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うつせみ血風録  作者: 三畳紀
破ノ段
10/21

第9回、忍び寄る影

 今回より3部構成の第2部の始まりです。序ノ段で人物相関や対立関係をある程度描写し、この第2部では伏線の回収をしつつ新しい伏線を張っていきます。

 見えない糸に弄ばれる来栖と丹が、どのような運命を辿るのかお楽しみください。

 夕刻、御門市北東の高級住宅地の一角に建つ安倍家の屋敷の一室。安倍家の令嬢真理亜を中心に数人の人物が華美な調度品の揃った室内にたむろしている。


ばんさんと十文字じゅうもんじさんの姿が見当たりませんがお出かけになられたんですか?」


「ええ、天連さんたちは鞍田山の方に行かれましたわ」


 笑顔の仮面の奥から狡猾さが滲み出ている痩身の男、神尾がこの場にいるべき2人の人物の不在を疑問に出すと真理亜が彼の質問に答える。


「こんな時間にどうしてそんな僻地に、まさか天狗を拝みに行った訳ではないですよね?」


「そのまさかですわ、天連さんたちは鞍田山に住む天狗を退治に行かれたのです」


「ご冗談を。我々の任務は御門の闇に潜む吸血鬼の駆除であって、昔話に出てくる妖怪退治ではありませんよ?」


「あら、ここは千年の歴史を持つ御門ですわよ。吸血鬼以外にも闇に紛れて息づく魔物がいても不思議ではないのではなくて?」


「神尾さんをからかうのはその辺にしておきましょうよ、真理亜さん」


 取り留めのない会話を続けようとする真理亜を実直そうな少年聖が諌める。屋敷にいない2人の使徒が外出した理由を知っていそうな聖から話を聞こうと神尾は彼に顔を向けるが、頬に湿布を充てて目の周りに青痣が残っている聖の顔を見て噴き出しそうになるのを堪える。


「天野くん、伴さんは十文字さんを供に連れてどうして鞍田山に赴いた訳を教えてくれませんか?」


「鞍田山には例のウワバミとその師匠が潜伏しているんですよ。裏で吸血鬼どもと繋がっている奴らはどうやら化け物の巣窟に向かう鍵を持っているらしいんです。天連さんたちはその鍵を奪う目的でウワバミの隠れ家に行ったんですよ」


「水臭いですね、どうせ殺してしまうのだから使徒全員で襲撃する方が確実でしょうに」


 聖から天連たちが鞍田山に出向いた理由を聞くと、除け者にされてしまった神尾は残念そうに溜息を吐く。


「化け物どもの根城への鍵の詳細を聞き出して、潜入する手筈を整えなければ皆さんにはるばるお越しいただいた意味はありませんし、御門の抱える問題の抜本的な解決にはなりませんわ。相手を殺さずに身柄を拘束することを考えると、この場にいらっしゃる手練の中でも天連さんと十文字さんが適任ではなくて?」


「確かに、私や南部さんでは相手を生け捕りにするよりも殺す方が得手ですからね」


 吸血鬼たちの隠れ家に関する秘密を吐かせるまではウワバミたちを殺す訳にはいかないので彼らを捕らえる任務を遂行しやすい人選を行ったと聞くと、神尾は自分が選抜から漏れた理由に納得を示す。


「貴様の言うように俺は相手を生かしたまま捕らえるよりも殺す方が得意だが、貴様のように相手を嬲り殺しにすることを楽しみはしない。同類扱いされるのはごめんだな」


「それは失礼、てっきりあなたも私のように吸血鬼を狩ることを楽しんでいるのだと思っていましたよ」


 壁に背をもたれて腕を組んでいた中年の男、南部が神尾のように嗜虐癖はないと遺憾の意を示すと、神尾は平謝りをして肩を竦めた。


「伴の奴、俺たち衛兵のサポートなど不要と言いたいらしいな。どうやら当代一の聖火の使い手は、衛兵がお膳立てをするからこそ使徒が円滑に任務を遂行できることに気付いていないらしい」


「そんなことありませんよ南部さん。ウワバミの連中はやたらと危険を察する鼻が利きますから、ぎりぎりまで気配を悟られないように天連さんは最低限の人数で任務に臨むことにしたんです」


「つまり衛兵が随行すると足手纏いになるということか。衛兵とは聖火が使えるか使えないかという以外に違いはないはずなのに、使徒も偉くなったものだな」


 天連と同じく使徒の神尾以上に、通常の吸血鬼退治で使徒のバックアップをする衛兵の南部は鞍田山への奇襲について何も知らされていないことに不快感を示す。聖の下手な弁解は余計に南部の機嫌を損ねてしまい、南部は整った口髭の下にある口をへの字に曲げて渋面を浮かべる。


「衛兵の方々に活躍していただきたいのは吸血鬼どもの根城に踏み込んだ時ですわ。先日ウワバミと彼に手を貸した吸血鬼と交戦した際に少なくない数の衛兵の方々が負傷してしまいましたから、これ以上の人員の損失は任務完遂のためにも避けたいことですわ」


