土使いの令嬢と護衛魔導兵士
混乱するレオナルドをよそに、ギルが本当に水使いなのだと確信したアレンの顔も、シェリルと同じように真っ赤になる。
「あ、えっと、えっと……お、お目にかかれて、光栄です!」
「こちらこそ」
にこりと笑みを深めたギルが、すぐに心配そうな表情を浮かべてアレンに問う。
「アレンくん。シェリルさんを離してあげなくて、大丈夫ですか?」
「へ? あああぁあ、シェリルごめん! 大丈夫!?」
口だけでなく、鼻までアレンの手で塞がれていたシェリルが、解放されるなり涙目で双子の兄を睨みつける。
「アレン! わたくしを殺す気ですの!?」
「そんなわけがないだろう!? ぼくは、きみがこれから世界一幸せになるのを、全力で応援して見届けるために生きているんだから!」
(……アレン。それは、兄ではなく父親の言うことじゃないかと、お兄ちゃんは思います)
仲のいい仔犬のようにきゃんきゃんと言い合っている弟妹の頭を両手で押さえながら、レオナルドはギルを振り返った。
「あー……。騒がしくして、すまねェな」
「いや」
途端に元の無表情になったギルに、レオナルドはイラッとした。
そうして辞去の挨拶もないまま、双子たちの意識が逸れている間に、ギルはさっさと踵を返して行ってしまう。
結局、なぜ彼が寝袋を買っていたのかも謎のままだ。
(つうかアイツ、ガキ相手にはあんなふうに笑えるくせに、オレらへのブリザード対応は、なんっで温度が下がっていくばっかりなんだよ! ああぁああ、ムーカーつーくうぅううー!)
レオナルドが額に青筋を浮かべていると、ようやくギルの姿が見えなくなったことに気付いた双子が、揃って大声を上げた。
「レオ兄さま!? なぜ、あの方を引き留めておいてくださいませんの!?」
「そうですよ! ぼくたちだって、あの方とお話ししてみたかったのに!」
……双子たちのギルへの好感度が、やたらと高くなっていることに、レオナルドはものすごくむかついた。
ギルが子どもに対してまでブリザード対応を貫くような人間であれば、双子たちの柔らかな心はとても傷ついていただろう。そうならなかったことに感謝するべきなのかもしれないけれど、レオナルドへの冷ややかすぎる態度を思い出すにつけ、苛立ちが募って仕方がない。
「アイツにだって、用事があるんだろ」
結局、適当に無難なことを言ったレオナルドに、再び両手で頬を押さえたシェリルが何度も首を横に振る。
「信じられませんわ……。あんなに麗しい殿方が、この世に存在していたなんて。お美しくて、ほっそりとしていらして、よその殿方が男らしさと勘違いしているような、鬱陶しいバカっぽさや子どもっぽさや粗暴さなんて、一切なくて……。まるで、物語に出てくる貴公子のようでしたわ……」
うっとりとそんなことを語るシェリルは、普段はいったいどんな男児と交流しているのだろうか。
兄として少々その辺りが気になってしまったものの、レオナルドはアレンと顔を見合わせてからシェリルに問うた。
「そんなに、アイツの見た目が気に入ったのか?」
「まあ、レオ兄さま! 殿方の価値は、外見だけではなくってよ! あの方の素敵な笑顔をご覧になりませんでしたの!?」
見たし、ものすごくびっくりしている。
そこで、アレンが何かに気付いたようにぽんと両手を打ち合わせた。
「あ、そうか。シェリルは魔力適性がないから、あの方の呪詛の爪痕も見えていないんだね」
「……ああ、なるほど」
アレンの言う通り、魔力適性がゼロのシェリルは一切魔術を使うことができないし、呪詛の気配や痕跡も何一つ感知できない。
ギルの顔に黒々と刻まれている呪詛の爪痕も、シェリルの目には映らないのだ。
そして、民間人の多くは彼女と同じように魔力適性を備えていない。となると、青色の瞳というさほど珍しくない特徴しか持たないギルが、街中で水使いと看破される可能性は、さほど高くないということか。
今後、彼の姿を映した静止画や動画が出回るようになれば、また状況は変わってくるのだろうけれど、少なくとも今のところは特に問題なさそうだ。
そんなことを考えていると、シェリルがほう、とため息を吐いた。
「呪詛の爪痕がどんなものかは存じませんけれど、あの方のお美しさがわからなくなるほどのものだなんて……。本当に、お気の毒だと思いますわ」
(……そういや、ユージィンのやつも初対面のときに、アイツの顔を綺麗だとか言ってたな?)
