07
体育館を出ると、先生の後に続いて、廊下を静かに歩いていく。歩く度に、床に鳴る小さな靴音が、どこか名残惜しそうに響いていた。
この後、校庭に出て、卒業生と保護者が揃って、校舎の前でクラスごとの記念撮影がある。
前の方に、俯きながら歩く詩乃ちゃんが見えたからの、駆け寄ってみる。
「……詩乃ちゃん」
さっき泣きそうになっていたから、泣いてるかと思ったら、目元に少し涙の跡と、潤んだ瞳。
それだけで、泣き出しそうなのを、踏み止まったんだなと思えた。
「……えへへ」
泣きそうになってるのがバレちゃったからか、詩乃ちゃんはちょっと照れくさそうに笑った。
その顔がなんだか可愛くて、私も少し笑ってしまう。
どうしたら元気が出るかなって考えて、私はそっと右手を伸ばして、詩乃ちゃんの左手を繋いだ。
お互いの、生身の手同士。温かさがじんわりと伝わってきて、それだけで、胸の中が少しほぐれる気がした。
最初、詩乃ちゃんは少しビックリしたみたいに目を丸くしていたけど、すぐにふわっと笑って、ギュッと握り返してくれた。
その笑顔を見て、あぁ、きっと詩乃ちゃんも同じ気持ちなんだって思った。
私たちは手を繋いだまま、一緒に校庭に向かった。
靴を履き替えて正面玄関を出ると、校庭の真ん中には、すでに撮影用の椅子がずらりと並べられていた。
順番が来るまで邪魔にならない場所で、自分のクラス毎にまとまって待機する。
詩乃ちゃんと私は、手を繋いだままその場に立っていた。繋いだ手の温かさが、もう少しで卒業式が終わってしまう寂しさを和らげてくれる気がして、離す気にはなれなかった。
そこへ、カナタがふらりと近付いてくる。
『ん……手、繋いで、どうしたの?』
その問いかけに、私は胸を張って笑顔を返した。
「ん〜? 詩乃ちゃんのことが大好きだから繋いでるのっ!」
「そっ! 両思いなのっ!」
私たちは、まるで自慢でもするみたいに、ギュッと繋いだ手を見せびらかした。
カナタは無表情のまま、それをジッと見つめていたけど、その様子が何だか可笑しくて、詩乃ちゃんと私は顔を見合わせて笑った。
「よっ! カナタ。制服、違和感ないな」
背後から軽やかな声が響いて、振り返ると利玖が立っていた。みんなよりも背が高く、自分たちとは少し違う制服姿の利玖に、周囲の子たちの視線が集まる。
高等部の生徒を見ることなんて滅多にないから、そりゃあ目立つ。
「あれ? お母さんたちは?」
「何か、保護者向けに先生たちが説明してたからさ。抜けて来ちゃった」
悪びれもせずにそう言って笑う利玖は、一応高等部では生徒会役員らしいけど、こういう時はちゃんとしてない。
それが利玖らしいところでもある。
「どうした、カナタ。そんなに手ぇ繋ぎたかったか? しょうがないなぁ、俺が繋いでやるよ」
『遠慮しとく』
さっきのやり取りを見ていたのか、からかうように手を差し出す利玖に、カナタは間髪入れずに返した。
即答だったそのやり取りに、私と詩乃ちゃんは吹き出してしまった。
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四人でしばらくお喋りしてたら、私たちのクラスの番になって並べられた椅子へと向かう。後ろに立つお母さんの姿を見つけて、そっと手を振ると、笑顔で振り返してくれた。
先生を中央にして、全員が席に着き、カメラマンの「はい、撮りますよー」の声に合わせて、一斉に前を向く。
「笑ってー!」
カシャっ!
シャッターの音が鳴った。笑顔も、涙も、交じり合ったまま切り取られて、その一瞬がきっと思い出になる。
「それでは撮影も終わりましたので、保護者の方と一緒に教室で待っていてください」
何回かシャッターが鳴って、最後のシャッター音が鳴り終わると、先生が穏やかな声で告げた。私たちは揃って返事をして、それぞれ家族の元へと歩き出す。
私もお母さんと合流すると、お母さんがすぐにカナタを見つけて、手を振った。
「カナタ君、よかったら一緒に行かない?」
お母さんに声をかけられたカナタが、ほんの少しだけ頷いた。
カナタの控えめな意思表示を見た後、ふと視線を前に向けると、撮影待ちの生徒たちの間に紛れて、お父さんと利玖がこっちを見ながら待っていてくれているのに気が付いた。
「行こっか」
そう言って、三人で並んで歩き出す。混み合う校庭の中、お父さんと利玖の待つ場所へと向かって行った。
「やぁ、カナタ君。制服姿、似合うねぇ! まるで違和感がないよ」
「それ、利玖も言ってたっ! ……って、みんなに言われたねっ!」
思わず笑いながらカナタにツッコむと、カナタは少し照れたように目を逸らした。
「それだけカナタ君が、大人びてるってことよ」
お母さんがふふっと笑いながら言う。その笑顔に釣られるように、お父さんも利玖も、にこやかに笑っていた。
何でもない会話だったけれど、心がじんわり温かくなった。
卒業の日の午後。空気は少し冷たいのに、不思議と寒くはなかった。
教室に着くと、もうほとんどの家族が中にいて、教室は人でいっぱいになっていた。
お父さんや兄弟の人たちは、自然と廊下に溢れていて、ちょっとした人だかりになっている。
「お父さんと利玖も、廊下にいるよ。お母さんだけ、一緒に入りな」
お父さんがそう言うと、お母さんはニコッと笑って頷いた。
「そうね」
私とカナタとお母さん、三人で並んで教室へと入る。私たちは自分の席、窓際のいつもの場所へとまっすぐ戻ったけれど、お母さんの姿がすぐ後ろにいないことに気が付いた。
