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 あの後——カナタ、玲央くん、利玖、そして私の四人で、ゆっくりと寮へ帰って来た。秋の夕暮れは思いのほか早く、空には薄い藍色が滲み始めていた。


 寮の明かりが見えた時、ようやく肩の力が抜けた気がした。


 カナタは弥生寮の前まで送ってくれた後、如月寮へ戻って行った。


 自分の方がよほど大変だったのに——それでも心配してくれるカナタの優しさが、胸の奥にじんと染みた。


 申し訳なさと、どうしようもない温かさが入り混じって、言葉にならなかった。


 今は、先に帰っていた詩乃ちゃんと優ちゃん、それに一緒に待っててくれた芽依ちゃんとで食堂で夕食を囲んでいる。


 テーブルの上では湯気の立つシチューの匂いが広がり、さっきまでの騒動が嘘みたいに穏やかな空気が流れていた。


「そんなことがあったんだ……」


 芽依ちゃんが、スプーンを握ったまま小さく息を呑んだ。


 事件の時、芽依ちゃんは部活に出ていて教室にはいなかったけど、同じクラスの子から少し聞いたらしく、ずっと心配していたみたい。


「うん……詩乃ちゃんは、もう大丈夫?」


 私が尋ねると、詩乃ちゃんは小さく笑いながら答えた。


「うんっ、大丈夫。……莉愛ちゃんこそ、大丈夫?」


 詩乃ちゃんの声はもういつも通りで、その中に感謝と心配と優しさが滲んでいた。


 詩乃ちゃんは、自分の発言で犯人を怒らせたと思い込んで、しばらく落ち込んでいたらしい。そんな時支えてくれたのが、優ちゃんと瑛梨香先輩、そしてエスである涙先輩の存在だった。


「そうだな。比べることじゃないけど、莉愛こそ大丈夫か?」


 優ちゃんが心配そうに眉を寄せる。男物のパーカーを羽織った、声もどこか低めの“男モード”だった。


 その隣で、芽依ちゃんが「うんうん」と頷いてくれる。その姿を見て、胸の奥がまた少し温かくなった。


「……ありがとう、大丈夫。まぁ……色々、残念なこともあったけどね」


 言いながら、胸の奥が少し痛んだ。


 頭の中に浮かんだのは——お母さんが買ってくれたハンカチと、カナタの折られたボールペン。


(お母さんに、謝らないと……)


