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28

 私たちの双輪試走の映像が終わり、ようやく長かった実技試験が区切りを迎えたんだと実感する。緊張で張り詰めていた糸がプツリと切れ、胸の奥からドッと解放感が溢れ出した。


 私は力が抜けてしまい、後ろの壁に身を預けながら、ズルズルと頭が横に脱力してしまう。


 その拍子に、隣の机に座って同じように壁にもたれかかっていたカナタの脇腹辺りに、私の頭が預けられた。


『疲れちゃった?』


 カナタは足を組み、膝の上で指を軽く結んでいた。その手は穏やかに見えて、ほんの少しだけ力が込もっている。


 思わず身を寄せた私に、驚くでもなく、拒むでもなく、自然に受け止めてくれるカナタ。頭越しに伝わる体温とカナタの匂いが、じんわりと安堵を呼び覚ます。


 もう少しこの安堵感を味わいたくて、このままカナタに甘えさせてもらうことにした。


「うん……何か、やっと終わった〜って思ったら、疲れちゃった……」


 自分でも情けないくらい緩んだ声が溢れる。でも今だけは、張りつめていた心を解きたかった。そう呟いた瞬間、頭上から静かに笑う息遣いが降ってきた。


『お疲れ様』


 その言葉が、胸の奥にふわりと落ちる。たった一言なのに、不思議なくらい心がくすぐったく温まっていく。


「カナタもね」


 私は微笑みながら見上げると、私を見下ろしていたカナタと目が合う。ほんの短い一言なのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 カナタは視線を逸らすように小さく頷いた。その仕草が少し不器用で、だけど誠実で、思わず頬が緩む。


「次、俺たち〜!」


 弾むような声が教室に響いた。優ちゃんの机の上で、玲央くんは足の間に両手を置いて、身を乗り出すようにして自分たちの番を待っている。


 足が子どものように忙しなくバタついていて、映像を見るのを心から楽しみにしているのが一目で分かる。


「本当に元気ね……」


 隣でその様子を眺めていた優ちゃんが、呆れ半分、微笑み半分といった声を漏らす。だけどその横顔には、相方を見守る穏やかさが滲んでいた。


 きっと玲央くんの無邪気さが、優ちゃんにとっては面倒でもあり、同時に何か救われるところもあるのかもしれない。


 暫く待っていると、優ちゃんと玲央くんの双輪試走の映像がスクリーンに映し出された。私はカナタに寄りかかっていた頭を持ち上げて、スクリーンに目を向けた。


 画面の中で、玲央くんはどこか余裕のある表情を浮かべ、静かに義足を足元のプレートに乗せていた。その動作ひとつひとつに、迷いも焦りもない。


 まるで呼吸を整えるように自然で、見ているこちらまで肩の力が抜けてしまいそうだった。


 優ちゃんもまた、軽いストレッチをしながら笑っていた。あの柔らかな笑みは、試験中という緊張感を感じさせない。


 二人の間に漂う空気は穏やかで、信頼の温度を持っているように思えた。


「何で二人共、あんなにリラックスできてるの……?」


 自分の声が少し上ずっているのが分かった。心の奥に、羨望と焦りが小さく灯る。私の試走の時は、緊張で息が浅くなって、手の平まで冷たかったのに。


「莉愛が緊張しすぎなのよ」


 優ちゃんの明るい声が聞こえてきた。軽く笑いながら言っているけど、その声の奥には励ましが混じっている。


「緊張してたら、全力なんて出せないからなっ! 常に冷静でいないと!」


 玲央くんが得意げな笑みを浮かべて言い放つ。その声が教室に響き、どこか場の空気を和らげた。


 玲央くんの真っ直ぐな物言いは、時々子どもみたいだけど、不思議と心に残る。


「玲央が何か、いいこと言ってる気がする……」


 拓斗がスクリーンを見つめながら、驚いたような声を漏らした。私たちは思わずクスッと笑ってしまう。


 そんな明るい雰囲気に包まれると、スクリーンでは創駆に乗った優ちゃんが軽やかに走り出した。


 その瞬間、教室の空気がまた少し弾む。


 優ちゃんの乗る創駆は、詩乃ちゃんのとよく似ていて、四つの小さなタイヤを持つ、まさにスケートボード。地面を滑る音がスピーカーから心地よく響く。


「えっ! 創駆って、タイヤ二つじゃなきゃダメなんじゃないんだ!?」


 詩乃ちゃんが目を丸くして身を乗り出した。その素直な反応が可愛らしくて、何人かがクスッと笑う。


「そんなルールは、なかったはずだけど? 先生にも何も言われなかったし」


 優ちゃんはあっけらかんと答えた。その軽い調子がまた教室を和ませる。


「え〜、だって『双輪』でしょ? 輪っかが二つって意味じゃないの?」


 詩乃ちゃんは、親指と人差し指で丸を両手で二つ作る。その素朴な勘違いに、私たちは思わず吹き出してしまった。教室のあちこちから笑い声が溢れて、空気が一気に温かくなる。


