司令官は、年齢不詳の迫力美女です
レオナルドは、アシュクロフト伯爵家の嫡男である。
先日十九歳になったばかりの彼は、十三歳のときに風使いとなってから、十八歳で呪詛対策機関入りするまで、領内で発現した呪詛を片っ端から破却してきた。
もちろん、戦闘行動の際にはアシュクロフト伯爵家の私兵たちに護衛されていたし、逐一王家や呪詛対策機関に申請して、きっちりと身の安全を確保してのことだ。
レオナルドより一年先に、炎使いとして認められていたユージィンがいたため、その辺りの手続きもかなりスムーズにいったと聞いている。
お陰で、呪詛対策機関に入ったときにはそれなりに実戦経験を積んだ状態で、初任務からさほど苦労することもなかったのだ。
だから、自分より一年遅れで新たな同僚となった水使いが、初任務で問題なく呪詛を破却してみせたこと自体に、さほど驚きはなかった。
平民の出身とはいえ、貴族に近しい生まれ育ちの子どもであれば、幼い頃からその才覚を認められ、適切な教育や訓練を受けられる。
十八歳、というのは、マスターとして覚醒する年齢としては随分遅い。過去の記録では、すべてのマスターが十五歳までに覚醒していた。前例のない事態ではあるけれど、そのぶん魔導兵士として呪詛との戦い方をしっかりと学んでいたに違いない。
どんな環境で育てられたにせよ、レオナルドとユージィンが子どもの頃からそうしていたように、水使いであるギル・レノックスもまた、同じような努力をしてきたのだろう、と。
(そう、思ってたんだけどなぁ……?)
水使いとのファーストコンタクトから、三日後の朝。
呪詛対策機関本部で、広報用に回された水使いの資料に一通り目を通したレオナルドは、同じように「なんだこりゃ?」という顔をしているユージィンとともに首を傾げた。
「年齢は十八歳。孤児院育ち、元レノックス伯爵領自警団見習い。二ヶ月前、水使いとして覚醒した彼を、レノックス伯爵が養子に迎える。同家で基礎的な訓練を受けたのち、このたび呪詛対策機関に所属することになった……? えー、レノックス伯爵領の自警団って、どんな超絶エリート集団なの? 見習いでアレって、怖すぎじゃねえ?」
半笑いで肩を竦めながら言うユージィンに、レオナルドは思いきり眉根を寄せる。
「いや、さすがにそれはねェだろ。アイツは、初手から全力で呪詛の核をツブしにいってた。あんな動き、相当の実戦経験がなきゃできるモンじゃねえ。魔導兵士が到着するまで、市民の安全確保に務める自警団のやり方とは、全然違う」
「だよなあ?」
資料には、ギルの顔に刻まれた呪詛の爪痕についても記されていた。
ユージィンが、首を捻る。
「特記事項、額から顔の左側にかけて四本爪の呪詛の爪痕。彼が孤児院に迎えられた五歳のときには、すでに刻まれていた。本人も当時の記憶が曖昧で、対象の呪詛に関する詳細は不明……って。えー? アイツ、俺らと会ったとき『言いたくない』って言ってたよな?」
「ああ。少なくとも、記憶が曖昧で言えることがない、って雰囲気じゃあなかった」
たとえ無表情で、その声になんの色ものっていなくとも、あのときのギルは嘘を言っているようには見えなかった。
――これは、いったいどういうことだ。
自分たちが知っている、ギルに関するほんのわずかな事実と、レノックス伯爵家から提示された情報との間に齟齬がありすぎる。
ギルはもちろん、自分たちマスターに関する情報は、呪詛に対する最高戦力のそれとして、厳格な確実性をもって扱われるべきものだ。
なのに、ギルの養父であるレノックス伯爵は、おそらく彼に関する情報を意図的に隠蔽している。こんなことでは、いくら呪詛対策機関の情報部が優秀でも、彼の顔に爪痕を刻んだ呪詛の探索について、ろくな進展を望めないだろう。
「なんで、こんなことするのかねえ? レノックス伯爵家は」
心底意味がわからない、というようにユージィンが呟く。
「普通なら、水使いに爪痕を刻んだ呪詛なんて、一刻も早く見つけ出して処分しなきゃなんねーだろ。たとえアイツの能力に影響が出るモンじゃないとしても、あの見た目は周りの人間の志気を奪っちまう」
彼の言うとおりだ。
呪詛の爪痕は、それを刻まれた人間の肉体や魔力には一切影響しない。
しかし、そのおぞましくも痛ましい見た目から、周囲の人々は必ず憐れみの――あるいは、忌避の目を向けるものだ。
