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03

 午後の授業が終わるチャイムが鳴った。


 クラスメイトの声が弾んでいて、肩の力が抜けたような笑顔がそこかしこにあった。私も、胸の奥にあった重たい空気が少しずつ溶けていくのを感じる。


 でも、窓の外にはまだ薄い雲が垂れ込めている。


 雨は止んでいるけど、空気にはしっとりとした湿り気が残っていて、校舎の廊下を歩く度に靴底がキュッと鳴る。


 その音までが、今日一日の名残のように思えた。


 向こうの席では、詩乃ちゃんが楽しそうな様子で鞄へ筆記用具などをしまっている。指先が軽やかに動いて、ペンの音まで弾んで聞こえた。


 その姿を見ていると、自然と頬が緩む。


 今日はこの後、私と詩乃ちゃんとカナタで常盤町へ帰る。その言葉を心の中で繰り返す度に、胸の奥に溜まっていた硬い緊張が少しずつ解けていくのが分かった。


 家族に会える——


 それだけのことなのに、今はそれがとても温かい。


 窓際の机に射し込む薄らとした光が、机の上に置いた義手の表面を柔らかく照らしている。

 「起立——礼っ」


 帰りの号令の声が教室に響いた。


 椅子を引く音と同時に、雨上がりの湿った風が窓から吹き込み、カーテンの裾をゆらりと揺らす。


 雲の隙間からほんの少し青空が見えてきて、明るい光が差し込んで見えた。


「「「さようならー」」」


 全員の声が重なり、日向先生が柔らかく笑って教室を出て行く。その瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。


 椅子を動かす音、鞄を持つ音、誰かの笑い声。それらが一斉に混ざり合い、教室の空気は一気に解放感に包まれる。


 長い一週間の終わりに相応しい、どこか浮ついた喧騒が広がっていく。


 私は後ろの席の玲央くんに挨拶をしてから、詩乃ちゃんとカナタの元へ歩み寄る。二人と顔を見合わせた瞬間、自然と笑みが溢れた。


「行こっか」


「うんっ」


 カナタも静かに立ち上がり、頷く。その動作ひとつひとつが丁寧で、その控えめな動きは、私にホッとした安心をくれる。


 すると帰ろうと鞄を持った優ちゃんが、私たちの様子を見て拓斗に尋ねた。


「拓斗も、常盤町に帰るの?」


「おう」


 拓斗は短く答え、右の義手で鞄を待つとそれを肩に担ぐ。その仕草にはいつも通りの無愛想さがあるけど、目だけはちゃんと優ちゃんに向けられていて、不思議と冷たさはなかった。


「えっ、そうなのっ?」


 詩乃ちゃんが目を丸くして振り返る。拓斗は少しだけ眉を動かして、軽く頷いた。


「せっかくの休みなのに、彼女さんとデートとかしないの?」


 詩乃ちゃんの無邪気な一言に、空気が一瞬止まる。


 拓斗は「あー……」と間延びした声を出して、ほんの少しだけ考え込むような間を挟んでから言った。


「別れた」


「え゛っ!?」


 詩乃ちゃんの驚きの声が、教室中に響いた。


 あまりに即答過ぎて、私もカナタも優ちゃんも同時に目を見開く。


 何人かのクラスメイトがこちらに振り向き、詩乃ちゃんが慌てて両手で口を押さえる。


 頬が見る見るうちに赤く染まっていくのが分かる。


「ご、ごめん。そんなあっさり言うとは思わなくて……」


「まぁ、一ヶ月も続かなかったからな」


 拓斗は淡々と返すけど、その横顔にはほんの一瞬だけ、疲れのような影が見えた。


 私はチラリとカナタに目を向ける。


 カナタは机の椅子を静かに戻しながら、拓斗の話を聞いているような、聞き流しているような表情だった。


 その姿が、どこか「予想していた」ようにも見えた。


 気のせいかもしれないけど、そう感じてしまった。


(……色々あったのかな)


