水使い
「レノックス伯爵家の人間か? オレはアシュクロフト伯爵家のモンだが、テメェの顔は見たことがねェぞ」
同年代の貴族の人間であれば、幼い頃から顔と名前くらいは把握していて当然だ。フラファティ子爵家の嫡男であるユージィンも、土使いの侯爵令嬢も、それぞれの髪や瞳が栗色と灰色であった幼い頃からの知己である。
そして、レオナルドの記憶している限り、レノックス伯爵家には現在二十三歳の嫡男と、二十歳の次男がいるだけだ。
何より、件の兄弟たちは、揃って明るい金髪に、淡い水色の瞳を持つ大柄な男たちである。黒髪で線が細く、見るからにパワーよりもスピードを重視している彼とは、まるで似ても似つかない。
そこまで考えたレオナルドが自身の推察を口にするより先に、この国の水使い――ギルが淡々と応じる。
「おれは、あの家の養子だ」
推察通りの答えに、なるほど、と頷く。
レノックス伯爵家は、代々優秀な水系魔導士を輩出してきた家だ。その事実より、古くから続く権勢を誇っている。今後は、水使いを見出した功績によって、ますます王宮での発言権が大きなものになるだろう。
(ウチもユージィンのフラファティ子爵家も、オレらがマスターになったことで、縁戚との力関係がかなり変わったし。……土使いの婚約者が危うくすげ替えられそうになって、ガキの頃から婚約者一筋の本人がブチギレてたのは、ちょっと面白かったな)
常に呪詛の脅威に晒されているこの大陸において、膨大な自然魔力を己の魔力の如く操るマスターたちは、どの国においても稀少な最高戦力として求められている。
今のところ、マスターがおらずとも呪詛の対処に関して日常的に苦慮している国はないようだ。しかし、こうしてこの国に四人ものマスター、それも全属性が揃ったとなると、周辺諸国から「なぜおまえのところばかり……!」と羨まれても仕方がないかもしれない。
実際、土使いの令嬢には、マスターとなったことで他国の王家や公爵家からの縁談が、引きも切らさずやってくるようになったそうだ。どれも、元々彼女の婚約者だった少年の生家とは、比べものにならないほど立派な家格からの申し出である。
マスターが女性である場合、その『所有権』を得るには妻に迎えるのが最も手っ取り早い手段であるため、彼らのしつこさは相当のものだったらしい。
それらすべてを、「やかましいですわ」の一言でぶった切った彼女は、使者たちを自ら操る植物で捕獲しては放り出していた。最終的に、自身の魔力を宿した魔導剣の使用者を、婚約者の少年と定める契約を断行することで周囲を黙らせたのは、今も乙女たちの間では語り草であるらしい。
そんなことを思い出していたレオナルドの隣に並んだユージィンが、興味深そうに水使いを見つめて言う。
「えっと、失礼な質問だったらごめんな? おまえさんにその爪痕をつけた呪詛って、どんなヤツだったんだ?」
一拍おいて、ギルは無表情のまま低く応じた。
「言いたくない」
「……そっかあ」
あっさりと切り捨てられ、へにょりと眉を下げたユージィンの脇腹に、レオナルドは無言で肘をめりこませた。
「ごふうっ」
「こんの、デリカシー皆無のアホンダラが! はじめて会ったばかりだってのに、いきなり何をとんでもねェこと訊いてくれてんだ!?」
――ヒトガタの呪詛が、己のエサと定めた者に刻む爪痕。
膨大な魔力を持って生まれた子どもを、いずれそのすべてが成熟したときに食らうための目印は、常におぞましい悲劇を意味するものだ。
そんな過去を、初対面の相手にさらけ出せる者などいないだろう。
しかし、涙目になって脇腹を押さえたユージィンは、ぎゃあと喚いた。
「いや、だってさあ! 呪詛の爪痕なんて、さっさと本体を破却して消しちまうのが一番だろ!? せっかくキレイな顔してるのに、可哀相じゃん! 諜報部に話通して、さくさく情報集めてやろうと思っただけじゃーん!」
「おお、それは結構なことだけどな! 何事も、最低限の手順や段取りや気遣いってモンがあるだろうが!」
眉を吊り上げ、勢いよく言い返しながら、レオナルドは内心首を傾げる。
(キレイな顔……?)
