春隣 ⑨
本書はフィクションです。実在の人物・団体・省庁とは一切関係ありません。また、執筆にあたり複数の公務員の取材や架空のエピソードを組み合わせて構成しています。
ご覧いただきありがとうございます。
本作は、実話をもとに再構成した「叩き上げ公務員」の半生を描くサクセスストーリーです。
学歴もコネもなく、定時制高校からスタートした主人公。
決して順風満帆ではなかった彼が、どのような葛藤や壁を乗り越え、霞ヶ関の本省、そして幹部へと駆け上がっていったのか。
実際の官僚機構や他省庁でのリアルな泥臭さ、そして人生後半での新たな挑戦までを丁寧に描いていきます。
働くすべての人、そして逆境から這い上がりたい人に届く作品になれば幸いです。
ぜひ最後までお付き合いください!
春の風が吹く日。
浩一は定時制H高校の校舎前に立ち、貼り出された合格者の受験番号一覧を見上げていた。
手応えと自信は十分にあった。
それでも、そこに自分の番号を見つけると、胸の奥からホッと安堵の息が漏れた。
しかし、すぐ隣では肩を落とし、静かに涙を呑む受験生の姿があった。
浩一は飛び跳ねたいような喜びをぐっと抑え込み、静かにその噛みしめた。
案内されるまま事務室へ移動し、自分の名前が記載された「合格証」を受け取る。
(これを持って……I高校へ行って、転校の手続きをしなきゃな)
——数時間後。
浩一は、着慣れた制服を着て慣れ親しんだI高校の事務局にいた。
H高校の合格証の写しを提出すると、事務職員から厳重に封印された厚みのある封筒を手渡された。
中身を直接確かめることはできないが、成績証明書や出席証明書、内申書など、自分がこの1年積み重ねてきた証が入っているのだと分かった。
書類を整理していた顔馴染みの事務職員が、ふと手を止めて浩一の顔を見つめた。
「川野くん……本当に、転校してしまうんだね。……書類を細かく検分したわけじゃないけれど、君、1年間無遅刻・無欠席だったんだよね?」
「はい」
「しかも、3学期の実力テストは学年10位……。こんなに優秀で、真面目な生徒が転校していくなんて、私、ここで働いていて一度も見たことがないよ」
「……仕方がないんです」
「合格証の学校は……神戸の学校かい?」
「はい。定時制高校です」
「定時制……!? それは……ずいぶんと環境が変わるね。川野くんは大人しそうな印象だけれど、大丈夫かい?」
「不安もあります……でも、自分を見失わなければ、きっと大丈夫だと思っています」
言葉を選びながら毅然と答える浩一に、職員は驚いたように目を見張った。
「……強いねぇ。普通、こういう転校の事務手続きは親御さんが一緒に来られるものなんだけどな」
「自分のことですから」
当たり前のこととしてそう返した浩一の言葉に、職員は寂しそうに目を細め、心からの本音を漏らした。
「本当に残念だよ。学校としてはね、君のような生徒にこそ、この学校で最後まで学んでほしかったんだよ」
「…………」
その一言を聞いた瞬間、浩一の胸の奥で何かが弾けた。
絶句して黙り込んでしまった浩一に、職員が慌てて声をかける。
「どうしたかい? 私、何か悪いこと言っちゃったかな……」
「いいえ……。……僕だって、この学校にいたかったです……! 友達とも……離れたくないです……っ」
これまで誰の前でもグッと耐えて、張り詰めていた心の糸がぷつりと切れた。
溢れ出そうになる涙を必死にこらえながら、浩一は声を振り絞った。
「ごめんね、ごめんね……。励ますつもりが、余計なことを言ってしまったね」
「いいえ……! ありがとうございました。本当にお世話になりました!」
涙声で深々と頭を下げると、浩一は逃げるように事務局を後にした。
これから自分をどんな未知の世界が待ち受けているのかは分からない。
けれど、この学校で過ごした1年間と、最後に溢れ出たこの悔しくも愛おしい思いだけは、生涯絶対に忘れないでおこうと胸に誓う浩一だった。
ご覧いただきありがとうございました!
無遅刻・無欠席、学年10位という最高の誇りを胸に手渡された、転校の資料。
合格の喜びと、学校を去らなければならない切なさが交錯する、春の日の出来事でした。
事務職員さんとのやり取りで見せた浩一の涙は、彼がI高校で積み重ねてきた1年間がどれほど濃密で、素晴らしいものだったかを物語っています。
「自分を見失わなければ大丈夫」という強い信念と、最後に溢れ出た素直な気持ち。その両方を持っている浩一だからこそ、どんな新しい世界でも自分らしく輝いていけるはずです。