 そんな思いが胸の奥で小さく波紋のように広がる。


 拓斗の横顔には、ほんの僅かに影が落ちていて、だけどその影の奥にはどこか吹っ切れたような静けさが見えた。


「じゃあ、一緒に帰ろうよっ! 私たち三人も、常盤町に帰るんだ〜」


 詩乃ちゃんが明るく言うと、拓斗は小さく溜息を吐きながらも、ほんの少し口角を上げた。


 その表情に、私たちはみんな同じタイミングで笑った。


「それじゃあ、優ちゃん。また来週ね」


 私は言いながら、優ちゃんへ小さく手を振った。


「えぇ。さよなら」


 優ちゃんはいつもの落ち着いた笑みを浮かべて、軽く手を振り返す。


 詩乃ちゃんも手を振り返すと、四人で教室を後にした。廊下には、下校する生徒たちの笑い声と足音が響いている。


 雲の隙間から見えていた青空が少しずつ広がってきて、金色の光が廊下に差し込んでいた。



* * *



 天律学園からバスに乗り、天律学園前駅で環の花軌車に乗り換える。


 夕方の風はまだ少し湿っていて、梅雨の残り香の中にどこか夏の匂いが混ざり始めている。


 それぞれの手には、登校した時に使われた傘が静かに握られていた。紐でまとめられた布地はまだ少し冷たく、指先に残る水気が雨の名残を伝えてくる。歩く度に傘の先が微かに揺れ、義手が触れ合う微かな金属音が、雨上がり空気に滲んだ。


 カナタは魔械(マギア)軌車に乗るのが初めてらしくて、改札口の前で少し緊張していた。


 魔械面(マギアマスク)を鳴らして通過すると、カナタは目を丸くして周囲を見回した。


 天井に描かれている蔓模様を走る魔力の光や、その周りに組まれている魔械歯車(マギアギア)が静かに回り続けている。


 駅構内に設置された魔械(マギア)掲示板ひとつひとつ眺めながら、まるで初めて遊園地に来た子どものようにキラキラした瞳で見ている。


 その姿があまりに可愛くて、私はカナタの後ろでそっと口元を押さえた。笑っているのがバレたら、きっとカナタは耳を真っ赤にさせる。そう思ったのに、結局小さな笑い声が漏れてしまう。


 私も魔械(マギア)義肢を軽く鳴らして改札を通る。ホームに停まっていた常盤町方面行きの魔械(マギア)軌車に乗り込むと、放課後すぐの時間帯は思ったより空いていた。


 窓を背にソファのような横長の座席に、私たちは四人並んで腰を下ろす。


 車内には魔械灯(マギアとう)の柔らかな光と、金属の振動音が心地よく響いている。


 私の右隣には、控えめに辺りを見渡すカナタが座っていた。魔械(マギア)軌車の動きに合わせて、カナタの肩が小さく上下する。


 瞳を輝かせているその横顔は、夕方の金色の光を受けて少し眩しかった。


 その素直な表情に、胸の奥が少しくすぐったくなる。思わず小さく笑ってしまうと、カナタが私に振り向いた。


『……なに?』


 カナタは小さく首を傾げながら私に尋ねる。


「いつも車移動だもんね。初めての軌車は、どう?」


 私が尋ねると、カナタはもう一度、車内をゆっくりと見回した。まるで、ひとつひとつを記憶に刻むように。


『うん、本でしか知らなかったからすごく興味深いよ。中の仕組みも見てみたいな』


 少し興奮気味に話す声が、どこか楽しそうだった。いつもの落ち着いたカナタじゃなくて、年相応の男の子らしい顔。そんな姿を見ていたら、つい口元が緩んでしまった。


「ふふっ……」


 思わず漏れた笑い声に気付いたカナタは、ハッとして私に向いた。そして、すぐに目を逸らす。


 だけど、サラサラの髪の隙間から見えた耳の先が、ほんのり赤く染まっていた。その仕草が可愛くて、私はますます笑いを堪えるのに必死だった。


 左隣では、詩乃ちゃんが膝の上に鞄を抱えたまま、拓斗に楽しそうに話しかけている。拓斗はいつも通り、無愛想な声で短く相槌を打っていたけど、その顔はいつもの仏頂面よりも少し柔らかく見えた。


 詩乃ちゃんの明るさに、ほんの少しだけ釣られているみたいだった。


 魔械(マギア)軌車は緩やかなカーブを描きながら進んで行く。


 外の景色が流れる度に、学園都市の街並みが少しずつ中央都市の高層ビル群に姿を変えていく。


 人と音と光が絶えない場所——中央都市。


 常盤町とはまるで違う。


 あの町は静かな風が吹いていて、どこを歩いても誰かの声が届くような距離の近さがあった。


 そんなことを思いながら、私はもう一度カナタの横顔を見つめた。


 カナタはいつの間にか車内の観察をやめて、外の街並みに視線を向けていた。無表情に見えるけど、その瞳の奥は少しだけ揺れている。


 魔械(マギア)軌車のリズムが一定に響く中、私はそっと視線を戻した。流れていく街の光が、車内の窓に反射しては揺れていく。それが、帰り道の静けさを一層優しく包み込んでいた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

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