憧れの名を、エスという——交友
「ねぇねぇ、優ちゃん。“エス”って何?」
私がそう聞くと、
詩乃ちゃんと玲央くんも
自然と優ちゃんの方を見た。
「……エス?」
拓斗は眉を寄せ、
頬杖をついたまま視線を向ける。
優ちゃんはそんな私たちを見回して、
ふっと口元をゆるめた。
その顔は、
“好きなものを語る前の顔”だった。
「“エス”っていうのはね」
優ちゃんは、
少しだけ声を落として言う。
「尊敬する上級生を慕って、学んで、交流していく関係のことよ」
教室のざわめきが遠くなる。
優ちゃんの声だけが、
すっと耳に入ってきた。
「上級生の“エス”が、下級生の“アプレンティス”を導くの」
「アプレンティスは“エス”から学んで、支える」
「……恋愛とも、ただの憧れとも、少し違うのよね」
そこで一度、
優ちゃんは言葉を選ぶように目を伏せた。
「人としての在り方とか、生き方とか――そういうものを教えてくれる関係」
「師弟みたいで、でももっと柔らかくて……学園の“非公式文化”よ」
「「「へぇ〜……」」」
私と詩乃ちゃんと玲央くんの声が、
ぴったり重なる。
「非公式なのに文化なのか」
拓斗がぼそっと言った。
優ちゃんは小さく肩をすくめる。
「そういうのって、あるでしょう?」
「誰かに憧れて、その人みたいになりたいって思うこと」
その言葉に、
私は少しだけ息を止めた。
優ちゃんは続ける。
「元々はね、とある女子生徒がきっかけなの」
その声音が、
少しだけ変わった。
さっきまでよりもずっと静かで、
どこか大切な話をするみたいに。
「その人は、下級生にも同級生にも、上級生にまで慕われていたんですって」
「でも、それを鼻にかけることもなくて……誰に対しても優しくて、ちゃんと導いてくれる人だったらしいの」
教室の空気が、
少しだけ凛とする。
私は自然と、続きを待っていた。
「その人が卒業すると同時に――“賢者”になったのよ」
「えっ……!」
思わず声が漏れた。
詩乃ちゃんも、
ぱっと目を輝かせる。
「すごーいっ!」
優ちゃんはこくりと頷いた。
「だからその人に憧れて、“自分も誰かの指針になりたい”って願う文化が残ったの」
「“賢者”を意味するSageの頭文字を取って、『エス』って呼ばれるようになったのよ」
(卒業して、すぐ賢者に……)
私は口元に手を当てる。
「その賢者って……青の賢者のこと?」
優ちゃんの目が、少しだけ輝いた。
「そう。青の賢者、セイ様」
「心療魔法使いの組織“慰者”を設立した、『心の魔女』とも呼ばれる方よ」
(青の賢者、セイ様……)
その名前を心の中で繰り返した瞬間、
胸の奥に、淡い光が灯るみたいだった。
なんだろう。
まだ何も知らないのに、
その人のことをもっと知りたくなる。
「……カナタは会ったことある?」
そう聞くと、
カナタは小さく頷いた。
『何回か』
「へぇっ、どんな方なの?」
カナタは考えるように、
視線を宙へ浮かべた。
『……若い』
「「「……若い?」」」
またしても声が揃う。
『見た目は、僕たちより少し上くらい』
私は目を瞬かせた。
「……賢者って、なんで年をとらないんだろうな」
玲央くんが不思議そうに呟く。
「不思議よねぇ……」
優ちゃんの呟きに、
私も小さく頷いた。
七賢者のことは、
知っているようで、
全然知らない。
『でも、落ち着いてる』
カナタの機械混じりの声は静かだった。
『大人びてる、っていうのかな』
少しだけ眉が寄る。
「若いのに、若くない……みたいな?」
玲央くんがぽつりと言う。
『まぁ、そんな感じ』
「へぇ……」
詩乃ちゃんが机に身を乗り出す。
「やっぱり優しい人なの?」
『優しいよ』
迷いのない即答だった。
『でも、真面目』
『駄目なものは駄目って、ちゃんと言う人』
「わぁっ、委員長みたい!」
『あっ、そんな感じ』
カナタがふっと目を伏せて――
それから私の方を見る。
『……なんとなく、莉愛に似てる』
「……へっ!?」
思わず変な声が出た。
「わ、私っ!? 私そんな真面目かなぁ?」
『真面目っていうより……雰囲気』
カナタは、
少しだけ言葉を探すように続ける。
『“あの二人”も同じこと言うと思う』
「えぇ……」
全然、実感がない。
