我したんだよ。そんな体で出て行ったら大変なことになるわ!」


 しかし連戦で負った来栖の肉体的な損傷は限界を超えており、立ち上がっただけで再び転びそうになる。丹は咄嗟に来栖の体を脇から支えて、彼が前のめりに地面に突っ込むのを防いだ。


「丹、肩貸してくれよ。それでどうにか歩けそうだ」


「駄目よ、今クーくんはみんなの前に出て行っちゃいけない!」


「なんでだよ、ウワバミの俺が紫水小路を出歩いてなにかまずいのか?」


「…ウワバミが、要するにクーくんがウツセミを裏切ってハライソが紫水小路に入る手助けをしたって噂が街中に広がっているの。ハライソの攻撃でたくさんのウツセミが殺されてみんな気が立っているから、本当はクーくんが何も悪い事をしていなくても話を聞いてもらえないかもしれない。元気な時ならともかく、今みたいにフラフラの状態でみんなに見つかったらクーくんは殺されちゃうかもしれない」


 ハライソの攻撃による混乱の最中、ウツセミたちの間に流布した来栖が裏切ったという噂のせいで今来栖が表に出て行くのは非常に危険だと丹は説明する。丹から意外な話を聞かされて、来栖は愕然とした様子だった。


「…何を根拠に俺がハライソが侵入する手引きをしたって言うんだよ?」


「ハライソの人たちをわたしと朱美ちゃんが最初に見つけたのは政所の前だったの。朱美ちゃんの話だと政所の近くにある割札に合う朱印符を持っているのはクーくんたちウワバミなんだって」


「爺ちゃんの朱印符はそんな所に繋がっていたのか…爺ちゃんを殺したのがウツセミだって話が本当だとしても、俺らの信用を貶めたあいつらはやっぱり勘弁ならねぇ……」


 来栖は祖父を殺害しなくても、代々ウツセミとの間に保たれてきたウワバミへの信頼をぶち壊しにしたハライソへの怒りで唇を噛み締める。来栖が一族の誇りを傷つけられたことに腸が煮えくり返るような思いをしているのは、支えている彼の体が小刻みに震えていることを通して丹にも伝わってきた。


「クーくん……」


「あ、クーくんだ。やっぱり姉さんも一緒にいる」


「葵に朱美ちゃん、それと蘇芳ちゃんも」


「よかった、姿が見当たらんから心配したぞ丹」


 丹に支えられている来栖のことを葵が発見すると、葵と蘇芳を引き連れて朱美が丹たちの下にやってくる。丹がハライソによる混乱を切り抜けて健在でいることを実の妹である葵や親交の深い朱美だけでなく、蘇芳も喜んでいるようだった。


「みんなが無事でよかった、お父さんとお母さんも大丈夫?」


「ハライソの使徒に襲われたものの軽傷で済んでおる。今は表で休んどるところじゃ」


「そう、みんな生きているのね」


 丹は妹や友人だけでなく両親が無事でいることを心から嬉しく思って、満面の笑みを浮かべる。


「ところで丹、なぜウワバミの小僧がここにおるんじゃ?」


「えっと…クーくんは気を失った状態で夜久野常時っていうウツセミの人に連れられてそこの割札から紫水小路に入ってきたの。常時ってひとがわたしに襲い掛かってきた時にクーくんは目を覚まして、その後ボロボロの体で戦ってくれたわ」


「常時じゃと、あいつはわしが族長を源司に譲った頃にいなくなったはずじゃが……」


「本人もそう言っていて、だからわたしに見られたことを都合悪く思っていたみたい」


「よくあやつと戦って生き延びられたな?」


「クーくんが剣気でやっつけてくれたの。でも常時ってひとを倒した時の剣気の色は青白くなくて紫だった」


「紫色の剣気ということは小僧、お主『あい』を会得したんじゃな?」


「会得したというか、常時って奴が丹をナレノハテにすると言ったから絶対にそんなことさせねぇって思いで撥を使ったら剣気の色が変わっていたんです」


 朱美は二十年近く前にいなくなった常時の出現と来栖が剣気の出力を増幅し、その色も青白いものから紫へと変わったことを聞いて驚く。朱美からの問いかけに対して、来栖は無我夢中で剣気を発動させた結果そうなったと要領を得ない返事しかできなかった。


