05
「拓斗くんは、どこのクラスかなぁ?」
詩乃ちゃんの何気ない一言に、私とカナタの目が同時に合った。
(昨日も思ったけど……詩乃ちゃん、いつからそんなに拓斗と仲良かったんだろう?)
そんなふうに考えていると、車内にアナウンスが流れ、バスがゆっくりと動き出した。
窓の外の景色が少しずつ流れ始める。その変化に背中を押されるようにして、私は思い切って口を開いた。
「……詩乃ちゃん」
「ん?」
「詩乃ちゃんって……そんなに拓斗と仲良かったっけ?」
問いかけると、詩乃ちゃんは一瞬キョトンとした顔をして、それから少し考えるように言葉を選んだ。
「あー……えっと。前にちょっと色々あって落ち込んでた時に、慰めてもらったことがあるんだ」
(……拓斗が、慰めた……っ!?)
その言葉に、思考が一瞬止まる。
驚きと戸惑いが一気に押し寄せ、視線を横にやると、カナタは表情を変えずに、流れる窓の外を静かに見つめていた。
「へぇ……何か、すごく意外だなって思って……」
私がそう言うと、詩乃ちゃんは口元に手を当てて、ふふっと笑った。
「あっ、でもね、この事は拓斗くんには言わないでね」
「えっ、どうして?」
思わず首を傾げると、詩乃ちゃんは少し拗ねたように唇を尖らせて答える。
「だって拓斗くん……その時のこと、覚えてないんだよっ。何か、悔しいんだもん!」
その表情があまりに可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。
「だからね、思い出してくれるまで言わないの! ちゃんと思い出してもらってから『ありがとう』って言いたいの! だから、お願いっ!」
真剣な目で頼んでくる詩乃ちゃんに、私は小さく笑って頷いた。
「分かったよ。……私たちだけの秘密だね」
「うんっ!」
詩乃ちゃんが安心したように笑う。
胸の奥がじんわり温かくなって、秘密を分け合うことで、もっと仲良くなれた気がした。
私はカナタの方へ向き直った。
「カナタも、内緒だよ」
一瞬だけ驚いたように瞬きをしたカナタが、ゆっくりと私を見て頷く。
『……うん。言わないよ』
その落ち着いた声に、胸の奥がふっと軽くなる。
カナタにまで秘密を共有できたことが、何だか心強かった。
この雰囲気を変えるように、詩乃ちゃんがカナタに話しかけた。
「そうだっ、カナタくん。『宵』って何のことか分かる?」
その言葉に、カナタは一瞬だけ考えるように目を伏せた後、静かに答えた。
『……日が沈んで、夜になる前の時間帯のことだよ』
詩乃ちゃんは「へぇ〜」と感心したように声を漏らし、私はその言葉の余韻に耳を澄ませた。
カナタの説明は、どこか教科書みたいで、それでいて少しだけ詩的だった。
『正確には、夕暮れより少し遅い時間……空が段々暗くなって、一番星が出始める頃だよ』
「一番星……」
詩乃ちゃんがポツリと呟く。
朝の光に包まれた車窓から空を見上げると、そこに星はないけど、頭の中には淡い宵空と、輝く一番星が浮かんでいた。
その様子を見ていたカナタが、また付け加えた。
『……宵の明星って、聞いたことない?』
「宵の明星?」
私が首を傾げると、カナタは少しだけ目元を緩めた。
『夕方の空に一番早く輝く星のこと。実際には、金星のことをそう呼ぶんだ』
「へぇ……すごく綺麗な名前」
宵一九組———それは、宵に輝く明星みたいに、きっと特別に輝く時間を過ごすクラスになる。
そんな予感が、胸いっぱいに広がった。
「じゃあ、私たちのクラスは『一番星』だねっ。」
詩乃ちゃんが無邪気に言った。私と同じ考えをしてくれていたのが嬉しくて、ふふっと笑った。
——ガタン、とバスが小さく揺れる。
窓の外には、朝日に照らされている学園の塔がはっきり見えて来た。
「わぁ……遂に!」
詩乃ちゃんが、私の方に身を寄せて声をあげる。前の席にいる芽依ちゃんたちも、窓に顔を寄せながら目を輝かせていた。
『もうすぐだね』
カナタが静かにそう言った瞬間、胸の奥がドキドキと高鳴る。
「うんっ」
胸の高鳴りを隠せないまま、私は笑顔で答えた。
《——まもなく、学園前に到着します》
車内アナウンスが響いた瞬間、バスの中がざわめく。
座席から立ち上がる生徒や、鞄を抱え直す生徒……。空気全体がそわそわと揺れ動いている。
私も自分の学生鞄の持ち手をしっかりと握りしめた。
小さな振動と共にバスが減速していく。心臓の鼓動が、それに合わせるように早くなるのを感じた。
バスが最後の揺れと共に停車した。
プシューッと音を立ててドアが開いた瞬間、澄んだ朝の空気が一気に流れ込む。春の匂いと、遠くから聞こえる登校している生徒の声が胸にいっぱい広がった。
車内の生徒たちが、ぞろぞろと降りて行く。私たちは一番後ろの席だから、ある程度人が減ってから席を立つ。