 真理亜は聖の失言を取り繕って南部の機嫌を直させようとする。南部の表情に変化は見られなかったが、それ以上この件に言及することもなかったので多少は真理亜の諫言の効果はあったらしい。


「では今回の任務は使徒の精鋭に任せて、我々衛兵隊は休ませてもらおう。稀代の使徒の成果に期待したいところだな」


「勿論ですわ。人間の安寧を乱す吸血鬼も奴らと手を結んでいる裏切り者も1人残らず殲滅するために、化け物どもの巣窟への道を開かなければなりませんわ」


 南部の皮肉に対して真理亜は切れ長の眼をギラギラと狂的に輝かせながら相槌を打った。


* * *


 鞍田山中腹にある粗末な山小屋。その座敷の上で当代の吸血鬼の天敵にして守護者であるウワバミの少年来栖は、彼の前任者にして実の祖父と対面していた。


「愛、本当にそんなものが奴らの力の源だっていうのか?」


吸血鬼を始末する刺客として御門に送り込まれた使徒と対峙し、自分の剣気と同質の能力である聖火の威力に脅威を覚えた来栖は、使徒の聖火が強力な理由を訊ねに剣気の制御する術の師匠である先代の下を訪れていた。


 来栖の質問に対して返ってきた先代の答えは彼が予想もしないものであり、来栖は怪訝そうな顔でその真偽を問い質す。


「愛を軽々しく言うんではない。ハライソの奴らは信仰に背いたワシらと違い神の愛をその身に受けて自分で発生できる出力よりも強く剣気を増幅しておる。神の愛を受ける者と戦うことがどれだけ厄介か、身をもって感じておろう?」


「ああ、格闘はからっきしのくせに剣気の威力なら圧倒されたからな。しかしそんな抽象的なモンで剣気が強くなるとはねぇ……」


「たわけ、愛し愛されることこそ何よりも人を強くするものじゃろうが。今回は力押しでなんとかなる相手じゃったが、次はそう都合よくいくとは限らんじゃろう」


「でもウツセミと休戦協定を結んだ俺たちは神のご加護を受けられないんだろう? だったら今ある力でどうにかやりくりするしかねぇじゃねぇか……」


 愛という曖昧な概念によって使徒の聖火の威力が増すことに納得がいかず、しかも過去に敵対していた吸血鬼と和約を交わして神の意向に背いてしまったせいでその加護を受けられないのではやりきれないと来栖は不平を漏らした。


「背信者であるウワバミに神のご加護はないが、ワシらに助力してくれる存在はおる」


「分かってるよ、神の代わりに手を貸してくれる存在がウワバミが代々監視を続けているウツセミって言いたいんだろう? でもよ、ハライソの奴らと戦う時はウツセミの力を借りればよくても、源司さんみたいな強大なウツセミと戦うことになった場合、どうしても剣気の威力を強くしなくちゃ太刀打ちできないだろう?」


 ウワバミとウツセミは相互扶助の関係であることを来栖は何度も先代から聞かされており、また同じことを言われそうになって少々苛立ちを見せる。現在紫水小路にいるウツセミたちとは良好な関係を築いており、むしろ自分と同じ人間の組織であるハライソと来栖は敵対状態にある。ウツセミの弾圧を目的としているハライソとの戦闘ならばウツセミたちの助力を借りれば対処できなくもなさそうだが、紫水小路に忍び寄っている影は教会から差し向けられた刺客だけではなかった。


 10年近く前、紫水小路で謀反を起こして同胞から粛清されそうになり現世へと逃亡したウツセミ平輔が生存しており、自分を追放した同胞への復讐を企んでいる可能性も浮上していた。全盛期はウツセミの族長を務めている源司でさえ正面からでは対抗できなかったと言われるほど強力なウツセミと敵対する場合、現在の剣気の出力ではどうしても来栖は力不足を感じてしまう。


 強大なウツセミと戦闘する可能性への不安やハライソの刺客と剣気の打ち合いで押し負けてしまったことで、来栖はどうにか自分の剣気の威力を高めたいと思うようになっていた。


「話は最後まで聞け。紫水小路にいるウツセミが心強い仲間であることは間違いないが、彼らとの信頼を保って得られるものは単純に味方の数が増えるというだけではない。深い信頼関係を結んでいるウツセミの存在がワシらの剣気の威力を高めることだってある」


「本当か……!?」


「別にウツセミに限らんでもいいが、互いに心から相手を思い合う関係、分かりやすく言えば相思相愛の関係にあるものがおれば、そのものからの愛をワシらも受けることができる。しかも一極集中的に相手からの愛を受けられることで、神からの愛に匹敵するだけの剣気を増幅する効果が得られる」