「そうか、とうとうお主たちの絆は合を発動できるまで強まったか」


「あの、朱美さん。合って紫色になって威力が増した剣気のことですよね?」


「そうじゃ。剣気を使うウワバミが大切な相手と互いに想い合うことで剣気の出力を格段に高める技、力を合わせることに因んで合と呼ぶ」


「力を合わせるの合ですか…爺ちゃんは神からの無償の愛を受けられないかわりに、特別な関係にある相手から重点的に注がれる愛と言ってましたけど」


護通もりみちのいうとることは間違っていない、合を発動させられる関係を述べればそういうことになるじゃろうな」


 愛情の愛ではなくて力を合わせる合と表記しても、相手との愛情関係がなければ合が発動できないことを朱美は認める。


「ほう、孫も護通と同じく合を使えるようになって、そいつで常時を本当に消滅させたのか」


 来栖自身もよく分かっていなかった常時を倒した技の解説を朱美がすると、その技を使った当人である来栖と丹はどこか他人事のような表情で顔を見合わせる。来栖と丹が狐につままれたような顔をしていると、来栖が合を使えるようになったことを突然姿を現した平輔が小耳に挟んで興味深そうな顔を浮かべた。


「平輔、何故お主がここに!?」


「それはこっちが訊きたいことだよ。どうして姐さんがこんなトコを子連れでうろついてるんだ?」


「子連れ!?」


 朱美が緊張感を孕んだ顔で質問すると、平輔は意外な顔そうに訊きかえす。平輔の危険度を知らない葵が子ども扱いされて憮然とした顔で反論するが、平輔は葵を歯牙にもかけず、彼の所業を知る来栖たちはその接近に警戒心を募らせた。


「平輔って、あの人が……」


「あんたが噂の丹ちゃんか、なるほどあの女によく似ている」


 丹は母親に瀕死の重傷を負わせ、ウツセミに転化させなければ生き延びられない状態まで追い込んだ仇敵である平輔に視線を向ける。平輔はかつてその血を貪った紅子の顔を思い返しながら、彼女の面影を丹に重ねる。


「丹、そこにある朱印符を使って小僧と妹たちを連れて現世へ逃げろ!」


 葵と蘇芳を奥にいる丹の方に手で押しやりながら、朱美は丹の数歩先に転がっている常時が紫水小路に来るのに使った朱印符で現世に逃亡するよう促す。朱美は両手を広げて丹たちを背に平輔の行く手を阻もうとする。


「朱美ちゃん!」


「わしの心配をする暇があるならはよ行け!」


 不吉な空気を漂わせる平輔を食い止めようとする朱美を丹は案じるが、朱美は丹たちが現世へと落ち延びることが何よりの救いだと叫んだ。


「葵、そこの朱印符を拾って!」


「わかった、行くよ蘇芳」


 丹は跪いていた大地から立ち上がり来栖の腕を自分の肩に通して体を支えながら、割札の下げられている木に向かっていく。丹に言われた通り朱印符を拾い上げた葵は、蘇芳の手を引いて姉の後に続いた。


「姐さん、俺はあの娘たちに手を出すつもりはないよ。用があるのは護通の孫だけさ」


「丹にとってあの小僧はかけがえのない存在じゃ。やはりお主をここから先に行かせる訳にはいかんのう」


「そうか、じゃあ強行突破するしかないな!」


 あくまでも朱美が自分の行く手を阻もうとしていることを理解した平輔は、実力行使で強引に先へと進もうとする。中背で源司や忠将と比べても若干小柄な平輔ではあったが、十代前半の少女の体型をしている朱美よりは体格で勝っている。朱美は体格で劣っている平輔をどうにか押し止めようと身構えた。


