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「……なるほどな、それだと義肢を鳴らさなくてよくなるのか」
剛先生の目が見開かれた。
先生の中で何かの歯車が動いたのが、素人の私でも分かる。
カナタは落ち着いた声で、すぐに返す。
『そうですね。一秒を取るか、動作を取るか、です』
短い言葉なのに、その中にどこか挑むような響きがあった。
剛先生は腕を組み、机の上に置かれた魔械板の光を眺めながら、ゆっくりと頷く。
「一秒を取るか、動作を取るか……か。上手いこと言いやがるな。まさにそれだよ」
口元に僅かな笑みが浮かぶ。
先生とカナタの間で、静かに火花のようなものが散っているように感じた。
私は二人の会話を追いかけようとするけど、専門用語の多さに、すぐに頭が混乱してしまう。
魔力の波長だとか、感知速度だとか、ロックの干渉域だとか——話はどんどん専門的になっていく。
それでもカナタは迷いのない口調で、理屈を積み重ねていった。まるで、自分の中に明確な図面を持っているみたいに。
(……すごいなぁ、カナタ)
喉の奥で小さく息を呑む。
普段は無表情だけど、今は真剣な眼差しで剛先生と意見を交換している。
カナタの思考が、そのまま光みたいに伝わっている気がした。
「その案、一旦貰ってもいいか? 次の会議で出してみるわ」
剛先生の声に、私はハッと我に返る。
どうやら話が一段落ついたらしい。
『どうぞ』
カナタは淡々と頷きながら答えた。
その声に、達成感というよりは、ただ冷静な納得の響きがあった。
横顔を見ていると、ふっと胸の奥が疼く。
私は何もできないけど、カナタはもう、ちゃんと“誰かに必要とされる”場所に立っている。
「……カナタ、すごいね」
気付いたら、口から声が漏れていた。
沈黙を破るような私の言葉に、カナタは小さく瞬きをしてこちらを見る。
『すごい?』
少しだけ首を傾げて問い返す仕草が、いつも通り穏やかで、だからこそ胸が熱くなった。
さっきまで難しい話をしていたのに、急に年相応の顔に戻るそのギャップに、心がくすぐったくなる。
「うんっ。何だろう……大人の会話というか、研究者みたいだった! 私、全然ついていけなかったもんっ」
勢いのまま言ってしまって、思わず自分でも照れくさくなった。手を胸の前で組みながら、熱を隠すように小さく笑う。
カナタはそんな私を見つめて、目元をほんの少しだけ和らげた。
その優しい視線に、心臓がひとつ跳ねる。
「先生もカナタが中一だっつーこと忘れて議論してたわ」
剛先生が、照れ隠しみたいに笑いながら言った。
豪快でフランクだけど、生徒を褒める時だけ少し不器用になる人なんだと分かる。
言葉の端々に、カナタの成長を嬉しがっている気配があった。
「いやー、でもカナタがこんなに話せるやつとはなっ! 普段とキャラ違いすぎだろ」
冗談めかして笑う剛先生の声に、会議室の空気が少しだけ柔らかくなる。
でも私は、その「普段と違う」という言葉に、ほんの少しひっかかった。
「普段と……違いますか?」
無意識のうちに、そう聞き返していた。自分でも、少し食い気味だったと思う。
剛先生は「ん?」と首を傾げて、記憶を手繰るように腕を組みながら宙を見上げる。
「普段つっても部活の時しか知らないけど、部活中はただ教えを聞いて黙々と鍛練してーって、そんな感じだろ? あーでも、利玖とだと少しは喋るか?」
その言葉で、剛先生はカナタの部活の顧問だということが分かった。
黙々と練習している姿——目に浮かぶようなその光景に、胸が少しだけ温かくなった。
だけど同時に、胸の奥に小さな棘のような痛みが刺さる。
私の知らないカナタが、そこにいる。
“普段とは違う”と言われたことが、どうしてだか少しだけ寂しかった。
それでも、知れてよかったと思う。
自分の知らないところで、カナタが真っ直ぐ努力していることが嬉しくて——
その気持ちと、チクリとした寂しさが、胸の中でそっと混ざり合っていった。
目を伏せると、視界に映るのは、自分の膝の上で重ねられた両手だった。
気付けば、その指先に力が込もっている。
——ギリッ
義手の関節が、微かに軋む音を立てた。
それはまるで、自分の胸の奥の音みたいに聞こえた。
すると、その時。
沈黙の隙間を縫うように、カナタが静かに言葉を紡いだ。
『……剛先生。部活の時は、必要なこと以外、喋らないだけです』
「ほう? じゃあ、いつ喋るんだ?」
『……状況によります』
いつも通りの淡々とした返し。でもその声の調子が、ほんの少し低くなったように感じた。
(状況、によります……?)
