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白銀の風使いと呪詛の爪痕  作者: 灯乃


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16/17

氷の幻想

 疲れ切ってうとうととしていたギルは、意識が落ちる寸前にぱっと目を開いた。

 いくらすぐそばに湖があるとはいっても、ここはいつ誰がやってくるとも知れない野外だ。眠って無防備な姿を晒すなど、できるわけがない。


(……ユージィン臭い)


 自分がユージィンのジャケットを払い落とすことなく、野営用の保温シート代わりにしていたことに改めて気づき、ため息を吐く。

 マスターたちには、極力借りを作りたくないと思っていたのに、あのヒトガタの呪詛のせいだ。まったくもって、腹立たしい。


 だが今は、自分自身の不甲斐なさが、何より一番辛かった。

 両親を食い殺した呪詛を目の前にしながら、ひどく動揺して魔力の制御に失敗した挙げ句、何もできないまま取り逃がした。

 悔しくて、憤ろしくて、思い出すだけで息が詰まる。

 指が震えて、寒くて仕方がなくて、ユージィンのジャケットを放り捨てることができない。


(おれは……あいつを、助けたわけじゃないのに)


 エサイアスの牙がユージィンに襲いかかった瞬間、失いかけていた魔力の制御を強引に戻して水の盾を形成したのは、ただこれ以上あの呪詛のせいで死ぬ人間を見たくなかっただけだ。

 ここの被呪者たちだって、それは同じ。

 彼らを助けたかったわけじゃない。

 ただ、これ以上エサイアスの犠牲者が増えるのを見たくなかった。

 それだけの、自分のわがままだ。


 ――そんな哀れな生き方をしている限り、いずれ必ずキミは心の底から絶望できる。ちゃあんと絶望したら、ボクを呼んでね。そのときは、すぐに迎えにいってあげるから。


 心の底からの絶望、なんて。

 もう、何度もしたと思っていた。

 両親を食い殺されたとき。

 無理矢理髪を切られ、二度と姉に会えなくなったとき。

 毎日吐くほど辛い訓練を受けながら、自由に死ぬことさえ許されないと知ったとき。


 だが、あんな呪詛の言葉などどうでもいい。

 どれほど絶望したとしても、自分が呪詛など呼ぶわけがない。それも、両親の仇であるおぞましいヒトガタを。


 ――絶望したキミを、骨のひとかけらも残さず食べて、救ってあげる。そのときを、心から楽しみにしているよ。ボクの哀れな水使い。


 あんな呪詛に、自分が救いを求めるなどあり得ない。そんなことをしたら、激怒したレノックス伯爵がきっと姉を殺してしまう。

 ……本当は、エサイアスと実際に再会するまでは、両親の仇と戦って死ぬのであれば、たとえ負けたとしてもそれでいいかと思っていた。

 そうすれば、もしかしたら両親と同じところに行けるかもしれない、と――そんなばかばかしい幻想を、少しだけ抱いてしまったのだ。


 けれど、そんなことはもうできない。

 両親の無惨な死に様をまざまざと思いだし、その理不尽過ぎる理由を知った。

 幼かったギルにとって、たしかに両親はすべての幸福を与えてくれる存在だったのだ。

 なのに彼らは、ただ互いを心から愛していたという理由で、それをまるで見世物のように面白がった呪詛に食い殺された。

 いっそのこと、ふたりとも呪詛に呑まれて、互いに意味もわからないまま殺し合ったほうが、どれほど苦痛が少なかっただろう。


(あの呪詛は……刺し違えてでも、おれが必ずこの手で殺す)


 震える手を、ぐっと握りこむ。

 こんなにも弱い自分が、本当に大嫌いだ。

 両親の仇を目の前にしながら、ろくに戦うこともできないなんて、心が弱いにもほどがある。


 ……もう、何も感じるな。

 心が弱くなるのは、大きすぎる感情に揺り動かされ、ぐちゃぐちゃに乱れてまともな状態ではなくなるからだ。

 あの呪詛への憎しみも、両親を食い殺された悲しみも、すべて心の奥底に沈めてしまえ。

 今はもう、愚かで無様で情けない、自分自身への怒りだけあればいい。

 それ以外の感情をすべて捨ててしまえば、きっと思い通りに戦える。

 冷静に、冷徹に、自分自身の力を余すことなく利用しろ。


 深く、息をする。

 心臓の音。

 自分はまだ、生きている。

 生きている限り、呪詛と戦え。

 それだけの力を、自分はすでに持っているのだから。


(必ずこの手で、おまえの核を破却する。――『裏返し(リバース)』のエサイアス)


