マスターたちの初恋事情
「うわー、めんどくさっ」
ため息交じりのキャロラインの言葉に、ユージィンが思わずというふうに声を上げる。
今、ここにいる面々の家はすべて、王太子寄りの立場を取っているのだ。
呪詛対策機関は、基本的に実力主義、身分家柄問わずの運営をしている。それでも、貴族階級の人間にとって、互いの家同士の力関係は決して無視のできないものだ。
つまり、とレオナルドは痛みはじめた頭を片手で押さえた。
「水使いのアレな態度は、レノックス伯爵家が第一王子の派閥についたせいで、今後オレらの家と敵対関係になる可能性が高いから、ってのもあるわけか……」
「えぇー……。あいつ、元々平民生まれの孤児だったんだろ? そんなヤツが、いきなり貴族同士の権力争いに巻きこまれるとか、さすがに可哀相すぎじゃね?」
へにょりと眉を下げたユージィンの言葉に、キャロラインが頷く。
「まったくもって、その通りだな。ユージィン。我々も情報を探りつつ、今後の対処を検討していく。先ほども言ったが、きみたちにはマスターの先達として寄り添いながら、少しずつ彼の世界を広げる手助けをしてやってほしい」
彼女の真摯な眼差しを受け、ふたりは揃って頷いた。
そんな彼らにほほえんだキャロラインが、通信魔導具に向けて口を開く。
「ギル・レノックス。今すぐ、司令官執務室へ来るように」
『了解』
(……は?)
レオナルドは目を丸くし、ユージィンは「相変わらず、仕事の早いことで」と肩を竦めた。
マスターたちには、それぞれ個別の待機スペースを与えられている。
本部建物の中でも日当たりがよく、広々としたそこにいたらしいギルは、いくらも待たないうちに現れた。
「ギル・レノックス、参りました」
きっちりと敬礼をしたギルの視線は、ただまっすぐに上官であるキャロラインに向けられている。
レオナルドとユージィンがこの場にいることにも当然気付いているのだろうに、まるでふたりの存在を意に介する様子はない。
キャロラインが、小さく苦笑を浮かべて言う。
「ああ、すまないな。これは、作戦行動に関する呼び出しではないんだ。どうか、楽にしてくれたまえ」
「はい」
すっと敬礼を解いたギルが、軽く背中に腕を回して直立する。
相変わらずの無表情のまま、ただ黙って立っている彼は、キャロラインよりも少し背が高いだろうか。
だが、戦闘行動に従事する男性としては随分小柄だし、また病的にも思えるほど肌が白く、初対面の印象通りかなり線が細い。自分たちと同じ仕様の魔導剣が、彼の腰にあると妙に大きく見えた。
四歳離れた可愛い弟に加え、八歳離れた可愛いが二乗の双子の弟妹がいる身としては、きちんと食事を摂っているのか不安になってしまう姿である。
(いや、もちろんコイツがその辺の魔導兵士とは比べものにならないほど強いヤツだってのは、充分わかっている。ちゃんと、わかっているんだが……っ)
その顔に刻まれた呪詛の爪痕は、改めて見ればやはり非常に痛々しいし、十代の若者とは思えない表情のなさにも、なんだか胃の辺りがそわそわした。
すでに嫁いだ三歳年上の姉のほかに、二歳年下と五歳年下の弟たちがいるユージィンにも、もちろん立派な『お兄ちゃんスイッチ』が搭載されている。
彼もレオナルドと同じように、どことなく落ち着かない気分になっているのを感じ、レオナルドは密かに息を吐いた。
そんなふたりをちらりと見たキャロラインが、改めてギルに声を掛ける。
「ギル・レノックス。作戦行動中以外はギルと呼称させてもらうが、構わないか?」
「はい」
そうか、と頷き、キャロラインが柔らかくほほえむ。
「では、ギル。さっそくだが、現在の呪詛の発生状況及びその強度から判断して、今後はマスターといえども単独での戦闘は行わないことになった。つまり、最低でもツーマンセルが基本になるということだ」
その宣言に、ギルが僅かに視線を揺らした。
どんな感情ゆえかはわからないが、彼にとって少々意外なことだったらしい。
「ただ、我が呪詛対策機関の一員となったばかりのきみに、不特定多数の魔導兵士と組んでもらうのは少々難しいだろう。そこで、きみがここの空気に慣れるまでの間は、基本的にここにいる炎使い、風使い、そして土使いの護衛魔導兵士のいずれか、もしくは数名と組んで行動してもらうことになる」
「はい」
あっさりと応じたギルから、すでに感情の揺らぎは感じられない。
ユージィンとレオナルドを順に見てから、キャロラインがギルに視線を戻す。
「よって、今後戦闘行動をともにするマスター同士、合同訓練を密に重ねてもらいたい。ああ、炎使いは二十一歳、風使いは十九歳、土使いの護衛魔導兵士は、今年二十三歳になる青年だ。年の近い若者同士、仲よくやってくれたまえ」
「マスター同士の合同訓練については、了解しました。ですが、自分以外のマスター及び護衛魔導兵士は、全員貴族だと聞いています。自分との馴れ合いは不要です」
ギルが、キャロラインのささやかな気遣いをぶった切った。
レオナルドとユージィンはひくりと顔を引きつらせたが、キャロラインは穏やかに笑ったままだ。
「きみはすでに、レノックス伯爵家の人間だろう。貴族社会の渡り方を学ぶためにも、彼らとの交流はきみにとって有益だと思うがね」
「否定します。おれが命じられているのは、レノックス伯爵家の名に恥じない働きをすることだけです」
