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うつせみ血風録  作者: 三畳紀
破ノ段
13/21

第12回、煉獄の様相

 ハライソの襲撃によって戦渦に巻き込まれた紫水小路。そこに住むウツセミや人間たちの避難所とされた血液の代用品チンタを醸造する施設『酒蔵』の内部は、逃げ込んできたものたちで非常に混み合っていた。


 広大な敷地を持つ酒蔵の内部に溢れかえった人の中をまことは家族の姿を捜して歩き回る。しかし酒蔵の隅々まで見回しても彼女の家族は1人も見つけられなかった。


「みんなここに来ていない、もしかしてハライソの人に……」


 家族の姿が見当たらず、ハライソの攻撃で彼らが亡くなってしまったかもしれないという不安が丹の胸に込み上げる。ウツセミに転化した時は紆余曲折を経て家族との暮らしを取り戻すことができた丹だったが、今度こそ独りぼっちなってしまったかもしれないと思うと物寂しさを感じて寒気がした。


「ちょっとネンネちゃん、ぼさっとしてんじゃないよ」


だが突然凛とした声に一喝されると、丹の沈みかけた気持ちに張りが出てくる。丹が振り向いた先には典雅なドレスを纏い艶やかな髪を結い上げて、夜会にでも赴くような出で立ちをした勝気そうな美人が厳しい顔つきを浮かべて立っていた。


「…茜さん、お久し振りです」


「あんた一応政所の職員だろ? 遊んでないで誰が無事にここまで逃げてきたかを確認しなさいよ」


 紫水小路で人間を含めたあらゆる商取引を仕切る部署『置屋』の女主人茜に丹は会釈をして挨拶をする。茜は愛想笑いすらせずに、紫水小路の住民生活にまつわる庶務を担当する組織に属しているのだから、その役割を果たすようにと丹に命じた。


「で、でも……」


「言い訳なんか聞かないよ。どんなひとがどのくらいが生き残っているかによって今後の対応が変わってくるんだからね、それを正確に把握しとかなくちゃ復旧計画の立てようがないのさ。どうせ混乱が収まったら現世に逃げ帰るんだろうから、せめて紫水小路にいる間だけでも仲間のために働きなさいよ」


 家族の安否が気にかかっている状況で他人のことに気を使う余裕などないと丹は茜の命令を拒否しようとする。だが茜は有無を言わさぬ強い態度で、この非常時だからこそ勤めを果たさなければならないのだと尻込みする丹を叱責した。


「…分かりました。でもどんな風に確認していけばいいでしょうか?」


「とりあえず名前と所属している組織の確認くらいでいいんじゃないかな? その2つが分かっていれば後で戸籍との照会も簡単になるだろうし」


 茜の言葉通り、吸血鬼としての身体的な特性を持たない代わりに日光からの影響もあまり受けない丹は紫水小路での暮らしに拘る必要はない。しかし陽光を苦手とする他のウツセミたちはこの街を容易に離れることは出来ず、ここで生活を続けなければならない。


 身内の心配ばかりしていたが、ウツセミの仲間たちのことを全く考えていないことを反省して丹は茜に言いつけられた仕事を引き受けることにする。だが避難してきた人の確認をしろと言われても、どんなことを訊けばよいのか経験のない丹には分からない。


 丹が嫌味を言われる覚悟で質問した茜よりも先に、感じのいい少年の声が彼女の質問に答える。


「あんた、富士見のお嬢様の小姓をしている悠久はるひさと言ったね。見た目は同じくらいの子どものくせにネンネちゃんよりは道理が分かっているじゃないか?」


「茜さん、僕だって伊達に何年もウツセミをやっていませんよ。そうだ、丹の聞き込みの手伝いをさせてもらってもいいですか?」


 富士見氏族に属する十代半ばの中性的な少年の姿をしたウツセミ悠久が会話に割り込んできても、丹よりも物分りのいい彼のことを茜は邪険には扱わなかった。悠久は茜が自分に悪い印象を抱いていないことを確かめると、丹の生存者を確認する作業に自分を協力させて欲しいと頼む。


「構わないよ、むしろあんたがネンネちゃんをリードしてくれ」


「ありがとうございます。それじゃ丹、早速始めようか」


「うん、よろしくね悠久くん」


 快く茜の承認を受けられると悠久に丹は彼が協力くれることに礼を述べた。酒蔵の敷地に残っている酒蔵の職員から筆記用具を借りると、丹と悠久は手分けをして避難者に身元を聞いて回ることにする。


「お気の毒だったね丹。まさかウワバミが僕らを裏切って教会の殺し屋に寝返ったなんてね。ウツセミの天敵にして守護者だった彼の裏切りに大勢の仲間たちはショックを受けたけど、君に至っては彼に血を飲ませてもらっていたんだからそれ以上に堪えたんじゃないかな?」


「…まだクーくんがわたしたちを裏切ったと決まった訳じゃないわ」


 聞き込みを始める前、悠久は懇意にしていたウワバミの来栖に裏切られた丹を労わりの言葉を贈る。しかしウワバミに預けていた朱印符で紫水小路への道が開かれる地点からハライソの軍勢が侵入してきたことを目撃しても、丹は来栖がウツセミと裏切ってハライソと手を結んだという流言を信じる気にはなれなかった。


 丹は自分に気を使ってはくれても、来栖を非難した悠久の顔をつい睨んでしまう。


「ウワバミの叛意が断定された訳ではないけど、教会の連中が紫水小路に侵入してきた経路を考えるとその可能性は高いよ。仮に彼が教会の刺客にやられて朱印符を奪われただけでも、街に混乱を招いた彼を守護者とは誰も認めなくなるだろうね。どっちにしてもウツセミとウワバミの間にあった締約はもう破談しても同然さ」


