表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/133

23

 魔械(マギア)掲示板には、最速タイムランキングの最新のトップ10が浮かび上がっていた。淡い光の粒が宙を舞い、やがて形を結ぶ。


 そこに映し出されたのは、私たちがさっきまで挑んでいた巨大迷路コースのランキング。だけど、その一位から十位までを埋め尽くしていたのは——


詩乃ちゃんと私の名前だった。


「…………えっ」


 あまりに現実味がなくて、声が喉に引っかかった。さっきまで夢中で走っていた時のタイムが、全部ランクインしたらしい。


「ええぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」


 隣から爆発みたいな声が響き、思わず体が反る。視線を向けると、詩乃ちゃんは目をまん丸にして口をパクパクさせていた。


「えぇー!? 私たちが一位っ!? っていうか全部私たちじゃんっ!」


「そ、そうだね……」


 詩乃ちゃんの慌てっぷりを見ていたら、胸のざわめきがスッと引いていった。


 誰かが大騒ぎしていると、不思議と自分は冷静でいられる。そんな言葉を本で読んだことがあったけど、本当にそうだなって思った。


「すごいねっ! すごいよ莉愛ちゃんっ!」


 興奮した声と一緒に、両肩をブンブンと揺さぶられる。だけど、私はその揺れの中でも掲示板から目を離せなかった。


 一位から十位まで、ほんのコンマ数秒の違いで並んでいる。


 そして、一位のタイムには大きく「2分02秒41」と刻まれていた。この記録は、巨大迷路コース歴代最速記録に並びそうな記録だった。


「……二分台……」


 思わず小さく呟く。ついこの間まで、ゴールどころかタイムアウトが当たり前だったのに。あの時の自分からは想像もできない数字が、そこに確かに存在していた。


「もう少しインコースを狙えば、二分台も切れるかも……っ莉愛ちゃん?」


 詩乃ちゃんが不思議そうに覗き込んでくる。そこで気付いた。自分の目から、熱い雫がポロポロと零れ落ちていることに。


「莉愛ちゃんっ、どうしたの? 大丈夫?」


「……うん、大丈夫」


 ——あの日まで、私はただ不安でいっぱいで、できない自分が悔しくて、迷惑ばかりかけて……それでも泣くのは甘えだと思って、我慢していた。


 でも——


 そんな私に、カナタは手を差し伸べてくれた。


 詩乃ちゃんは、私を信じて目一杯走ってくれた。


 新しい発見に、新しい魔法とも仲良くなれた。


 その全部が繋がって、今こうして数字に現れている。


 胸の奥から溢れ出すのは、苦しかった日々の記憶と、やっと前を向けた自分への小さな誇り。


 そして、支えてくれた人たちへの、どうしようもないくらい大きな感謝だった。


 止めようと思っても、涙は零れるばかりだった。胸の奥が熱くて、呼吸も上手く整わない。私は両手で口と鼻を覆って、小さくしゃくりあげながら泣いた。


「ヒック……ヒッ……グスッ……」


 視界は滲んで、掲示板の光がぼやけて揺れる。自分でも情けないくらい止まらない涙に、心の奥では「こんなところで泣いちゃだめだ」って必死に思うのに、身体がまるで言うことをきいてくれなかった。


「莉愛ちゃん……」


 隣から聞こえる声は、驚きじゃなくて、優しい響きだった。その優しさに触れた瞬間、胸に込み上げる想いが抑えられなくなる。


「詩乃、ちゃん……グスッ、ありがとう……」


 「ちゃんと言いたい」と「今すぐ言いたい」が頭の中でせめぎ合って、結局、言葉は涙に濡れながら飛び出した。カッコ悪くても、泣きながらでも、どうしても伝えたかった。


 詩乃ちゃんは、そんな私を笑ったり責めたりしない。ただ背中をゆっくり撫でながら、優しく微笑んで答えてくれた。


「こちらこそだよっ。莉愛ちゃんっ」


 その笑顔に胸がじんわり温かくなって、涙の奥から笑みが零れた。泣き笑いしながら見つめ合う。二人で同じ気持ちを共有できたことが、何よりも嬉しかった。


 ——でも、その瞬間。


 耳に飛び込んでくるざわめきが、不意に現実を思い出させた。


(そうだ。私たち今、人集りの真ん中にいるんだ)