 神以外の存在から与えられる愛によって剣気の出力を増幅できると聞き、半信半疑で聞き返してきた来栖に先代は力強く頷き返す。


「剣気をもっと強くできるのならハライソの奴らだけでなくて、でかい蝕のウツセミにも対抗できるな」


「ところで託人、お前恋人おるか?」


「いや、ウワバミの仕事が忙しいせいでそんなモンいねぇけど。あ……」


「…自分を想ってくれる相手もおらんのにどうやって愛を注いでもらうんじゃ」


 来栖は自分の剣気を増幅できる手段を聞いて嬉々とした表情を浮かべるが、愛情を向けてもらえる女性がいることがその前提である事を指摘されると決まりの悪い顔になる。


「お、女の1人や2人そのうちできるさ…当面は自分の能力を上手くやりくりして切り抜けるから問題ないって」


「女の心を射止めるのはお前が考えているほど簡単なことではないぞ」


「そうかもしれないけどよ、健全な男なんだから出会いの場なんかいくらでもあるって」


「お前のような無粋な男を好む女も少なくはないじゃろう、だが神ではなくひとの愛情で剣気を高めるには剣気を発動させる際にその女がお前に触れていなければならん。お前に惚れる女の中で修羅場に立ち会ってくれるほどの度量の持ち主は何人おるかのう?」


「…きっと1人くらいはいるさ」


 先代の話を聞いているうちに剣気を愛情によって増幅させることは出来ても、その条件がかなりタイトであることを来栖は悟る。ぶっきらぼうで無骨な来栖のような男は昨今の女性の好みの主流ではないし、ましてウツセミやナレノハテとの壮絶な攻防を展開する場に立ち会えるような胆力のあるものは男女問わずそう多くはないはずだ。


 来栖は剣気を増幅する方法は分かっていてもその実践が困難であることを痛感しつつ、ウワバミとして暗闘を続けている女性が現れる一縷の望みを抱くことにした。


「託人、お前居候先のウツセミの娘とはどうなんじゃ?」


「どうって言われてもな…飯と寝床の世話になっているお返しに、あいつに血を分けてやっている関係だけど」


 突然先代に下宿先の娘であるウツセミのまことの話題に触れられると来栖は素っ気無い返答をする。しかし祖父に丹との関係を言及されて来栖の内心が動揺したことは隠し切れなかった。


「託人、何度も自分の血を与えておきながらその娘に特別な感情は持たんのか?」


「別に…俺があそこに下宿しているのは、ウワバミとしてウツセミを現世で野放しにする訳にはいかないからだ。あいつに自分の血を分けているのは俺の不注意が原因であいつをウツセミに関するごたごたに巻き込んじまったことの償いで、後ろめたさはあってもそれ以外に思うことはねぇよ」


「嘘言え、ウツセミに血を吸われる感触は下手な性交よりよっぽど快感のはずじゃ。理性は否定しても体が相手のウツセミを求めるようになるのが自然じゃて」


「そ、そんなことねぇよ。年甲斐もなく性欲を持て余すなこの助平爺!」


 丹に血を与える度に性的な快感を覚えていることを先代に言い当てられて、来栖は苦し紛れに祖父を罵倒する。だがその反応こそ来栖が丹に血を吸われることに悦楽を抱いている証拠であり、先代は皺の刻まれた顔に好色な笑みを浮かべた。


「…先代」


 性的な刺激に流されている面が強いとは言え、丹に好意を抱いていることを先代に看破された来栖は不貞腐れたようにしかめ面をしていたが、急に真剣で彼に語りかける。


「囲まれたか、こんな近くまで気配を悟られんとは油断ならん輩のようじゃな」


「早速おいでなすったか…先代、自分の身は自分で守れよ?」


「ひよっこがいっちょまえの口を利きおって。ここでやりあうのは得策ではないし、割札から紫水小路に退くぞ」


「わかった…もういい歳なんだし気をつけろよ、爺ちゃん」


「あまり遅いようなら置いていくぞ、託人!」


 小屋の外から発せられる殺気を感じた来栖と先代は、ハライソの刺客との戦闘を避けて紫水小路に逃げ込み体勢を整えることで合意する。座敷の上で2人は履物を足に通して、小屋から脱出するタイミングを覗う。


産毛を焦がすようなきな臭い気配から、外で待ち構えている相手は今にも小屋の中に踏み込んできそう感じだった。先代が肌身離さず身につけている朱印符を下げた胸に手を当てたのを合図に来栖は正面の戸口、先代は反対方向の裏口を目指して走り出す。


「喝!」


「うらぁぁっ!」


 玄関の引き戸を蹴散らしながら来栖は、威力は低いものの剣気を広範囲に拡散させる撥の状態で放ち、襲撃者を牽制する。小屋の外で待ち伏せをしていたハライソの刺客も、来栖とほぼ同時に剣気と同質の生体エネルギーである聖火を放ってきた。


 来栖の剣気とハライソの襲撃者の聖火が衝突し青白い光が瞬く。夕闇に包まれた山林が生体エネルギーの光に照らされて明るくなった瞬間、来栖は大きな影が自分に向かって突進してくるのを目の当たりにした。


「喝!」


 来栖は小屋の外へと駆け出すと続けざまに剣気を撥の状態で発散し、肉薄してくる襲撃者を牽制する。先日ハライソの使徒の少年聖と戦った際は相手も聖火で剣気を相殺して間合いを置く戦い方をしてきたが、今対峙している大柄な使徒は迎撃のために聖火を発動させなかった。