そんな状態の続くことが、本人の精神状態にいい影響を与えるわけがない。ギルの無愛想さや突っ慳貪さも、そういった点を考慮すれば仕方がないことだと納得できる。
呪詛の爪痕を消すことができれば、まだ十八歳の青年だ。これから、いい方向に向かう可能性は充分にある。
にもかかわらず、レノックス伯爵家はその努力をしようという姿勢をまったく見せていないのだ。
レオナルドは、顔を顰めて腕組みした。
「今、呪詛の爪痕を消そうと動くことが、かえってアイツによくない影響を与えると判断したってことか……?」
「まあ……。初対面で、いきなりその辺を訊こうとした俺が言うのもなんだけど。めちゃくちゃセンシティブな問題ではあるだろうからなあ」
気まずそうに指先で頬を掻きながら、ユージィンがへにょりと眉を下げる。
「そうだな。ただ、これだけマスターが揃ってて破却できない呪詛なんて、激甚災害級にだってそうそうねェだろ。これで万が一にも、あいつが水使いの力ごと食われちまったりすれば、最悪水の魔力に完全な耐性を持つ呪詛ができあがりかねねえ。多少本人の意思を無視したとしても、最優先で対処すべき問題のはずだ」
「だよなあ。あー……。ここでうだうだ言い合ってても仕方ねーし、ちょっと司令んトコ行ってみるか? おまえもこの間の報告書には、アイツとどんな話をしたかまでは書いてないだろ?」
そんなユージィンの提案を受け、彼らが向かったのはこの呪詛対策機関のトップである、司令官の執務室だ。
開け放たれている扉を軽く叩くと、左サイドの前髪の二割ほどが朱金に変じた明るい栗毛に、鮮やかなスカイブルーの瞳の女性が、書類から顔を上げてふたりを見る。
「おや。ふたり揃って、朝からどうした?」
落ち着いたアルトの持ち主は、キャロライン・メイジャー。
年齢不詳の迫力美女にして、昨日存在確認したばかりの水使いをいきなり現場に投入してきた、この国の呪詛対策機関最高責任者だ。
彼女は、メイジャー侯爵家の現当主でもある。
メイジャー侯爵家は、レオナルドとユージィンの生家と古くから親交があるため、ふたりは幼い頃から彼女のことをよく知っていた。
……レオナルドがはじめて彼女と会った十二年前から、髪型以外の彼女の容姿が少しも変化したように見えないのは、きっと気のせいではないだろう。なぜなら、二歳年長のユージィンも、まったく同じことを言っている。
キャロラインの凜とした佇まいを見るたび、幼い頃の自分をビシバシに鍛え上げてくれた家庭教師を思い出してしまうレオナルドだったが、今は昔語りをしにきたわけではない。
軽く片手を上げたユージィンが、少し困った顔をしながら口を開く。
「あー、ハイ。俺たち今、水使いに関する資料を見てたんですが――」
それから一通り自分たちの抱いた違和感について語ると、キャロラインは何やら非常に難しい顔をしていた。
彼女はひとつため息を吐くと、おもむろに両手を組み合わせて口を開く。
「我々も、レノックス伯爵が彼を連れてきたときから、いろいろとおかしいと思うことはあったのだがな」
そう言って、彼女はくっと眉根を寄せた。
「何しろ昨日、突然彼を連れてきたレノックス伯爵が、私に彼をどう紹介したと思う? ――自分の三男が、水使いだった。すでに、実戦に耐えうるだけの力は備えている。それを証明してみせるから、すぐにでも適当な呪詛と戦わせてみるがいい、ときた」
レオナルドは、思わずユージィンと顔を見合わせる。
それから、恐る恐る片手を上げてキャロラインに問う。
「えっと……。つまり、そのときレノックス伯爵は、ギルが養子だってことは一切言っていなかったってことですか?」
「ああ。お陰で私は、彼が愛人に生ませた子どもが水使いであったため、有頂天になって名乗りを上げてきたのだと思ったのだよ。それでまあ、ギル本人も出撃を拒否しなかったし、きみたちふたりが揃っている現場であれば、多少の怪我はしても死ぬことはあるまい、と彼を送り出したのだが――」
はああぁ、とキャロラインが深々とため息を吐く。
「ギルが孤児院育ちだというなら、複数の核を持つ『館』タイプの呪詛を単独撃破できるほどの実力を、いったいどこで身につけてきたのやら。すでに情報部を動かしてはいるが、詳細の確認には少々手間取りそうだ」