顔の半ばを占める爪痕のせいで、その美醜まではまったく気に留めていなかったのだ。
どれ、と思いながら、無表情ながらどこか驚いているふうの水使いを振り返る。
……やはり、爪痕のせいでよくわからない。
バランスの取れた顔立ちをしているとは思うけれど、黒々と存在を主張する醜い爪痕と、まるで動かない表情のせいで、非常に陰気くさく見えてしまうのだ。
深々とため息を吐いたレオナルドは、親指でユージィンを示しながらギルに言う。
「コイツが無神経なことを言って、悪かった。……けどまあ、オレもその爪痕はさっさと消しちまったほうがいいと思う。本部に戻ったら、諜報部に訊いてみろ。ヒトガタの呪詛なら大抵登録されているはずだし、新しい情報も最優先で入ってくるはずだ」
せっかくの貴重な戦力である水使いを、簡単に死なせるわけにはいかない。
たとえ本人が詳細を語ることを拒否していても、おそらくその情報は本部で共有されている。
呪詛対策機関への所属を許されるのは、成人年齢である十八歳からだ。
すでに成人している以上、彼に爪痕を刻んだ呪詛が、いつ襲ってきてもおかしくない。本部に戻ったら早めにチェックしておこうと思っていると、ギルがぽつりと呟いた。
「そうか」
まるで他人事のように、どうでもよさそうな反応。
もしや、周囲の誰にも頼らずとも、自分ひとりで対処可能であると思っているのだろうか。それはさすがに、判断が甘すぎる。
眉をひそめたレオナルドが何か言うより先に、ギルはさっさと踵を返す。彼はそのまま、あっという間に瓦礫の向こうに消えていった。
マスターたちは、自然魔力に異常なほど高い親和性を持つ反面、その力に覚醒してからは、自分自身の魔力を体外に放出することができなくなる。それぞれの専用装備である魔導剣以外の一般魔導武器や、攻撃魔術の類いは一切使えないため、不便な思いをすることも多かった。
彼らが自らの魔力で行使できる戦闘用の魔術は、身体強化魔術くらいのものである。
ギルの身のこなしから察するに、身体強化魔術の練度はかなり高そうだ。そうでなければ戦場で生き残ることはできないと、すでに知っているのだろう。
ユージィンが、深々とため息を吐く。
「なんかなー。いや、呪詛の爪痕食らってるヤツが、朗らかハッピーな性格してるわけがねえってのは、わかってんだけどさあ。いくらなんでも、無愛想すぎねえ?」
「人付き合いが苦手なんだろうよ。ほっとけ」
レオナルドとユージィンは、同僚であるという以前に親しい幼馴染み同士である。そのため、こうして顔を合わせれば適当に気楽な会話をするのが常だった。
しかし、レノックス伯爵家の養子で、自分たちが今まで顔を見たことがないということは、あの水使いは平民の出身なのだろう。
同じマスターである以上、身分の違いがどうのというつもりはないし、そもそも今は彼も立派な伯爵家の三男だ。それでも、向こうからすれば生粋の貴族であるレオナルドやユージィンとは、馴染みにくいところがあるに違いない。
互いに相容れないとわかっている相手と、無理矢理距離を詰めようとしたところで時間の無駄だ。どれほど愛想がなかろうと、きちんと仕事をするのであればそれでいい。
(……まあ、ムカつくのはムカつくけどな!)