「無駄だよ、その体じゃどうやっても俺を止められない!」


「うっ……」


 猛スピードで前方に飛び出した平輔の進行方向に朱美は回り込んで足止めをしようとした。しかし平輔は右腕一本で前方に立ちはだかった朱美の左肩を掴むと、力任せに彼女のことを地面に押し付ける。


 その背に刻まれた銀の刃による傷、烙印の後遺症で全盛期と比べて体力的にも衰えた朱美は、平輔の膂力に抗うことが出来ず地面に押し倒されてしまう。あっけなく地面に潰されてしまった朱美の傍らをすり抜けて、平輔がようやく割札の下げてある木に辿り着いた丹たちに迫る。


「喝!」


 朱美のことを難なく突破して肉薄してきた平輔に来栖は撥の状態で剣気を放つ。常時との戦いを終えて心身ともに疲弊しきっており、威力が低い代わりに速射できる撥を撃つだけでも来栖は立ち眩みがした。


「ぐっ……!?」


 丹に支えられていなければ歩けないような状態で放った剣気は、来栖と丹の想いを重ねて合となり紫電が周囲に飛び交う。拡散した状態で放ったにも関わらず、通常の斂以上の出力を発揮した合を食らって平輔の足が止まった。


「葵、今のうちに朱印符を割札に合わせて!」


「こ、こう……!?」


 葵が右手に持った朱印符を左手で掴んだ割札にぎこちない手つきで合わせる。合のダメージに耐えて平輔は再び丹たちに接近しようとするが、一足遅く割札の周辺にいた4人は現世へと転移してしまった。


「今現世に向かわん方がいいぞ平輔、いくらお主でもお天道様の下では身動きできまい」


「ああ、昼の太陽の光はウツセミには眩しすぎる。あんな強烈な光の中で生活できるのは姐さんやあの娘みたいに烙印を刻んだウツセミだけだ」


 丹たちを取り逃がしてしまった平輔に今現世に出ていくのは強大な力を持つ彼でも自殺行為だと説くと、平輔は苦笑を浮かべてそれが懸命な判断だと認める。


「まあいいさ、今すぐ護通の孫に用がある訳じゃない。もう少し仕込みをした後で、あいつには役に立ってもらおう」


「仕込みじゃと…平輔、お主何を企んで紫水小路に舞い戻ってきた?」


「俺の望みが何か姐さんだって知っているだろう? ウワバミの作った枷からウツセミを解き放ち、真の自由を享受してもらうことだよ」


「平輔、お主まだそんな世迷言を……」


「世迷言なもんか。現にハライソの襲撃を経て、ウワバミと交わした締約のせいで紫水小路に縛られていることへの反感が高まっている。きっと俺の思いに共感してくれる奴は少なくないんじゃないかな?」


 平輔は来栖を逃してしまったこともさして気にしていない様子で、自分の描いた夢を実現させる詰めの作業を進めていく旨を朱美に告げる。


「常時から護通の孫を引き取りにきたんだが、それができなかったんじゃこんな狭くて暗いトコにい続ける意味はない。日の当たる場所に戻るとするかね」


「待て平輔、お主の好きにはさせんぞ!」


「さっきも言ったけどその体じゃ姐さんが俺を止めることはできないよ」


「くっ、じゃがお主を野放しにすることは……」


「頼むから俺の敵にはならないでくれ、姐さん。あんたが昔惚れてた護通の孫の肩を持つように、俺だって遠い昔あんたに惚れてウツセミになったんだ。目的のためとはいえ、出来るなら昔好きだった相手を殺したくない」


 踵を返して同胞たちのいる表に戻ろうとした平輔を再度朱美は行く手を阻もうとする。だが平輔は老衰した彼女に自分を止める力がないことを突きつけると同時に、かつて情を抱いていた相手を手にかけたくないと道を開けるよう懇願した。朱美は平輔の発言を聞くと黙り込んでしまい、簡単に彼に自分の脇を通らせてしまう。