 手の震えが、止まった。

 ふらりと立ち上がったギルの肩から、ユージィンのジャケットが落ちる。

 それに気付かないまま、再び湖に向かって歩きだす。途中で、妙な空気の圧を何度か感じたけれど、頓着することなく冷たい水に膝まで入る。


 大量の水。

 自分の武器となり、盾となるもの。

 軽く手を伸ばして願えば、透明な水がギルの体を守るようにまとわりついた。戯れに魔力をこめて指先を踊らせると、それに従い青く輝く飛沫が、美しい流れを描いて弾ける。

 水は、世界はこんなにも美しいのに、なぜおぞましい呪詛などというものが存在し続けているのだろう。


「……ギル!」


 輝く水の流れをぼんやりと眺めていると、誰かが自分を呼ぶ声がした。

 そうだ。

 自分は、ギル・レノックス。

 呪詛と戦うためだけに生きている。


 振り返ると、何やら妙に焦った顔をしたレオナルドが駆け寄ってきた。その少しあとにユージィンが、そして彼らからだいぶ遅れて、知らない形式の戦闘服を着た男たちや、一般市民らしい大勢の人々の姿が見える。


「おまえ……何して……っ」

「魔力の制御確認だ。おれはもう二度と、あんな無様を晒すつもりはない」


 淡々と答えると、一瞬息を呑んだレオナルドが眉をひそめた。


「気持ちは、わかるけどな……。今は、もう少し休んでろ」


 彼の言葉に続いて、拾ったジャケットに袖を通しながらユージィンが言う。


「そうだぞ、ギル。ああ、おまえの水のお陰で、今回の呪詛の影響は問題なく鎮静化した。それに、呪詛の核がすでに被呪者から離れていたからなのかな。おまえの水を被っても、被呪者たちは誰も苦しんでいなかったよ」

「……そうなのか?」


 少し、驚いた。

 今まで自分の魔力を通した水を浴びた被呪者たちは、みな例外なくひどい苦しみ方をしていたから。

 ああ、とレオナルドが頷く。


「本当だ。負傷者の医療施設への搬送も、もうほとんど終わってる。激甚災害級の現場が、これほど小規模の被害で済んだのは、おまえのお陰だ」

「そうか」


 どうでもいい。

 自分がこの街の人々を救ったのは、ただの自己満足なのだから。

 指先に集めた小さな水が、青い光を孕んでゆらゆらと揺れる。

 少しの間のあと、レオナルドが低く穏やかな声で口を開いた。


「……水使い(アクアマスター)。小さな水の塊を、大量に作ってくれ」

「了解」


 彼の意図はわからないが、その指示に背く理由はない。

 即座にレオナルドの言った通りにしてみせると、彼はユージィンに向けて大きな声で言う。


炎使い(フレイムマスター)! 水使い(アクアマスター)が作ったこの水、全部凍らせろ!」

「へ? お、おぉ……?」


 ユージィンにとっても想定外の指示だったのか、戸惑った声を零したものの、彼もまたすぐに炎の逆転魔術で、浮かぶ水のすべてを凍らせた。

 それを見て、にやりと笑ったレオナルドが、遠巻きにこちらの様子を窺っていた街の人々を振り返る。


「あなた方が、生きていることに感謝する!」


 高らかに彼が言うなり、下からの突風がユージィンの作った氷塊を巻き上げた。

 キラキラと輝く大量の細かな氷塊が、太陽の光を弾いて輝く。

 その美しさに、軽く口笛を吹いたユージィンが、弾む声で口を開いた。


水使い(アクアマスター)! 追加だ!」

「……了解」


 いったいなぜこんなことを、と困惑するばかりだが、指示をされれば体は勝手に従った。ギルが水の塊を作り上げる端からユージィンがそれらを氷塊にし、レオナルドが空へまき散らしていく。