バスを降りて足を踏み出すと、石畳の感触が靴底に伝わり、清々しい朝の空気が頬を撫でた。
視線を上げれば、青々とした木々に囲まれた広い敷地の向こうに、学園の塔が聳えている。
その堂々とした姿に、胸の奥がギュッと熱くなった。私より早く降りていた詩乃ちゃんが、目を輝かせて息を呑んでいた。
『莉愛』
カナタの声に振り向くと、そこには私を真っ直ぐに見つめるカナタの姿があった。
『行こうか』
「うんっ!」
カナタと並んで歩き出して、詩乃ちゃんの横を歩く時に、詩乃ちゃんの腕にそっと触れる。気付いた詩乃ちゃんが、にっこり笑って私の隣に並ぶ。三人の足音が、石畳の道に響いた。
・
・
・
私たちが向かっているのは、連環の塔。空に向かって真っ直ぐに伸びる、赤煉瓦で出来た円柱の塔。
二階には中等部一年生、三階には二年生……そして、七階には高等部三年生のフロアがあるらしい。
そこからそれぞれのクラスへ、鏡を通して行くらしい。瑛梨香先輩が入学式の時に「鏡の転移を移動手段としてよく使う」って言っていたのを思い出した。
(クラスの数も多いし、その分校舎もとっても広いんだろうな……)
連環の塔に入ると、まず目に飛び込んできたのは、フロアの真ん中に螺旋階段があって、それを背に周りをずらりと囲むように並んだエレベーター。そして、壁に沿うようにして、十台の大きな鏡が置かれていた。
私たちは二階まで、螺旋階段を登った。二階は一階と同じ配置で、十台の鏡が置かれていた。
だけど、その鏡たちは普通の鏡じゃなかった。
そこには、私たちの姿が写っていなかったから。
代わりに広がっていたのは——空。
夜明け前の薄紫が滲む空。
真昼の澄み渡る青空。
夕方の光と影が混ざる空。
月と星が煌めく深い夜空。
ひとつひとつがまるで動く絵画のようで、見ているだけで吸い込まれそうになる。
そう言えば芽依ちゃんたちも、“暁”、“黄昏”、“有明”って言っていたことを思い出す。
(全部、時間帯の意味だったのか……)
「わぁ、すごーいっ! どれが『宵』かなぁ?」
詩乃ちゃんがキラキラした目で辺りを見回す。私も胸が高鳴りながら、カナタと一緒に“宵”の鏡を探した。
すると、カナタがふっと手を上げて指差す。
『……あれだね』
示された先には、群青の夜空にポツリと“一番星”が輝く鏡。
「……本当だ。一番星だっ」
思わず声が弾んで、私はカナタを見上げた。カナタは静かに頷いてくれる。
私たちはそのまま、“宵”の鏡の前まで歩いた。すると——
「あっ! いたいたーっ!」
聞き覚えのある、元気な声に振り向く。そこには芽依ちゃんたちがいた。
「詩乃ちゃん、急にいなくなっちゃったから、ビックリしたよ〜」
「え、えへへ……ごめん……」
詩乃ちゃんはさっきのことを思い出したのか、どこかげっそりした顔をしている。
「えっと……それで、莉愛ちゃん。この人って……」
芽依ちゃんが遠慮がちに、だけどワクワクした瞳で、カナタと私を交互に見てきた。
「あっ、うん。昨日話したカナタだよ。私たちと同じ、常盤町から来たの」
カナタにも、芽依ちゃんたちを紹介する。カナタは芽依ちゃんたちに、小さくペコリと頭を下げた。
『……どうも』
「「あっ、どうも〜」」
芽依ちゃんたちも同じように頭を下げる。私たちの時より、やけに畏まった様子が可笑しくて、思わず笑いそうになった。
「へぇ〜、本当にマスクが魔械義肢代わりなの? そこで魔法使うの?」
芽依ちゃんたちの一人が、興味津々といった様子でカナタのマスクを見つめながら尋ねた。
(っしまった! カナタに、マスクのこと話したって伝えてなかった!)
胸が一気にざわついて、慌ててカナタの方を見る。
相変わらずの無表情。だけど、その瞳の奥からは、何ひとつ気を悪くしていないことが伝わってきた。
『うん、そうだよ』
落ち着いた声で答えるカナタ。
「へぇ〜! じゃあ、その声もマスクから?」
『声はこっち』
そう言って、首元のチョーカーを指す。
「わぁ……! じゃあ——」
興味を抑えきれないように、次々と質問を投げかけていく芽依ちゃんたち。私はいつ止めようかとハラハラしていたけど、意外にもカナタは嫌な顔ひとつせず、淡々と答えていく。
その姿を見て、胸がじんわり温かくなった。
(……初等部の頃だったら、絶対、こんなふうに答えなかったよね)
あの頃のカナタは、同じ質問を何度も受けて、その度に嫌気がさして……遂には黙り込んでしまっていた。
でも今のカナタは違う。きっと変わろうとしている。
私は、そんなカナタを見られることが、ちょっと誇らしかった。
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