カタチある呪詛
よろしくお願いします!
ぼくらは、きみたちに幸せを教えてあげるために生まれてきたんだ。
人が幸せであったことに気付くのは、それを理不尽に奪われたときなんだよ、って。
***
「往生、せいやあぁあああーっっ!!」
そんなかけ声とともに、勢いよく剣が振り下ろされるのと同時に、すさまじい暴風が周囲一面に吹き荒れた。
幾筋もの竜巻が、いかにも堅牢そうな石造りの建築物をみるみるうちに破壊していく。まるで、幼子が戯れに作ったオモチャの家が崩れていくかのような、あっけなさ。
その直後、すでに半壊した建物の中央で不気味な赤黒い光が瞬いた。
「ハッハァ! 見つけたぜ、テメェの核! これで、終いだ!」
歓喜の雄叫びとともに細身の剣を構え直したのは、白に近い銀髪の青年だ。
荒々しい仕草とともに、獲物を前にした猛獣のような笑みを浮かべる姿は、獰猛の一言に尽きる。
ダン、と瓦礫を一蹴りした彼は、そのままの勢いで宙を飛ぶと、迷わず赤黒い光源に向かって白銀の刃で斬りつけた。
ガラスが砕けるような高い破壊音と、耳障りな断末魔。
風に煽られて空中に浮き上がったのは、ごくありふれたデザインの、古びた首飾りだった。元々は大きな宝玉をあしらっていたらしいそれが、黄金の細工部分だけを残して地面に落ちる。
直後、世界が歪んだ。
崩れ落ちる。
嵐のように周囲を席巻していた風はやんでいるにもかかわらず、ちょっとした城ほどの大きさもあった建物が、さらさらと塵になって消えていく。
その様子を確認し、ほっと肩の力を抜いた銀髪の青年に、どこかのほほんとした声をかけてきた者がいる。
「よう、レオ。お疲れさん」
レオと呼ばれた青年は、ぱっと振り返って相手の姿を確認するなり、不思議そうな顔になった。
「なんでおまえが、ここにいるんだ? ユージィン」
なんでって、と問い返された青年が軽く肩を竦める。
燃えるような朱金の髪にペリドットの瞳という派手な色彩に相応しく、顔立ちも華やかに整った彼の名は、ユージィン・フラファティ。
銀髪に紫の瞳という静謐な色彩を持ちながら、生来の目つきの鋭さと、戦闘職という仕事柄荒々しくなりがちな立ち居振る舞いのせいで、見る者に少々粗野な印象を与えるレオナルド・アシュクロフトの同僚だ。
彼らはともに、現在大陸全土を蝕む『呪詛』による被害を食い止めるため設立された組織――呪詛対策機関に在籍している。
だが、この街はユージィンの管轄区域ではない。
なのになぜ、彼がここにいるのかと首を傾げるレオナルドに、呆れかえった声が向けられる。
「どっかの誰かさんが、緊急支援要請のシグナルを聞くなり、単独でぶっ飛んでいったらしいんでねー。万が一にも、おまえがやられることになっちゃヤバいってんで、俺にも緊急出動命令がきたのですよ」
「は? 市街戦では、まるっきり役立たずのおまえにか?」
心底意味がわからない、と言いたげに首を傾げたレオナルドの言葉に、ユージィンの額に盛大な青筋が浮く。
「役立たず言うなや! じゃなくてだな! 最悪、俺が手出しすることになったとしても、おまえをキッチリ連れて帰ってこいやってことだろうが! いい加減、少しは自分の立場ってモンを自覚しろ!」
「……ええー。おまえが暴れたりしたら、呪詛の破却はできたとしても、ここら一帯焼け野原になるじゃねェか。コワぁ……」
思いきりドン引きしたレオナルドに、ユージィンの額の青筋がますます増えた。
「レオくーん? たった今、おまえがぶった切った『館』タイプの呪詛が、わかってるだけで民間人百二十八名、初期討伐に来た魔導兵士四名が犠牲になって、これからますます被害者が爆増していきそうな危険物だったっておわかりデスカ? そんなモン、多少の火災を覚悟してでも、確実に仕留めておかなきゃでしょーが!」