「…ウワバミのクーくんがいなくなったら、誰がウツセミの世界と人間の世界の均衡を保ってくれるの?」


「人間たちが街で同胞を虐殺したんだから、数百年続いた僕らと人間の均衡は完全に崩れた。人間と仲良くしようなんて考えはもう流行らないんじゃないかな?」


「そんな…じゃあわたしたちはどうなるの?」


「新しいウツセミの世界が始まるだけさ。人間との力関係なんて気にせず、ウツセミがのびのびと暮らせる自由な世界になるんじゃないかな?」


「人間のことを気にしないで、ウツセミが好き勝手にやることが本当にいいことなのかな?」


「何をそんなに心配するの? 確かに今街は悲惨な状態になっているけれど、ウツセミにとって輝かしい未来が始まる前のちょっとした試練だと思おうよ。相手の力量を正確に測れないで無謀にも攻め込んできた人間たちはもうじきみんな倒されるんだしさ」


 悠久は数百年間続いたウワバミとの協定がなくなり、人間の社会とのバランスなど一切無視してウツセミが望むように生きられる世界がもうじきやってくると明るい顔で話し続ける。


 丹は人間との共存を辞めることが本当にウツセミにとってよいことなのかと疑問を抱くが、悠久はハライソの兵士によって大勢の同胞が殺されたにも関わらず、それは新しい時代が始まる前に必要な犠牲だというように明るい展望を抱いていた。


「悠久くん、どうして攻撃してきたハライソを追い払えると言い切れるの? まだ街の中では大勢の仲間が戦っているんだよ?」


「決まっているだろ、ウツセミが人間に負けるはずがないって信じているからさ。街で戦っているのは源司さんや忠将さんみたいな力のあるひとなんだから、あんまり心配するのは逆に失礼だよ?」


 まだ戦闘が続いているのにどうして悠久が楽観的な未来を想像できるのかと丹は不思議に思うが、悠久は言葉巧みに丹を言い含める。


「…そうだね、きっと大丈夫だよね」


「勿論さ、僕らは人間よりもずっと優れた存在なんだから」


 同胞たちの力に全幅の信頼を寄せている悠久の言葉に丹は頷き返すが、その後悠久が口にした人間を軽蔑した発言を丹は少々不快に感じずにはいられなかった。


* * *


 ハライソの使徒の1人、神尾は人気のなくなった街中で獲物を探して歩き回る。彼が追跡しているのは女の吸血鬼とその怪物に心を奪われた哀れな人間の2人組だった。既に標的を神尾は聖火や打撃で痛めつけており、相手に淡い希望を抱かせた後、己の罪を悔やみながら絶望の淵へと突き落とすためにわざと泳がせていた。


「足音近いですね…そろそろお開きにさせてもらいますか」


 神尾は両手に掴んだ刃に銀をコーティングしたナイフの柄を握り締めると、獲物の気配を感じた方に疾駆する。神尾の接近に気付いた2人組は角を曲がって狭い路地に逃げ込もうとするのを、神尾は見逃すつもりはなかった。


「エイメン!」


 神尾が聖火を発動させて1匹の吸血鬼と1人の中年の男に叩きつけると、両者は悲鳴をあげて地面に倒れこんだ。苦しげな獲物たちの絶叫を聞き、神尾の嗜虐的が刺激されて彼は心地よい興奮を覚える。


「さあ懺悔の時間ですよ。吸血鬼の妻と人間の夫、どちらを先に楽にしましょうか?」


「…貴様、本当に教会の人間なのか?」


 生き血を啜る化け物を妻と呼んだ愚かな男は聖火で受けたダメージに表情を歪めながら上体を起こすと、体を丸めて聖火の痛みにのたうち回る吸血鬼を自分の背に庇いながら生意気な発言をしてくる。


 救いがたい愚かさを露呈したその中年男性、丹の実父であるいつきの顎を神尾は能面のような顔をして靴の爪先で蹴りつけた。


「ええ、私はあなたのような愚物を断罪し、主が望まれた理想郷を地上に創造する任務を遂行するため存在です」


 顎を蹴られた拍子に唇を切った斎を冷たい目で見下しながら、神尾は自分が神の意向を代行する特別な人間だと自負する。


「…あなたたちのやっていることはただの虐殺行為よ。その罪から逃れるために神様の名前を使わないでちょうだい」


 斎の後ろで聖火に焼かれた苦痛に歯を食い縛りながら斎の妻でウツセミの紅子は、神尾たちハライソの兵士は残虐な振る舞いを正当化するために神の名を騙っているだけだと糾弾する。


「人の血を吸って命を繋ぐ穢れた存在が神を口にするとは聞き捨てなりませんね。いいでしょう、まずは貴様の奴隷を血祭りにあげて精神的に痛めつけてあげますよ」


 神尾は吸血鬼の紅子をより苦しめるために、彼女に精気を提供している斎を拷問することを宣言する。神尾はナイフの切っ先を斎の体に向けて、残忍な笑みを浮かべて薄い唇を舌なめずりした。


「や、やめて……」


「いいですねぇその顔、見ていてぞくぞくしますよ。この男の耳や鼻を削ぎ落とせば、もっといい顔を見せてくれるんでしょうね?」


 斎の命乞いをする紅子の顔に満悦すると、神尾は見せしめに斎の左耳を切り落とそうとしてナイフを振り上げた。斎は神尾の凶刃から逃れようとするが、聖火を撃たれて全身の筋肉が麻痺してほとんど身動きできない。