取り付く島もない、とはこのことか。
しかし、『命じられて』という言葉に、若干の違和感を覚える。
レノックス伯爵は、ギルの養父である。その言葉は、たしかに今の彼にとって第一に従うべきものなのかもしれない。
だが、ギルは水使いなのだ。
それも、大陸の歴史上はじめての、風使いや炎使いに匹敵するレベルの戦闘能力を持った、水の支配者。
そんな稀少な存在である彼の社会的価値は、たかが一貴族のそれとは比較にならない。
現在、この大陸を蝕んでいる呪詛を、マスター以上に確実に破却できる者などいないのだ。呪詛の恐怖に怯える人々はみな、マスターの誕生を心から待ち望んでいる。
他国で厄介な呪詛が発動した場合に、レオナルドやユージィンに対して緊急支援要請が来ることも珍しくない。その際、呪詛対策機関を通じて支払われる報酬は、平均的な労働者家庭が一生遊んで暮らせるほどのものだ。
いくらレノックス伯爵がこの国の重鎮であるとはいえ、水使いである彼が無条件に従わなければならない道理などない、はずなのだが――。
キャロラインが、そっと息を吐く。
「ギル。戦闘行動をともにする相手とのコミュニケーションは、非常に重要なものだぞ。信頼関係のない相手に、自分の背中を預けることなどできないだろう?」
「おれは、そういった戦い方の訓練を受けていません。ですが、同じ戦場にいる人間のバックアップであれば、問題なく実行可能です。今後、誰かがおれと組んで戦う場合には、こちらを気にせず動いてもらって結構です」
淡々と語られる言葉に、レオナルドは思わず顔を顰めた。
(共闘の訓練を、受けていない……? というか、そもそも一緒に戦う連中と、今まで信頼関係を築いたことがないってか?)
同じような違和感を抱いたらしいユージィンが眉をひそめているが、キャロラインは穏やかな表情を維持したままである。さすがだ。
「では、上官である私から命令するしかないな。――水使い、ギル・レノックス。今後の対呪詛戦闘において、より精度の高いパフォーマンスを実現するため、炎使い、風使い、土使い及びその護衛魔導兵士とのコミュニケーション強化を命じる」
ギルの眉根が、僅かに寄る。
感情表現というにはあまりにもささやかな変化だったが、どうやらものすごく不本意であるらしいことは伝わってくる。そんなにイヤか。
ややあって、一度小さく息を吐いたギルが、それまでよりも低い声で応じる。
「……了解しました」
よろしい、と頷いたキャロラインが、満足げに笑って言う。
「それでは、改めて紹介しておこう。炎使いのユージィン・フラファティと、風使いのレオナルド・アシュクロフトだ。戦闘行動中以外の呼称については、互いにファーストネームを使用すること。ちなみに、ふたりの初恋の相手は私だぞ。今後何かあったら、盛大にいじってやるといい」
レオナルドとユージィンは、同時に噴き出した。
そのまま盛大に咽せてしまったユージィンを横目に、レオナルドは自分の顔が熱くなっているのを自覚しながらぎゃあと喚く。
「おい、司令! アンタいきなり何を言ってくれてんだ!?」
「青少年同士の正しい交流の基本といえば、やはり恋バナだろう。残念ながら、私は息子のような年の相手を恋愛対象とする趣味はないのでな。彼らの手を取ることは、慎んで遠慮させてもらったよ」
年齢一桁のときの黒歴史とはいえ、紛れもない事実であるだけに否定することもできず、レオナルドとユージィンはぷるぷると震えるばかりだ。
しかし、ギルはふたりの初恋事情よりも、ほかのことが気になったらしい。
「……息子のような年?」
その声に、はじめて聞く困惑が滲んでいる。
どうやらギルは、キャロラインの年齢を知らないらしい。
しかし、いくら恥ずかしい初恋ネタを披露されたからといって、女性の年齢を勝手に暴露するのはさすがにマナー違反である。
レオナルドが悶々としていると、キャロラインは悪戯っぽく笑って言った。
「うむ。ユージィンは婚約者候補のご令嬢たちとそれなりに上手くやっているようだが、レオナルドはどうにも女性運が悪くてな……。それまで友人として仲よくしていたご令嬢が、『マスターの妻』の座を射止めるべく突然肉食系になってしまったり、徒党を組んだご令嬢方に集団ストーキングをされたりしたばかりに、少々女性恐怖症気味の童貞なのだよ」
「だあぁああああっっ!?」
マナー違反どころではない事実を暴露され、首まで真っ赤になったレオナルドを、ぽかんと目を丸くしたギルが見つめてくる。これが、揶揄や哀れみを含んだ視線だったら勢いでキレられるものを、妙に幼く感じるそれが痛い。
そんな彼に、キャロラインが問いかける。
「ギル。せっかくだから、きみの初恋についても聞いてみたいのだが、どうだろう?」
「……初恋」
復唱した彼が、小さく首を傾げて考えこむ。
どうやら真面目に記憶を探っているようだが、その顔は相変わらず無表情のままだ。
ややあって、彼は淡々と口を開く。
「該当する記憶がありません」
予想通りだった。
なるほど、とキャロラインが頷く。
「それでは、今後我々はきみがはじめての恋をする瞬間に遭遇できるかもしれん、ということか。実に楽しみだ」
ギルが、「何言ってんだこの人」という目でキャロラインを見る。
たとえ無表情でも、何を考えているのかわかることはあるらしい。