「源司と戦い、護通をこの手で殺し、少なくない同胞を教会の連中に殺させたんだ。今更引き返すことなんかできないよ。望みを実現させるまで俺は立ち止まれはしない」


 平輔は後戻りができないところまで自分を追い込んでしまっている以上、宿願は是が非でも達成させなければならないと独白した。


* * *


「おう平輔、どこ行ってたんだ?」


「ちょっと酔いを醒ましにな。なあ潮、仲間たちへの挨拶を兼ねてちょっとここで演説してもいいか?」


「別に構わんぜ。紫水小路を教会の侵略から守ってくれた救世主の言葉ならみんなありがたがって聞くだろうよ」


 大勢の避難者が集まっている広場に戻ってきた平輔に、酒蔵の頭領潮が気さくに話しかける。平輔が街頭演説をする許可を求めてくると、潮は景気のいい返事をする。


「なあみんな、ちょっと俺の話を聞いてくれないか?」


 平輔が瓶詰めのチンタを発送するのに使う木箱の上に乗って、周辺の避難民たちに呼びかけると視線が彼に集中した。


「平輔の奴、何を話す気だ?」


「さあね……」


 忠将が平輔がこれから話す内容を不安な顔で気にかけるのとは対照的に、自らの失態に不運が重なったことでハライソの残党を逃してしまった源司は気のない返事をする。


「まず初めに、ハライソという教会の過激派による大勢の犠牲者の冥福を祈らせてもらいたい」


 平輔がハライソの襲撃による犠牲者を悼むと多くの聴衆が黙祷を捧げた。


「前例のない災厄を街にもたらしたハライソの人間たちを俺は許せないが、奴らも個人的な恨みで攻め込んできた訳じゃない。教会がウツセミを始めとする吸血鬼の存在を認めない教義を掲げているから奴らはそれに従っただけだ」


 平輔は意外にも同胞を虐殺したハライソの兵士たちにも寛容な姿勢を見せる。だが忠将は何処かで話が急展開しそうな予感を覚えずにはいられなかった。


「ハライソの連中は元締めである教会が吸血鬼の存在を認めない限り吸血鬼を倒さなければならず、大勢の吸血鬼が暮らしている紫水小路も制圧しなければならない。だが俺はここで一つ疑問を抱いた、そもそもどうして紫水小路にはこんなに大勢の吸血鬼がいるんだ?」


「そりゃあここが俺たちにとって住みやすい場所だからだろう。ここなら強烈な昼の日差しに曝される心配はねぇからな」


 平輔が投げかけた分かりきった質問に対して、潮は暗黙の了解となっている事実を述べて答える。平輔の演説を傾聴している多くのウツセミも同感のようで、平輔に胡乱な目を向けていた。


「本当にここが住みよい場所だと思っているのか?」


「…当たり前だろ。日差しが弱いことに加えてここは洞窟みたいに狭くねえから、人間だった時と大差ない生活ができるし」


「けれどここに閉じ籠っていると自由に人間を捕まえられないぜ? 人間が紫水小路に迷い込むのを待たなきゃならんから、みんなが人間の生き血にありつける訳じゃない。血をくれる人間も固定されてしまう。現世で狩りをするのと比べて随分貧相な食生活を送らなければならないんだぜ?」


「…確かにウツセミ全員に行き渡るだけの人間は街にいねぇけどよ、だからチンタが必要なんじゃねえか。酒蔵のチンタが生き血の代わりに同胞たちの渇きを癒しているだろう?」


「いちいち死体を加工してチンタを作るのは面倒じゃねぇか? 住環境として紫水小路がウツセミに適していることは認めるとして、それなら現世に出向いて人間を捕まえてここに連れ込んじまえばいい。一度血を吸っちまえばウツセミとの縁が出来てしまって、人間は現世に戻りにくくなるから逃げられる心配もない。捕まえてきた人間が駄目になったらまた別の奴を連れてくればいい」


 当初人間に対して寛容な態度を見せていた平輔だったが、次第に餌として人間を見ているような発言をするようになる。だがウツセミが自由に紫水小路と現世を行き来できるようになればチンタを作る手間が省け、ウツセミ全員が充分な量の精気を確保できるようになると訴えると次第に潮や聴衆たちがその意見に引き寄せられていく。


