表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
108/136

10

「タオルがないっ!!」


 思わず声が裏返った。胸の奥から突き上げるように出たその言葉に、教室の空気が一瞬で止まる。


「…………」

「…………」

「…………」


 誰もが言葉を失い、目を瞬かせたままこちらを見ている。時間が止まったみたいに、ただ沈黙だけが広がっていた。


「……タオル?」


 そんな張りつめた静寂を、司が首を傾げながら破った。その呑気そうな声が響いた瞬間、ようやく息を吐くことができた。


「うんっ、そう! 体育の後、椅子にかけてたやつっ!」


 言いながら、記憶が鮮明に蘇る。汗を拭いたタオルを椅子の背にかけ、窓から入る風で乾かしていた。


 それを、今まで——全然思い出せなかった。まるで、誰かに記憶のスイッチを切られてたみたいに。


「……なるほど、それでか」


 不意に聞こえた真耶の声が、静かに空気を震わせた。顎に手を添えながら、その目はどこか遠くを見ている。すでに何かに辿り着いているような、そんな光を宿していた。


「……タオルが、何か意味あるのかよ?」


 拓斗が怪訝そうに尋ねると、真耶は腰に手を当て口元を吊り上げた。


「うん、ものすごく。莉愛、いいこと言ってくれたね」


 その笑みには確信があった。まるで真実を暴くことに小さな愉悦を感じているような、探偵の笑み。


 褒められても、何がどう良かったのかは全く分からない。でも、真耶の目の奥に宿る輝きを見て、私は何となく理解した。


 ——“何か”が、今、繋がったのだと。


 真耶は、教室にいる全員をゆっくり見渡すと、まるで授業でも始めるかのように軽い口調で話し出した。

 

「この間、すごく面白い推理小説を読んでたら朝になっててさ、徹夜で学校に来たことがあるんだけど、その時に——」


「何の話してんだよっ! 今関係あんのかよ!」


 怒鳴り声が教室に響く。


 声の主は、さっきからカナタを疑っている男子。顔が赤く、息が荒い。


 だけど真耶は、その怒りを正面から受けても、まるで心に響かないかのように柔らかく笑った。


「まぁまぁ、焦んないでよ。早死にするよ?」


 腕を組みながら軽口のように言い放ったその一言が、やけに冷たく響いた。


 男子の顔がさらに引きつる。真耶は気にも留めずに話を続けた。


「それでさ、もちろん超眠いわけだよ。大あくびしながらロッカーの取手を引っ張るじゃん。そしたらさ……ロッカー開いたんだよ」


「……普通じゃない?」


 優ちゃんが首を傾げて言う。


「ここだけ聞くとね。でもその時、うち……義足鳴らしてなかったんだ」


「えっ……」


 その一言で、空気がピタリと止まる。


 誰かの喉が小さく鳴った音が、やけに響いた。


 この学校のロッカーは、魔械(マギア)義肢を鳴らすことで持ち主の魔力を感知し、鍵が開く仕組みになっている。閉めれば自動で施錠されるオートロック式。


 その鍵が——魔械(マギア)義肢を鳴らさずに開いた。


「それは……」

「えっ、なんで?」

「壊れてたとか……?」


 ざわめく声が次々と上がる。だけど真耶は、その動揺を楽しむように、唇の端をゆっくり上げた。


「それでね、魔械(マギア)工学棟に行って色々聞き込みしたり、技術管理委員の人に聞いてみたんだ。そしたらさ、面白いこと聞いてね」


 笑顔のままなのに、声の温度がスッと下がる。


 真耶の言葉は、もう教室全体ではなくて、一人の犯人へ向けているようだった。


「このロッカーはね、魔械(マギア)義肢からのその人の魔力反応と、“嗅覚魔法”の二重ロックになってるんだって」


「……二重ロック?」


 誰かの掠れた声が、静まり返った空間に落ちた。


「まず、魔械(マギア)義肢からの魔力を感知する。その後、ロッカーの取手部分に施されている嗅覚魔法で、その人の匂いを感知する。——取手はみんな、生身の手で触れるはずだからね」


 真耶が、利き手である右手を軽く掲げながら淡々と告げた瞬間、誰かが息を詰めた気配がした。いつも無意識にやっている動作だから、誰も疑問に思わなかっただけで、今初めて、その“当たり前”が、逆に恐ろしく鮮明に浮かび上がってくる。


 確かに、義足の人は関係ないかもしれない。でも、私のように義手を持つ者たちは、生身の方の手が利き手になる。だから、自然とロッカーの取手に触れるのも、生身の手になる。


 つまりその手から漂う“個人の匂い”で、ロッカーの持ち主を識別しているということ。


「じゃあ……莉愛ちゃんのタオルについた匂いで、嗅覚魔法のロックを解除したってこと?」


 詩乃ちゃんがおずおずと尋ねる。その声には、どこか怯えが混ざっていた。


 真耶は片手を腰に当て、笑顔のまま少しだけ目を細め、静かに頷く。


 その瞬間、私の背筋を冷たいものが駆け抜けた。


 嗅がれたわけじゃない——分かってる。


 それでも、自分の匂いを“使われた”という事実が、喉の奥に重くのしかかる。胸の奥で何かがぐるぐると渦を巻いて、息を吸う度に気持ち悪さが広がっていく。


 気付けば私は、両手を胸の前でギュッと握っていた。指先に力が入り過ぎて、義手の接合部が小さく軋む音がした。視界が少し滲む。


『……莉愛、大丈夫?』


 隣にいるカナタの声が、心の奥に直接落ちてくる。


 いつものように機械を通した少し籠った声。それが、今はいつもより優しく感じた。


 私は顔を上げられないまま、小さく頷いた。何も言葉にできなかった。ただ、カナタの声がそこにあるだけで、かろうじて心が繋ぎ留められている気がした。


「じゃあ、莉愛の魔力はどうやって感知させるんだ?」


 玲央くんの落ち着いた声が、静まり返った教室の中に響いた。その冷静さに、張り詰めていた空気が一瞬だけ緩む。


 玲央くんは腕を組み、真耶を真っ直ぐ見つめている。その横顔には迷いがない。


 確かに——匂いのことは分かったけど、魔力の方は?