 だが神尾が斎にナイフを振り下ろそうとした瞬間、神尾の横顔を狙って拳大の石が飛んでくる。背中を逸らして不意打ちを回避した神尾だったが、次々と最初の石と同じくらいの大きさの石が飛来するとやむを得ずその場を飛び退いて斎たちから離れる。


「いつの時代にも女を泣かして喜ぶ下種な男はいるもんじゃな?」


「なんですかあなたは、ここは子どもが来るような場所じゃありませんよお嬢さん?」


「黙れ、生まれて数十年しか経っとらんような小僧がわしを子ども扱いするでない」


 投石が止むと神尾は石が飛んできた方向に向き直る。彼の視線の先で、振袖姿の中学生くらいの少女がゆっくりとした足取りでこちらに近づいていていた。


「政所様…どうしてこちらに?」


「丹の妹と忠将が世話をしておる娘を捜しておったんじゃが、まさか丹の親を先に見つけるとは思わんかったわい」


 紅子が夫の窮地を救ってくれた振袖を纏った少女に恭しい態度をとると、少女は尊大な口調でその質問に応じ、意外な人物たちを発見したことに苦笑する。


「話を聞いているとあなたも吸血鬼のようですね、しかも見た目の割りにこちらの女性よりも長生きされているようだ」


「隠居したわしがでしゃばり過ぎるのは問題じゃと思うが、これ以上お主らの狼藉を見逃す訳にはいかん。成敗させてもらうぞ、教会の戦士」


 代永氏族の先代族長で現在紫水小路にいるウツセミの中で最長老の朱美あけみは、少女の姿に不釣合いな貫禄を発してハライソの乱行を断罪する旨を宣言する。


「もしあなたが私を倒すとすればそれはさぞ見物でしょうね。しかし現実は時代劇のように勧善懲悪ではありませんよ?」


 神尾は朱美に対して戦闘態勢を取りながら、手首のスナップを利かせて左手のナイフを斎に向かって投擲する。斎は迫り来るナイフを避けられないことを悟り、硬く目を瞑ってその衝撃に耐えようとする。


 しかし甲高い金属音が鳴り響いた直後、地面に何かが落ちる音が斎の傍で聞こえる。うっすらと目を開けて様子を覗うと、斎が倒れている場所から少し離れた位置にナイフが突き刺さっていた。


「ちっ」


神尾の意図を読んでいた朱美が石を投げて斎に迫ったナイフを打ち落とすと、神尾は狙い通りにならずに舌打ちをする。

 

「阿呆め、お主のような奴の考えが見抜けずに何百年も生きれると思うか?」


「ならば私が無駄にその長い一生を終わらせてあげますよ!」


 神尾は全身を青白く発光させて聖火を発し、朱美に肉薄していく。朱美は右の掌に蝕を円盤状に具現化させて聖火の一撃を防ぐが、その時には神尾は彼女の目と鼻の先まで接近していた。


「しゃああっ!」


 神尾は右手のナイフを鋭く振るって朱美の体を切り刻もうとする。朱美は神尾のナイフを避け続けるが、蹴りや左の拳を交えて繰り出される神尾の多彩な攻撃に反撃の隙を見つけられず防戦一方だった。


「エイメン!」


「むう……」


 首筋を狙った神尾の横薙ぎの一太刀を朱美はぎりぎりのところでかわすが、背中を反らして不安定な体勢になった隙に神尾は聖火を彼女に打ち込もうとする。間一髪で右の掌に蝕を具現化させた朱美は聖火を受け流すことに成功するが、神尾はナイフを握っていない左腕で正面に突き出された朱美の腕を掴んだ。


「はぁっ!」


「がっ……」


 朱美の腕を取って体の自由を奪った神尾は、彼女の体を自分に引き寄せた勢いを利用して右の膝蹴りを彼女の腹部に叩き込む。細身の男の繰り出した蹴りとは思えない重い一撃に、朱美は息を詰まらせた。


「はぁぁっ!」


 神尾は上体をくの字に折った朱美の腕を強引に外側に振って、彼女の体を板塀に叩きつける。背中から板塀にぶつかった朱美の体は老朽化した板塀を打ち壊し、細かな木片が彼女に降り注いだ。


「政所様!」


 劣勢だった朱美が神尾に打ち込まれたことよりも、姿だけとはいえ少女の朱美が男に暴虐な扱いをされているのを見て紅子はいたたまれずに悲鳴をあげる。


「どうしました、私を成敗するんじゃないんですか?」


「…気に入っていた着物が台無しじゃ、やってくれたな小僧」


 崩れ落ちた板塀の前に蹲る朱美を睥睨して神尾は彼女を挑発すると、朱美は苛立ちを抑えきれない声で返事をする。神尾は負け惜しみを言った朱美の声のトーンが先ほどよりも低くなっているような気がした。声音だけでなく板塀に突っ込む前よりも若干手足が伸びているような錯覚も覚える。


「…これ以上あなたに構っている暇はありません、とどめを刺させてもらいますよ」


「それはこっちの台詞じゃ……」


 板塀に衝突した後、雰囲気が大人びたように感じる朱美の存在に薄気味悪さを覚えた神尾は、彼女の始末をつけようとナイフを構えて心臓に突き立てようとする。だが神尾がナイフを突き出すよりも早く、彼の背後で官能的な響きの声が聞こえてきた。


「ぐぅっ……!?」


「お主が不用意に2回も聖火を使ってくれたお陰で、慢性的な精気の枯渇を幾分補えたこと感謝するぞ。病的な見かけの割にお主の精気はなかなか美味じゃった、心行くまでその味を堪能させてもらうぞ?」