 純白の、ときに七色の光を弾く、氷の幻想。

 呪詛の影響で傷ついた人々が、まるで魅入られたかのように大きく目を見開き、声もなくその様子を見つめている。

 そして――歓声が、弾けた。


風使い(ウィンドマスター)さま! 炎使い(フレイムマスター)さま! 水使い(アクアマスター)さま! ありがとうございます!」


 人々がそんなことを繰り返し叫びながら、ある者は涙を流し、ある者は祈りを捧げるかのように両手を組む。

 大勢の人間が発する、爆発的な感情の波に圧倒される。


(……なんだ、これは)


 はじめての感覚に唖然としていると、空中で氷塊を舞わせながらレオナルドがこちらを見た。


「ギル。おまえが、あの人たちを救ったんだ」


 そうだ。

 自分のために、わがままを言って彼らを救った。


「今は、わからなくてもいい。でも、オレはずっと覚えてる。おまえが、大勢の人たちを救ったことを。そのために、ものすごくがんばったことを」

「……おれが、何をわかっていないというんだ?」


 その問いに、レオナルドが真剣な眼差しでゆっくりと答える。


「おまえにも、幸せになる権利があるってこと」


 一瞬、その言葉の意味を、本当に理解できなかった。

 何度か瞬きをしている間にも、レオナルドは言う。


「おまえがどう思っていようと、オレは――オレたちは、おまえを仲間だと思ってる。おまえがあのヒトガタと戦うときも、絶対おまえをひとりにはしない」


 だから、と。


「これだけは、わかってろ。何があっても、忘れるな。オレたちがいる限り、おまえが絶望する必要なんて、絶対ないんだ」


 この男は――いったい、何を言っているのか。


「おまえは、頭がおかしいのか?」


 思わずこぼれた言葉に、レオナルドの額に一瞬青筋が浮く。

 今までならば、すぐに怒鳴り返してきたところだろうに、彼は深々と息を吐いて眉間を揉むと、半目になってギルを見た。


「……そりゃあ、どういう意味だ?」

「正直、おれはおまえたちのことを、自分とは違う世界の人間だと思っている。おまえたちは、生まれたときから飢えたことも、寒さに震えたこともない。望まぬ相手に触れられたことも、ただそこにいたからという理由で、骨が折れるような力で蹴られたこともないだろう」


 言葉を重ねるごとに、ひどく複雑な表情になっていたレオナルドが、途中で思いきり顔を強張らせる。


「ちょっと、待て。え、おまえ、望まぬ相手に触れられた、って……?」

「ああ、おまえが思っているようなことじゃない。訓練中に、やたらと胸や尻を触られただけだ。呪詛の爪痕のせいで、ベッドに呼ぶ気にまではならなかったらしくてな」


 胸部プロテクターで自衛していたとはいえ、最悪の事態が起きていたかもしれないことを思えば、この呪詛の爪痕もたまには役に立つこともあるらしい。

 しかし、レオナルドは青ざめた顔をますます強張らせた。


「いやいやいや、待て待てギル。それ、おまえ、いくつのときだよ!?」

「十四のときから。世の中には、未成年の子どもに発情する変態がいるんだ。――おまえたちには、無縁のことだろうが」


 たとえ同じ『マスター』という立場で括られていても、自分と彼らはあまりに違う。

 その違いを理解していくにつれ、もはや比べる気にもなれないほどに。


「おれは、おまえたちの価値観がわからない。理解できるとも思わない。だから、おまえの言う『幸せ』とやらが、どんなものかも想像できない。おまえたちだって、そうだろう」


 ギルがレオナルドたちのことを理解できないように、彼らがギルの何を理解できるとも思わない。


「互いのことを理解できない。価値観も共有できない。ついでに、おれのおまえたちに対する態度が、決して褒められたものではないことくらいは自覚している。それなのに、ただ『マスター』という共通項があるだけで、なぜおまえたちはおれを仲間だなんて思えるんだ? 頭がおかしいとしか思えない」

「……なるほど。とりあえず、今度王太子に会ったとき、未成年の子どもに対する性的虐待について、ガッツリ厳罰化するよう言っておくとして、だ」


 片手で目元を覆い、はあぁああ、と息を吐いたレオナルドが、やがて据わった目つきでギルを見た。


「ギル。オレだってな、正直テメェのことは、ずっと気に食わなかったよ。ロクに喋りもしねェ、愛想はねェ、マスターとしてのプライドもねェ。おまけに、自分の命すら大事にできねェ死にたがりときた。鬱陶しくて仕方がねェわ」