「ぐっ…こんなもんかよウワバミ!」


 来栖の放った剣気が相手の巨体を打ち据えるが、歯茎を剥き出しにして剣気を食らったダメージに堪えると大柄な使徒は足を止めずに怒号を上げて来栖に殴りかかってくる。


「くっ……」


 同じ聖火の使い手であるのに相手が前回倒した聖とは真逆の戦い方をしてきて、来栖の相手の拳を避ける反応が遅れてしまい両腕を翳して咄嗟にその一撃をガードする。


 これまで受けてきたどんなパンチよりも重い一撃を受け止めた衝撃に、来栖の腕が軋んだ音を立てる。


「このぉっ!」


「無駄だ!」


来栖は相手の強打の勢いを借りて後方に飛び退きつつ撥状態の剣気で牽制して、まともな打ち合いを避けようとする。だが来栖の意図を相手も見通しており、今度は迫り来る剣気を自ら放った聖火で防ぐとまた間合いを詰めようとしてきた。


「聖を袋叩きにしたご自慢の拳を打ってこいよ!」


 瞬く間に来栖の眼前に飛び込んできた巨漢の使徒は、岩のような拳を来栖に向かって何度も繰り出してくる。来栖よりも更に上背も体の厚みもある相手が拳を振るうたびに、風切り音が起こり風圧が来栖の体を叩きつけてくる。


「野郎!」


 いいように打ち込まれているせいで先代と確認しあった当初の方針を忘れ、来栖は相手の挑発に乗ってしまう。パンチの連打を浴びせて一方的な攻勢と油断していそうな相手の足を掬おうと、来栖は顔面を狙ってきた右ストレートを紙一重で避けるとがら空きの足にローキックを放つ。


「そんなモン、この十文字様にはお見通しなんだよ!」


 しかし来栖の狙いに巨漢の使徒十文字も気付いており、来栖の繰り出したローキックを左足を僅かに動かして裁く。そして持ち上げた左足を着地させる動作に合わせて十文字の放った左フックが来栖の脇腹に食い込んだ。


「がっ……」


 肋骨がへし折れたような鈍い痛みを覚えながら、十文字には劣るものの屈強な来栖の体が左に吹き飛ぶ。殴り飛ばされた先で辛うじて踏み止まり転倒は免れたが、間髪置かずに十文字の右の拳が唸りを上げて来栖の横面に飛んできた。


「あああっ!」


 反射的に跳ね上げた左腕一本で十文字の剛腕の一撃を食い止めると、来栖は腕の骨が砕かれたような激痛を紛らわすように雄叫びをあげる。苦し紛れの絶叫を絞り出すと同時に来栖は剣気を発散させて、拳を振り抜いてがら空きになった十文字の体を打ち据える。


「ぐぅっ!?」


 来栖は十文字の鉄拳の連打を浴びた勢いに耐え切れず、地面を転がりながら彼との距離を作ろうとする。


一度目は耐え凌いだものの、さすがに二度も剣気の直撃を受けると頑健な肉体と強靭な精神力を誇る十文字でもかなりのダメージがあったらしい。来栖が地面に転がったまま起き上がれずにいるにも関わらず、右ストレートを放った場所で立ち尽くして追い討ちをかけてこようとはしなかった。


「やるじゃねえかウワバミ、そうでなくっちゃやりがいがねぇ!」


 だが十文字は木彫りの彫刻のように粗い造作の顔を何度か横に振って気を確かにさせると、来栖が手応えであることを歓喜の雄叫びをあげる。周辺の空気を振るわせる大音声で吐き出された十文字の咆哮と共に聖火の青白い光が来栖に切迫してきた。


「かぁつ……!」


 十文字に脇腹を強かに打たれたダメージはまだ残っており、来栖は呼吸もままならない状態で声を張り上げて剣気を放ち十文字の聖火を相殺する。聖火の威力自体は十文字は聖に劣っており来栖の剣気でも完全に打ち消すことができたが、体格で勝る上に殴り合いに慣れている十文字が猪突猛進で押し寄せてくることは来栖にとっても脅威だった。


 牽制で放った聖火が掻き消されたことなど気にも留めず、十文字は猛烈な勢いで再び来栖に迫ってくる。十文字のパンチのダメージが抜けきっていない来栖の体の動きにはいつもの切れがなく、突き出される相手の拳に当たらないように避けるので精一杯だった。


「どうしたぁ、もっと積極的にかかってこいよウワバミ!」


 既にかなりの回数パンチを打っており、常人ならば一撃で昏倒する剣気を二発食らっているにも関わらず十文字は無尽蔵のスタミナで来栖を攻め続ける。一方十文字の左フックで腹部に痛手を負った来栖の体は充分な酸素交換が出来ず、息苦しい表情で相手のラッシュから逃れるタイミングを覗っているようだった。


「逃げてばっかいねぇで、たまには反撃してこいよ!」


「…死んでも恨むなよ」


 防戦一方の来栖を囃し立てながら十文字は剛腕を駆使して来栖の顔面を叩き潰すようなパンチを打つ。一撃必殺のパンチを身を屈めてかわし、十文字の懐に飛び込んだ来栖は念の押すような低い声で呟きながらおもむろに拳を固めた右腕を掲げた。