 神尾は背中から心臓を鷲摑みにされているような痛みを覚えて背後に顔を向けると、身の丈には小さな振袖の襟元を肌蹴て羽織っている髪を古風に結った美女がそこにいた。


 美女の微笑みは背筋に電流が走りそうなほど艶かしかったが、神尾は官能的な快感を覚えて彼女に欲情できるほど気力が残っていなかった。


「さらばじゃ教会の兵士、わしらの本所で安らかに眠るがいい」


「が、はっ……」


 美女が神尾の背中に押し当てていた右手を離すと、彼は糸の切れた人形のようにうつ伏せで地面に横たわる。神尾の精気を吸い尽くした美女は僅かな憐れみの目で彼の亡骸を一瞥すると、紅子と斎に歩み寄っていった。


「助けていただいてありがとうございます、でもあなたは……」


「なんじゃ紅子、日々小言を言うとるわしの顔を見忘れたか?」


「やっぱり政所様なんですか、でもそのお姿は……?」


「ああ、久々に充分な精気を得られて元の姿になっとったのか。紅子、これが本来のわしじゃ」


 朱美はその背に烙印を負った後遺症で不足していた精気を神尾が放った聖火を吸収したことで一時的に回復し、本来の成人の姿を取り戻した。だが戦闘に集中していたため、朱美は紅子に指摘されるまでその事実に気付かなかったらしい。


「面影はありますけど、政所様とは思えないくらい色っぽくて別人みたいですね」


「失礼なことをいうでない、どんな姿でもわしは常に魅力的…うっ!?」


 見慣れた少女から匂い立つような美女に著しく変貌した朱美の姿に紅子は戸惑いを見せるが、朱美はどちらの姿であっても自分が魅力的な女性であることを主張しようとする。 しかし急に朱美は胸を押さえてその場に蹲った。


「政所様!?」


「…案ずるな、やはり人間1人分の精気ではこの姿を長くは維持できんらしい。不本意じゃが子どもの姿に戻って、力の消耗を抑える必要があるようじゃの」


 体に異変をきたした朱美のことを紅子は心配するが、朱美は紅子にあまり動揺しないように言い聞かせる。紅子と斎の目の前で朱美の体は縮んでいき、しばらくするといつもの未成熟な少女の肢体に戻っていた。


「慣れてしまうと子どもの体のほうがしっくりくるのう」


 朱美は激しい立ち回りや急激な肉体の変化で乱れた着付けを整え直しながら、習慣になってしまうと元の体よりも仮の姿の方が落ち着いてしまっていることをしぶしぶ認める。


「2人とも手酷くやられたようじゃが動けるか?」


「ええ、まあなんとか……」


 朱美の気遣いに対し、斎と紅子は神尾から受けた聖火のダメージが引いて、ある程度体の自由が利くようになったことをしゃがみ込んでいた地面から立ち上がることで示す。


「丹の妹たちのことも心配じゃが、そんなにやつれたお主たちも心配じゃのう」


「いえ、私たちのことはいいので葵たちの捜索をお願いします」


「そうか…では気をつけて逃げるんじゃぞ」


「逃げ遅れている化け物がこっちにいるぞ!」


 自分たちよりも行方の分からない娘たちのことを優先してくれるように紅子が頼むと、朱美は彼女たちの意思を尊重して葵たちの捜索を再開しようとする。しかしその時、朱美たちのことを発見した3人のハライソの衛兵が、仲間が徐々に減っていることからの焦りと恐怖で混乱した様子で現れる。


「神尾さんがやられている…使徒を倒すとはとんでもない化け物だな!」


 自分たちと揃いの戦闘服を着た神尾が臥せっているのを見て気が動転した衛兵たちは、それぞれの得物の銃口を朱美たちに向ける。自分独りなら逃げ通せる自信があったが、立っているのが精一杯の紅子と斎を見捨てられずに朱美は判断に迷う。


「くたばれ!」


 朱美が判断に迷っているうちにも衛兵たちはトリガーを引き絞ろうとしていた。斎は銃火器の前には無駄な足掻きと分かりつつ紅子を自分の背中に隠し、朱美は斎たちを地面に押し倒して相手の一斉砲火をどうにかやり過ごそうと斎たちに突進する。


おん!」


「がぁぁっ!?」


「な、なんだぁっ!?」


 大気を振るわせる雄々しい一声が響くと、銃を発砲しようとしていた衛兵たちが急に苦悶の声をあげる。紅子たちにタックルをして押し倒し、自身も地面に伏せた朱美が視線を上げて様子を覗うと3人の衛兵は黒い靄のようなものに包まれて悶えている。


 引き金を引く余裕もなくなった衛兵たちは足元に銃器を取り落とし、やがて自身も青褪めた表情でその場に倒れていった。転倒した衛兵の顔には生気がなく、肌も乾ききって体も一回り萎んでしまったようだった。衛兵たちは蝕に精気を吸い尽くされた神尾と同じような死に方をしていると朱美は感じる。


「朱美姐さんらしくない反応だな、あんな奴ら最初の銃撃さえ避ければその体でも捻じ伏せるのは簡単だろう?」


「…お主が何故ここにいる?」


 路地裏から姿を現した男は朱美と面識があるらしいが、朱美はまるで幽霊を見るような目でその男の顔を見つめた。


「追放された立場で厚かましいことは分かってるけど、やっぱり同胞の苦境を見捨てる訳にはいかないだろう?」


「助けてくれたことは礼を言う。じゃが、それだけでお主の罪を水に流すほどわしらは甘くないぞ?」


「自分の過ちは一つ一つ償わせてもらうよ。まずはウツセミの縄張りで好き放題暴れている人間どもを懲らしめないとな」


 朱美が窮地を救ってくれた男に対して警戒を解かずに接すると、男は自分の犯した罪を清算するためにまずはハライソを退けると述べる。同胞のためにハライソと戦う意思を表明した男は軽やかに跳躍して近くの建物の屋根に飛び上がると、屋根から屋根へと飛び移りながらハライソの残党を捜し始めた。