「だろうな」


 そう考えるのが、普通なのだ。

 しかし、レオナルドは再び額に青筋を立てて喚いた。


「だろうな、じゃねェわ! オレたちとテメェの違いなんざ、どうだっていいんだよ! テメェは、今までの任務で、一度だって手を抜いて戦ったことがねェだろうが! オレたちが、テメェを仲間だと思う理由なんざ、それだけで充分だ!」

「……意味がわからない。おれはただ、自分の仕事をしているだけだ」


 眉をひそめたギルを見て、それまで黙っていたユージィンが口を開く。


「ギル。上を見ろ」


 命じられるままに空を仰ぐ。


(……あ)


 澄み切った蒼穹に、まるで宝石の川のように流れる光があった。

 ギルが作った水の塊を、ユージィンが凍らせ、レオナルドが操っている氷の舞。

 きれいだな、と。

 そう思えた自分に、少し驚く。


「俺は、この景色を綺麗だと思う。――おまえは? 綺麗だとは、思わないか?」


 美しいものを、美しいと感じる心。

 たとえ自分たちの何が違っていても、それは変わらないだろう、と言うユージィンに、ギルは小さく息を吐いた。


「そうだな。とりあえず、おまえたちが揃いも揃って呆れるほどにお人好しで、素晴らしく善意に満ちた幸せな思考回路の持ち主だということは、よくわかった」

「アァ!?」

「……すげーな。言葉だけなら一応褒められてるっぽいのに、全然嬉しくねー」


 レオナルドはやはり怒りっぽいし、ユージィンは半目になってぼやいている。

 そんな彼らの様子を見て、ギルは唐突に理解した。


(そう、か。おれは……コイツらを、好きになりたくないんだ)


 この国のマスターたちはみな、本当にお人好しで、優しいから。

 ただの同僚であるギルにまで、当然のように温かな善意を差し出してくるから。

 ギルの心の奥底にいる、幼くて弱いままの小さな子どもが、「それが欲しい」と泣きわめく。その子どもの声に気付かなかったことにして、見ないふりをして、封じ込めることに疲れてしまう。


 ……なんて、浅ましい。

 あのおぞましい呪詛と戦うためには、こんな甘ったれた感情など不要だというのに。

 呪詛との戦いの中で死ぬことを夢見る自分に、彼らの優しさを受ける価値などないというのに。

 心の澱を洗い流すような美しい空から目を逸らし、ギルはぽつりと口を開く。


「おれは、あのヒトガタを殺すまで死ぬつもりはない。あれの討伐任務の際に、おまえたちの力が必要だと上が判断するなら、共同で戦うこともあるだろう」


 ただ、とギルはレオナルドとユージィンを見た。


「状況が許す限りで構わない。あれの核は、おれに破却させてもらいたい」


 本音を言うなら、何があろうとこの手でとどめを刺してやりたい。

 それでも、私怨に囚われるあまり、肝心の相手に逃げられてしまっては本末転倒だ。

 ギルの要請に、ふたりは揃って頷いた。


「ああ。わかった」

「おうよ。なんて言っても、俺たちは『呆れるほどにお人好し』らしいからなー!」


 そのときギルは、このふたりの協力があるなら、両親を殺した呪詛の討伐も問題なく遂行できるに違いないと思っていた。

 今回は慣れない空中戦であったこと、そしてギル自身がまったく戦力になり得なかったことで、遅れを取ってしまった。けれど、きちんと準備を整えたうえで対峙すれば、決して敵わない相手ではないだろう、と。


 しかし、自分自身が何に絶望するのかを、正しく理解できている人間など、そうはいない。

 最悪の可能性からは、みな無意識に目を逸らしてしまう。

 戦う術ばかりを身につけた、十五歳の子どもであれば尚更だ。


(おまえを殺すまでは、絶望なんてしている暇はないんだ。『裏返し(リバース)』のエサイアス)


 ……これからたった十日ののちに、ギルは心の底から絶望することになる。

 両親を呪詛に食い殺されたのと同じ、雷鳴轟く嵐の中で。

『彼女』はすべてに絶望し、自らの死を願うことになる――。

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読めば読むほど養父と義兄はきゅっと絞めたくなりますね 物理的な暴力も、未成年だろうが成人してようが本人の許可なく触れることも許すまじ…ほんと是非とも厳罰化していただきたいです 厳罰化直後に過去遡って罰…
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