「おらぁぁっ!」


「喝!」


 十文字が器用に左腕を畳んで来栖を殴ろうとするよりも僅かに早く、来栖が右の拳を十文字の分厚い胸板を叩く。しかし密着状態から放った寸打は鍛え上げた来栖の腕力をもってしても大した痛手にはならないはずだった。


「ぐぁぁっ!?」


 だが十文字の胸を打った来栖の右の拳が強烈な輝きを見せた途端、十文字の背中からは青白く光る刃の切っ先が突き出ていた。来栖が十文字の胸に押し当てた拳を引くと十文字の背中から突き出た光の刃が喪失し、十文字は糸の切れた人形のように脱力して天を仰ぎながら背中から地面に倒れこんだ。


 剣気を拡散させた状態で放つ撥では決め手にならないと判断した来栖は、ウツセミやそれが理性を失ったものであるナレノハテでさえ一撃で葬り去る剣気を一点に凝縮させた状態で打ち出すれんを人間である十文字への使用を踏み切る。来栖の拳に収束した膨大な量の剣気に耐え切れず超人的な頑健さを誇る十文字も昏倒した。


 十文字の剛腕を避けながら斂を発動させるのに充分な量の剣気を溜めるのは至難の業であったが、十文字の拳に捕らえられるよりも先に来栖は相手に斂を打ち込むことに成功する。


 だが乾坤一擲の勝負に勝ったはずの来栖の顔に笑顔はなく、十文字が蘇生しないかと注意深く地面に大の字で仰向けに倒れている彼の様子を覗っていた。


「しんどい相手だったな…まさか懸念した通りの相手が来るとは思わなかったぜ」


 しばらく十文字の様子を観察していても、来栖を油断させるために倒れた振りをしているようには見えず来栖は相手への警戒を解いて安堵の吐息をつく。


「こんだけいいガタイしてんだから生命力も半端じゃねぇだろ。悪いけどあんたの快方をしている暇はないんでこのままにしておくぜ、ぐずぐずしていると先代に置いてかれちまうんでな」


 本来対人用の技ではない斂を使って十文字を倒したことに負い目を来栖は覚えるが、まずは自分の身の安全を守ることを優先することにする。相手とは生きるか死ぬかの命のやり取りをしている以上、余計な情けをかけることは命取りになってしまう。


 地面に転倒したまま身動きひとつしない十文字を置き去りにして、来栖は先代との待ち合わせ場所に急ぐことにした。


* * *


 来栖が十文字と交戦している頃、先代は足元が覚束ない暗い山林の中を走り続ける。先代がハライソの刺客たちと真っ向から戦うことを避けた理由は小競り合いで消耗したくないこともあったが、それ以上に自分の背後から迫ってくる者とは戦うべきではないと長年修羅場を潜り抜けてきた彼の勘が訴えてきたからだ。


 これまで幾度も人間よりも戦闘力の高いナレノハテやウツセミと渡り合ってきた先代だったが、半世紀に及ぶウワバミとしての任期の間に老いを自覚するようになった。来栖にウワバミの勤めを譲った理由も孫が夜の闇を跋扈する魔物たちに対抗できるだけの力をつけたこともあったが、満足に戦えなくなった先代自身の衰えも大きかった。


 そして思い通りに動かなくなった身体では自分を追ってくるハライソの刺客を打ち負かすことが叶わないと悟った先代は、追っ手と正面からぶつかるのを避けて逃げを選ぶ。自分の庭同然の山道を先代は軽やかに駆け抜ける一方、追跡者は不慣れな道に四苦八苦しているらしくなかなか差を詰めることができずにいた。


「エイメン!」


「喝…なんじゃと!?」


 年老いた相手の背中を追いかけるので精一杯な状況に焦れたのか、ハライソの刺客が先代の足止めをしようと聖火を放ってくる。相手が聖火を発動させた気配を察知した先代は自身も剣気を発動させて打ち寄せる生体エネルギーの波を相殺しようとするが、先代の発した剣気をハライソの刺客の撃った聖火は打ち消し、勢いを保ったまま先代の背中に襲い掛かる。


 聖火や剣気には物理的な効力はないものの、ハライソの追跡者の放った聖火を食らって先代は全身を激しく揺さぶられたような感覚を覚えてその場に崩れ落ちてしまう。自分の前を逃げている先代の足が止まった隙に、強大な聖火を放ったハライソの刺客は彼に追いついてしまった。


「先代ウワバミの来栖護通くるすもりみち。化け物どもと内通していたとは言え、まがりなりにもこの街の治安を維持することに貢献してきたことに敬意を表し、我々に投降するのならば手荒な真似はしない。結果の見えている無益な争いで命を落とすことは、あなたも望んではいないだろう?」


「お前さんも教会の人間なんじゃから少しは老人を労わろうと思わんのか。あんなとんでもない威力の聖火をまともに食らっては、ウツセミも人間も関係なしに消し飛んでしまうぞ?」


