23 拓斗side
「——よしっ、こんなもんか」
夕陽が傾き、教室の窓を茜色に染めていた。
放課後の静まり返った教室で、俺とカナタは利玖先輩から「魔械創駆破壊事件」の事情聴取を受けていた。
とは言っても、実際に答えていたのはほとんどカナタで、俺はその隣で相槌を打つばかりだった。
壊されたと分かったあの時も、カナタは『創駆のことだから任せて』と一人で抱え込んでいた。
でも、その声音の奥に隠れていたのは——静かな怒りだった。
怒ると言っても、感情を荒げるような怒りじゃない。
あいつの中で、何かが音もなく軋んでいるような、そんな感じだった。
多分、自分が一から作った“もの”への想いもあっただろう。けど、それだけじゃない。
もっと奥にある……何か、大切な記憶みたいなものが壊されたような、そんな顔をしていた。
(……莉愛との思い出でもあったのか?)
気付けばそんなことを考えている。
カナタが本気で怒る時は、大抵、莉愛が関わってる。
——あいつは本当に、迷いなく大切なものを守れる。
好きな人に助けが必要な時、真っ直ぐに手を差し伸べられる。
それが、すげぇと思う。……そして、少し羨ましい。
俺には、できない。
頭では分かっていても、胸の奥で何かが絡まって、動けなくなる。
格好悪いとか、周りの目とか、そういう理由だけじゃなくて。
……ただ怖いんだ。もし、手を伸ばしたその先で、違う答えが返ってきたらって思うと。
だから、見ないようにしてきた。
けど時々、ふと考えてしまう。
——もしあの時、俺が先に手を差し伸べていたら。今、莉愛が感謝しているのは俺だったのかもしれないって。
そんな考えを頭の隅に押しやっていると、利玖先輩が声をかけてきた。
「何か今回の件で、聞いておきたいことはあるか?」
落ち着いた声。だけどその奥に、長く責任を背負ってきた人の重みがある。
俺は一瞬迷ってから、ずっと気になっていたことを口にした。
「……あの、俺たちが万が一カウンセリング室を利用する時、あの……犯人の奴と鉢合わせすることって、ないんですか?」
利玖先輩は少しだけ目を細め、それから静かに頷いた。
「あぁ。ないな」
その言葉がやけに真っ直ぐで、逆に少し怖くなるほどだった。
……まるで“断ち切る”ような声。
俺の表情を読み取ったのか、先輩は軽く手を振りながら言葉を継いだ。
「おっと、別に閉じ込めてるとかじゃないぞ。一般生徒が普段使わない部屋を利用してるってだけの話だ」
その柔らかいフォローに、胸の中に溜まっていた空気がすっと抜けていく。
「……そうですか」
そう返した時、ようやく本当に安心した。
これで——莉愛が、あいつと顔を合わせることはない。
それだけで、胸の奥がホッと温かくなった。
「——よし、それじゃあ、帰りますかっ」
利玖先輩が魔械板を操作しながら軽く伸びをする。
机に反射した夕陽の光が、利玖の義手を橙色に縁取っていた。
俺とカナタも立ち上がり、使っていた椅子を元の位置に戻す。教室に僅かに残る机の擦れる音が、放課後の静けさを一層際立たせていた。
「さぁてと、あとはこれを職員室に持ってくだけだな。お前らもついて来な。途中まで一緒に帰ってやるよ」
『自分が寂しいだけでしょ』
「そうとも言う」
軽口を交わす二人の声が、夕焼けに溶けていく。
利玖先輩の冗談にカナタがちゃんと返すのを見て、思わず笑ってしまった。
(……なんか、すげぇな。高等部の先輩と、こんなふうに自然に話せるなんて)
俺はそんな二人と並びながら、鏡の前で一瞬深呼吸をして——別館へと飛び込んだ。
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「——失礼しました」
顧問の剛先生に魔械板を返却し、利玖先輩が一礼しながら職員室の扉を閉める。
扉を閉めた瞬間、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
「……何か、甘い匂いがする」
「ん、確かに。いい匂いだな」
利玖先輩が鼻をクンクンさせながら言う。その無邪気な姿が莉愛に似ていて、つい俺も笑ってしまった。
——その時だった。
『へぇ、そうなんだ?』
カナタが宙を見渡す。穏やかな声が響いた瞬間、胸の奥がギュッと掴まれる。