「あー、そうだったのか? イヤでも、オレだけでもどうにかなった――」
わけだし、とレオナルドが言いかけた瞬間、周囲のあちこちで強烈な赤黒い光が渦巻いた。同時に、ゆらりと周囲に浮かび上がるのは、先ほど彼が破壊した建物よりも遙かに巨大な建造物の輪郭だ。
鮮やかな紫の瞳を眇めたレオナルドは、チッと舌打ちすると同じく戦闘態勢に入っていたユージィンに、鋭く告げる。
「おまえが出張ると、街への被害がデカ過ぎる! オレが呼ぶまで、絶対出てくんなよ!」
「……いやー。俺としても、ぜひともそうしたいところなんだけどさあ」
軽く肩を竦めたユージィンが、先ほどのレオナルドと同じような獰猛な笑みを浮かべて言う。
「初手の核破壊を条件に、複数の核が同時発動するタイプの呪詛って、大抵とんでもねえ大物じゃん?」
そうしてすらりと抜いた彼の剣は、まるで炎そのものを固めたかのような輝く朱金。
「五分だ。俺にコイツを使わせたくなかったら、それ以上長引かせるな」
「上等!」
ニィ、と笑ったレオナルドが、再び瓦礫を蹴ろうとした寸前。
ふたりが装備している、イヤーカフ型の通信魔導具が反応した。
『こちら司令本部。風使い及び炎使いは、その場で待機』
「ハァ!?」
ますます強まる赤黒い光の中、急ブレーキをかけたレオナルドが苛立たしげに口を開く。
「こちら風使い! 司令本部! 状況わかってんのか!?」
『繰り返す。風使い及び炎使いには、待機命令だ。――ああ、もうひとつ。ふたりとも、風邪を引かないように気をつけたまえ』
「……は?」
落ち着いたアルトの声で重ねられた命令に、ふたりの青年が揃って間の抜けた声を零したときだった。
「――こちら水使い。命令を受諾。これより、対象の殲滅を開始する」
感情の透けない涼やかな声とともに、雲一つなかったはずの上空から大量の水が落ちてくる。
バケツをひっくり返したような、というにも生ぬるい。まるで、巨大なプールの水がそのまま落ちてきたかのようなすさまじい水圧に、自らの魔力で身体強化をしているふたりが、危うく膝から崩れ落ちそうになる。
同時に周囲に響き渡ったのは、高く低く、幾重にも重なったおぞましい悲鳴。実体化しかけていた建造物が揺らいで、あっという間に存在が希薄になっていく。
唖然としつつ、額に張り付く髪を掻き上げて何度か瞬きをしたレオナルドは、そこに鋭くも流麗に流れる青の閃きを見た。
それが、細身の人物が操る剣の軌跡だと気付いた瞬間、彼は大きく目を見開く。
まさか、と思う。
けれど今まで、これほど美しい水の刃を見たことがない。
思わず見とれたレオナルドの視線の先で、青白く輝く剣が赤黒い光を次々に切り裂いていく。
(水使い……?)
魔力を持って生まれた人間の中には、自然魔力を取り込み自らの魔力と等しく操れる者がいる。
それ自体は、決して少ない数ではない。むしろ、自然魔力に対してまったく親和性を示さない者のほうが珍しいくらいだ。
魔力持ちの子どもたちが、自然魔力への親和性に覚醒するのは、概ね十二歳から十五歳にかけて。
これは、風と炎については非常にわかりやすい。
なぜなら、このふたつの自然魔力への親和性の高さは、明確な外見な変化として表れるのだ。
レオナルド自身、幼い頃には父親と同じ褐色の髪だったのが、一夜のうちにすべて白銀に変化していた。……あのとき、パニックを起こして「この年で総白髪はイヤだー!」と盛大に嘆きまくったのは、我ながら黒歴史である。
白銀の髪は、風の魔力に親和性を持つ証。
一方、炎の魔力に非常に高い親和性を持つユージィンは、幼い頃は母親譲りの栗色の髪だった。彼は、ある朝鏡の中に、キラキラと華やかな朱金の髪となった自身を見つけた瞬間、危うく自宅の屋敷を全焼させるところだったらしい。炎、怖い。自然風のない屋内では、魔術の発動が非常に困難な風で、本当によかった。