レオナルドとしては、一応先輩として最低限の気遣いはしたつもりだったのだ。
同じ組織で働く以上、いずれ共闘することもあるだろう。そのとき、互いの動き方や戦い方の癖を知っているのと知らないのでは、雲泥の差だ。
マスター同士、今後本部の施設で共同訓練をすることもあるだろうに、あそこまで協調性が皆無となるとやりにくいことこの上ない。
この国の者たちが、夢見るように焦がれていた水使いが現れたというのに、なんだかものすごく残念な気分だ。
深々とため息を吐いていると、ふとユージィンが勢いよく振り返った。
「つーか、めっちゃ今更だけどよ! 水使いって、戦えたんだな!」
「………………おお?」
言われてみれば、と、レオナルドは思わずユージィンと顔を見合わせる。
風使いの操る空気の刃や、炎使いの操る爆炎は、そのまま呪詛に対する有効な攻撃手段となる。
一方で、呪詛に穢された土地を浄化するには水の魔力が、弱った大地の力を回復させるには土の魔力が非常に効果的だった。
そのため、古くから呪詛との直接戦闘は風使いと炎使いが、戦闘後の浄化や回復は水使いと土使いが担うというのが定石なのである。
現在、この大陸に存在確認されている水使いは、ギル以外にはひとりだけ。
かつて人々から『水の乙女』と呼ばれ、現在は西の大国の王妃となっている女性である。
彼女が祈りを捧げて呼んだ雨は、呪詛に穢された土地をあっという間に浄化したという。
過去の歴史を振り返っても、水使いに関する逸話はどれも似たようなものだ。
水使いとは、呪詛に穢された土地を清らかな水で浄化し、癒すもの――それが、この大陸における一般認識なのである。
レオナルドは、首を傾げてぼそりと呟く。
「あいつ……どこで、あんな戦い方を覚えてきたんだ?」
「ホント、それな!」
たとえ直接師と仰ぐべき先達がいなくとも、かつて存在した風使いと炎使いがどのような戦い方をしていたかは、過去の戦闘記録から学ぶことができた。
ふたりはそれらの知識を固めたうえで、実戦を重ねる中で自分たちなりの力の使い方を模索し続け、呪詛に対する効率的な戦い方を身につけてきたのだ。
だが、そもそも水使いに関しては、そういった戦闘記録自体が存在しない。
人々の間で語り継がれているのは、穢れた大地を浄化する雨を呼ぶ水使いの、神秘的で美しい姿ばかりだ。
「まあ、レノックス伯爵家は、古くから水系魔導士を多く輩出してきた家だしな。水使いを指導するには、ちょうどよかったのかもしれねェが……」
首を捻りながらのレオナルドの言葉を、ユージィンが即座にぶった切る。
「いやいや、そりゃーねえわ。まあ、水の魔術の基礎の基礎程度だったら、レノックスの兄貴連中から教われたと思うぜ? でも、一般的な水系魔導兵士が使える水の魔術なんて、あいつが使ってた魔術と比べたら、子どものお遊びみたいなもんだろうよ」
「だよなあ。ってことは、完全独学でアレってわけか。……すげえな、あいつ」
自分たちがマスターだからこそ、そうでない者たちとの差異はいやでもわかる。
結局のところ、どうしても彼らと自分たちは『違う』のだ。
それは、優劣の問題ではない。
持って生まれたものが違う以上、その鍛え方も学び方も違ってくるのは当然だ。
各々が自らに適した方法で力を磨き、それを合わせることでより効率的に呪詛を破却する。
そのやり方を、間違っているとは思わない。
個人の能力の違いを無視し、画一的な教育方法を押しつけたところで、望む結果が得られるわけもないだろう。
マスターたちは、みな自然魔力の行使という点では、周囲とは比較にならないほど圧倒的なポテンシャルを持っている。マスター以外の者がマスターに自然魔力の扱い方を教えるなど、赤子が大人に手習いを教えるようなものだ。
しかし、多くの魔導兵士たちが使っている魔導武器を一切使用できないというのは、レオナルドにとって少々面白くないことだった。
レオナルドは幼い頃から、魔導武器を駆使する魔導兵士たちが呪詛と戦う姿を見て「スゲー! カッコイー!」と憧れ、いつか自分もあんなふうになりたいと夢見ていたのだ。
自分が風使いであることを、悔やむことはない。
けれど、一度くらいカッコよく魔導武器をぶっ放してみたかった、という少年のココロは、なかなか忘れがたいものなのである。……髪の色が変わる前に、模擬銃でもいいから一度撃たせてもらっておけばよかった。
マスターとなったときから、膨大な自然魔力を難なく扱えるようになる反面、自分の魔力を体外に放出できなくなるというのは、結構なデメリットだと思う。
(新型のライフル、狙撃精度がめっちゃ向上しててテンション上がるー、とか、魔導兵士連中の間ですげえ話題になってたしな……。じゃなくて!)