あ、しまった。
カナタには、鼻も口もない。だから、匂いなんて分からない。
初等部の時に無闇にその話題に触れてしまったていたから、こういう話題は避けた方がいい——そう分かっていたのに。
気が緩んで、何も考えずに話してしまった。
どうしよう。何て返せばいい——
そんな俺の動揺をよそに、利玖先輩があっさりと空気を繋いだ。
「これは調理研究部だな。ケーキでも焼いてるんだろ。腹減った〜」
『昼、食べてないの?』
「誰かさんたちのお陰で、今日は授業中しか座る暇がなかったんだぞ。俺の昼飯は飲むゼリーだけだ」
『へぇ、僕と一緒じゃん』
「そうだな、あれ楽だよな」
二人の会話が、当たり前みたいに続いていく。
その自然さが、俺の胸の奥のどこかで何かが静かに解けた。
——あぁ、こういう関係もあるんだな。
無理に気を使わなくても、ちゃんと通じ合える距離。
もしかしたら、俺が思っていたほど、カナタは脆くないのかもしれない。
「あっ! よかったっ、いたー!」
そんなことを考えていた時、廊下の向こうから、聞き慣れた声が弾むように響いた。
顔を向けると、莉愛と詩乃が学生鞄を肩にかけ、紙袋をなるべく揺らさないように抱えながら、こちらに駆け寄って来るところだった。
二人共息を弾ませながら、どこか嬉しそうに笑っている。
「よかった〜。会えなかったらどうしようかと思ってたよ」
莉愛はホッと胸を撫で下ろし、柔らかく微笑んだ。
その仕草を見ているだけで、こっちまで肩の力が抜けていく気がする。
「どうした? 何か用事あったか?」
利玖先輩が軽く首を傾げて尋ねると、莉愛はパッと笑顔を弾けさせた。
「ふふっ、はい、利玖。生徒会、お疲れ様っ!」
そう言って、両手で紙袋を差し出す。義手の関節が小さく軋む音が、やけに丁寧な仕草の中で響いた。
「ん? 何これ? ……おっ、すげぇ。ケーキじゃん!」
利玖先輩が目を丸くして袋を覗き込み、すぐに子供みたいな笑顔を見せた。
「うんっ、シフォンケーキ! 結構上手にできたんだよっ」
「へぇ、いいの? 何味?」
利玖先輩の問いに、莉愛はほんのりと頬を染めながら、柔らかく微笑んで言った。
「『本当はオレンジピールを入れたかったんだけど、すっかり忘れてできたプレーンシフォンケーキ』です」
「ブハッ!!」
利玖先輩は思わず吹き出し、腹を抱えて笑った。
隣のカナタも、片手で目元を覆って肩を震わせている。
「莉愛のそういう素直なところ……っ、兄として誇らしいよ」
利玖先輩は笑い混じりの声でそう言う。
莉愛は照れたように頬を赤くして「えへへ」と笑った。
「剛先生に聞いたよ。今日、頑張ってくれたんでしょ? 家でゆっくり食べてね」
『えっ、利玖、今日帰るの?』
カナタが少し驚いたように声を出す。
「あぁ、父さんと母さんに、今回の件を説明しないとな」
「やっぱり私も行こうか?」
「莉愛は月曜日に試験があるからダメ」
利玖先輩の言葉に莉愛は小さく唇を尖らせた。
兄妹のやり取りを見ていると、空気が柔らかくなる。こんな何気ない時間が、やけに心に沁みた。
ふと、俺は詩乃の方に目を向けた。莉愛と同じ形の紙袋を抱えている。
「……詩乃のも、同じ味なのか?」
そう聞くと、詩乃はにっこり笑って紙袋を掲げて言った。
「そー! 『ホイップクリームたっぷりうっかりプレーンシフォンケーキ』!」
「ネーミングが変わったな」
思わず突っ込んでしまった。
名前の通り、詩乃の袋の中にはホイップクリームの入ったタッパーがチラリと見えた。
俺が何となくその袋を見つめていると、詩乃がハッとしたように目を見開き、慌てて両腕で紙袋を抱きかかえた。
「こ、これは莉愛ちゃんと食べるんだから、あげないよっ!」
「何も言ってねぇよ……」
俺が苦笑いを浮かべると、詩乃はますます顔を赤らめて目を逸らした。
その様子が可笑しくて、思わず笑みが溢れる。
横で莉愛が口元を隠しながらケラケラと笑い出し、利玖先輩とカナタも釣られて笑った。
——何でもない放課後の一幕。
だけど、確かに胸の奥が温かくなる。
夕陽のオレンジが、少し傾いた廊下をゆっくりと包み込んでいった。
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