でも――
詩乃ちゃんがふわっと笑った。
「じゃあ私、セイ様好きかも〜」
その一言に、
胸の奥が少しだけ温かくなる。
(……似てる、か)
そんなふうに言われたこと、
今までなかった。
嬉しい、のかな。
それとも、
少しだけ気恥ずかしいのかな。
自分でもうまくわからないまま、
胸のどこかにその言葉だけが残った。
そのとき、
優ちゃんが夢を見るみたいな声で言う。
「芸術って、人の心を癒したり、逆に活気を与えたりもするでしょう?」
「だから浅葱街には芸能事務所も多いみたいよ。行ってみたいわぁ」
(……心を動かす、か)
さっきの“心の魔女”の話が、
ふと胸の中で重なる。
「優ちゃんは、そっちの道に行きたいの?」
優ちゃんは少しだけ視線を上に泳がせた。
「そうねぇ。表に立つにしても、裏方でも――芸能に関わる道には進みたいわ」
「わぁっ! 優ちゃんに合ってると思うっ!」
詩乃ちゃんが、
ぱっと顔を輝かせる。
優ちゃんも、
少しだけ照れたように微笑んだ。
「じゃあ芽依ちゃんも、そっちなのかな?」
優ちゃんが小さく頷く。
「メイクアップアーティストになりたいって言ってたわねぇ」
「へぇ! じゃあ今度やってもらおっかな!」
詩乃ちゃんがぱちんと手を合わせた。
「あら、きっと喜ぶわよ」
そのとき――
玲央くんが、
ぐいっと身を乗り出した。
「俺にもやってくれるかなぁ?」
「どうかしらねぇ」
優ちゃんが意味ありげに笑う。
「でも玲央の顔立ちなら、映えると思うわよ」
「マジでっ!?」
玲央くんがガッツポーズを決める。
(顔立ちといえば……)
ふと、さっきのことを思い出した私は、
何気なく口を開いた。
「……そういえば玲央くんって、実は留年してて、みんなより年上なんだって」
一瞬。
空気が、止まった。
「は?」
拓斗が眉をひそめる。
「そんなわけないでしょ」
優ちゃんがくすっと笑う。
でも――
「へぇ! そうなんだっ!」
詩乃ちゃんだけが、
ぱっと顔を輝かせた。
「うんっ、なんか大人っぽいなって思ってたんだぁ!」
きらきらした目。
真っ直ぐすぎる納得。
一切の疑いなし。
「ほらぁっ!!!」
思わず私は身を乗り出した。
予想通りすぎる反応に、
玲央くんが一拍遅れて――
「ぶはっ……!」
盛大に吹き出した。
「ちょっ、マジで信じるんだっ!? 違うからね!?」
笑いすぎて涙目になりながら、
肩を震わせている。
その隣ではカナタが、
頬杖をついたまま静かに肩を揺らしていた。
(……あ、また笑ってる)
さっきほど大きくはない。
でも、
ちゃんと楽しそうで。
それがなんだか嬉しくて、
私までつられて笑ってしまう。
「えぇ〜? 違うの〜?」
詩乃ちゃんが本気で首を傾げる。
「違う違うっ! 普通に同い年!」
「えーっ」
今度は、あからさまに残念そうな声。
「なんでちょっとガッカリしてんの!?」
玲央くんがすかさず突っ込む。
そのやり取りがおかしくて、
私はつい吹き出してしまった。
「だって、顔立ちも大人っぽいし」
詩乃ちゃんは肩をすくめる。
「まぁ、よく老け顔とは言われるよ……」
玲央くんが少しだけしょんぼりする。
すると優ちゃんが、くすっと笑った。
「若いときに老け顔だと、年を取ったときに若く見られるらしいわよ」
「えっ、そうなのっ?」
一瞬で玲央くんの顔が上がる。
「やった〜!」
さっきまでの落ち込みはどこへやら、
すぐに満面の笑みになる。
そのわかりやすさに、
教室の空気がまた少しだけ明るくなった。
――“エス”とか、“賢者”とか。
まだ知らないことばかりだけど。
それでも、
こうして少しずつ知っていく時間が、
なんだか楽しいと思えた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は「エス」という関係性についての回でした。
ただの憧れでも、恋でもない——
でも確かに心を動かす繋がり。
そして優ちゃんの中にある「理想」が、
はっきりと言葉になった回でした。
憧れを“形にしようとする人”は、
やっぱり強いですね。
青の賢者・セイ様。
名前だけの登場ですが、この先、かなり重要な存在になります。
少しずつ触れていきます。