風や炎の魔力に親和性を持っていても、大抵は髪のほんの一部――一房程度が変色するだけだ。かなり高い親和性を示す者でも、せいぜい全体の十分の一ほどの髪色が変色するのみ。
だが、レオナルドもユージィンも、髪色のすべてが変化した。
その直後から、ふたりはそれぞれ風と炎の魔術を、初級のものから最上級のものまで、呼吸するのと等しく操れるようになっている。
彼らのような子どもたちは、古くは『精霊の愛し子』などという、こっぱずかしい呼ばれ方をしていた時代もあるらしい。そんな呼ばれ方をされるほどに、髪色がすべて変化するほどの親和性を持つ者が珍しかった、ということなのだろう。
実際、この国でそういった子ども――通称『マスター』と呼ばれる者が生まれるのは、過去の歴史においては数十年にひとりいればいいほうだ。大陸全体でも、同時期に総勢十名がいるかいないか。
しかし、いったいどういう巡り合わせなのだろうか。
現在、このバルドメロ王国ではすでにレオナルドを含め、すでに三人のマスターが確認されている。
風使いのレオナルド。炎使いであるユージィン。
そしてもうひとりは、やはり同じ組織に所属する同僚である、土使いの女性魔導士だ。
もっとも、荒事とは無縁の貴族令嬢である彼女が、実戦投入されることは滅多にない。
組織の規定により、自ら戦闘職となることを望まない女性がマスターとなった場合には、その専属護衛となる魔導兵士が彼女を守る盾となり、剣となって戦うことが定められているのだ。当代の土使いに関して言うならば、彼女の婚約者がその任に就いている。
一国の同世代に、三人ものマスターが揃うこと自体、今までの記録上もなかったことだ。
これで四大元素の最後のひとつ、水の支配者ともいうべき『水使い』がこの国に出現したなら、なんと素晴らしいことだろう――。
そんな戯れ言めいた言葉を、幾度も聞いた。
だが、自然魔力への親和性が髪色の変化として表れる風や炎と比べると、土と水の魔導士たちの変化は、少々わかりにくいものだ。
なぜなら、土と水の魔力に親和性のある者は、その瞳の色に変化が表れるのである。
土であれば緑色に、水であれば青色に。
瞳の色が成長過程で変化するのはよくあることだし、そもそも瞳の色の違いなど、よほど近しい人間でなければ気付かないだろう。
実際、土と水の魔力に一般レベルの親和性を持つ者たちは、みな瞳の色がほのかに緑がかっている、青みがかって見える、という程度。元々緑や青の瞳をしていた者たちなど、まるで変化があるようには見えないという。そのため、土系魔導士、水系魔導士と呼ばれる彼らについては、外見的な変化はないに等しい。
そもそもこの国では、青い瞳を持つ人間というのが、さほど珍しいものではないのだ。生まれつき青色の瞳をした人間が水使いであったならば、本人すらその事実を自覚するのは難しいに違いない。
水使いの出現を望む人々の声を聞くたび、そんなふうに思っていたのに――。
(……なんだぁ? この、ヘンな感じは)
呪詛の具現化である館のすべてを、魔力をこめた大量の水で洗い流し、それによって弱体化した呪詛の核をことごとく切り捨てた水使い。
揺れる波紋を宿す青色の刃を鞘に戻した人物は、詰め襟の淡いグレーを基調とした戦闘服を着ていた。
自然魔力の属性を示すラインの色彩こそ違えど、自分たちが着ているものと同じデザインのそれは、間違いなく組織が定める魔導兵士の戦闘服であるはずだ。なのに、なぜだかひどい違和感を覚える。
その違和感の正体がわからないまま、ふとこちらを見た相手と視線が絡んだ瞬間、レオナルドは自身とユージィンが同時に鋭く息を呑む音を聞いた。
(呪詛の、爪痕……?)
