04
中央都市“常盤”駅に着くと、軌車のドアが開く音が小さく響いた。
水気をまとった風と一緒に、人々の声と鉄の匂いが流れ込んでくる。
私たちは順に軌車を降り、次に「緑の教会」行きの魔械軌車へと乗り換えた。
こっちの座席は、窓を横にして向かい合わせに座るタイプ。
だから、一緒に乗る人との距離が少し近く感じる。
詩乃ちゃんの後について席に座ると、隣にはすぐ詩乃ちゃんの温もりがあった。
向かいの座席には、カナタと拓斗が並んで座っている。二人の間には、どこか居心地のいい静けさが流れていた。
空の雲は、小さかった隙間がどんどん大きくなっていき、金色の光がたくさん差し込んできた。
夕方のはずなのに初夏の空はまだ明るく、まるで一日が終わりきるのを拒むようだった。
カナタが窓の外を眺めて、拓斗は腕を組んだまま無表情で空の明るさを見上げている。
詩乃ちゃんは、そんな二人の様子を嬉しそうに見つめながら、窓から差し込む初夏の光が、髪を淡く橙色に煌めかせる。
そして、私たちの胸元にはお揃いの羽織紐。
真ん中に飾られた翡翠の小石が、光を受けて淡く輝いていた。
それをぼんやり見つめながら、ふと胸の奥が温かくなった。
(……こうしてみんなでいる時間、なんだか好きだな)
試験が終わって、やっと肩の力が抜けたからかもしれない。誰も特別な話をしているわけじゃない。
それでも、軌車の振動に揺られながら、こうして四人で同じ方向を向いているだけで、少しだけ“日常”というものに包まれている気がした。
雲の切れ間から差し込む光が少しずつ傾いて、その金色の筋が、軌車の中をゆっくりと横切っていった。
「久し振りの常盤町だね〜っ!」
詩乃ちゃんが嬉しそうに身を乗り出して、窓の外に流れる景色を眺める。
「たっくん、私のこと覚えてるかなぁ?」
その声は楽しげなのに、どこか不安も混じっていた。
「絶対覚えてるよっ。私の方が心配だよ……」
そう口にしてから、胸の奥が少しだけざわついた。
(また泣かれちゃったらどうしよう)
たっくんの、あの大きな目に涙をいっぱい溜めた顔を思い出す。
『……たっくん?』
カナタが控えめに首を傾げて尋ねてきた。
たっくんとは、詩乃ちゃんの十歳下の弟の拓海くん。
私も何度か会ったことがある。
詩乃ちゃんと違ってたっくんは人見知りで、ちょっぴり恥ずかしがり屋さん。
私が初等部を卒業する頃になって、やっと「りぁ」と呼んでくれるようになったくらい。
「あっ、カナタは会ったことがないっけ? 詩乃ちゃんの弟くんだよっ。今はまだ二歳だっけ?」
「うんっ、今年三歳なのっ! 可愛いでしょっ!」
詩乃ちゃんはニコニコしながら、たっくんの顔を思い浮かべているようだった。
頬がほんのり緩んでいて、その笑顔だけで「早く会いたい」って気持ちが伝わってくる。
「まだ歩き方もヨチヨチしてて、頑張ってお喋りしてくれるんだよ〜!」
詩乃ちゃんの声は、まるで弟の可愛さをそのまま映したみたいに弾んでいた。
「弟自慢が始まったな」と思いつつも、その様子を見るのがなんだか嬉しい。
たっくんが詩乃ちゃんを見つけて笑顔で駆け寄ってくる姿——その記憶が胸の奥で温かく蘇る。
あの小さな足音。あの小さな声。思い出すだけで頬が緩む。
「早く会いたーい!」
詩乃ちゃんの控えめな叫びが、車内の空気を柔らかく震わせる。
その声を聞きながら、私は窓の外に目を向けた。
窓の向こうには、少しずつ見慣れた街並みが流れ始めている。
遠くに並ぶ街灯の形、屋根の色、道沿いの並木。どれも懐かしくて、胸の奥がくすぐったくなる。
あと少しで、あの懐かしい空気に触れられる。
胸の奥で静かに鼓動が高鳴るのを感じながら、私はそっと息を吸い込んだ。
少しだけ開かれた窓から入ってきた湿り気を帯びた夕風の匂いが、ほんの少しだけ夏の訪れを連れていた。
・
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「それじゃあ、カナタくんっ。また日曜日に一緒に帰ろうねっ!」
詩乃ちゃんが傘を持ちながら手を振ると、カナタは短く頷いた。
『うん』
軌車が減速し、ホームの景色がゆっくりと流れていく。
私たち三人が降りる駅に着くと、車内に残る夕方の光がカナタの髪を照らし、緑色に煌めかせた。
詩乃ちゃんと拓斗が先に席を立ち、通路へ出て行く。
私はその背中を見送りながら、ほんの少しだけ待って、それからカナタに声をかけた。
「また後で連絡するね」
声をかけると、カナタがゆっくり顔を上げた。
その瞳が、真っ直ぐに私を捉える。
