09
クラスメイト全員の自己紹介が終わって、日向先生が時間を確認する。一時間目がそろそろ終わりそうな時間だった。
「丁度いい時間ですね。ではこの後は学園内を案内します。『刻名』で分かれて行動しますので、宵のクラスの人たちと行動します」
(てことは、芽依ちゃんも一緒に行けるかもっ)
胸の奥がワクワクした気持ちでいっぱいになりながら、日向先生の話を聞き続けた。
「二時間目の時間に、私たちは専門棟から周ります。専門棟は七賢者や教会関係の方々から、直々に授業を受ける特別な場所です。迷子や遅刻なんてしないようにちゃんと覚えてください」
キーン、コーン、カーン、コーン——
日向先生の説明が終わると同時に、一時間目の終了のチャイムが響いた。
「では、学園案内が始まる前に、水分補給やお手洗いなど各自済ませておいてくださいね」
そう言って日向先生は、足早に教室を出て行った。きっと先生には先生の準備があるのかもしれない。
途端に教室の空気が緩んで、友達同士で話し出す子や水筒の蓋を開ける子、お手洗いに向かう子、別のクラスに顔を出す子、みんな思い思いに散って行く。
私も席でひと息つこうかと思ったけど……頭の中に浮かんだのは、自己紹介の時のカナタの姿。
あの時のカナタの目。
教室の壁を見ていたけど、焦点はもっと違う場所に合っているような。
誰にも見えない場所を見ているみたいな、そんな目。
初等部の頃にも、似たような表情を一度だけ見たことがある。
拓斗に初めて言い返した後、窓の外をぼんやり見つめていた時の横顔。
その横顔が、今と重なった。
あの顔は、何だか怖い——
カナタがどこかに行ってしまうような気がするから。
胸の奥に、小さな針のような不安が刺さる。ジッとしていられなくて、気付けば私は立ち上がっていた。
そして自分でもよく分からないまま、カナタの席へ向かって歩き出していた。
壁際の席。窓際の私の席の反対の席。カナタは頬杖をついたまま、視線を机に落としていた。
「……さっきの自己紹介、緊張した?」
カナタの元に着いた私は、カナタに声をかけた。
気遣うというより、ただ何か糸口が欲しくて出た言葉だった。
カナタはゆっくりと顔を上げ、私を見た。
話しかけてきたのが私だと気付くと、その目元がいつものように優しくなった。
機械混じりの声が、静かに響く。
『……それは、莉愛の方でしょ』
「えっ!!」
思わず声が裏返った。なるべく緊張していることを隠して話したつもりだったのに——
「えへへ……バレた?」
やっぱりカナタにはバレてたみたいで、私は笑って誤魔化した。カナタのチョーカーからも、ふふっと笑う息遣いが聞こえた。
——カナタが笑ってくれている。だから私は、もうさっきの不安には触れないようにしようと話を変えた。
「ねっ、学園案内、専門棟だってっ。覚えられるかなぁ?」
『大変そうだよね。でも……きっと大丈夫だよ』
「そう? ……カナタがそう言うなら、大丈夫かもねっ」
自然と口元が緩んだ。ここの空気が少しだけ和らかくなった気がした。
「ねぇねぇ、拓斗くんっ!」
詩乃ちゃんの弾けるような声が、教室の空気を軽く揺らす。私とカナタも、釣られてそっちへ顔を向けた。
呼ばれた拓斗は、相変わらず椅子の背もたれに体を預けたままだけど、視線だけは詩乃ちゃんへ向ける。
——会話する気はあるみたい。
「拓斗くん、葉月寮だったんだねっ! どんな寮なの?」
拓斗は視線を宙に浮かせて、少し考え込んだ。
「……あー…………何だっけ?」
「えーっ! 忘れちゃったのーっ!」
詩乃ちゃんの全力のツッコミに優ちゃんはクスッと笑い、私も思わず吹き出しそうになる。
私の隣でカナタのチョーカーからも、クスッと短い笑いが漏れた。
「弥生寮はねぇ『対話を大切にする』んだって〜!」
詩乃ちゃんは両手を合わせてニコッと笑顔で言う。
「……ずーっと喋ってるもんな、お前」
「そんな事ないよぅっ!」
むくれたように頬を膨らませる詩乃ちゃんが可愛くて、私は右手で口元を隠しながらそっと笑みを溢した。
「……てか、弥生寮だらけだな、ここ」
拓斗が視線だけで私と詩乃ちゃん、それから優ちゃんを順に見て、ボソッと呟く。
「一クラスに同じ寮の人は、大体四、五人の計算なんだよっ!」
詩乃ちゃんが胸を張って、まるで正解を発表するみたいに言った。
