レノックス伯爵家の野望
レノックス伯爵には、今年二十三歳になる嫡男と、その二歳年下の次男がいる。
彼らは揃って淡い金髪に水色の瞳の華やかな容姿をしているが、その性格は真逆といっていいほど違っていた。
常に堂々と自信に満ちあふれている嫡男と、そのスペアとしてひっそりと息をしているような次男。こういった兄弟は、基本的に長子相続である貴族の家では、さほど珍しいものではない。
嫡男としていずれ伯爵家を継ぐことが決まっているジュリアンは、良家の令嬢から想いを寄せられることもしょっちゅうだ。幼い頃から、丁寧に育てられた温室の花のような女性たちに囲まれていた彼にとって、父伯爵が決めた婚約者もその中のひとりに過ぎない。
常に流行のドレスを身に纏い、美しく化粧を施した顔で朗らかにほほえむ婚約者と、それまで戯れの恋を楽しんできた令嬢たちとの違いなど、髪や瞳の色、体つきくらいのものだ。
そんな中でも、二十七歳という若さで夫に先立たれた未亡人とは、ベッドでの相性がよかったことから、今も愛人関係を続けている。
だがまさか、父が息子の愛人であるその女性を、先日水使いであることがわかった少女の婚約者に宛がうとは思わなかった。
「――父上。先日水使いの娘が、風使いとともにルドミラ王国で発現した『共食い』の呪詛を討伐したと聞きました。風使いのアシュクロフト伯爵家には、何か動きはございましたか?」
六年前、この国の風使いとして覚醒したアシュクロフト伯爵家の嫡男、レオナルド。
彼はジュリアンより四つ年下ながら、学生時代からその噂が聞こえてくるほど優秀な子どもだった。
幼い頃から呪詛と戦う魔導兵士となることを志し、そのための努力を怠らない。武門として名高いアシュクロフト伯爵家の嫡男に相応しい恵まれた体格と、整った容姿。
元々は父親と同じ褐色の髪だったものが、風使いとしての覚醒に伴い、見事な白銀の髪に変じてからは、見る者に神々しさすら感じさせる姿になっていた。
そんな彼は、今やしなやかな野生の獣を思わせる精悍な青年に成長しており、国内外から縁談の申し込みが絶えないと聞く。
だが、レオナルドはいつの頃からか、いかにも戦闘職の人間らしい、荒々しい雰囲気を纏うようになっていた。ごく稀に社交の場に出てきても、鋭い目つきと不機嫌そうな空気で周囲を威圧している。そのため、怖いもの知らずな年若い令嬢たちも、彼を遠巻きにすることしかできなくなっているようだ。
噂によると、彼は風使いとして覚醒したばかりの頃、その妻の座を狙う令嬢たちにしつこくつきまとわれ、以来女性全般に苦手意識を持つようになってしまったということだ。
まったく、青臭いにもほどがある。
マスターたちには、国からさまざまな特権を授与されているのだ。
せっかく得たそれらを行使するでもなく、日々呪詛の討伐に明け暮れる日々を送る彼らのことを、誰もが素晴らしい若者たちだと褒め称える。
だが、ジュリアンに言わせれば、風使いのレオナルドも炎使いのユージィンも、世間の楽しみを何も知らないまま呪詛対策機関などに放りこまれた、バカな子どもだ。
マスターたちの対呪詛戦闘能力は、たしかに一般魔導兵士のそれを遙かに凌駕する。単純に国力を考えるなら、最前線で使うのが最も効率的であるかもしれない。
しかし、現在西の大国の王妃となっている『水の乙女』然り、過去の歴史において一国の主にのし上がったマスターたち然り。
大いなる力を持った者は、それ相応の地位と権力を手に入れるべきなのだ。
(そう。水使いを手に入れた、我がレノックス伯爵家のようにな)
四年前、未覚醒の水使いの子どもを手中に収めた父の強運と慧眼は、実に素晴らしいものだと思う。
父の執務室に、昨年から任されている道路拡張事業の書類を届けにいった際、ふと先日耳にした話を向けてみると、返ってきたのは想像通りの答えだった。
「いや。アシュクロフト伯爵家は、風使いの働きは彼個人の功績であるという姿勢を、いまもって崩しておらん。――まったく、欲のないことだ」
わずかに嘲笑を滲ませる声で言う当代レノックス伯爵、ジョージ・レノックスは、白いものの混じりはじめた金髪を後ろに撫でつけた、今年五十歳になる恰幅のいい人物だ。
名家の当主らしい威厳を漂わせ、ゆっくりと両手の指を組んだ彼は、水使いの子どもを養子に迎えてからというもの、とみに機嫌がいい。
「あの娘が本当に男であれば、もっと使い勝手がよかったのだがな。まあ、あの貧相な姿では、誰もあれを女だなどとは思うまいよ」
(……貧相?)