いつもと変わらない無表情なのに、その奥のどこかで、柔らかな光が微かに瞬いていた。
『……分かった』
短い返事。
でも、そのたった一言が、ふわりと胸の奥に降りてきて、じんわりと温かく広がっていく。
静かな車内に、カナタの声が小さく溶けていった。
先週、お父さんがカナタを食事に誘っていたから、きっと明日辺り家に呼ぶのかもしれない。
そう考えると、胸の奥がふっとくすぐったくなった。
楽しみなような、少し照れくさいような——そんな感情が静かに混ざり合って、雨上がりの夕暮れみたいに、柔らかく心を染めていった。
軌車の開いた扉から、初夏の風がふわりと流れ込んだ。
さっきまで空を灰色に覆っていた雲はゆっくりと風に流されていき、顔を出した太陽の光が、軌車の床や窓の縁を優しく照らしていた。
その光の中で、カナタが小さく手を上げる。
魔械面が淡く光を反射して、一瞬、世界がそこだけ止まったみたいに見えた。
私も思わず笑って、同じように手を振り返す。
言葉はもう交わさなかった。だけど、視線の中に小さな約束が宿っていて、それが心の奥で温かく灯った。
詩乃ちゃんたちの背中を追って、一歩、外へ踏み出す。
ホームに降り立つと、雨上がりの甘さを含む風が頬を撫でた。
淡く匂い立つ風の向こうで、軌車の扉が音を立てて閉まる。
車輪がゆっくりと動き出し、列車が金色の光を反射させながら遠ざかって行く。
その光がホームの壁に流れて、私たちの影を柔らかく伸ばした。
やがて音が遠くに溶けていく頃、私は小さく息を吐いた。
蒸気機関車を思わせる黒色の車体が、ゆっくりと曲線を描いて走り去るのを、私たちはしばらく無言で見送った。
残されたホームには、雨上がりの空気の奥にほんのりとした鉄の匂いが混じっていて、それが金色の夕光に溶けながら、どこか懐かしい記憶をくすぐる。
「……行こっかっ」
詩乃ちゃんが、静かに口を開いた。私と拓斗は頷き、三人並んで改札口へ向かう。
ブーツと革靴の足音がタイルの上で軽やかに響き、機械音と共にゲートが開く。
外に出ると、駅前ロータリーの空気はどこか開放的で、少しひんやりとしていた。
ロータリーの魔械街灯がすでに灯り始めていて、濡れたアスファルトが夕陽を受けて煌めいている。
ロータリーの先で、私たちに向かって手を振る親子の姿が見えた。
金色に染まるその影の中で、小さな子どもがお母さんの腕の中から一生懸命に手を振っている。
右腕だけで、懸命に——それでも、その小さな動きには溢れるほどの力が宿っていた。
詩乃ちゃんが、その姿を見た瞬間、息を呑んだ。
胸の奥が震えたような声が、唇から零れる。
「っ……たっくんっ!!」
名前を呼ぶと同時に、詩乃ちゃんは駆け出していた。
濡れた石畳を踏む靴音が弾む。
詩乃ちゃんのお母さんがたっくんをそっと下ろすと、たっくんはバランスを取りながら小さな足でヨチヨチと詩乃ちゃんへ向かってくる。
小さな体が、陽に透けてキラキラして見えた。その顔には、純粋な喜びしかなかった。
大好きなお姉ちゃんに会えた——その嬉しさが全身から溢れている。
「しーちゃ! しーちゃ!」
たっくんの声が風に乗って跳ねる。
詩乃ちゃんはたっくんに辿り着くと、その小さな体を抱きしめた。
「たっくんっ……! 会いたかったよー!!」
抱き上げた勢いのまま、くるりと一回転。
たっくんは嬉しそうに「キャーッ」と声をあげて笑った。
その笑い声が、雨上がりの街に透き通るように響く。
「……すげーな」
隣で見ていた拓斗が、小さく呟いた。
その声は呆れでも皮肉でもなく、ただ純粋に目の前の光景に心を打たれたような響きをしていた。
雨上がりの光の中で、詩乃ちゃんはたっくんを抱きしめたまま笑っている。
その笑顔は、まるで世界にある“嬉しい”という感情を全部集めたようで、見ているこっちまで息を忘れてしまいそうだった。
言葉にできない優しさが、胸いっぱいに広がっていき、私は代わりに笑みを溢した。
「ふふっ、可愛いね」
そう言うと、拓斗がほんの僅かに目を細めた。
その横顔は、いつもの無愛想さの奥に、柔らかな光が宿っているように見える。
詩乃ちゃんの笑い声が風に混ざって届いた。
たっくんの小さな手が、詩乃ちゃんの髪を引っ張っている。
私は自然と足を前に出した。拓斗も無言のまま並んで歩き出す。
湿った風が、二人の間をすり抜けていく。雨の名残を含んだ匂いが、胸いっぱいに広がった。
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