 周囲の闇に溶け込むような黒装束の男は、聖火のダメージからようやく回復して立ち上がろうとしていた先代に投降を呼びかける。先代は男の聖火の一撃でかなり消耗していたが、気持ちだけは強く保って相手の顔を正面から睨み返して抵抗の意思を示す。


「多少は威力を軽減させたとは言え、俺の聖火を受けたのにそれだけ喋れる者には手加減など不要だ。己の身を労わるつもりなら、大人しくこちらの指示に従え」


「自分の主張を押し通すばかりでこちらの話には聞く耳もたずか。東京のモンはせっかちで落ち着きがないのう」


「のらりくらりと話をはぐらかすことが御門の人間の美徳なのか? 投降を聞き入れるつもりがないのなら力ずくで従えるまでだ」


 足首に届きそうなロングコートの裾をはためかせ顔を覆う長髪の隙間からナイフのように鋭い眼光を見せながら、先代の捕縛のために鞍田山にやってきたハライソの使徒、伴天連は自身の倍は生きている先代に強い態度で接する。


「肉体的な損傷はないとは言え、最悪の場合魂を吹き飛ばされて死んでしまう聖火はこれ以上撃たれたくないもんじゃ……」


「肉体だけでなく精神的にも衰えた老体には聖火のダメージは尚更重いだろう。分かったら素直にお縄につけ」


「そのためには意地でも逃げ延びなければならんのう!」


 天連に追い詰められた先代は胸の前に腕組み、弱った顔で泣き言を漏らす。天連は自分と直接的な戦闘を回避した先代ならば、己の不利を察して投降を聞き入れるだろうと算段を踏むがそれが一瞬の隙を生む。


 天連の注意力が低下した一瞬を見逃さず、先代は作務衣の袖から隠し持っていた閃光弾を取り出すと地面に叩きつけて炸裂させた。閃光弾の発する眩い光を直視してしまい、天連は反射的に目を瞑ってしまう。そして瞼を閉じた次の瞬間、天連は自分の太腿に鋭利な何かが突き刺さった痛みを感じた。


「卑怯だぞ、来栖護通!」


「若い上に桁外れの出力の聖火を使う奴が何を言う。お主みたいなモンと出会った時はまともに相手にせずに逃げるが勝ちじゃ!」


 閃光弾で目潰しをされた天連は先代の正確な位置を分からない状態で、怒号交じりに聖火を撃つ。しかし先代は長年修羅場を生き延びてきたことで培った老獪さを存分に発揮して、才気に溢れる天連のことをからかう捨て台詞を吐きながら剣気を発動させて自分に迫ってくる天連の聖火の威力を弱めると脱兎の如くその場を離脱した。


 閃光弾で焼きついた天連の視界が元に戻るのにはそれほど時間がかからなかったが、既に先代は天連が気配を感じられない場所まで逃げてしまっていた。閃光弾による目晦ましに続いて先代が投擲した工作用の小刀で作られた太腿の傷は厚手のズボンの生地のお陰でそれほど深くはなかったものの、動かすたびに傷の周辺に鋭い痛みが走り思い切って地面を踏み切れなかった。


「身体能力や聖火の強さでは圧倒できても老練さでは及ばないか、さすがにハライソの先達たちが一目置いた使い手だ」


 先代の全盛期の功績は御門から遠く離れた東京のハライソの人間の耳にも届いており、天連は先輩の使徒たちから聞かされた先代の噂を話半分で聞いていた。しかし実際に先代と対峙してみて、実力的には劣っていながら経験に基づいて窮地を脱したことを受けて相手の実力を認めざるをえない。


「二発目の聖火の効果がどれだけあったかは分からないが、一撃目だけでかなりのダメージを負っているはずだ。山道に慣れているとしても老人の足ではそれほど遠くには行けないだろう」


 天連は冷静に先代のコンディションを分析すると、五感を研ぎ澄ませて姿を晦ませた先代の足取りを掴むことに専念する。落ち葉を踏み締めた跡や静寂に包まれた夜の山中で聞こえる物音のひとつひとつに気を配って、天連は再度先代追跡を試みる。


* * *


「ふぅ…とんでもない奴に鉢合わせてしまったわい。ワシらが鞍田の山奥に引き籠っておるうちにハライソの奴らはどんな修行を積んできたんじゃ、それとも盲目的な信仰があそこまで聖火の出力を高めたのかのう?」


 二度目に放った天連の聖火は一度目ほどの威力はなく、先代の剣気で大半のエネルギーを相殺できたものの、取り乱した状態で天連があれだけ膨大な聖火を発動できたことに先代は肝を冷やす。


 先代は少しでも気持ちを軽くしようとハライソの使徒たちが聖火の出力を上昇させた方法を冗談交じりに推測するが、天連のような強大な力を持つ者が他にも大勢いると思うと背筋が寒くなる。


 源司や忠将などのように蝕が巨大で精気の許容量が大きなウツセミならば天連の放つ聖火にも拮抗できるだろうが、紅子や丹のように蝕が小さいウツセミではひとたまりもないだろう。