チラリと振り返ると、教室の入り口辺りで、お母さんが誰かと楽しそうに話していた。どうやら知り合いにばったり会ったらしい。
少しして話がひと段落ついたのか、お母さんが私たちの元へやって来た。
「誰と話してたの?」
私が尋ねると、お母さんは軽く首を傾げて思い出すように言った。
「ん? えーっと、拓斗くんのお母さんよ」
思わぬ名前に、私とカナタは思わず目を合わせてしまう。
「お母さん、拓斗のお母さんと仲良いの?」
「仲が良いっていうか、仕事で一緒になることがあるのよ。お母さん、慰者でしょ? 心を癒やすために、音楽家さんに協力してもらうことがあってね。拓斗くんのお母さんが、よくバイオリンを弾いてくださるの。とっても素敵な音色よ」
慰者——それは、心の痛みを和らげる人のこと。目に見えない傷や、不安でざわつく心の奥底を、そっと魔法で包み込む。言葉を尽くさずとも、触れられた心は少しずつ落ち着きを取り戻す。誰もが言葉にできない痛みを抱えている。慰者は、その痛みを否定せず、ただそっと寄り添い、心が自分自身を取り戻すのを助ける人たちのこと。
私は少し驚きながら、でもすごく納得したような気持ちで、お母さんの言葉を噛み締めた。
その時、不意に廊下の方からざわめきが起こった。何事かと、生徒たちが一斉に後ろの扉に目を向けた。
静かに開かれた扉の向こうに立っていたのは、リョク様だった。
白と緑を基調にした装いは、華美ではないのに不思議と目を引く。
洗練されたデザインの中に、膝丈のボトムスがさり気なく混じり、その少年らしい姿を引き立てていた。
髪は真っ直ぐに揃えられ、顎の辺りで切り揃えられたボブカット。その真っ白の髪は、光に当たると淡く緑色に輝いている。
「すみません。うちの子がいるので、順番に回っているんです。お邪魔しても良いですか?」
柔らか声が、教室に届く。
一瞬戸惑ったような空気が流れた後、お母さんたちが小さく頭を下げながら道を開けた。
リョク様は、ふわりと微笑み、「ありがとう」と一言だけ告げて、ゆっくりと教室の中へと足を踏み入れた。
“うちの子”——それは養護施設の子どもたちのこと。
リョク様にとって、彼らはただの子供たちじゃない。我が子のように、大切に育てている。
その想いが周囲にも伝わっているのか、施設出身であることをからかったり、陰口を言ったりする人を、私は見たことがない。
教室を進むリョク様に、お母さんたちは皆、会釈をする。そのひとつひとつに、丁寧に頷いて応えながら、リョク様はゆっくりと歩みを進めた。
やがて、カナタの後ろの席まで辿り着いた。
その姿はまるで、誰かの大切な節目に、静かに寄り添いに来た“親”みたいだった。
「やぁ、カナタ。写真撮影にも参加したかったんだけどね。流石に止められちゃったよ」
『リョク様が入ったら、誰が主役か分からなくなりますからね』
だけど、カナタは全く動じていない。敬語ではあるけど、言葉には遠慮の色もない。
その受け答えに、リョク様は楽しげに笑った。二人の間には、どこか他人には踏み込めない、静かで深い、独特な雰囲気がある。
そう、まるで”家族”のような……。
「じゃあ、後でカナタと写真撮っても良いかい?」
『新聞に載りたくないので、やめときます』
確かに、リョク様の写真なんて撮れたら、新聞の一面になるだろうな。それくらい、七賢者は滅多に表に出ないし、写真も撮られない。何か特別な時にしか現れないのだ。
「残念」と言いながら、リョク様の口元には、明らかに笑みが浮かんでいた。教室中が静まり返るほどの存在なのに、カナタと話すその姿は、どこまでも人間らしく、親しみに満ちている。
「莉愛」
「っ、はいっ!」
急に名前を呼ばれて、私はビクッと肩を跳ねさせた。慌てて姿勢を正し返事をする。
リョク様は柔らかな目で私を見つめ、優しく微笑んだ。
「いつも、カナタと仲良くしてくれてありがとう。中等部でも、よろしくね」
「は、はいっ、こちらこそっ」
声が震える。でも、言わなきゃと思って、しっかり目を見て返した。
「ありがとう」
リョク様は微笑みながら、私に言った。
「それじゃあ、あの二人の教室に行ってくるね。どこかにお邪魔するなら、また手紙を飛ばしてね」
『はい』
別れの言葉を残しながら、リョク様はそっと手を伸ばし、カナタの頭にポンと優しく触れた。
その仕草は、何の躊躇いもなく、すごく自然なものだった。
少年が少年の頭に手を置く——ただそれだけの動きが、本来なら少し不思議に映ってもおかしくない。
だけど、その瞬間には違和感なんてちっともなかった。そこにあったのは、年齢じゃない、もっと深いところで繋がった関係だった。
カナタは頬杖をついて、特に驚く様子もなく、その手を受け入れていた。慣れたように、当たり前のように。
きっと、これが“いつも”なんだ。誰にも見せない、二人だけの、静かな習慣。
そしてリョク様は、私のお母さんに丁寧に頭を下げると、教室を後にした。その背中を、私はずっと目で追っていた。
「お母さん……リョク様があんなふうに喋ってるの、初めて見た……」
私の隣で、小さく漏らすお母さんの声。きっと、私だけじゃない。他のお母さんたちも、ポカンとした顔で、さっきまでの会話を思い出していると思う。
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