 その事実に気付いた途端、胸の奥が熱くなって、恥ずかしさがドッと押し寄せてくる。


「と、取り敢えずここから出ようかっ」


 詩乃ちゃんがそう言って、私の肩を抱いて人集りをかき分けてくれる。私はまだ涙の名残を袖で抑えながら、俯きがちに歩いた。


 でもその心の奥には、泣いてしまった自分を後悔する気持ちよりも「一緒に笑ってくれる人がいる」ことの安心感が、しっかりと根を下ろしていた。


 人集りから少し離れた廊下は、窓から差し込む光で眩しいほどに明るかった。私と詩乃ちゃんはそこで足を止め、しばらく深呼吸をしていた。


「カナタくんにも、お礼を言わないとねっ。私も言いたいっ!」


 詩乃ちゃんが、いつもの調子で明るく笑ってくれる。


「うんっ……言いたい……」


 涙を袖で拭い、しゃくりあげもようやく落ち着いてきた。声に出した途端、その気持ちはどんどん大きく膨らんでいく。


 ——カナタに言いたい。

 ——カナタに伝えたい。


 ……カナタに、会いたい。


 そう思った瞬間、胸の奥がドクンと鳴って、顔が熱くなるのが分かった。涙を拭いた袖口をそのまま口元に押し当てて、思わず顔を隠す。


 何でだろう、胸がこんなに苦しいのに、同時にすごく温かい。悲しいんじゃなくて、カナタのことを考えると、不思議と心がじんわり満たされていく。


 でも、どんな言葉で言えばいいんだろう。この感謝を、この想いを。考えれば考えるほど、胸がギュッとして、余計に言葉が見つからなくなる。


 だけど——どうしても伝えたい。この気持ちは、ちゃんと。


「……んっ? あっ!」


 不意に声を上げた詩乃ちゃんに目を向けると、廊下の先に視線を向け、パッと手を振っている。


 その視線を追った瞬間、私の心臓は跳ねた。晶くんと拓斗、そして——カナタ。制服姿で並んで歩いてくる三人。カナタは着替えた後だからか、ワイシャツの腕を捲って羽織りを脇に抱えていて、少しラフな雰囲気だった。


(カナタ……っ!)


 さっきまで「会いたい」と胸の中で繰り返していた人が、今そこにいる。現実と気持ちが重なった瞬間、込み上げるものを止められなくて、涙で視界がまた滲んだ。


 カナタは私と目が合うと、その目を大きく見開き、すぐに小走りでこちらへ駆け寄ってくる。その真っ直ぐな動きに、胸の奥がギュッと締めつけられた。


 気付けば、私も駆け出していた。


『っ莉愛! どうしたのっ!? 何で泣いて——』


「……っ」


 もう考える余裕なんてなかった。言葉より先に、私はそのままカナタに思い切り抱きついた。


 私はカナタの肩に顔を埋めた。カナタの温もりと、男の子の体特有の骨張って硬い感触が混ざり合って伝わってくる。鼓動が近くて、安心するのに余計に涙が溢れる。


『っっ!?』


 カナタのチョーカーから、驚いたように声を詰まらせる音が聞こえる。それでも次の瞬間、慌てたように伸ばされた腕がしっかりと私の体を受け止める。グラついた体が一瞬で落ち着いて、温かさに包まれた。