 ハンカチ自体が事件に使われたわけじゃない。だけどもし手元に戻ってきても、きっともう、前のように笑って使うことはできない。


 カナタのボールペンも、菊理を壊すって発想がなければ取られることもなくて、そして壊されることもなかったはず。


 自然と「はぁ……」と溜息が漏れる。


 その瞬間、優ちゃんがスプーンを持つ手を止めて、慌てたように言った。


「でもさ、カナタちゃんの疑いも晴れたし、みんなの見る目も変わっただろ? 悪いことばっかじゃなかったと思うよ」


 その言葉に、ふっと胸の奥が温かくなった。


 そうだ。クラスのみんなが、私の話をちゃんと聞いてくれた。あの時の空気は、確かに柔らかくて、温かくて——あれが、この事件で唯一“よかった”と思える瞬間だった。


 その時、詩乃ちゃんがパッと笑顔を咲かせた。


「うんっ! 莉愛ちゃんの言った“機械仕掛けの魔法使い”って言葉、何かすごく感動しちゃったんだよ!」


「……“機械仕掛けの魔法使い”?」


 芽依ちゃんが首を傾げて、興味深そうに繰り返す。


「そう! 『私たちはみんな同じ、機械仕掛けの魔法使いなんだよ』って言ってて! なんかね、涙出そうになっちゃったの!」


「そ、そんなに?」


 思わず苦笑してしまった。


 あの時は、ただ心のままに口から出た言葉だった。それをこんなふうに受け取ってもらえるなんて、少し恥ずかしい。でも、嬉しかった。


「へぇ……うん、分かる。……すごくいい言葉だね」


 芽依ちゃんが、少し考えるように視線を上げる。


 その目に宿る光が、食堂の和風シャンデリアの煌めきと溶け合って、ゆらりと柔らかく揺れた。


「……人工的な美しさと、天然の美しさが合わさって。でもどこか残酷で、それでも……綺麗」


 その言葉に、私たちは一瞬息を呑んだ。


 “美しくて、残酷”——相反しているようで、紙一重のように隣り合っている言葉。


 それは、私たち自身のことのようにも思えた。


「……芽依のその感性、俺好きだよ」


 優ちゃんが頬杖をつきながら、柔らかく笑った。その穏やかな声に、芽依ちゃんは少しだけ頬を染めて笑い返す。


「ふふっ……ありがとう」


 笑い声がテーブルの上で弾けた。誰かが笑えば、それに釣られて誰かも笑う。そんな当たり前のことが、今はとても尊く思えた。


 ついさっきまで胸の奥に残っていた緊張や不安が、温かい空気に溶けていくのが分かった。


 カチャリと響く食器の音さえ、今日はやけに優しく聞こえる。


 夜は静かに更けていく。


 窓の外では風がやさしく木々を揺らし、テーブルの上の光が、まるでこの穏やかな時間を祝福するように、柔らかく揺れていた。



* * *



 翌朝。私と詩乃ちゃん、芽依ちゃんと優ちゃんの四人で寮を出た。


「「「行って来まーす!」」」


 私と詩乃ちゃんと芽依ちゃんは、玄関に立つ寮母さんへ挨拶をする。その後ろに続く優ちゃんが小さく頭を下げると、寮母さんは箒を手にしたまま柔らかく笑う。


「はい、行ってらっしゃいっ」


 私たちは揃って手を振る。箒の先が石畳を擦る音が、静かな朝に心地よく響いた。


 もうすぐ梅雨の時期。空は薄い灰色。今にも泣き出しそうな雲が、遠くまで重なっている。


 それでも、不思議と気持ちは重くならなかった。第二の家ともいえる寮から、みんなと並んで歩き出すこの時間が、今はただ嬉しい。


 曇り空の下、バス乗り場へと続く道。私の胸元には、綺麗に磨き上げられた菊理が揺れている。


 昨日の帰りに、カナタが返してくれたもの。私に返す時「あいつの魔力の痕跡を消す」って言いながら、ものすごく丁寧に菊理を磨いてくれた。


 その手付きが、まるで傷ついたものを慰めているようで、見ていて胸が熱くなったのを思い出して、私はそっと菊理に触れた。


「莉愛ー!」


 バス乗り場に着くと、聞き慣れた声が耳に届いた。


 利玖が手を振っていて、その隣にはカナタと玲央くん、そして晶くんの姿まであった。


 四人共、どうやらわざわざ待っていてくれたらしい。


 呼ばれたことが嬉しくて、私は思わず笑顔になりながら手を振り返した。


 四人で歩く私たちの足音が、湿気に濡れた石畳に軽やかに響く。


「よっ、眠れたか?」


 利玖の明るい声に、私は小さく頷いた。


「うんっ。ちゃんと寝れたよ」


「そりゃよかった。詩乃ちゃんは?」


「はいっ! グッスリです!」


 詩乃ちゃんの元気な返事に、利玖が頷いて笑う。


 その笑顔が何だか優しくて、胸の辺りがふわっと軽くなった。


「莉愛ちゃん、おはよう。……大変だったね?」


 晶くんが、少し眉を下げながら声をかけてくる。その柔らかい声色には、表面だけじゃない本当の心配が滲んでいた。


「うん……あれ? 晶くんまで、もう知ってるの?」


 驚いて尋ねると、晶くんは目を細めて小さく笑う。


「俺、情報通だから。そういうの、すぐ耳に入るんだよ。……相手の奴のことも、ある程度分かるけど、知りたい?」


「えっ……えっと……」


 胸の奥が小さくざわめいた。


 知りたい。でも、軽い気持ちで知るようなことじゃない。

 

 当事者として、きちんと向き合いたい。そんな思いが、言葉よりも先に喉の奥で固まる。


『おい、晶……』


 機械混じりの低い声が、割り込んだ。


 カナタだった。僅かに眉を寄せながら、晶くんを牽制するように睨む。


 その表情が真剣で、思わず息を呑む。


 晶くんは苦笑しながら肩をすくめた。


「はいはい、分かったよ。……じゃあ莉愛ちゃん、もし知った上で、もっと知りたくなったら俺のとこおいで。教えてあげる」


(うん、それなら……いいかもしれない)


「うん、そうするね」


 微笑みながら答えると、少しだけ肩の力が抜けた。


 ふと詩乃ちゃんと優ちゃんの声が遠くに聞こえて来て、見ると利玖を笑いながらバス停の方へ引っ張っている。


 そして私の後ろには、玲央くんと芽依ちゃんが何か話していた。玲央くんは顔がほんのり赤い。


 私はハッとした。ここで私たちが自然にここから去れれば二人きりにできるのではないか、と。


(ど、どうすれば自然かなっ? 無言で立ち去る? それとも何か声をかける? でもそれじゃあ、わざとらしいし……!)


 頭の中で何通りものパターンが浮かんでは消える。


 “自然に”なんて言葉ほど、不自然なものはない。焦れば焦るほど、体の動かし方ひとつにもぎこちなさが滲む。


 そんなふうに、頭の中がぐるぐるしていたその時——


「……ぷっ」


 小さく笑う音が耳に届いた。


 顔を上げると、晶くんが口元を押さえながら、堪えきれずに吹き出していた。


 どうやら、私の挙動不審っぷりはしっかり見られていたらしい。頬が一気に熱を帯びる。


『……莉愛、落ち着いて』


 カナタが、静かな声で優しく言った。


 だけど、その肩が小さく震えている。笑いを堪えているのが、すぐに分かった。


「も、もう……!」


 思わず唇を尖らせると、カナタは目だけで謝ってきた。


 結局、カナタと晶くんはくるりと背を向け、バス停の方へ歩き出した。


 その後ろ姿を見つめていると、カナタがふと振り返る。目が合った瞬間、カナタの瞳が柔らかく笑った。


 まるで「行こう」と言われたようで、私は自然と足を動かしていた。


 カナタの歩調に合わせて歩くと、いつの間にか心のざわめきも静かに落ち着いていった。

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