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「詰めを間違えたってことは……その後、何か動いたってことか?」


 玲央くんの冷静な低い声が、教室の静けさを裂く。


 真耶は視線をゆっくりと玲央くんに向け、さっきまでの皮肉めいた笑みを消した。その瞳は、何かを確信している人間のそれだった。


「そう。逃げることも、隠すこともできたはずなんだ。……例えば、菊理をどこかに捨てて、事件そのものを曖昧にする方法もあった」


 真耶は目を閉じて、そっと息を吐く。


「けど、犯人はそれを選ばなかった。……どうしてもカナタに濡れ衣を着せたかった。そこに、もう“遊び”なんて言葉は通用しない」


 その声には、僅かに怒りの色が混じっていた。私の胸の奥がギュッと締めつけられる。


(どうして犯人は、そんなことに拘るの?)


 犯人の顔も、目的も分からないのに、その感情だけが生々しく伝わってきて、息が詰まりそうだった。


 真耶は腕を組み、片眉を上げる。


「で、追い詰められた犯人がどうしたか。答えは簡単。最初の作戦を、無理やり続行したんだよ」


 クラス中がざわつく。息がひそかに止まる瞬間を感じる。だって、それは——


「でも……カナタちゃんの荷物には、莉愛の菊理は無かったじゃないの?」


 優ちゃんが不安そうに声を上げる。その声が静寂を破った瞬間、皆が一斉に頷いた。


 その空気の中で、真耶はゆっくりと笑った。それは、獲物を見つけた時の笑みだった。


「そう、そこがポイントなんだよ」


 真耶は近くの机に寄りかかり、足を組んだ。


「カナタの荷物には無かった。だから無実。……でも、問題はその後なんだ。印象を操るには、“事実”なんて二の次。重要なのは、皆がどう見たかっていう“真実”だってこと」


 教室の空気が再び張り詰める。誰も息をしない。真耶の声だけが、静かに響く。


「その後、カナタの鞄から菊理が出てきた。この事実で、考えられるシナリオは二つ」


 真耶は右手の人差し指を立てる


「一つは、真犯人がカナタに濡れ衣を着せようとした」


 真耶は次に、左手の人差し指を立てた。


「もう一つは……カナタ自身が、自分で仕掛けた“自作自演”」


「じ、自作自演……!?」


 拓斗の声が、思わず大きくなる。


 ざわり、と小さな緊張が教室に広がった。


「そう。自分が無実だと証明した後で、あえて再び疑われる。でも事実はすでに証明されているから、“濡れ衣を着せられた可哀想な被害者”を演じられる。——そういう計算さ」


 真耶は両手を静かに落として、再び腕を組む。冗談めかした言い方のはずなのに、その響きはどこか冷たい。


 私の背筋をヒヤリとしたものが走り抜けた。誰かの視線が、見えない場所からジッと私を見ているような感覚。


 真耶は最後に息を吸い込み、少しだけ声の調子を落とした。


「犯人は、勝負に出たんだよ。——この教室の誰かの見る“真実”が、信じたい人を間違えることを賭けてね」


 “信じたい人を相手を間違える——”


 私は唇に指を添え、ジッと考え込む。


 カナタを信じるか、それとも別の誰かを信じるか。


 犯人は、どうしてもカナタに濡れ衣を着せたいはず。だから、カナタを疑ったあの人の言葉——


(……まさか)


 私はハッと目を見開き、反射的に真耶を見る。


 真耶は、まるで私の考えを見抜いたかのように、静かに微笑んでいた。


 その目が「まぁ、見てな」と言っているように感じた。そして真耶はパチンッと指を鳴らした。


「詩乃、拓斗」


 呼ばれたふたりは、パッと真耶の方を向く。詩乃ちゃんはいきなり呼ばれたことに少し驚いた様子で、肩をピクッとさせた。


「カナタの鞄から莉愛の菊理が見つかった時の、周りの反応を順番に教えてくれる?」


「えっ! あっ、うんっ。えっと……」


 詩乃ちゃんと拓斗は顔を見合わせ、少し緊張した様子で思い出しながら話し始める。


「まず、私たちはカナタくんの様子に気付いて……鞄のポッケから莉愛ちゃんの菊理が出てきたのを見て……」


 詩乃ちゃんは声を落として、一つ一つ間違いのないように慎重に説明する。


「で、カナタの荷物には元々菊理が無いことが分かってたから、自然と『カナタではない』って空気になったんだ」


 拓斗は机に寄りかかり、右の義手をスラックスのポケットに入れて、左手を顎に添えて簡潔に状況を補足する。少し伏せ目がちな様子は、当時の教室の緊張感を思い返しているようだった。