 そして神の愛を受けられず自給する以上に剣気の出力が上昇させられない先代や来栖たちウワバミの切り札である斂よりエネルギーの収縮度が低い撥の状態で発しても過剰な威力の聖火を使える天連が、万が一ウワバミの秘奥である斂を使えるようになったら紫水小路のウツセミは誰も彼に対抗できなくなるだろう。


「過ぎた力は存在すべきではないということをかつて奴が示してくれたな…あの時はウツセミに飛び抜けた存在が生まれたが今度は人間に不必要な力を持つ者が現れたか」


 人間とウツセミの世界の均衡を保つには互いの力関係に適度なバランスが取れていることが不可欠であり、その天秤がどちらかに傾いてはいけない。そのバランスを崩すものの登場は、人間とウツセミの調和を最優先事項とするウワバミにとって好ましいことではなかった。


 先代は10年ほど前に起こった過ぎた力に溺れて謀反を起こそうとした一人のウツセミのことを思い出しながら、紫水小路へのアクセスポイントとなっている割札の傍までやってくる。


「へぇ、人間のくせに俺と吊り合う力を持っている奴がいるのか?」


「お前はまさか……!?」


「久々に会った昔馴染みに対して随分な物言いだな、護道。しかしたったの10年見ないうちに随分お前は老けたもんだ、まあただの人間じゃ無理もねぇか」


 頭上に生い茂る木々の隙間から先代の眼前に降り立つ影がある。まだ落葉し終えるには早い時期だというのに、周辺の木々の枝には一枚も葉がついておらず月明かりが辺りに差し込んでいた。


 おぼろげな月明かりに照らされる先代と向き合っている人物の顔は旧交を温めようとにこやかに微笑む青年のものだったが、先代は幽霊でも見たように引き攣った表情を浮かべる。


「やはり生きておったか、平輔……」


「脇の甘い源司にやられたんじゃ情けなくて死にきれねぇよ。それであいつは元気に族長の仕事をやってるか、族長の椅子に就いて20年も経つんだからトロいあいつでも少しは板についたよな?」


「…源司の仕事ぶりが気になるなら自分で確かめに行けばよかろう、それにワシはもうウワバミではないから最近あいつがどうしているか詳しくは知らん」


「紫水小路には近々様子を見に行くさ、たっぷり土産を持ってな」


 10年前に反乱を企てて源司たちに粛清され、左腕を失いながら現世に逃れたウツセミ平輔は以前と変わらぬ姿で古い知り合いである先代の前に現れる。平輔は軽口を聞くだけではあまり自分を放逐した紫水小路への同胞に恨みを抱いているようには思えないが、追放された故郷へ帰還すると語り口の端を吊り上げる平輔の表情に先代は不穏な気配を感じる。


「…紫水小路の秩序を乱そうとしたお前を源司や朱美が快く迎え入れると思うか?」


「いいや、俺だって同じことされたら相手を許さねえよ」


「そう考えるなら何故今更御門に戻ってきた? 反逆者として紫水小路を追われたお前を見つけてしまった以上ワシは……」


「かつてウワバミだった者として俺を討たなきゃならない、だろ? 相変わらず仕事熱心なことで」


「亡霊は闇に還れ、平輔!」


 先代は密かに収束させておいた剣気を、右手を平輔に翳して斂の状態で撃ち出す。平輔に反撃の暇を与えないよう、先代が全身全霊を込めて放った青白い生体エネルギーの奔流は一直線に闇を引き裂いていき平輔の身体を射抜くはずだった。


「皮肉なモンだなぁ、昔仲良く盃を交わした奴を手にかけるってのは!」


 しかし平輔は源司に銀の刃で切り落とされて喪失したはずの左腕を迫り来る剣気に向けて突き出す。夜の闇よりも更に暗く、陰のようにぼやけた輪郭の平輔の左の掌に先代の渾身の一撃は突き刺さる。


 例えウツセミが自分に向けられた剣気を受け流すために己の身の内にある蝕を外部に具現化したところで、斂を食らっては注ぎ込まれた膨大な精気を処理できず無事では済まないはずだった。だが平輔は先代の剣気をまともに受けても平然とした表情のまま、左腕を突き出したまま先代に突進してくる。


 平輔が猛烈な速度で迫ってきたことと全力で斂を放った反動で先代の反応は遅れてしまったことで、先代はなす術もなく平輔の左腕に喉笛を掴まれてしまう。


「くわぁ、つ……」


 平輔の拘束の手から逃れようと先代はか細い声で気合を発し、剣気を発動させる。先代の身体を中心にして同心円状に広がった剣気は平輔の身体に命中したが、剣気の直撃を受けても平輔は眉一つ動かさずに先代の首を左腕で締め上げ続ける。


「悪いな護通、お前が歳をとったのと同じように俺ももう昔のままじゃねえんだ。今の俺にはその程度の剣気はそよ風にしか感じねえよ」


「へい、すけ…お前、一体……」


「あの世でのんびり見物してな、これからウツセミと人間を巻き込んだとびっきりの茶番劇をよ」


 平輔は自分の腕の先で苦しげに顔を歪めている先代に哀れみの目を向けながら、死に逝く彼に不吉なことを言い聞かせる。


「茶番、だと…まさかお前……」


「そうさ。ウツセミとウワバミが数百年守ってきた、相互不可侵のぬるい関係をこの俺がぶち壊してやるんだよ。そして紫水小路に押し込められている仲間たちに、吸血鬼が本来あるべき姿を取り戻させるのさ」