「待て平輔、お主何を考えておる!」


 朱美はかつて反逆者として紫水小路を追われたウツセミを呼び止めるが、平輔は朱美の呼びかけに応じずにいずかに姿を晦ませてしまった。


* * *


「くそ、忌々しい化け物どもめ!」


「ぐぁっ!」


 呪詛を呟きながらきよしの発した聖火で酒蔵に勤務していたウツセミは滅ぼされる。10人近いウツセミを倒してきた聖だったが、既にかなりの数の仲間がウツセミの抵抗に遭い命を落としている状況は非常に芳しくなかった。


「文句を言っても仕方ない、課される試練が厳しいからこそそれが成就した時の達成感も大きいんだ」


「そいつは同感だな!」


「なっ……!?」


 弱気になりかけた気持ちを奮い立たせて聖が崇高な任務を完遂するモチベーションを高めていると、背後の塀が木っ端微塵に吹き飛ぶ。塀に空いた大きな穴を潜り、聖と同じく使徒の1人だった十文字に勝るとも劣らない豪傑が姿を見せた。


「てめえが街の連中を殺して回っている悪党め、見つけたからには容赦しねぇぞ」


酒蔵の親方を務めているウツセミ潮は、多くの同胞を手にかけてきた聖に険悪な目を向けて威嚇する。


「ふん、容赦しないのはこっちの方だ。エイメン!」


 潮の気迫に負けずに言い返すと聖は早速聖火を放って先制攻撃を仕掛ける。紫水小路に潜入した使徒の中で聖は最年少だったが、彼の聖火の威力は十文字や神尾の聖火を上回っている。多くのウツセミは聖の聖火の一撃で痛手を負い、抵抗する力を失っていた。


「そんなもん利くかよ!」


 潮は右の掌に蝕を具現化させて聖火を蝕の内部に取り込んで無効化してしまう。その巨体にそぐわない俊敏さで一気に聖の間合いに飛び込んだ潮は、突き出したままの右手で聖の顔を鷲掴みにする。


「そらぁぁっ!」


 咆哮をあげながら潮は力任せに聖の体を自分が破壊した塀に押し付けた。潮の超人的な膂力で聖が叩きつけられた衝撃で再び塀は崩れ、聖はその瓦礫に埋もれたまま出てこようとしない。


「どうした、死んだ振りをして不意打ちでも狙ってんのか?」


 潮はこのままでは物足りないという顔で聖が埋もれている瓦礫の山を見つめるが、隙間から覗く聖の脚は動く気配がない。


「もうくたばったか…使徒とやらも案外大したことねぇなぁ」


「エイメン!」


「今度は新手かよ…なに!?」


 意気揚々と望んだ弔い合戦があっけない幕切れを迎えたことに溜息をついた潮の背後から、落ち着いたトーンの男の声が聞こえてくる。相手が変わって第2ラウンドが始まろうとしていることを内心嬉しく感じながら、潮は蝕を再び具現化させて敵の不意打ちを防ごうとする。


 だが聖の聖火とは桁違いの威力の聖火を掌に具現化した蝕は捌ききれず、潮は全身を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。


「聖を容易く片付けるような奴を一撃で倒すのは無理か。まあいい、ならば何度も聖火を浴びせて滅ぼすまで」


 ハライソの使徒の中でも随一の聖火の使い手と称される伴天連ばんてんれんは、同僚を瞬殺したウツセミにも微塵の恐れを抱いていないらしい。使徒が自分1人になった逆境でも淡々と任務を遂行しようとする。


「…野郎、調子に乗るなよ!」


「エイメン!」


「がぁっ!?」


 潮は人間に見くびられていることを腹に据えかねて真正面から天連に挑んでいく。天連が迎撃のために撃ち出した聖火を両手に具現化した蝕で受け流そうとするが、その膨大なエネルギー量を処理しきれずにまたダメージを負う。


「…エイメン!」


「くっ!?」


 動きの止まった潮に追い討ちをかけようと天連は間を置かずに聖火を発動させようとするが、背後から迫ってくる殺気を感じてそちらに聖火を放つ。若干前の2発に威力は劣るものの、並のウツセミなら充分に消し飛ばせる破壊力を持った聖火を受けても、接近してきたウツセミはダメージを負っても持ち応えたようだった。


「源司……」


「潮、彼の聖火の出力はお仲間と比べても桁外れだ。俺たちでも何発も食らえば無事では済まない」


 天連への奇襲が失敗した代永氏族の族長源司は一旦彼と距離を置くと、潮の隣に並んで天連への聖火を他の使徒のものと同視してはいけないと喚起した。


「2匹で挑んできても結果は同じだ。神の加護を受けた俺の聖火で貴様ら吸血鬼は残らず薙ぎ払う」


「全知全能の神自身ならいざ知らず、一介の人間でしかない君がそう言うのは驕りじゃないのかな?」


「ふん、自惚れでも誇張でもないことを思い知らせてやるさ」


 天連と源司は啖呵を切りながら相手の出方を覗う。一撃でウツセミに致命傷を与える生体エネルギーを一点に集束させる来栖の切り札である斂と、天連の聖火は同等の破壊力を持っている。しかも来栖が斂を放つにはエネルギーを集束させる間が必要であるのに対し、天連の聖火は速射可能な上、拡散した状態で放つために効果範囲も広い。格闘を挑めれば身体能力の勝るウツセミの源司たちに軍配が上がるが、聖火に阻まれて天連に拳や蹴りを打ち込める距離まで接近するのは非常に困難だった。