「えっと……周りの人も、カナタくんを信じる人と、まだ怪しいって思ってる人に分かれてて……」


「でも、圧倒的にカナタを信じる声の方が多かったな」


「うん! ほとんどの人がカナタくんを信じてた!」


 詩乃ちゃんの明るい声に、教室のざわめきの中から少しずつ頷きが返ってくる。


 その様子を見た私は、胸の奥底から熱いものが込み上げてくるのを感じた。


 ——カナタは、一人じゃない。皆がちゃんと見て、信じてくれている。


 私は自然と、ギュッと両手を握りしめた。


 「その後……あっ……」


 詩乃ちゃんと拓斗が顔を合わせると、同時に視線を窓際へ向ける。


 釣られて私も見る。そこには、窓枠に寄りかかってこちらを見ている男子がいた——カナタにずっと疑いの言葉を放つ、あの人。


 胸がキュッと締めつけられる。喉の奥が熱くなって、声さえ出ない。


 男子に視線を向けた瞬間、教室全体の意識もそこへ集中したのが分かった。羽織の袖が揺れる衣擦れの小さな音さえ響くほど、空気は張りつめている。


 クラス中の視線が一気に自分へ向けられたことに気付いた男子は、落ち着かない様子で視線を泳がせながら、教室を見回した。


「……お前、言ったよな」


 先に口を開いたのは拓斗だった。静かなのに刺さるような声で、その声音には怒気よりも、確かめるような冷たさがあった。


「『演出をして、さらに自分が疑われないようにした』って。今、真耶が言ったのと……そのまんまだろ」


 男子の肩が震える。ほんの一瞬視線が泳いだ。それだけで、胸の奥がざわっと波立つ。


「カナタが自作自演したって流れに、持っていこうとしてたな」


 その声はいつものぶっきらぼうさとは違って、静かで、でも逃げ場のない硬さがあった。


 詩乃ちゃんも、躊躇いながら小さく続けた。


「カナタくんのこと…………証拠もないのずっと疑ってた……よね」


「……ふざけんなッ!!」


 男子の怒鳴り声が爆発した。建物ごと震えるんじゃないかってくらいの大きな声。私の心臓も跳ねた。


「ふざけんなよッ!! 何で俺が犯人みたいな空気になってんだよ!」


 ガンッ!!!!


「っ!!」


 男子は怒鳴りながら左手で机を叩きつけた。衝撃音が教室中に響き、私は怖くて思わず縮こまった。


 その瞬間——隣から伸びてきた腕がそっと、私の右肩を支えるように覆った。


 カナタの腕だ。私を庇うようにそっと身を寄せ、左手で右肩を支える。その姿勢は私を庇いながらも、視線だけは怒鳴る男子から一瞬も逸らさない。鋭く、だけど、静かな眼差しが真っ直ぐに相手を射抜いていた。


 鼓動が早くなる。耳の奥でドクドクと血の音が鳴り、手の平には汗が滲んでくる。


 視線の端では、詩乃ちゃんが肩を小刻みに震わせ、それを優ちゃんが抱き寄せているのが見えた。


 クラスのあちこちでも同じように、小さな恐怖と、それを支えあう手が生まれていた。


 怯えて俯く子、立ち上がって前に出ようとする子、ただ固まって目を逸らせない子。


 拓斗がゆっくりと姿勢を変えた。肩の力だけは抜いているけど、足元は僅かに構えていた。何かあれば、すぐに動けるように。


 そして玲央くんは、手を首元にゆっくり運んでいた。


「俺以外にも、こいつを疑ってたやつなんていたよな!? みんなが揃いも揃って『カナタはそんなことしない』だの『信じてる』だの言い出すから、俺はただ、別の可能性もあるって言っただけだろうが!」


 男子の声は怒りに満ちているのに、どこか苦しそうだった。強がりの奥で、足場を失った人間の必死な叫びにも聞こえた。


「それを今さら“自作自演の疑い”とか……ふざけんなよ! 何で俺が疑われんだよ……!」


 声が揺れていた。怒鳴り声の中に、不安や焦燥が混じっているのが分かる。目の奥はギラついているのに、瞳だけが揺れていた。


 その姿に、誰もすぐには言葉を返せない。教室の空気が張り詰め、息を吐くことすら躊躇われるほど、静かになる。


 男子はハァ、ハァと息継ぎをする。そして続けた。


「黙ってないで、言いたいことあるならはっきり言えよ! そんなに俺を犯人にしたいなら、証拠出してみろよ!! 証拠がないなら、俺を疑うなッ!!」


 すると、黙って男子の主張を聞いていた真耶の横顔が、ニヤリと笑った。まるで「言ったな」とでも言っているような表情だった。


 真耶は男子から視線を逸らさず、腕を組みながらゆっくりと右手を軽く掲げた。


 ——パチンッ


 乾いた指の音が、教室全体を震わせた。その音は、怒鳴り声よりずっと小さいのに、教室全体を一瞬で支配した。


「……司、あった?」


 静かに投げられた真耶の問いに、教室の隅から飄々とした声が返ってきた。


「あったよ〜」


 司が歩いて来る。手には白い布。布の中に包まれた何かを、慎重に、でも迷いなく抱えている。


 その姿が妙に現実感を失って見えて、心臓が強く跳ねた。司は真耶の隣に立つと、布を静かに開いた。

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