 匂いだけじゃ、ロックは解除できないはず。


「それは——カナタ」


 真耶が、軽く指を鳴らしてカナタを呼んだ。パチンッ、という乾いた音が教室に響く。


 呼ばれたカナタは、私から真耶へとゆっくり視線を移した。その一連の動きが、何だか儀式のように静かだった。


「人の魔力の物質化について、簡単に説明して」


 真耶の声は淡々としていたけど、どこか信頼の響きを含んでいた。


 命令口調だけど、雑ではない。


 今、真耶が本当に頼れるのは、カナタの言葉だから——それが分かる。


『魔力の物質化は主に二つ。一つは“人工魔法石”。意図して自分の魔力を結晶化させたもの。もう一つは“漏出魔力”。人の魔力は、生きているだけで常に微量に流れ出ている。それは主に、呼気と唾液と、皮脂と…………汗』


「「「!?!?」」」


「っ!?」


 その瞬間、空気がざわめいた。


 クラス全体が一斉に息を呑む音がした。


 私も、反射的に後ずさる。


(気持ち悪いっ……! 匂いだけじゃなくて、汗まで……!?)


 皮膚の上に、誰かの視線がまとわりつくような感覚。まるで、自分の体を誰かに触れられたような気持ち悪さだった。


 心臓がバクバクと速くなる。呼吸が上手くできない。


 その時——背中に、そっと何かが触れた。


 優しくて、でも確かに支えてくれる感触。


『莉愛、ごめん』


 カナタの声。機械混じりなのに、そこに込められた痛みが伝わってくる。


 カナタの顔を見ると、まるで自分が悪いことをしたみたいに苦しそうだった。


 違うのに。——カナタは、何も悪くないのに。


 私は小さく首を振って、それ以上言って欲しくなくて唇をギュッと結んだ。


 でも、胸の奥にある鈍い痛みで、どうしても涙が滲みそうになる。


 誰よりも私を思って苦しむカナタが、何よりも切なくて——痛かった。


「……犯人は、莉愛の体育後のタオルを使うために、忘却魔法が彫られた人工魔法石を莉愛の鞄に忍び込ませた。それによって莉愛は、ほんの身近で気をつけていたことを忘れた——認識できなくなった。それが椅子にかけたタオルと、ロッカーの菊理だった」


 真耶は静かに、しかし確信に満ちた声で推理を語り出した。


 その落ち着いたトーンに、教室のざわめきがすっと引いていく。


「でも、莉愛の菊理がロッカーにあるなんて、犯人は何で知ってたのかしら?」


 優ちゃんが、眉を僅かに寄せながら言う。


 確かに——体育の時に私が菊理をロッカーにしまっていたことを知っていた人なんて、数えるほどしかいない。


 詩乃ちゃんと優ちゃんくらい。

 ……もしくは、誰かに見られていたとか?


 胸の奥がぞわりと冷たくなる。誰かに、見られていた。そんな想像をしただけで、鳥肌が立った。


「いや、菊理を盗ったのは偶然だね」


 真耶は腕を組みながら、その不安を軽く切り裂く。あまりにもあっさりしていて、逆に安心する。


「元々の狙いは、教科書とか、体操着とか、ロッカーにある物なら何でも良かったんだと思う」


「どうしてそう思うの?」


 気付けば、私は口を開いていた。自分でも驚くくらい、声が震えていた。


 真耶は私の方を見て、私を安心させるかのようにふっと口角を上げた。


「菊理ってね、無くしても放課後に学園長が見つけてくれるんだよ。学園長は、菊理の場所が分かるみたい」


「へぇ……よく知ってるね」


 思わず感心の声を漏らす。


 だけど真耶は、おちゃらけたように笑って、視線を逸らした。その仕草がちょっと怪しい。


『……真耶、何回無くしたの?』


 すぐ隣から、カナタの機械混じりの声が聞こえた。その響きには呆れと優しさが混ざっていた。


「ん〜と、五回くらいかな?」


 顎に手を当てて、考えるそぶりをしつつ、とぼけるように言う真耶。


 その瞬間、すかさず司が笑顔でツッコミを入れる。


「十五回だね〜」


「えぇぇ!? そんなに!?」


 教室の空気が一気に和む。


 さっきまでの張りつめた緊張が、まるで風船の空気が抜けるみたいに消えていった。


 ——そう、真耶は推理力は天才的だけど、現実的な「探す力」はまるでダメなのだ。


 司が見つけてくれるのがもはや日課。天律学園に来てまだ三ヶ月なのに、すでに十五回も菊理を無くしているという伝説を更新中。


 私は思わず、ふっと笑ってしまった。


 こんな状況なのに——いや、こんな状況だからこそ、少しでも笑えたことが救いだった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。もし少しでも面白いと思っていただけたら、感想や評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