ジュリアンは基本的に、父の意向に背くことはない。
なぜなら、レノックス伯爵の言葉は常に正しいものであるため、その必要がないからだ。
しかし、先日彼の『弟』となった水使いの少女に対し、貧相という形容はどうにもそぐわない気がしてしまう。
(呪詛の爪痕はたしかに見苦しい限りだが、あれはよく見れば目鼻立ちも整っているし、子どもにしては体つきも悪くない。いずれ成人して呪詛の爪痕が消えた暁には、ベッドで可愛がってやろうと思っていたんだがな)
日々戦闘訓練で体を酷使しているからなのか、水使いの子どもはあの年の少女としてはかなり背が高く、体つきも随分女性らしくなっている。腰回りはいまだ細すぎて面白みがないが、胸については大きさといい、ハリのある柔らかさといい、数多の女性と戯れてきたジュリアンから見ても、かなりの上物だ。
(男として過ごす以上は、あの無粋なプロテクターも必要なのかもしれんが……。あの胸が潰れて形が悪くなってしまうのは、もったいないな。任務中以外では極力外しておくよう、命じておくか)
そんなことを考えていると、父がシガーケースから気に入りの葉巻を取り出した。
「女というのは、嫁に出してしまえばそれまでだからな……。あの呪詛の爪痕さえなければ、養女として迎えたうえで、王太子殿下の愛妾としてねじ込んでもよかったのだが。さすがに、そう何もかも上手くはいかんか」
単なる貴族間の婚姻においては、嫁いだ娘は基本的に婚家に帰属する者として扱われる。
しかし、相手が王族となれば話は別だ。
たとえ何番目の側室であろうとも、娘を嫁がせることさえできれば、王家の外戚として絶大な権力を得ることができる。
その娘が、大陸中から存在を渇望される水使いであれば尚更だ。
とはいえ、ことはそう簡単なものではない。
ジュリアンは、小さく苦笑を浮かべて言う。
「そうですね。しかし、あの子どもに王宮で通じるマナーや立ち居振る舞いを仕込むのは、また大変なことだったでしょう。その苦労を思えば、むしろ現状でよかったのかもしれませんよ。父上」
まあな、と伯爵が肩を揺らす。
「あれには、呪詛との戦い方しか教えておらんからなあ。教育係の者たちによると、戦闘センスだけはずば抜けているらしいが、コミュニケーション能力は最低レベルらしい。あんなものを王宮に入れては、とんでもない恥を掻いていたかもしれんな」
「ええ、あの愛想のなさは嘆かわしい限りです。我がレノックス伯爵家に拾われた恩を、いったいどう考えているのやら」
下町の小さなパン屋の娘でしかなかったものが、栄えある伯爵家に引き取られ、呪詛と戦う力を身につけさせてもらったのだ。全身全霊を捧げて感謝すべきだというのに、戦闘訓練ばかり施していたせいなのか、あの娘はどうにも可愛げというものがない。
(まあ、私が触れてやったときに、びくついてこちらを避けるようになったのは、なかなか初心な感じで悪くなかったがな。……十四、五歳にもなれば、婚約者に不満のある好奇心旺盛な令嬢たちは、自らその身を差し出してきたものだが。ああいった令嬢たちよりも、ずっと女らしい体つきをしているというのに、おかしなものだ)
ほんの少年の頃から女性に不自由することがなかったジュリアンにとって、水使いの少女の反応はいまいちよくわからないもので、そして新鮮だった。
「まったくだ。とはいえ、あの愛想のなさであれば、呪詛対策機関の連中も早々に距離を置くことだろうよ。女であることは何があっても隠し通せと厳命してあるが、世の中には勘のいい者もいる。極力、他人との関わりはせぬほうがよかろう」
「はい。私の愛人を婚約者として宛がっている以上、他家から婚姻の申し込みが来たところで一蹴できますしね。あの娘には、せいぜい我が家の名を上げるために働いてもらいましょう」
三年ほど前から、水使いの少女には呪詛討伐の際に露払いを命じてきた。
はじめのうちはろくな働きをできていなかったが、この一年余りは随分サマになってきている。先日は、あの生意気な風使いとも問題なく共闘していたようだし、レノックス伯爵家の名に恥じない程度の働きはできているのだろう。
(風使いのアシュクロフト伯爵家も、炎使いのフラファティ子爵家も、土使いのリリーホワイト侯爵家も。せいぜい、マスターを輩出した事実にあぐらを掻いているといいさ。その間に、我らは水使いを得た者として、正しく働かせてもらうとするよ)
幸運とは、ただ手に入れただけでは意味がない。
それを正しく利用してこそ、価値のあるものなのだ。
レノックス伯爵家にとって、水使いの少女は幸運そのもの。
そのすべてを利用し尽くして、至上の栄光を手に入れる。
(あの娘は、今十五歳だったか。……まあ、三年後の成人までには、あの見苦しい呪詛の爪痕も消えているだろう。ベッドで女の喜びを教えてやるとしても、あんな爪痕があっては興ざめだからな)
何はともあれ、まずはこの国の不遇の第一王子に、上手く接触しなければなるまい。
学生時代から、世間で言うところの『悪い遊び』にもよく興じていたジュリアンは、若い男が喜ぶ楽しみを熟知している。
幼い頃から王宮の奥に籠もっていたという第一王子とて、その誘惑には抗えないはずだ。
まずは友人として親しくなってから、少しずつ自分に依存させていけばいい。
すでに第二王子が立太子しているとはいえ、実権を持たないお飾りの国王などいくらでもいる。
肝要なのは、王宮で最終的に誰の意見が生かされるか、だ。
(親愛なる第一王子。我がレノックス伯爵家が、この国の真の支配者となるためです。私は、心からあなたさまにお仕えいたしますよ)
その素晴らしき日がくるのが、本当に楽しみだ。