心底不快げにそう言った彼女は、そこで表情を改めた。
「ただ、きみたちも知っての通り、彼の――なんと言えばいいかな。他者との交流を一切拒否しているようなあり方は、今後のためにも早急に改善すべきだ。……彼が育った孤児院の環境は、あまりよいものではなかったのだろう」
キャロラインは非常に責任感が強く、また曲がったことが大嫌いで、ときに苛烈な振る舞いを見せることもあるけれど、基本的にとても心優しい女性である。
彼女にとって、まだ十代の青年であるギルは、まだまだ庇護欲をそそられる存在であるのかもしれない。
とはいえ、いくら年若くとも、彼がすでに成人年齢に達しているうえ、有力貴族の養子になってしまっているとなると、部外者がその生き方に容易に口を出すのは、さすがにはばかられる。今後、レノックス伯爵家が水使いを得たことで、貴族間の力関係が変化することを考えると、なかなか難しいところだ。
「彼の魔導剣を操る腕も、呪詛を前にした判断の速さも、きみたちの言う通り、とても提示された経歴からは考えられないものだ。レノックス伯爵は、彼に対するご子息たちの指導がよかったのだろう、などと言っていたが……。二ヶ月足らずの指導で、あれほどの実力を身につけさせられたというのなら、ご子息たちは戦神の生まれ変わりに違いないな」
皮肉げに言う彼女は、まるでそんなことを信じていないのだろう。
たとえギルがどれほど素晴らしい才覚の持ち主だったとしても、あれほどの技倆を身につけるには、年単位の努力と実戦経験が必要なはずだ。
まして、彼は水使い。
先達の戦闘記録すらないまま、たったひとりで自分の力の扱い方を学ばねばならない状況なのだ。そんな彼が、たった二ヶ月の鍛錬で呪詛を単独撃破できるようになるなど、どう考えてもありえない。
つまり、ギルがあれだけの戦闘能力を身につけたのは、必然的に彼が孤児院で過ごしていた頃のことになるわけだ。
だが、そうなるとやはり、彼はどこで誰から戦い方を学んだのか、という最初の疑問に立ち戻る。本人がレノックス伯爵家からの情報を否定してない以上、事情を尋ねたところで、こちらの聞きたい答えはおそらく返ってこないだろう。
「ユージィン。レオナルド。きみたちは彼と年も近いし、同じマスターという立場だ。レノックス伯爵家に関しては、少々気になる点もある。こちらも可能な限り調べを進めてみるが、できるだけ気に掛けてやってくれ」
レオナルドはユージィンと顔を見合わせ、口を開いた。
「それは、まったく構いませんが……。水使い本人ではなく、レノックス伯爵家に気になる点があるんですか?」
「ああ。レノックス伯爵が、第一王子の派閥に接触したそうだ」
あっさりと返された言葉に、ふたりのマスターは揃って息を呑む。
現在、この国の王家には、三人の王子とふたりの王女がいる。
そのうち、王妃の子どもは第二王子と第三王子。
二年前に立太子した現在十八歳の第二王子が、この国の未来の国王だ。
幼い頃から文武に優れ、朗らかで誠実な人柄である彼は、レオナルドとユージィンにとって未来の主君であるのと同時に、幼い頃からの大切な友人でもあった。
王太子の婚約者である公爵令嬢も、十五歳という若年ながら、心から未来の夫を大切にしているのがよくわかる、聡明な少女だ。
政略結婚でありながら、これほど幸せそうなカップルも珍しい、と彼らを見るたびしみじみと感心してしまうほどである。
その反面、生まれたときから少々体が弱く、また母親がさほど力のない子爵家の娘であったため、王宮で影の薄い存在なのが、今年二十歳になる第一王子。
彼自身、自分の立場を正しく理解しているのだろう。
王宮で催される様々な宴にも滅多に顔を出すことがなく、ひっそりと王宮の奥で過ごすことが多いという彼の姿を、レオナルドはいまだに見たことがない。
今後何事もなければ、いずれ第一王子はどこかの貴族の家に婿入りするか、国王から新たな爵位を与えられて臣籍に降下するのだろう、と思っていた。
しかし、ギルという水使いを見出したことで、今後ますます王宮での発言権を増していくだろうレノックス伯爵家が、第一王子の派閥に接触したということは――。
「さすがに、第一王子が王太子の座を奪いにくるということはないだろうがな。今後、王宮内での権力闘争が複雑になっていくことは、間違いないだろう」