でも、その口振りに拓斗が薄く笑って返す。
「……どうせ、莉愛が計算したんだろ」
「えっ、何で分かったの?」
まるで本当に心を読まれたみたいな顔で、詩乃ちゃんが固まる。その反応があまりにも分かりやすくて、優ちゃんが吹き出した。
「いや、お前、算数苦手じゃん」
「よく知ってるねっ!」
詩乃ちゃんはすぐに表情をパッと変えて、感心したように笑う。そのコロコロ変わる表情に見ているこっちまで楽しくなってしまう。
けど、ふと思う。
詩乃ちゃんがお喋りなこととか、算数が苦手なこと、代わりに私が計算したこととか、よくよく考えるとよく分かったなって——
(拓斗って、意外と人のことよく見てるんだな)
そんなことを考えていると、教室の外からパタパタと軽い足音が近付いてくる。次の瞬間、ドアの隙間から芽依ちゃんがひょこっと顔を覗かせた。
私と詩乃ちゃんを見つけると、芽依ちゃんの顔がパァっと明るくなって、元気に手を振って長い袖を揺らしながらこっちへ来てくれた。
「また弥生寮が増えた」
私はその時の拓斗の呟きを聞き逃さなかった。
芽依ちゃんが私たちの元へ辿り着くと、優ちゃんの存在に気付いた。
「あれっ、優ちゃんもこのクラスだったんだ? しかも寮も一緒なんだね!」
どうやら芽依ちゃんは、優ちゃんのことを知っているらしくて親しげに話しかける。優ちゃんも軽く手を振り返し、自然な笑みで応えた。
「やっぱり優ちゃんは弥生寮だよねぇ!」
「まぁね〜」
そうだ、二人共中央都市出身だ。初等部の頃から顔見知りだったのかもしれない。今みたいに仲良く笑い合っていたのかな。
「二人共、友達だったんだ?」
問いかけると、芽依ちゃんは嬉しそうに胸を張った。
「うんっ! 好きなものが似てるんだっ!」
「へえーっ! 何が好きなのっ?」
詩乃ちゃんが興味津々に身を乗り出す。
「メイク! 優ちゃんは見ての通りすっごく上手で、私、よく教えてもらってるの!」
「えっ、優ちゃん、お化粧してるの?」
驚いて聞くと、優ちゃんはふふんっと鼻を鳴らし、どこか誇らしげに笑った。
「化粧ってね、してますって顔より、してないって顔の方が難しいのよ」
優ちゃんの声は軽く、でもどこか経験を滲ませていた。
私と詩乃ちゃんは、優ちゃんの顔をよく見てみる。肌はまるで何も塗っていないみたいに澄んで見えたけど、よく見ると一枚薄い膜をまとったように整っていて、睫毛はほんのりと目元を際立たせている。頬は血色を忍ばせる程度に温かみを帯びていて、唇は色というより質感で柔らかさを伝えてくる。
「自然なメイクって、ただ薄く塗ればいいってわけじゃないの。素肌をちゃんと整えておかないと、どんなに薄くしても自然にはならない。だから普段から気を付けているの。その上で——自分の顔を、本来の顔に戻すの」
「戻す?」
詩乃ちゃんが首を傾げると、優ちゃんは少し伏し目になりながらも、遠くを見つめるように続けた。
「本来の顔が一番綺麗なんだと思うの。でもね、ストレスとか環境とか、年を重ねることだって肌や表情を変えてしまう。頬の赤みは消えて、唇は乾いて、ニキビやくすみが増えて浮腫んで……少しずつ、その顔から離れていってしまうの。だから、メイクで取り戻す。あたしにとってのメイクは、そのためのもの」
“本来の顔が一番綺麗”という言葉が、なぜだか胸に響いた。
「そういえば、弟が赤ちゃんの時、肌はつるつるでほっぺはほんのり赤くて、唇はぷるぷるだったなぁ。」
「そうっ! まさにそれよ!」
詩乃ちゃんの言葉に、優ちゃんがパッと表情を明るくする。
「『化粧は嘘だ』なんて言う人もいるけど——」
そこで一呼吸置いて、ゆっくりと微笑む。
「いいのよ、嘘で。だって、あの赤ちゃんみたいな頬も、ほんの数年で失われてしまう。血色も、透明感も、潤いも、日々の中で削れていくの。だから私は、色も光も影も質感も、わざと作る。本当のように見せるために、丁寧に計算して。嘘を重ねてでも、あの本当を呼び戻したいの」
優ちゃんの声は、静かで確かな熱を帯びていた。それはただの美容の話じゃなく、自分の中の大切な何かを守ろうとする意志のようにも聞こえた。
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