「ハライソの使徒、一緒に潜入してきた仲間のほとんどを失われたんだから、大人しく撤収したらどうかな?」


「戯言を抜かすな、この背徳の街を落とすまで俺たちは引き下がる訳にはいかない。ハライソの戦士は全員討ち死にする覚悟で戦地に赴いている」


源司は天連に最後通告として撤退を呼びかけるが、天連は紫水小路を陥落させる命令を受けた以上、それを果たすまで現世に戻るつもりはないと断固として意思を示す。


「そうかい…だったら街を守るために君たちを全滅させるしかないね!」


「滅ぶのは貴様らの方だ、エイメン!」


 ウツセミとハライソ、どちらかが全滅するまで戦いが終わらないことに嘆息すると、源司は最強の使徒を討ち取るために攻撃をしかけた。天連は神の恩寵を受けている自分たちの勝利を疑わずに、紫水小路を統べるウツセミの長を撃退しようと聖火を放った。


* * *


 政所の建物の近くを思春期にようやく足を踏み入れた年頃の少女が、半べそをかいている幼児の手を握って歩いている。


「蘇芳、泣いてばかりいないでしっかりと歩きなさいよ!」


 年長の少女葵が泣きじゃくっている蘇芳の足が鈍っていることを咎めるが、葵の叱責を受けて蘇芳はとうとう声をあげてその場に立ち止まり泣き出してしまう。


「だって大きな音が響いたり、たくさんの家が壊れていたり、いつもはひとでいっぱいの道に誰もいないんだもん…なんだか今、このまちがすごく怖い」


 蘇芳は途切れ途切れに言葉を発するが、彼女の発言はすべて葵の抱えている不安と一致していた。幼い蘇芳の面倒を看ている手前、葵は誰かに縋りたい気持ちを抑えて精一杯気を張っていたが、蘇芳の泣き言を聞くと急に弱気になってしまう。


「…蘇芳、おんぶしてあげるからこっちに来なさい」


 葵は蘇芳の前に屈むと、自分の背中に乗るように彼女を促した。


「おねーちゃんなんで?」


「あんたを歩かせていても埒が空かないし、アタシがアンタをおんぶした方が安全な所に早く行けそうだからよ。ほら、早く乗りなさい」


「…うん」


 蘇芳は自分が足手纏いにされていることに負い目を感じているらしく、遠慮がちに葵の背中に覆いかぶさって彼女の肩に腕をかける。


「アンタ、小さいくせに意外と重いわね……」


 蘇芳の体を背負うと、葵は予想よりも重かった蘇芳の体重のせいで立ち上がるのに少々苦労する。だがバランスを取るのに慣れると、それほど蘇芳をおぶったまま歩くのは苦にならず葵は早足で廃墟のようになった通りを歩き始めた。


「おねーちゃんの背中、あったかい……」


「泣きじゃくられていても鬱陶しいだけだからね、こうしていれば弱虫のアンタでも少しは落ち着くでしょ?」


「うん、大好きなおねーちゃんにおんぶされているとすごく安心する」


「…アンタをおんぶするのはこれっきりなんだからね、非常時だから仕方なくよ」


 葵の背中におぶわれているうちに、殺伐とした空気に晒されて落ち込んだ蘇芳の心に安らぎが芽生えてくる。蘇芳は包み隠さずに葵への好意を打ち明けると、葵は恥ずかしいのを隠すために下手な言い訳をした。


「…任務のためとは言え、こんな微笑ましい姉妹を手にかけるのは気が引けるな」


「な、なによアンタ……」


 蘇芳を背負ったまましばらく葵が歩いていると、彼女たちの正面に1人の男が現れる。闇に溶け込むような黒い戦闘服に中折れ帽を被り、右肩に散弾銃をかけている男から異様な雰囲気を葵は感じ取って足を止めて後退りする。


「お前たちは人間か?」


 ハライソに所属する凄腕のガンマン南部は、散弾銃の銃口を掲げながら葵たちに一言問いかける。


「オジサン冗談のセンスないわよ、それホンモノじゃないわよね?」


「質問しているのは俺だ。お前たちは人間なのか、それともこの街に巣食っている化け物なのかと訊いている」


「バケモノなんかいないよ、この街にいるのはみんないいひとだよ!」


 蘇芳は背負われている葵の肩越しに、南部がこの街の住民を化け物呼ばわりしたことに憤慨した。蘇芳の不用意な一言が銃を携えた相手を刺激しなかっただろうかと、葵は不安げな顔で蘇芳と南部の顔を見比べる。


「アタシもこの子も人間よ、人を襲ってその血を奪ったりしないわ」


「では普通の人間が何故吸血鬼の巣窟であるこの街にいる?」


「それは……」


「あたしはずっとこの街でただまさと一緒にいるよ」


 葵は慎重に言葉を選びながら南部の質問に答えるが、目の前に立つ男が多くの住民を銃殺してきた者だと知らない蘇芳は感情の赴くままに返事をする。


「ずっとこの街にいる、お前たちは他所からここに攫われてきたんじゃないのか?」


 南部は年端もいかない子どもたちが紫水小路を彷徨っていることを訝しく思い、吸血鬼に餌として攫われてきたのだと予想していたらしい。しかし蘇芳の発言を聞いて、人間だと答えた彼女たちが本当に人間なのかと疑念を抱くようになった。


 南部の目つきが猛禽のように鋭くなるのを見て、葵は彼の構えた銃口に死の恐怖を覚えずにはいられなくなる。眼前に立ちはだかる男が指一本動かせば、自分たちの命はあっけなく摘み取られてしまう危機に瀕していることに葵の膝は震え始めた。