「詩乃。『双輪』って言うのは、操縦者と操導者のことや、人と創駆の繋がりや絆のことらしいわよ」


 優ちゃんが、笑いを堪えながらも優しく説明する。その言葉に、詩乃ちゃんはハッとしたように目を瞬かせた。


「えーっ! そうなのっ!? だったら私も、四輪にしたのに〜!」


 そう言って頬を膨らませる詩乃ちゃん。その表情が本気で悔しそうなのに、どこか愛嬌があって、また笑いが起きた。


「でも、最後のやつは二輪だからできた技なんじゃねーの?」


 玲央くんが腕を組みながら、考えるように呟く。少しだけ得意げな顔。


「あっ! そうかも! じゃあ、いいやっ!」


 詩乃ちゃんがパッと顔を明るくして笑う。その無邪気な声に、教室中がまた少し柔らかく笑いに包まれた。


 スクリーンの中では、優ちゃんが颯爽と創駆でコースを駆け抜けていた。風を切るようなその姿に、思わず見惚れてしまう。


 操導者の玲央くんは、普段の明るい調子とは打って変わって、目付きが鋭く引き締まっていた。いつもよりずっと大人びて見えて——まるで本物の『指導者』のようだった。


 “変転コース”“迷宮コース”も、二人は息の合った動きで軽々と突破していく。見ているこちらまで、胸の奥が少し誇らしくなる。


 だけど、次の“薬苑コース”に入った途端、スクリーンから玲央くんの叫び声が響き渡った。


〈薬草なんて、ミントしか分かんねーよぉっ!!〉


 勢いよく頭を抱える姿に、教室がドッと笑いに包まれる。


〈あたしも、そこまで詳しくないからなぁ……〉


 優ちゃんも困ったように笑っていた。どうやら二人共、植物の知識はほとんどないらしい。選ぶルートは見事に“ハズレ”で、正解ルートよりもずっと長い道を走らされる。


 スクリーンの中で、二人のタイムは伸びていくばかりだった。


 そして、最後の問題。


〈あーっ! もう分からんっ!! ミントだミント! ペパーミントっ!!〉


〈もう、何でもいいわ……〉


 諦め半分、投げやりな声。スクリーンの中の優ちゃんは『ペパーミント』のルートへと創駆を走らせる。


「あ」

『あ』


 私とカナタの声が、ほとんど同時に重なった。


 一拍の静寂が訪れる。まるで、時間がピタリと止まったようだった。


「えっ、どうしたの? 二人共」


 詩乃ちゃんが、不思議そうに首を傾げる。


「二人は、この答えがダメだって分かるのね……」


 優ちゃんが苦笑しながら呟いた。その顔がほんの少しげっそりして見える。多分、あの時の結果を思い出しているのかもしれない。


 薬苑コースの最後の問題も、意地悪な問題だった。そのルートは所謂『選んではいけない答え』だと思う。


(お腹を壊してる時のペパーミントは、逆効果なんだよね……)


 案の定、ペパーミントのルートを進む二人は、長い一本道を走った末に行き止まりに突き当たった。


〈何ーっ!? 優! 戻れっ!!〉


〈あーったくっ!!〉


 優ちゃんの声がいつもより荒く響く。苛立ちで口調が男の子みたいになっていて、思わず笑いが漏れた。


 スクリーンの中では焦りと混乱が渦巻いているのに、教室の空気はどこか楽しげだった。


 次の“霧幻コース”も、二人は私たちと同じように身を低くしてクリアしていった。


 そして最後の“枯渇コース”。魔力量がゼロになった瞬間、優ちゃんは迷うことなく地面を蹴り、スケートボードのように滑るように前へ。


 そしてそのままゴールテープを切った。


 教室のあちこちから「おぉっ」と声が上がる。でも私は、つい口が勝手に動いた。


「……玲央くんだって、最後何もしなかったじゃんっ!」


 思わず出た声は、少しだけ拗ねた響きを帯びていた。さっき、私が何もしてないって笑っていたくせに——


(自分だって結局、応援していただけじゃないっ)


「俺は『祈ってる』ことに笑っただけで、何もしてないことには笑っていないっ!」


 玲央くんは胸を張って、やけに堂々と主張する。その真面目な顔が余計に可笑しくて、私は思わず笑ってしまうところだった。


「ものは言いようだなぁ……。じゃあ、拓斗はあの時、ちゃんと仕事したの?」


 からかうように視線を向けると、拓斗はほんの一瞬だけ目を泳がせた。


「……まぁ、な……」


 答え方があまりにも曖昧で、みんなの視線が一斉に集まる。そんな時、隣からクスッと笑うような息遣いが聞こえた。


『拓斗、すごかったんだよ』


 カナタが淡々と、でもどこか誇らしげに言った。その一言で、拓斗の頬がみるみるうちに赤くなっていく。


「うっせぇっ!!」


 まるで照れ隠しのように怒鳴る拓斗。怒鳴り声が教室に響き、みんなが一瞬ビクリとする。


 でも、怒鳴った本人が一番恥ずかしそうにしているのが分かって、何だか可笑しかった。


「えっ、えっ、怒るようなことがあったの……?」


 詩乃ちゃんが慌てて聞くと、拓斗はますます視線を逸らし、耳まで赤くして俯いた。


『まぁ、楽しみにしてて』


 カナタが穏やかにそう言うと、空気が少しだけ柔らかくなった。


 その言葉には、どこか確信めいた響きがあって——二人の映像を、みんなが自然と息を潜めて待った。


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