「待ちなよ平輔。現世で積極的に人間を狩ってみんなが精気を自給自足出来るようになるのは悪い考えじゃないように聞こえるけど、チンタの流通がなくなればこの街の経済が回りにくくなっちまうよ。おまけに現世に頻繁に出入りしていれば、教会の殺し屋にやられる同胞も増えてしまうかもしれないじゃないか?」


 しかし置屋の女主人茜は経済的な観点に加え、同胞の生存率にも問題が発生すると平輔の提案に異を唱える。


「俺たちが人間の真似事をして商売だの取引をしているのは、そうしなければ同胞たちに充分な精気が行き渡らないからだろう? 現世に出て精気の摂取が出来ればわざわざ人間の真似を続ける必要はない」


「…同胞の安全はどうなるのさ。みんながあんたみたいに腕が立つ訳じゃないんだよ。人間と同じで若い女はか弱いんだから、男に守ってもらう必要があるんだよ」


「その代わり女には色気っていう心を惑わす武器があるだろう? そいつを上手く使えば気の利かない男に守ってもらわなくても充分やっていけるんじゃねぇか?」


「…男のあんたが思っているほど女は単純じゃないんだよ」


「その複雑さが男が真似できない強かさになるんだろう? おまけに女も自立しろって口癖にしていたのは誰だい?」


「…今だって男に靡いてばかりの女は嫌いさ。これ以上言っても堂々巡りだろうし、あんたに付き合うのはうんざりだよ」


 茜は得意の舌戦で平輔に言いくるめられてしまい、そっぽを向いて平輔の前から離れていく。


「話が少し脱線しちまったが、とにかくウツセミが不自由な紫水小路に籠もり続ける意味はないってことを俺はみんなに知ってもらいたい。窮屈な街を飛び出して、広い現世で自分が思う通りの生き方をしてみたいとは思わないか?」


「平輔さん、それでは数百年間続いてきた人間とウツセミの調和が崩れてしまう。生態系と同じで適度にバランスを取ることこそ、ウツセミが幸せになる方法じゃないのか?」


 平輔は同胞に現世への進出を呼びかける形で話を纏めようとすると、即座に代永氏族の族長源司が反論してきた。


「源司、お前はすっかり捕食者としての牙を抜かれちまってるな。そんな飼い犬みたいなお前が、野生の中で多くの群れを率いることはできねえよ。だから不必要に犠牲者が出ちまったんだ」


「そうだ、お前はウワバミのご機嫌ばかりとろうとしている。仲間のことを一番に考えない奴に族長をやる資格はねえ!」


 平輔が源司の消極的な姿勢を非難すると、潮がその後に言葉を付け加えた。


「オレだって同胞のことを第一に考えている、だから無駄な争いを避けようとウワバミと協調する道を選んだんだ!」


「じゃああなたの選んだ道は間違っていたんですよ。あなたが信用していたウワバミが僕たちを裏切って教会に寝返ったから、街がこんな事態に陥ってしまったんですよ」


 源司はウツセミのためを思ってウワバミの来栖一族と懇意にしてきたと言い返すが、その選択の結果ウワバミが裏切ったことでウツセミに大きな被害が出たのだと源司の落ち度を少年の姿をした富士見氏族のウツセミ悠久が糾弾した。


「…まだウワバミが裏切ったと決まった訳ではない」


「仮にウワバミが裏切っていないとしても、人間に朱印符を持ち歩かせたことは間違いなく失敗ですよ。おまけに侵入に使われた朱印符も回収していないんですから、また街に戦火が及ぶかもしれません。少なくとも奪われたままの朱印符の回収のため、現世に出て行く必要はあります」


 源司はウワバミに預けていた朱印符がハライソの軍勢の侵入経路に繋がっているとしてもウワバミが完全にウツセミを裏切った証拠にはならないと反論するが、彼よりも年少者であるにも関わらず悠久は冷徹に源司の失態を責めつつ現世へ赴く必要性を述べる。