驚くほど鮮やかな、そして深い青色の瞳の美しさよりも、ふたりの意識を問答無用で持っていったもの。
瓦礫の中で無表情に立つ水使いの、額から左の頬にかけて走る、四条の黒い爪痕。
それは、カタチある呪詛の中でも最高位のヒトガタが、自らのエサとして目を付けた子どもに刻むマーキングだった。豊富な魔力を持って生まれた子どもが心身、魔力ともに成熟しきったとき、その極上のエサを食らいにやってくるのだ。
実際に肉体を傷つけられているわけではないし、魔力を持たない人間にはまるで感知できないものでもある。
それでも、そのおぞましい爪痕は、それを刻んだ呪詛が消滅しない限り消えることはない。強大な力を持つ呪詛が、いつ何時自身の命を食らいにやってくるかわからない恐怖は、想像するに余りある。
だが今、瓦礫の中静かに佇む水使いは、レオナルドとユージィンからすいと目を逸らすと、まるで感情の透けない声で口を開いた。
「司令本部。こちら水使い。対象の核すべての破却を確認した」
『了解。これより、事後処理部隊を送る。――なかなか、派手なデビュー戦だったな。水使い。一応、きみのフォロー役として風使いと炎使いがいる現場を選んでみたんだが、どうやら無用な気遣いだったようだ』
オープン回線で聞こえる会話にイラッとしたレオナルドは、通信魔導具に向けてぎゃあと喚いた。
「司令本部! そういうことなら、はじめからこっちにもそう言っとけ! お陰で、ずぶ濡れになったじゃねェか!」
前もって水使いが参戦する旨を知らされていれば、その攻撃範囲から退避するか、風の盾で防ぐくらいはできたはずだ。
しかし、通信魔導具から聞こえてくるのは、そんなことは素知らぬふうのあっさりした言葉だけだった。
『ちゃんと、風邪を引くなと言っただろう。報告書は本日中に提出するように』
それきり沈黙した通信魔導具を、一瞬地面に叩きつけたくなったけれど、どうにか堪える。
自分たちが着ている戦闘服が、いかに優秀な防水・防刃・耐熱機能を備えているとはいえ、あれだけの水量を叩きつけられてはインナーまでびしょ濡れだ。このままでいては、さすがに体調を崩してしまうだろう。
深々とため息を吐いたレオナルドは、剣呑な眼差しで水使いを見た。
「おい、水使い。なんか言うことあるんじゃねェのか?」
いくら呪詛の破却に必要な行動の結果とはいえ、思いきりその巻き添えを食らわされたのだ。新入りとして詫びのひとつもあって然るべきだろうと睨みつけたが、黒髪の水使いはなんの感情も透けない瞳で見返してくる。
そして、彼が軽く右手指を持ち上げたかと思うと、ずっしりと水気を含んでいた戦闘服が一瞬で軽くなった。
(……は?)
レオナルドが驚きに目を瞠るのと同時に、ユージィンが驚いた声を零す。
「えー? 他人の着ている服から完璧に水気を取っちまうとか、器用すぎねえ?」
大きく目を見開いた彼が言う通り、今まで出会った水系魔導兵士の中に、これほど繊細な水の操作をしてみせた者はない。
先ほどの大規模な水の魔術といい、その腰に佩いた剣の美しさといい、どうやら水使いと名乗るだけの技倆はあるようだ。
(……ああ、なるほど。オレらの剣がそれぞれの髪と同じ色になってるように、コイツは瞳と同じ色になってんのか)
組織に所属している魔導兵士はみな、各人の個性に合わせた専用装備である魔導剣を携行している。
所有者が操る純粋な自然魔力を通すその剣のみが、呪詛の核を完全に破却することができる武器だった。当然ながら、その魔導剣が放つ魔力の強さは、所有者の自然魔力への親和性の高さに比例する。
一般的な魔導兵士の持つ剣は、どれも素体である魔導鉱の黒銀に、それぞれの属性の色がうっすらとのっているだけだ。
それに対し、風使いであるレオの持つ魔導剣は、純粋な白銀。炎使いであるユージィンのそれは、ゆらめく朱金。そして、土使いの護衛魔導兵士が装備している剣は、鮮やかな新緑の刃をしている。
魔導剣の刃が澄み切った青色を宿しているのは、その持ち主が紛れもなく水使いである証。
厄介なタイプの呪詛を単独で破却してみせた実力といい、その若さに見合わぬ場慣れした雰囲気といい、充分以上に即戦力になるだろう。
だがしかし、だ。
「オレは、風使いのレオナルド・アシュクロフト。テメェの名は?」
「……ギル・レノックス」
名乗られたから、名乗り返した。
それ以上でもそれ以下でもないことが如実にわかる反応に、レオナルドは眉間に皺を寄せる。
これから同じ組織で働くとわかっている相手に、随分と突っ慳貪な対応もあったものだ。先ほどから最低限の言葉しか発していないところからしても、かなりコミュニケーション能力に難がありそうである。