『……えっと……莉愛?』


 カナタが、いつもの機械混じりの落ち着いた声でそっと私に話しかけてくる。まだ胸の奥がじんわり熱くて、涙の余韻も残っているけど——


 言わなきゃ。伝えなきゃ。あの日ずっと、私に寄り添ってくれたカナタに。いっぱい考えてみたけど、やっぱりこれしか思いつかない。


「カナタ……ありがとう……」


『!』


 言葉にした途端、胸の奥がじんと熱くなる。私の意図を理解したのか、カナタの腕が僅かに動き、支えてくれている手の平が背中を優しくポンポンと叩いた。


 その仕草が、言葉よりも大きく「分かってるよ」と伝えてくれる。


『莉愛が頑張ったんだよ。僕は少し手伝っただけ』


 あまりに真っ直ぐに言われて、思わず笑みが零れてしまう。カナタらしい。いつも自分のことは後回しで、私を肯定してくれる。


 ——その優しさに、私は何度も救われてきた。


 だから、もう一度、伝えたい。


 私はカナタの肩に預けていた顔をゆっくり上げる。視線が重なった瞬間、カナタの目が私を真っ直ぐに見つめてくれているのが分かった。


 深い色を帯びた瞳は、いつものように優しくて、だけど、どこか私の心を見透かしているようで。


「それでも、ありがとう」


 感謝の言葉を重ねると、カナタの瞳がふっと緩む。口元は分からないけど、目元だけで今カナタが微笑んでいるのが分かる。


『……どういたしまして』


 その小さな一言が、胸の奥にじんわりと染み渡っていった。


「ふふっ」


 自然と頬が緩む。カナタが私の「ありがとう」を確かに受け取ってくれたことが、ただそれだけで嬉しくて。心の中に、温かな灯がまたひとつ灯った気がした。


「ねぇねぇ、三人共っ! 私たち、すごいんだよっ!」


 詩乃ちゃんが弾む声で叫ぶと、拓斗の腕をグイッと引っ張り、掲示板の方へと勢いよく走って行った。


「分かった分かったって……」


 口ではそう言いながらも、拓斗は抵抗せずに詩乃ちゃんに引かれていく。もう詩乃ちゃんの性格を分かってきたのかもしれない。


 その様子を、私とカナタと晶くんの三人で見守っていた。


「……二人の邪魔をしたくないけど、人が見てるしそろそろ行こっか〜」


 晶くんの穏やかな声に、私はハッとして周囲を見渡す。掲示板の前ほどではないけど、いつの間にか私たちの周りにも小さな人集りができつつあった。


(っっ!? 見られてる……!)


 慌てて、抱きついていた手をパッと離す。温もりが一瞬で遠ざかり、急に冷たい空気が腕に触れた。


「ごごごご、ごめんねっ、カナタっ! つい気持ちが昂っちゃってっ!」


 思わず早口で謝ってしまう。顔が熱くて、耳まで真っ赤になってる気がする。


『……ううん、大丈夫だよ』


 カナタは落ち着いた声でそう答えると、抱きつかれた拍子に落とした羽織を拾い、何事もなかったように魔械(マギア)掲示板の方へ歩いて行く。


 その後ろ姿を見つめながら、胸に手を当てて変に高鳴る鼓動を必死に抑え込もうとした。


 すると——晶くんが不意に、私の耳元に顔を近付けて囁いた。


「莉愛ちゃん、莉愛ちゃん」


「ん? なぁに?」


 小さな笑みを含んだ声。素直に問い返すと、晶くんは笑いを堪えるような表情のまま続けた。


「カナタの耳、見てごらん」


「……耳?」


 思わず首を傾げる。晶くんはコクリと頷いたが、その頬は笑いを堪えきれずに僅かに震えていた。


 私は言われるままに、カナタの耳へ視線を移す。髪に隠れてはっきりとは見えないけど——。


 窓から入った風に小さく靡いた髪からチラリと覗いたその耳は、火がついたみたいに真っ赤だった。


「っ!」


 息が止まり、思わず晶くんの方を見る。晶くんはもう堪えきれず、ニヤニヤと笑いながら囁いた。


「カナタ、めっちゃ照れてるでしょっ……」


 言葉に合わせて小さく笑う晶くん。その声に釣られて、胸の奥が急にくすぐったくなる。


 もう一度カナタの背中を見る。真っ直ぐ歩いて行くその姿は、いつもの冷静さそのものなのに、耳だけが赤くて。


(カナタが……照れてる……)


 私が抱きついたから? それとも、みんなの前だったから? 理由は分からない。でも——


 その照れが、伝染したみたいに胸の奥までじんわり広がっていく。気付けば、私まで頬が熱くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