「悠久の言う通りだ、てめえが取り逃がしたハライソの生き残りをぶっ殺さないと落ち着かねえぜ!」


「そうだ、今こそ人間どもに俺たちの恐ろしさを思い知らせてやろうぜ!」


「仲間のやられた仕返しをしなくちゃ気が収まらねぇ!」


 悠久の発言に大きく頷き返した潮が現世に出て行って人間への報復を唱えると、血気盛んな男たちが次々にそれに同調していく。


「お前ら、ウワバミと結んだ相互不可侵の約束を破る気か?」


「向こうが俺たちを裏切ったかもしれねえのに、そんなもんに馬鹿正直に付き合う必要はねえ! もう俺たちにはウワバミなんてモン必要ねえんだ!」


「そうだ、ウツセミが自衛出来ることは今回充分に証明された!」


「これからウツセミはウツセミのやり方でやっていくべきだ、もうウワバミなんて人間の顔色を覗う意味はない!」


 一時的な怒りに身を委ねようとする同胞たちを源司は宥めようとするが、人間への報復攻撃という意見に熱狂したものたちはそれに従おうとしない。


「みんな、現世に行って自由を勝ち取ろうぜ!」


「おう!」


 平輔が一段高くなったチンタの空き箱から煽ると、彼の意見に共感した一部のウツセミたちがそれに応える。その数は潮や悠久を含めて10人余りだったが、源司はほんの一部でも族長である自分の力が及ばなくなったウツセミが現れたことに脅威を抱いた。


* * *


 御門市内にある総合病院の一室、2脚置かれたベッドの双方に男が1人ずつ横になっている。紫水小路に潜入した使徒の生き残り、伴天連と天野聖の2人である。


「お2人とも具合はどうかしら?」


「聖は眠っている、あまり大きな声を出すな」


 ハライソの構成員をしている女子高生、安倍真理亜が入室してくると、天連は眠っている聖を起こさないよう彼女を注意した。


「すみません。しかし全身を打撲や複雑骨折しながら、聖さんはよく生きていたものですわ」


「神のご加護があったからだろう」


「お2人と生きて再会できたことには感謝しておりますが、化け物どもを根絶やしにする時には力を貸してくださらなかった主の御心が分かりませんわ……」


「主が何を思われているかなど我々に理解できるはずもない。ところで紫水小路の制圧失敗に関して上層部に動きはあったか?」


 何故戦闘時にも神の加護を受けられなかったのかと真理亜が嘆息すると、天連は崇高な存在である神の意志は人間に諮りかねるものだと諭す。上体を起こした天連は真理亜に自分たちが任務を失敗してからその後組織の対応に変化があったかと訊ねる。


「特にお達しはございませんでしたわ。作戦のために派遣した衛兵隊は全滅、使徒も2人が討ち死にして1人は意識不明の重態、予想外の被害報告に上の方々も動揺を隠し切れないようですわ」


「短絡的に二回目の派兵に動かなかっただけマシだな。紫水小路を陥落させるのは単純に数で押せばどうにかなるほど容易ではない。特に俺を倒し、聖を一蹴した平輔とかいう吸血鬼は何人でかかっても仕留められないだろう……」


「天連さんの聖火が全く通用しなかったなんて信じられませんわ。それが事実なら、その平輔というのはとんでもない怪物ですわね」


「…とんでもない奴だよ、俺たちが相手にしているものが人智を超えた化け物だということをよく思い知らせてくれた」


 真理亜が半信半疑という顔で口にした発言に対し、天連は聖だけでなく自分も圧倒した平輔の実力を認め、自分たちが戦っているものが恐ろしい悪魔であるということを改めて認識させられた。


「ですが相手がとてつもない力を秘めた化け物だとしても、組織の理念を実現するには避けては通れない相手ですわ。なんとしてもそいつを仕留めて、紫水小路を制圧しないと私たち御門の住民は枕を高くして眠れませんわ」