レオナルドは結局よくわからなかったけれど、シェリルがここまで言うということは、あの水使いは相当に整った顔立ちをしているのだろう。
とはいえ、男の顔形が綺麗だからといって、呪詛との戦いでなんの役に立つわけでもない。
すぐに興味を失ったレオナルドは、双子たちにギルが購入していたのと同じタイプの寝袋を買ってやり、店を出た。
「ありがとうございます、レオ兄さま!」
「あの方とお揃いの寝袋だなんて、なんだかドキドキしてしまいます!」
それぞれ、とても大切そうに寝袋の入った紙袋を抱えている姿は、なんだかいつもより幼く見える。
同じ顔をした子どもたちが、心底嬉しそうに笑っている姿は、とても可愛い。ふたりが荷物を重そうにしていれば代わりに持ってやるつもりだったのだが、まるで宝物のように寝袋を抱えているところを見ると、どうやらその必要はなさそうだ。
そこでふと、アレンがレオナルドを見上げて口を開いた。
「そういえば、レオ兄さま。クローディアさまとコンラッドさまは、まだお戻りにならないのですか?」
「あー……。地下迷宮型の呪詛は、攻略に時間が掛かるからなあ」
現在、土使いのクローディア・リリーホワイト侯爵令嬢と、彼女の護衛魔導兵士にして婚約者であるコンラッド・ジェフリーズは、東の隣国イーリスに派遣されている。
通常であれば、戦闘職ではないクローディアが現場に出ることはない。だが、地下迷宮型の呪詛を攻略するのに、植物の根を自分の手足と同じく扱える土使い以上の適任者はいないのだ。
彼女の安全には最大限の配慮をしているが、あまり難航しているようだと一度撤退命令が出るかもしれない。
シェリルが、キラキラと瞳を輝かせる。
「クローディアさまとコンラッドさまは、この大陸で最も素敵な恋人同士ですもの! 大変な呪詛の攻略だって、きっとご立派に成し遂げてくださいますわ!」
「……ウン。ソウダナ」
あのふたりが素敵な恋人同士であることと、彼らが最強の土使いとその護衛魔導兵士であることにはなんの因果関係もないが、どちらも紛れもない事実である。
彼らにはぜひとも無事に帰ってきてほしいが、あのバカップルぶりを再び見せつけられる日々が戻ることに憂鬱を覚えるのもまた、ただの事実なのだ。
(ウチの水使いサマは、どうやら子どもにはお優しい方のようだが……。女性に対しては、どんなもんなんだかな)
もしギルが、クローディアに対しても自分たちにするのと同じような冷徹対応を貫いてしまったら、少々面倒なことになるかもしれない。
なぜなら、クローディアを年中無休で溺愛しているコンラッドは、どれほど些細なものであったとしても、彼女に敵意を向ける者には一切容赦をしないのだ。
これから共に呪詛と対峙していかねばならない者同士が、顔を合わせるたびにバチバチと火花を散らすような関係となっては、組織全体の志気に関わりかねない。
(……それを言ったら、アイツのオレたちに対するひんやりクール過ぎる態度も、心の底からどうなんだって話なんだけどな!)
その翌日の午後のこと。
噂をすればなんとやら、ということでもあるまいが、土使いとその護衛魔導兵士が無事に隣国の呪詛を破却し、帰還した。
そのとき、ユージィンとギルとともに屋内訓練場にいたレオナルドは、本部の全館放送で通達されたその知らせに、軽く喜びの口笛を吹く。
「アイツら、すぐにこっちに来るかな?」
「あー……。コンラッドはともかく、クローディアがなー。自分たちがいない間に現れた水使いに、きっと興味津々――」
「ごきげんよう! こちらに、水使いのギル・レノックスさまがいらっしゃると聞いたのですけれ、ど……」
勢いよく訓練場の扉が開くのと同時に飛びこんできたのは、土使いのクローディアだ。貴族令嬢らしい上品なドレス姿の彼女は、さっと室内の様子をたしかめると、訓練用の模擬剣を持ったギルを見つけ、数秒間固まった。
華やかな赤い髪に、土使いの証である緑の瞳をした彼女は、やがてぷるぷると震え出す。
そして――。
「……っきゃああああ! 可愛いですわ、可愛いですわ、可愛いですわあぁああー!」
両手で頬を押さえ、絶叫した。
つい昨日、ギルを見て同じような反応をした妹を思い出し、レオナルドは内心首を傾げる。
(えー……。コイツのツラって、そんなに女子どもにウケがいいタイプなのか?)