カナタのその言葉が、やけにゆっくりと耳に残った。
機械混じりの声なのに、どこか柔らかくて、微かな熱を帯びていた。
どうしてだろう。たったそれだけの言葉なのに、胸の奥が不思議とざわつく。
私は思わず小さく首を傾げ、頭の中でその言葉を反芻した。
“状況による”。それはつまり——普段の私といる時や、今この状況が、特別だということ。
そんなふうに考えた瞬間、心臓が跳ねた。頬の内側からじんわりと熱が広がっていき、慌てて視線を逸らす。
すると、剛先生がふっと意味深な笑みを浮かべた。
「カナタみたいなタイプは、“正確さ”ばっかり追って、周りの意見を聞かないのに……その子の言葉は、ちゃんと拾うんだな」
「えっ」
不意に自分の名前を出されたようで、思わず背筋がピンと伸びた。
そんなつもりは全然なかったのに。横を見ると、カナタの視線がほんの僅かに私と重なる。
その動作一つで、胸の奥がくすぐったく跳ねた。
『……別に、拾ってるつもりはありません』
カナタはいつも通り淡々と返したけど、その声の端には、ほんの少しだけ気恥ずかしさが混じっていた。
その微妙な違いを、先生も見逃さない。まるで“図星だな”と言いたげに、ニヤリと笑った。
「まぁいいや。カナタ、お前、高等部に上がったら生徒会に来ないか?」
『……僕が、ですか』
唐突な提案に、さすがのカナタも小さく目を見開いた。
「そう。お前みたいなの、なかなかいないからな。頭の回転も早いし、何より、話の筋が通ってる」
剛先生の声には冗談めいた響きがなくて、本気で言っているのが分かった。
でもカナタは、ほんの僅かに眉を動かしただけで、すぐに視線を落とす。
チョーカーから吐き出された息が、僅かに曇る。
『……遠慮しておきます。僕は、そういうのに向いてません』
短い言葉だった。だけどその響きはきっぱりしていて、拒絶というよりもどこか“近付いてはいけない”という線を引くような強さがあった。
私は、少しだけ驚いてしまった。
カナタなら、どんな場でも淡々とこなせると思っていたのに——自分から距離を置くなんて。
「そうかぁ。まぁ、そう言うと思ったけどな」
剛先生は腕を組んで、少し意味深な笑みを浮かべながら椅子の背にもたれかかった。
そして次の瞬間、視線を私に向ける。
「じゃあ……君はどうだ?」
「……へっ?」
思わず、変な声が出た。
頭の中が真っ白になって、ただポカンと先生を見上げる。
「君の方こそ、生徒会に向いてる気がするぞ。空気を読むのが上手い。それに、素直に真っ直ぐ考える」
真っ直ぐな瞳に見つめられて、胸の奥が少しだけ熱くなる。
褒められたのが嬉しい。でも、同時にどう返せばいいか分からなくて、焦るような気持ちもあった。
「えっと、でも……私なんかじゃ力不足ですよ。さっきの話とか、全然分かりませんでしたし……」
苦笑いを浮かべながら答えると、先生はすぐに首を振る。
「そういうのは、そういうのが得意な奴がやりゃいいんだ。……例えば、カナタとかな」
そう言って、剛先生はカナタをチラリと見る。
(でも、カナタはやらないって言ってたし……)
そんなことを思っていたら、カナタが低い声で口を開いた。
『先生、こんなことで莉愛を巻き込むのはやめてください』
その声は、いつもよりも冷たく、硬かった。
怒っている——そう感じるほどの強い響き。
「巻き込むなんてとんでもない。二人の相性がいいから、二人一緒に来てくれないかって言う話だろ?」
『っ——!』
カナタの肩が僅かに揺れた。
チョーカー越しに、言葉を詰まらせたような息の音が聞こえる。
すると剛先生は、ふっと笑いながら肩をすくめた。
どこか優しさの滲む笑い方だった。
「まっ、時間はまだあるからな。ゆっくりたっぷり、考えてくれ。カナタと……莉愛だっけか?」
「あっ、はい……」
自分の名前が出ただけなのに、少し胸が高鳴った。慌てて返事をすると、先生は手元の書類と魔械板をまとめ、机の上を整える。
その一つ一つの動作が、一区切りを示すように見えた。
「今回の件で決まったことは、大体話したつもりだが……まだ何か聞きたいことはあるか?」
軽く息を抜くような調子で言いながら、剛先生は私たちに目をやった。その目だけは、ちゃんとこちらの反応を見逃さない。
視線を受けて、私はカナタと目を合わせる。カナタの瞳は静かで、それでもどこか疲れが滲んでいた。
二人で小さく首を横に振る。
それを見た先生は、満足そうに頷き、椅子を押し引いて立ち上がった。
背筋を伸ばした姿は、どこか頼もしく見える。
「それじゃ、貴重な昼休みにすまなかったな。今後は、自分だけで抱え込もうとせずに、先生たちに相談してくれ。……カナタ、もう少し俺たちを信じてくれないか? 利玖、結構頑張ってくれてんだぞ」
その言葉に、私はハッとした。
剛先生が言っているのは、あの魔械創駆の破壊事件のこと。
カナタは、先生たちの中だけで解決されると思って、真耶と司に独自で調査を頼んでいた。
そのせいで生徒会が動くのが遅れ、利玖が奔走しているらしい。
でも剛先生はそれを責めることなく、ちゃんと話をする時間をこうして作ってくれた。
きっと、カナタのことを“信じたい”と思ってくれたから。
少しの沈黙の後、カナタが小さく息を吐いた。
その瞳の奥で何かが溶けるように、そしてチョーカーから声が落ち着いて響く。
『……分かりました』
その言葉は短いけど、確かな意志を感じた。
それを聞いた剛先生は、ゆっくりと頷き、口元に穏やかな笑みを浮かべる。
「よし。それでいい」
そう言い残して、隣の職員室へと向かっていった。
ドアが静かに閉まる音が響くと、部屋の中に小さな余韻だけが残る。
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