うっかり思考が脱線してしまったのを、軽く頭を振って引き戻す。
「つうか、水使いのあいつが、単独で厄介な『館』タイプの呪詛を破却したってなったら、相当な騒ぎになるんじゃねェか? あいつほどのレベルでは無理だとしても、よその水使いも前線に立つようになれば、だいぶ戦闘資源の消耗が抑えられるだろ」
もしかしたら、今後対呪詛戦闘のあり方が大きく変わるかもしれない。
水使いの操る水が、発動中の呪詛に対しても著しい効果を発揮することが、今回のギルの戦闘行動で証明されたのだ。
レオナルドの見た限り、あれは最新鋭の魔導武器を装備したハイレベルの魔導兵士数十名が、タコ殴りする勢いで総攻撃をしたときの効果に匹敵する。この成果を受け、もし他国に所属する水使いが前線に立つようになったなら――。
「いや、それはねーだろ。今いるヨソの水使いっつったら、元『水の乙女』で現一国の王妃さまの、『呪詛の穢れを清めてくださる美しき水使いサマ』だぞ」
「……そうだった」
束の間抱いた希望的観測を、再びあっさりとユージィンに一蹴される。
西の大国の王妃である水使いは、血なまぐささとは無縁の、清らかな存在として大陸中の人々から崇められていると聞く。
水使いを実戦投入することで、多大な戦果を得られるということが知れ渡ろうと、彼女の周囲にいる人々がそれを許容することはないだろう。
「水使いや土使いは、細っこくてキレイなタイプが多いらしいしなあ。ウチの水使いだって、あの呪詛の爪痕がなかったら、周り中がよってたかって『麗しの水使いさま』に仕立て上げてたかもしれねーぞ?」
笑い含みのユージィンの言葉に、レオナルドは軽く肩を竦めてみせた。
「あいつは、そんなタマじゃねェだろ」
たった一度目にしただけだが、あの鋭くも流れるような剣技は、紛れもなく彼自身の血の滲むような努力の結果だ。
呪詛の爪痕を刻まれた幼い子どもが、自ら戦うことを選び、必死に身につけてきた力を否定するなど、誰にも許されることではない。
……あの無愛想さと突っ慳貪さはやはり少々イラつくが、世間知らずの後輩相手に腹を立て続けるのもばかばかしい。
(まあ、どうせこれから共同で呪詛と戦うんだ。いずれあいつが馴染んできたら、少しは話もできるようになる……と、いいんだけどなあ)
そのときレオナルドは、極単純にそんなことを考えていた。
ギルと名乗った水使いが、どんな思いでその手に剣を取っていたのか――どれほど多くの傷を、その心と体に負っていたのかも知らぬまま。
そして、彼は後悔する。
ヒトガタの呪詛に両親を食い殺され、たったひとりの姉を人質にされ、血塗れの孤独な人生を強いられ続けた『彼女』が、絶望の中泣きながら自らの死を願った日から。
思い出すたび、うずくまって叫びたくなるほどの後悔を――生涯、することになる。
こんなはじまりですが、この物語はハッピーエンドです。
途中経過はともかく、ハッピーエンドです。
大事なことなので三回書きますが、ハッピーエンドです。