困惑したレオナルドの耳に、落ち着いた低い声が届く。
「クローディア。気持ちはわかるけど、まずは彼にご挨拶するのが先じゃないかな」
クローディアの背後から、彼女の護衛魔導兵士――明るい琥珀色の瞳に、癖のない長い黒髪をひとつに括ったコンラッドが、苦笑を滲ませながら現れたときだった。
カラン、という乾いた音が、辺りに響く。
反射的にそちらを見れば、木製の模擬剣を取り落としたギルが蒼白になっていた。
常に無表情であるはずの顔に浮かんでいるのは、ただひたすらに激しい恐怖。
大きく見開かれた青の瞳が、瞬きもせずコンラッドの顔を見つめている。
(は……?)
彼らは、今が初対面のはずだ。
しかし、ギルの顔からは完全に血の気が失せており、細かく震えている歯はカチカチと絶え間なく小さな音を立てている。
凍りついた空気の中、コンラッドがぎこちなく口を開いた。
「……水使いの、ギル・レノックス、だね? 俺はきみに、どこかで会ったことがあるだろうか?」
ヒュッと、ギルの喉が鋭く鳴る。
同時に、その瞳に浮かんでいた恐怖が消え去った。
長く濃い睫毛が、わずかに震える。
それまで、呼吸すらまともにできていなかったのだろう。
自分の体を抱きしめるようにしながら、震える手で口元を押さえた彼が、苦しげに乱れた呼吸を繰り返す。
ふ、ふ、と浅く速い息づかいが空気を揺らし、それが落ち着きを取り戻すまでの時間を、ひどく長く感じた。
最後に一度きつく目を閉じたギルが、ひどく掠れた声でコンラッドに言う。
「……すまない。昔の……知り合いと、間違えた」
そうして、取り落とした模擬剣をのろのろと掛け棚に戻したギルは、そのまま訓練場から去って行った。
重苦しい沈黙がしばらく続き、最初に口を開いたのはクローディアだ。
「たしか……ギルさまは、幼少期から成人されるまでずっと、孤児院でお過ごしだったとのことですけれど」
その額に、びしりと青筋が浮く。
「まさか、その孤児院の職員に、幼いギルさまが……。いやですわ、口にするのもおぞましいですけれど。まさか、虐待されていたなんてことは、ございませんわよね……?」
おどろおどろしい重低音で語られた言葉に、レオナルドはぐしゃりと前髪を掴んで応じた。
「クローディア。残念ながら、その推察を的外れだなんて言えるヤツは、ここにはいねェよ」
ユージィンが深々とため息を吐く。
「あの怯えようは、普通じゃなかったもんなあ。……もしかしたら、アイツが俺たちにキツいのも、そのせいなんじゃねえか? たまたまコンラッドの見た目が完全アウトだっただけで、そういうことなら、自分よりもデカい男ってだけでもかなりの恐怖対象だろ」
どんよりと肩を落としたコンラッドが、ぼそぼそと覇気のない声で呟いた。
「初対面の子どもに、なぜあれほど怯えられなければならないんだ……。俺と似たやつが、幼い子どもを虐待していたかもしれないなんて、心底虫酸が走るんだが」
レオナルドは、思わずツッコんだ。
「子どもって。アイツは、十八だぞ」
「え? あ……うん? そうか、そうだな。でもさっきのあの子は、完全に怯えきった子どもだっただろう」
衝撃のあまり、コンラッドも少々混乱しているらしい。
クローディアが、心底悔しそうな顔で言う。
「もしギルさまが孤児院で虐待を受けていたのだとしても、とうにレノックス伯爵家が隠蔽工作をしてしまっているでしょう。ギルさまがレノックス伯爵と養子縁組されてしまっている以上、わたくしたちが迂闊に動いては、逆にご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんわね」
「あー……。アイツ、伯爵との養子縁組を断れなかったって言ってたし。もしかしたら、いろいろ面倒くさい柵を抱えてるのかもしれねェなあ」
思わず零したレオナルドの言葉に、その場にいた三人が勢いよく振り返る。
「ハァ!? ちょ、おまえ、いつそんなことを聞いたんだ!?」
大声で喚いたユージィンに、レオナルドはたじろいだ。
「え……あっと、この間アイツとルドミラ王国に、『共食い』の呪詛を始末しにいったとき?」
「おまえ、ばかなの!? そういう大事なことは、ちゃんと共有しとけばか!」
キリキリと眉を吊り上げたユージィンに続き、クローディアも声を張り上げる。
「まったくですわ! どうせレオナルドのことですから、報告書を作っている間に、うっかり忘れてしまったのでしょうけれど! 世の中には、うっかりしていいことと悪いことがありますのよ!?」
「……スミマセン」
いくら幼馴染みでも、こちらの行動パターンを完全に読んでくるのは、やめてもらえないだろうか。
ものすごくいたたまれない気分になったレオナルドに、コンラッドがしみじみと真顔で言う。
「そんなことだから、おまえはまっとうな女性にモテないんだろうなあ」
「やかましいわー!」