「もう一度訊く、お前たちは本当に人間なのか?」


「そうだよ。こいつらは正真正銘、平和な世界で暮らしている人間さ」


 南部は散弾銃のトリガーに指をかけながら、再度葵たちに彼女たちが人間かどうかを訊ねてきた。散弾銃で自分の胸元を狙われている恐怖で身が竦んでしまった葵が口を開けずにいると、彼女の前に黒い影が突如として現れる。


「ただまさ!」


「蘇芳に葵、怖い思いをさせちまってすまなかったな」


 落ち着いた配色のスーツを折り目正しく着ている後ろ姿を一瞥しただけで、蘇芳は自分たちと南部の間に割り込んだものが彼女の保護者をしているウツセミの忠将だと分かる。


「忠将さん今何が起こっているの、それにあの鉄砲を構えたオッサンは何なのよ!?」


「その質問に答えるのはそこにいるハライソの生き残りを倒してからだ。危ないから下がってろ、蘇芳のことを頼むぞ葵」


「…わかったわ」


 忠将の背中から漂う覇気に圧倒されて、葵は彼に言われた通り後退して物陰に隠れる。忠将が一挙一動に睨みを利かせていたおかげか、銃撃出来る場所を葵が通過しても南部は彼女に向かって発砲しようとしなかった。


「狂信者ばかりかと思っていたが、ハライソにも良識的な奴がいるんだな」


「隙を見せれば喉笛に噛み付く獰猛な獣を前にして、銃を逸らす訳にはいかんだろう」


「そりゃごもっともで。何はともあれこれでお互い気兼ねなくやりあえるな」


「ああ、処刑の時間だ」


 南部は忠将の言葉に首肯すると同時に散弾銃を発砲する。至近距離から放たれた南部の先制の一発は広範囲に銀でコーティングされた散弾を撒き散らすが、忠将は家屋の軒の上に飛び乗ってその飛び散った弾丸を避ける。


 南部は素早く次弾をチェンバーに装填し、頭上の忠将を狙い撃つ。だが南部の撃った散弾は忠将が足場にしていた屋根瓦を吹き飛ばすだけで、忠将には一発も被弾しなかった。


 軒の上から飛び降りた忠将は低い体勢で地面を疾走し南部に肉薄する。忠将がウツセミの超人的な脚力で間合いを詰めてくる速度は、南部でさえ迎撃のための弾丸を散弾銃に装填できないほどのスピードだった。


 忠将が拳を掲げて南部を殴りつけようとした刹那、轟音が周囲に鳴り響く。散弾銃で応戦することを断念した南部は、左手でホルスターから抜き放った拳銃で忠将に狙いをつける。二発、三発と機械的な正確さと尋常でない速度で発射されてきた拳銃の弾を、忠将は横に飛び退いて回避する。


 しかし南部は銃撃の手を休めることなく、散弾銃を右の脇に抱えたまま右のホルスターからも拳銃を抜いて忠将に銃弾を浴びせてきた。


「ちっ、今までの奴らが比較にならない銃の達人じゃねぇか……」


 神業と呼ぶべき南部の銃捌きを見せられて、忠将はこれまで倒してきたハライソの衛兵とは違い、下手に南部の間合いに飛び込めば自分が蜂の巣にされてしまうと判断する。迂闊な接近を避けて、聖火を放つ使徒と同様に慎重に攻めなければ勝機が得られない相手だと忠将は南部を評価した。


 忠将の脚力でも一歩では飛び込めない距離まで彼が離れると、南部は鮮やかな手並みで両手に握った拳銃と脇に抱えた散弾銃に弾丸を補充する。


「ただまさーがんばれー!」


「やれやれ、子どもにまで心配されているようじゃ格好がつかねぇな……」


 忠将と南部の戦闘を物陰から見守っていた蘇芳が、苦戦を強いられている忠将に声援を送る。忠将は守るべき蘇芳にまで気遣われていることに頬を崩すと、腰を落として南部がどう動いても即座に対応できる体勢を整えた。


 今度も南部が先手を打ち、右手の拳銃を忠将に撃つ。だが南部の狙いはかなりきわどかったが、忠将は紙一重で銃撃を回避して南部の側面に回りこもうとする。


 南部も軽やかに身を捻って、自分の左側に迫ってくる忠将を正面で迎え撃つ。南部の左手に握っている拳銃が火を噴き、銃弾の雨が忠将目掛けて降り注いだ。吸血鬼の動体視力でも完全に拳銃の弾道を見極めることは難しく、忠将は勘を頼りに銃撃をかわして南部に迫っていく。


 忠将が南部まであと数mの距離まで近づいた時、南部は右手首のスナップを利かせて弾倉が空になった拳銃を投擲してきた。不意を突かれた忠将は顔面に迫ってくる拳銃を避けようと首を傾ける。拳銃に気をとられたせいで、ほんの一瞬忠将の南部への注意が疎かになった。


 その隙を突いて南部は拳銃を投げ捨てた右手に散弾銃の銃把を握らせる。拳銃を避けたために僅かにバランスの崩れた忠将の無防備な胴体に狙いをつけて、南部は散弾銃のトリガーを引き絞った。


 銃声が鳴り響き、炸裂した散弾が忠将の体に撃ち込まれる。無数の散弾を目と鼻の先で飛び散っては反射神経に優れたウツセミでも回避する術はない。南部の会心の一撃を受けた忠将の体が脆く崩れて、四方に霧散し始める。


「…残念だったな」


 奇策を用いなければ倒せなかった忠将を討ち取った喜びで、冷静沈着な南部の顔が綻び口の端が吊り上げられた。しかし致命傷を負って肉体が崩壊したはずの忠将の囁きが南部の耳に聞こえてきた。