「そうは、させん…そうはさせんぞ!」


 平輔が10年近く前に目論んだ野望を未だに諦めていないことに気付いた先代は残された気力を振り絞って彼の陰謀を阻止しようと意気込み、蝋燭の最後の瞬きのように剣気を発散させる。撥ほど拡散していないが斂と呼ぶには充分に剣気が収束されていないその一撃を受けても、平輔の示した反応は僅かに顔を顰めただけだった。


「がっかりだぜ護通、お前はもっと潔い奴だと思ってたのによ。こんな無様な姿を見せられるんなら、さっさと殺しちまえばよかったな」


「ぐぅ……」


 先代の放った最後の一撃が中途半端なものであることを嘆かわしそうに呟くと、平輔は彼の首を掴んでいる左手に力を加える。先代はくぐもった悲鳴をあげて白目を剥くと、平輔の腕を引き剥がそうとしていた両腕をだらりと下げて事切れる。


 平輔が絶命した先代の首から左腕を離すと、先代の身体は膝から地面に落ちて前のめりに倒れた。突っ伏した先代の枕元に平輔は跪くと、もう動かない先代の身体を物色して首に紐でかかっているものを取り上げる。


「やっぱり大事な朱印符は肌身離さず持ってやがったか。あとは適当にこいつを教会の連中に渡せば……」


「貴様、そこで何をしている?」


 先代の亡骸から奪った紫水小路に入るため鍵である朱印符を眺めながら平輔が今後の段取りを立てていると、林の奥から自分に質問が浴びせられてくる。平輔が声のした方に振り向くと、先代の放った剣気を頼りに居場所を探り出した天連が木陰から姿を見せる。


「あんた教会の人だろ? これやるよ」


 平輔は先代から奪った朱印符を天連に投げ渡す。胸元の受け取りやすい位置に取り易い速度で投げ込まれたので天連は朱印符を掴むが、素性の知れない男からいきなり用途不明のものを渡されても疑念が積もるばかりだった。


「そいつは吸血鬼どもの住んでいる街に行く鍵だ。それをその割札に合わせれば周囲にいる奴は誰でも吸血鬼たちの街に入れるってからくりだ」


「何故そんなことを知っている、貴様何者だ?」


「俺がどこの誰かなんて吸血鬼を殺すあんたの仕事には関係ないだろう? それじゃ用も済んだし、俺は行かせてもらうぜ」


「待て。何故貴様の足元にその老人が倒れているのか、その理由を教えろ」


「気になるんなら自分で確かめろよ、教会の殺し屋さん」


 天連に投げ渡した朱印符がどんなものでその使用法を簡単に説明すると、平輔はこの場から立ち去ろうとする。だが平輔の足元に自分が追跡していた先代が倒れていることを不審に思った天連が先代の倒れている理由を問うと、平輔は彼の質問を無視して人間離れした跳躍を見せて遥か頭上の木の枝に飛び上がる。


「貴様、やはり吸血鬼か!」


 ようやく自分の正面に立つ男が、組織を挙げて殲滅に努めている吸血鬼だと気付いた天連は聖火を平輔に向けて発する。だが天連の強大な聖火が周囲に広がっても、平輔にダメージを与えた手応えを彼は感じられなかった。


「あの吸血鬼、かなり強力な個体のようだな。しかし吸血鬼がどうして仲間を売るような真似を?」


 聖火で足止めできずに平輔を取り逃がしてしまったことを天連は悔やむ。それと同時に同胞を売るような平輔の言動を不可解に思って、平輔が語った朱印符の効力を信じる気にはなれなかった。


「爺ちゃん!?」


 天連が右手に握った朱印符に視線を落としていると、少年の声が聞こえてくる。生い茂る木の間から駆け出してきた人物は、恵まれた体躯をしている天連に勝るとも劣らない屈強な体格をしていた。


「…お前が爺ちゃんやったんだな?」


 先代の亡骸に駆け寄ろうとした少年は闇の中に佇む天連の姿に気付くと、警戒した様子で彼に向き直る。人気のない夜の山林に自分の祖父が倒れていて、その近くに不審な人影があればその人物を疑うのは無理もないことだが、少年は祖父の異変を目の当たりにして気が動転しているらしく短絡的に天連の仕業だと断定してくる。


「爺ちゃんと言っているからにはお前が今のウワバミか」


「葵を攫って丹をいたぶったことと言い、今夜俺たちを襲ってきたことと言いハライソのやり方にはもう我慢ならねぇ。今ここでてめえをぶっ潰す!」


 発言の内容から眼前の少年が先代の孫で現在のウワバミである来栖託人だと天連が察すると、居候している家のものや彼自身も脅かすハライソの強引さを勘弁できず来栖は怒りに駆られて天連に殴りかかっていった。



第9回、忍び寄る影 了


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