「そうだ、奴を倒さない限り我らの理想は達成されない。だからこんなところでいつまでも寝ている暇はないのだ」


 真理亜の言葉に天連は相槌を打つと、掛け布団を跳ね除けてベッドから床に降り立つ。


「天連さん、無茶はなさらないでください」


「今無理をしなければ後々取り返しのつかないことになるかもしれん。吸血鬼どもが体勢を立て直す前に紫水小路を攻め落とす準備を進めておかなければならん、そのためには一刻も早く平輔を討つ」


「ですけど侵攻作戦の失敗で御門に割り振られた兵力は残っておりませんのよ? 天連さんだって本調子ではないのにどうやってそんな化け物を倒すのですか?」


「ウワバミの力を借りる」


 聖よりは軽傷であったが、自身も肋骨が折れているのに天連は真っ直ぐに背筋を伸ばして立ち上がると速やかに平輔を討伐する必要を説く。だが使徒どころか衛兵の補助すら受けられない状況で、使徒2人を容易に退けた相手と1人で戦うことは無謀でしかない。真理亜が天連に戦力が整うまで思い留まらせようとすると、彼は意外な人物に協力を求める旨を告げた。


「ウワバミの来栖さんの手を借りるですって? あの方は内通していた吸血鬼に連れ去られたのよ、そんな人が身柄を拘束していた私たちに手を貸すはずがないじゃない」


「自白剤で口を割らされたとはいえ、奴は我々の侵攻に手を貸したも同然だ。仲間を窮地に追いやった奴を吸血鬼どもが信用するはずがない。ウワバミが運よく吸血鬼の手から逃れていれば、こちらに抱き込める可能性はある」


「そうかもしれませんけど、それなら既に化け物に殺されている可能性の方が高いのではなくて?」


「あくまでも可能性の話だ。しかし俺の聖火と互角に撃ち合えた奴がいれば、平輔を倒す望みも見えてくるかもしれん。一応奴の所在を捜してみてくれ」


「…来栖さんが生きて現世にいる可能性も、私たちに協力してくれる期待も、手を借りれたとしてそのとんでもない化け物を倒せるという確率もどれも奇跡を祈るようなものですわね。しかし天連さんの頼みとあっては無碍に断る訳にはいきません、薄望みだとは思いますが捜索してみますわ」


「頼む」


「畏まりました、後で病院に迎えの者を寄越しますわ」


 天連は真理亜に軽く頭を垂れて来栖の捜索を依頼する。天連に頭を下げられたことに真理亜は軽い驚きを覚えたが、優雅に会釈し返すと病室を後にした。


 天連たちの入院している病院を離れた真理亜は帰宅の途中リムジンの後部座席で、彼女が手配した来栖の携帯電話に仕込んだGPS情報を調べてみることにする。


「期待するだけ無駄だとは思いますが、一応やるだけはやってみますわ」


 リムジンに積み込んだ高い演算処理能力を持つ端末を操作して真理亜が来栖の携帯電話から発せられる位置情報を検索すると、意外と近くに反応があった。


「この地点にあるのは丸和町の赤城医院…紗英子さんのご実家ですわね」


 液晶画面に表示された地図と監視衛星から送られてくる現地の映像に目を通しながら、真理亜は来栖の携帯電話からの発信があった地点が彼女の親戚で来栖たちの通うくいな橋高校の保険医を勤めている女性の実家である病院だと知る。


「そういえば紗英子さんの亡くなった叔父様、現在院長をされている紗英子さんのお爺様の次男は来栖さんの生物学的な父親でしたわね。籍は入れていなくても、息子の忘れ形見を庇う可能性は充分考えられますわ」


 真理亜は赤城医院の院長と来栖に血縁的な繋がりがあることから、そこに来栖が潜伏している可能性も否定できないと口の端を吊り上げる。


「生きているのならばきっちり人間のために働いてもらいますわよ、来栖さん」


 真理亜は今度こそ人間のため、ひいてはハライソの目指す理想郷を創設するために来栖を動かしてみせると意気込んだ。



第14回、ままならぬウツセミ 了


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