 灰のように飛散した忠将の肉体の断片が南部の懐に集まり、次第に人の形を作り出していく。南部がその異様な光景に呆気にとられているうちに、忠将が何事のなかったように彼と密着した状態で佇んでいた。


「貴様…ゼロ距離からの砲撃で滅んだはずでは?」


「直接蝕に打撃を与える聖火ならともかく、俺たちが回復できない銀を塗った散弾でも体を灰にしちまえば問題ないさ」


「体を灰にした、だと……」


「あんまり多用すると元に戻れなくなっちまうからな、灰化はいざと言う時の切り札だ。種明かしをするのはその切り札を使う所まで追い込んだあんたに対する礼儀だよ」


「ぐっ……!?」


 忠将は密着状態から鳩尾に掌底を叩き込んで南部を悶絶させると、掌に蝕を具現化して南部の体から精気を抜き出していく。精気を根こそぎ奪われて南部が事切れると、忠将はもう目覚めない彼の体を支えて仰向けで地面に横たえた。


「ただまさ!」


「こら蘇芳!」


 南部との死闘に決着がついたと分かると蘇芳は葵の制止に耳を貸さず、身を潜めていた物陰から飛び出して忠将に抱きついていく。


「ただまさ、ケガしなかった?」


「ああ、お前が応援してくれたお陰で大丈夫だよ」


「よかった!」


 駆け寄ってきた蘇芳に礼を言って、忠将は彼女を抱き上げる。


「忠将さん、そのオジサンは……」


「丹がお前らのことを心配しているし、早く元気な顔を見せて安心させてやれ」


 葵は道端に寝かされている南部の亡骸を横目で覗うが、忠将はその話題に触れることを避けて話を逸らした。忠将は南部を殺したのだろうと葵は察したが、その事実を蘇芳に知らせてもいい影響があるとは思えないので葵もそれ以上言及しようとはしなかった。


「…あんたが他の連中と同じように狂信者だったら、こんな後ろめたい気持ちにはならなくて済んだのかもな」


「ただまさ何か言った?」


「別に、久々にケンカをして疲れただけさ」


「ケンカはよくないよ、後であのひとと仲直りしなくちゃ」


「…そうだな、ケンカはいけないことだよな」


 酒蔵に向かい始めた時、忠将は正々堂々と戦ってきた南部を殺したことに罪悪感をつい口に出してしまう。忠将と南部が単に喧嘩をしただけと思い込んでいる蘇芳が喧嘩をしないように彼に釘を刺す。吸血鬼の自分と熱心な信者だった南部とが和解することなど未来永劫訪れないだろうと、忠将は蘇芳の希望に応えられないことを自嘲するように口の端を歪めて笑った。


* * *


 酒蔵に避難してきたウツセミたちの身元確認は、悠久と分担作業したことで思いの外早く終わった。日頃の商談を通して街中に顔の知れている茜は他の有力者たちが不在の状況でいち早く避難所の運営に着手しており、丹たちからのレポートを受け取ると次の対応に思案し始めた。


 身元確認を通しても丹は家族が無事に酒蔵に非難できたことを確かめられなかった。悠久に訊ねても彼も彼女の家族に該当しそうな人物を見かけていないと答える。


 本当に家族は戦乱に巻き込まれて助からなかったのかもしれないと、悲嘆に暮れた丹は自分の目頭が熱くなったのを自覚する。涙が堪え切れそうになかったので、丹は人のいない所でひっそりと泣こうと避難者で賑わう人混みを離れて敷地の隅へと移動し始めた。


 チンタを醸造している樽が納められた蔵と敷地の囲む外壁の間がちょうどよさそうだと思った丹はその隙間に身を潜めると、声を殺して泣いた。


「葵もお父さんもお母さんもそれにクーくんもいなくなっちゃった。わたし、本当に独りぼっちになったのかも……」


 丹が堪えきれなくなった悲痛な想いを吐き出した瞬間、周辺の空気が変化したような錯覚を覚える。自分以外にこの近くに誰もいないはずなのに人の気配を丹が感じると、少し先に立っている木の枝にかけられた割札に朱印符を合わせている背広姿の男がいた。


「クーくん!?」


 突然姿を現した男が背中に担いでいる大きなものが気になって丹が目を凝らすと、背広の男の背におぶわれているのは彼女の自宅に居候している少年だと気付いた。


「…見慣れない子だな、最近転化したばかりのウツセミかな?」


 丹の家の居候である来栖を背負っている男は、この場に彼女が居合わせたことを芳しく思っていないらしく一瞬顔を顰める。表面的には友好的に振舞っていたが、丹は見覚えのない背広の男に胡散臭さを感じずにはいられなかった。


「はい、わたしは二ヶ月ほど前に転化したものです。あの、失礼ですがあなたは……?」


 人気のないこの場所に現世と紫水小路を行き来できる朱印符を携えて現れたことといい、ウツセミを裏切ってハライソに寝返ったと噂されている来栖を連れていることといい、背広姿の男の挙動は不審な点ばかりだった。


 だがそれ以上に丹が男に警戒心を抱くのは、彼の体に内包されている蝕が並外れて巨大なことだった。これほど大きな蝕を抱えているのは紫水小路でもごく少数であり、その誰もが何らかの部署の責任者の任に就いているため転化して日の浅い丹でも全員の顔と名前くらいは一致している。


 しかし有力者たちに匹敵するほど大きな蝕を感じさせる背広の男の顔に丹は見覚えがなかった。得体の知れない存在がウツセミからの疑念を向けられている来栖と一緒にいることに丹は不吉な予感を覚えずにはいられなかった。



第12回、煉獄の様相 了


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